ねこひげアンテナ
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▽檜山正幸のキマイラ飼育記●07/19 06:00 2025-07-18圏論的構造のドリルダウン雑記/備忘簡単な呼び名・言い回しで実は複雑な内容を語っていることがあります。簡単な呼び名・言い回しを、ドリルダウン(だんだん詳細化する)方式で分析してみましょう。例えば「小さな圏の圏の2-圏」は、けっこう複雑な内容を表しています。$`\newcommand{\cat}[1…2025-07-17演繹とは何なのか? 計算可能な図式間関数雑記/備忘「判断的セオリーと判断計算」で紹介したコラリア/ディ-リベールティの論文 "Context, Judgement, Deduction" は、「演繹〈deduction〉とは何なのか?」をテーマにしています。「メリス/ジルバーガーの圏論的判断計算」で紹介したメリス/ジルバーガーの論…「属性付き2-グラフのスノーグローブ現象」に書いたように、属性付き2-グラフではメタ巡回〈循環〉的状況が生じます。しかし、これは困ったことではなくて、むしろ望ましいことである気がします。「属性付き2-グラフのスノーグローブ現象 // おわりに」より…圏論的構造のドリルダウン演繹とは何なのか? 計算可能な図式間関数
▽Silva Speculationis ●07/18 19:49 反照のヨーロッパ原像 – カッチャーリ2025年7月18日 sxolastikosマッシモ・カッチャーリの『ヨーロッパの地理哲学』(上村忠男訳、講談社、2025)を読んでみました。「ヨーロッパ」というものが立脚している原像のようなものを、ギリシアの古典などを通じて浮かび上がらせようという、ちょっと大胆な試み(エッセイ)です。ここでの「地理哲学(ジオフィロソフィー)」というのは、どうやら地理的な諸条件との関係で浮かび上がる認識や自己意識についての学知、ということになりそうです。大胆な仮定や推論、そして該博な知識を駆使したハードなエッセイで、込み入った文体のせいもあって少し読みにくかったりもします。https://amzn.to/3GH9EWPそもそもヨーロッパは、アジアという無限定なものから切り離された、制限されたものというのが、ギリシア時代からの自己認識の根底にあったのではないか。制限されているからこそ、他者とは違う自己として存立しているのではないか。さらにまた、各地のポリスがそれぞれ異なっていたように、それぞれの自己は他の自己と内的な争い(スタシス)を繰り広げ、それを通じて他とともにあることを承認してきたのではないか。そのため、そこでの平和は戦争の一時休止として捉えられていたのではないか。これがヨーロッパの原像だというのですね。ヨーロッパはまた、オケアノスに囲まれた島としての自己規定もあっただろうといいます。故に、タラソクラティア(制海権をもつ国家の支配)こそが、支配概念の基本担っているのではないか、というのですね。支配の要となるノモス(法)もまた、各ポリスに限定的・制限的なものであらざるを得ず、無制限・無定形のノモスはありないとされます。とはいえ、ノモスの限定性は、キリスト教時代のヨーロッパにおいて揺らいでいった、とカッチャーリは振り返ります。神がもたらしたとされる自然のノモスは、場所に限定されない無限定なノモスであり、それが場所限定のノモスに対立するようになった、と。限定的ノモスを「引っこ抜く」ことに貢献したものとして、ヘレニズム期のストア派、エピクロス派、懐疑主義などの台頭や、ローマの覇権、近代におけるモノスの脱構築などもあり、こうして「新たな結合としてのヨーロッパ」の概念が成立していく。ただ、そこでもまた、調和の不安定性が解消されることはなく、「平和を争いにつなげてしまう致命的な性格」は温存され、クザーヌスのアポリアよろしく、区別されたもの同士が互いに相手を必要としながら、区別されたものとして消えてしまうまで相互に関係しなくてはならない……。このように、本来の多島性はかたちを変えながら、キリスト教的ヨーロッパに継承されていくのだろう、というわけです。しかしながら、キリスト教のかたちで単一の神を擁することになっても、その神(つまりは無限なものです)は到達不可能であって、それをとりまく多数の推測が存在するというかたちでした神の顕現の形式はありえません。かくしてヨーロッパの多数性・限定性の構図は温存されたままで、現代にいたるまで長い命脈を保つことになるというのが、カッチャーリの仮説であるようです。今なお、EUが総体をなしえず、多数性を維持した寄り合いのようでしかないのは、そうした原像がいまだに反照しているからなのかもしれません。カッチャーリによれば、北アメリカなどは隣接する他の複数国家を持たず、境界や制約を海から被っていないため、外に向かおうとする視線や願望を持たず、自身のうちに向け直すという自己完結的な構図を生きているのだとか。うーん、でもそのあたりの見立てはどうなのだろうか、と疑問がないわけでもありません。またアジアに関していえば、翻って中東や東アジアの自己認識の原像はどう導き出せるだろうか、とつい考えてしまいたくもなります。共有:クリックして X で共有 (新しいウィンドウで開きます) XFacebook で共有するにはクリックしてください (新しいウィンドウで開きます) Facebookクリックして Pocket でシェア (新しいウィンドウで開きます) PocketHumanities反照のヨーロッパ原像 – カッチャーリ
▽傘をひらいて、空を●07/12 21:20 しかし実はその日記を書いたのは昔の灯台守自身である。灯台守の記憶はあいまいだ。情報源もない。だから気づかずに済んでいる。岬の向こうの灯台はとうに自動化されていて、そこには誰もいないことに。日記の文字は間違いなく自分の筆跡であることに。
▽ララビアータ●06/23 04:30 2025年06月22日トランプによるイラン空爆トランプによるイラン空爆については、さまざまの制約による我々の情報の乏しさにもかかわらず、およそ次のことは確実である。この攻撃が国連安保理決議や米国議会における議論や決議もなく行われた点で、「法の支配」に真っ向から違反した無法なものであること、イスラエルの戦争犯罪に加担するおよそ正義に反するものであり、トランプの打ち続く失政を糊塗するために中東の危機を演出するという、火事場泥棒的なきわめて不道徳なものであること。しかも、2018年いわゆる「イラン核合意」を一方的に破棄したのは、第一次トランプ政権である。今回のガザの大惨事に始まる一連の中東危機は、そもそもトランプ自身の失策の結果なのである。ガザでなされた大虐殺は、いかなる言い訳もできない正真正銘のジェノサイドであるが、アメリカはそれに加担して、必ずしも必要のない、しかもきわめてリスクの高い悪事に手を染めてしまった。それがいかに汚らしい残忍至極なものであるか、今更言い立てる必要もないが、いま強調されるべきは、それが国際安全保障にとっても、米国の国益にとっても、またユダヤ民族の存続自体にとっても、賢明なものでも、有益なものでも、見通しの明るいものでもないということである。それどころか、これほど不吉なものはまたとないくらいである。「法の支配」が、特に国際的紛争のさなかに、時としてほとんど無力なもの、列強のエゴイズムを粉飾するだけのものに成り下がることが多いことは重々承知の上で、そのように弱い規範さえ、それを無視するシニシズムが、いかなる悲惨を招くことになるかは、さまざまの歴史が証明している(とりわけフセイン亡き後のイラクや、タリバン追放後のアフガニスタン)。以前から国際法を無視し続けている世界の常習的無法者イスラエルはともかく、アメリカが無法者の仲間入りをしたことが世界に投げかける暗雲は、ことのほか深いと言わざるを得ない。easter1916 at 23:37|Permalink│Comments(0)│ │時局easter1916 at 04:20|Permalink│Comments(4)│ │哲学ノートトランプによるイラン空爆時局 (110)
▽狐の王国●04/21 08:59 2025年春アニメ、32作品を1話チェックしてみた2025 / 4
▽R35な女子日記●10/22 07:15 <(1)からの続きのあらすじ>脚本家ウン・アリヨンは女優シム・スジョンに痛烈な嫌がらせをしつつ、異母妹イエヨンの婚約者で新聞社テヤン日報の御曹司イ・ジュワンに接近。美貌と知性を備えたアリヨンは、ドラムも叩けるしダンスも上手で、イエヨンとは正反対の魅力をふりまいてジュワンを虜にします。イエヨンの子どもっぽいわがままっぷりがときにジュワンを辟易させていたこともあり、ジュワンは幼なじみのようなイエヨンで...
▽夏のひこうき雲●03/28 08:52 夏のひこうき雲(ブログ移行中)読者になる
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