はてなアンテナ
ねこひげアンテナ
id:Christine

DVD

グループ一覧
1/2ページ

檜山正幸のキマイラ飼育記
●10/17 15:57
2024-10-16指標から名前の削除雑記/備忘指標は宣言文の集まりです。各宣言文は、順番〈位置番号〉でも名前でも一意識別できます。実用上は、(順番は覚えにくいので)名前が使われます。が、理論上は名前が邪魔になることがあるので、ときに、名前を削除する必要があります。名前の削除方法の記述…2024-10-15カリー/ハワード/ランベック対応のための“呼び名”と“書き方”雑記/備忘ここ最近の本ブログのテーマは「カリー/ハワード/ランベック対応」です。最近の記事がすべてカリー/ハワード/ランベック対応に関係するわけではありませんが、9月の記事「関数の構成法 (カリー/ハワード/ランベック対応も少し)」あたりから、カリー/…指標から名前の削除カリー/ハワード/ランベック対応のための“呼び名”と“書き方”

ララビアータ
●10/16 16:16
2024年10月16日ベンヤミンの言語論アドルノはベンヤミンの洞察から汲み取ったものを、次のように表現した。学問の課題は、現実の隠された志向や現前している志向を探求することではなくて、志向を持たぬ現実性を解明することである。その方法は、現実の個々ばらばらの諸要素からさまざまの図形を、さまざまのイメージを構築することによって…諸問題を浮かび上がらせるのでなければならない。(往復書簡 晶文社邦訳p-16)近世以来の観念論は、「対象が我々の認識に従わなければならないとすれば、もっとよく進捗しないだろうか」という形で定式化されたカントのいわゆるコペルニクス的転回によく表わされているように、数学的・力学的悟性による能動的な概念構成によって設定された概念に基づいていた。ベンヤミンやアドルノがそうした近世観念論と対決しようとして、概念の志向的構成によらない客観世界からの生成を重視したのは、もちろん理由があった。ルカーチが見たように、近世観念論の基本図式がブルジョワ社会の物象化に基づき、それを突破することが哲学的にも社会的にも中心的課題とみなされたからである。このような概念構成の観念論的主体主義は、一見それと対蹠的な文化人類学の諸概念にも受け継がれている。それというのも、レヴィ=ストロースが依拠しているヤコブソンの音韻論の構造が、概念の主観的(恣意的)対立軸から作られているからである(たとえば、RとLの間に弁別を置くか否かは、言語文化によって恣意的に決定されている)。つまりそこでは、諸概念による世界の切り取りが、もっぱら反対対等の対立軸によってなされ、アリストテレスにおいて重視されていた非対称的対立が無視されているからである。非対称的対立においては、実在的一者こそが、その欠如を弁別するが、その逆は成り立たないのである(詳しくは、拙著『読む哲学事典』p-150~参照)。ベンヤミンやアドルノは、このような概念観(言語観)を何か唯物論的なものと考えていたようであるが、それが誤解の元。確かに概念の弁別規定が主観の意図に基づくのではなく、実在的一者の弁別力によるという意味では近世観念論特有の主体主義は否定されているが、それはマルクス主義的なあらゆる意味で「唯物論」的なものとは言えまい。例えばアリストテレスにとって弁別の基準となる一者の実在は、必ずしも物質的なものではない。例えば「中庸論」の要をなす一者。健康も不健康もいずれも物質的ではあろうし(単に健康のみが物質的であるわけではない)、勇気にはあるが臆病や向こう見ずには欠けているものは、いかなる意味で物質的なのか?もちろん、勇気にのみ存在するあるバランスは、古代の重装歩兵戦法によって規定されたものであり、その文脈を離れては本来の意味を失う。この戦法では、個々人の力量の総和をはるかに超える力が、その密集堅固な連帯によって生み出されるという驚くべき発見が、ギリシア人の倫理観・政治思想に決定的な影響を与えているのであるが、この中心と両極を分ける要の一点は、果たして「物質的」なものだろうか? またアリストテレスは、「真っ直ぐなものは、真っ直ぐなものも曲がったものをも弁別する」と言うが、この「実在性」は単に物質的なものだろうか? さらに重要なことは、アレーテイア(発見)としての真理は、その不在を弁別するが、いかなる意味で物質的であるか?ベンヤミンにおいては、鋭い直感が、不十分な哲学的裏付けを伴って提示されることが多いので、ことさら秘教的なものになっていることが多い。例えば初期の言語哲学。それがフッサールの『論理学研究』に対して批判的であることは当然予想されるとおりだが、だからと言ってまさかのName中心の言語論、それも固有名詞中心の言語論とはいかなることか?もちろん彼が、フレーゲに始まる言語哲学的転回を知らないのは致し方ないとしても、このままでは偽なる有意味な命題の扱いすらままならない。神による命名という神学的テーマにインスピレーションを得ているにしても、このように乏しい道具立てで言語哲学に挑戦しようとするのは、どんな勝算があると思ってのことなのか?ベンヤミンに深い同情を持つ人にとってでも、そのポイントがつかめないのは当然だろう。実際には、ベンヤミンの目指しているところは、ギリシア人のアレーテイア(発見)真理観に近いものなのである。ハイデガーならば「ロゴスの働きによって現象を取り集め、見えるようにさせる解釈」と言うところを、ベンヤミンはただ「名指す」と言うのである。しかしこれは誤解を招きやすい言い方だ。彼は、個体を個有名で名指すという単純な指示関係から、原子論的に言語を理解しようとするのではないのだ。彼は概念が事態を浮き彫りにする(発見する)と言いたいのである。この発見に先んじて指示関係があるというのではないのだ。実際アドルノは、フロイトの「現象の残りかす」を取り集め組み合わせることについて述べている(『哲学のアクテュアリティー』みすず邦訳p-23)。ここに共通するものを見ることはたやすい。違いは、概念の社会的生成を重視するという点、それゆえその生成の闘争的性格を見る点だけである。ここで再び、アリストテレスが重要になる。なぜなら、概念をめぐる闘争において、問題の存在や発見された一者の存在を暴露し言い立てる者と、それを隠蔽しようとするものの対立の非対称性が浮き彫りにならざるを得ないからである。easter1916 at 13:18|Permalink│Comments(0)│ │哲学ノートベンヤミンの言語論哲学ノート (232)

Silva Speculationis
●10/13 07:29
Humanities批評誌の箱庭感2024年10月12日 sxolastikos1996年の『批評空間』臨時増刊号(特集:モダニズムのハードコア)がkindle版で購入できることを知り、さっそくポチりました(笑)。https://amzn.to/3NnIHHjなんといっても、巻頭と巻末の対談が面白い。というか、懐かしい。そう、90年代の後半とかって、こういう雰囲気があったよなあ、と遠い目をしてしまいました。批評家と言われる人たちが、雑誌の対談で好き勝手な(?)放言をしまくる。読者もそれを、どこか斜に構える感じで、ときに笑ったり、違和感を覚えたり、ついていけなくて置いてけぼりになったりしながら、それでもとにかく楽しみとして読んでいく。別にそれで読む側の知識が増えるわけでもないかもしれないし、語る批評家たちが真面目に考えて論じていないかもしれない。それでも雑多な、ノイズを含んだ情報が飛び交って、誌面が妙に生き生きと見えてくる。こういう読み物、あるいは読書の空間は、今や雑誌媒体では本当に見かけなくなってしまったように思えますね。時代は、もっと雑多でノイズもふんだんにある、ネットに移行してしまったというわけなのでしょうけれど、雑誌のこの箱庭的な(あるいはジオラマ的な)雑多な感じというのは、ほかで必ずしも再現できないのではないかな、と思ったりもします。共有:クリックして Twitter で共有 (新しいウィンドウで開きます)Facebook で共有するにはクリックしてください (新しいウィンドウで開きます)クリックして Pocket でシェア (新しいウィンドウで開きます)批評誌の箱庭感

傘をひらいて、空を
●10/09 07:02
2024-10-08大学院進学ってどうですか卒業生が研究室訪問にやってきた。大学院進学を考えているというのである。わたしが勤めているのはいわゆる研究大学ではなく、大学院進学者は少ない。たいていの院生は資格取得のために進学して、修士号を取って出ていく。そんなだから、一度就職してから進学相談に来る卒業生は、実ははじめてなのだった。在学中から優秀だったが、就職してから自信がついたようで、ますます元気になっていた。進学は正社員身分のまま、自分のお金でしたいのだそうだ。あなたは、うちじゃなくてよその院を外部受験するのがいいね、とわたしは言った。無理に今年受験する必要はないのだから、英語の点数をためておくと良い。卒業生はその回答もある程度想定していたようで、候補の大学院のプリントアウトを出した。それらについてあれこれ話してから、卒業生は言った。先生個人は博士課程までを視野に入れて大学院進学することについてどう思いますか。先生ご自身が進路を選んだときの決め手とか知りたいです。わたしはいくぶんためらって、それから正直に回答した。当面の食い扶持のために進学したんですよ、わたしは。わたしが学部四年生のときの就職状況は荒野だった。就職氷河期というやつである。それで世をすねていたら教官が何人かやってきて、「大学院生はバイトの時給がいい」と言う。「都会のなるべく有名な大学の院生になれば食える」と言う。さらに、「研究者になれば経費で旅行ができるよ」と言う。そんなうまい話があるかと思ったが、当面の食い扶持が稼げるのは魅力的だった。受験料も安かったので余所の大学院を受験した。院生になってみると、たしかにアルバイトの時給は良かった。ティーチング・アシスタントとリサーチ・アシスタントで一人暮らしの家賃くらいは出た。あとは家庭教師をやって、当時人手不足だったSE的な仕事を、民間の会社からもらっていた。特段に技術力があったのではない。「できますか」と言われて「はいできます」と言ってからできるようになればいいのである。夜と休日にしか働かなくても楽々食べられて、遊ぶ金まで残るのだから、学部時代よりずっとラクだった。博士後期課程に進んでからは、近隣のあちこちの大学の非常勤講師と技官のような仕事を兼務した。非常勤講師の給与は一般的には低いのだが、知名度が低いとされる私学の中にはかなり割高なところがあり、わたしには嬉しいことだった。その代わり情報処理実習ひとクラス二百人をアシスタントなしで担当するなどしたが。仕事をくださいと言えばもらえたのは、たぶん貧乏だったからである。人さまの情けで働き口をもらって、それを悪いと思ったこともなかった。学費は大学院進学以降全額免除だった。一般的には、来年度仕事があるかどうかもわからない状態で働き続けるのは耐えられないことなのだそうだ。先だって同業者がそういう投稿をしてバズったというので話題になっていた。わたしは少し驚いた。そういうのぜんぜん平気だったからである。苦労してでも研究者になりたかった、というわけでもない。博士課程を出たあとに無関係の仕事をするのもいいねと思っていた。不景気の年に学部を出て、就職先がないから好きなことをして割高なバイトで生活しながら様子を見て、それをずるずると続けていただけなのだ。設備がなくてもできる研究領域の、しょぼしょぼした研究テーマなので、何なら私費でやるのもいいと思っていた。民間のエンジニア系職種より授業をするほうが向いているなと思って、あちこちの教員公募に応募して、運良く就職した。それだけである。今は割高なアルバイトがあるかわからないし、学費も値上がりしているし、そうするとよけいに、食い扶持を稼げる人にしか進学を勧められないなと思う。あと資産家のおうちに生まれて家族がお金出してくれる人とか。もちろん、その意見はまちがっているという人もいるだろう。わたしみたいなのではなくて、もっと優秀で、もっと情熱的に研究をしていて、もっと大学教員にふさわしい人がたくさんいると。いるのだろうと思う。わたしはそういった事情をあれこれ脳裏に思い浮かべながら、ごにょごにょと言う。院生しながら自分で食えそうな見通しがあって、なおかつある程度研究に向いている人なら、進学するのもいいんじゃないかと思う。でもその意見が偏っているという自覚はあります。研究能力と食い扶持を稼ぐ能力は別だから。じゃあわたしはOKですねと、卒業生が笑う。ほかの人の意見も聞くようにと、わたしは言う。まあ誰に何を言われても好きにするんだろうけど。kasawo 2024-10-08 19:00 読者になる広告を非表示にする大学院進学ってどうですか

狐の王国
●10/05 08:58
@ruscotarをフォロー

R35な女子日記
●08/10 18:59
私が一番好きなドラマ「人魚姫」(その1) (08/09)私が一番好きなドラマ「人魚姫」(その1)韓国ドラマの中で一番好きな時代劇はもちろん「女人天下」。では現代劇では?と聞かれると、「人魚姫」を挙げます。こんなに好きなのにこれまでブログでちゃんと語ったことはありませんでした。ここで改めて、勝手に長々と語らせていただきます。最近私が「人魚姫」のことを思い出したのは、ぶっとんでいるけど妙にはまってしまうセリフしつこめのドラマ「結婚作詞 離婚作曲」や「天女ドリアン ~時を超える愛~」の脚本家イム・ソンハンさんがその昔「人魚姫」を手掛けていたのも知ったからです。大好きな「人魚姫」と同じ方が書いたドラマだから「結婚作詞 離婚作曲」や「天女ドリアン ~時を超える愛~」もはまってしまったのか!と腑に落ちるとともに、「人魚姫」のことをよく思い出すようになりました。もう一回見たいけど、動画配信サイトにないんですよね・・・<あらすじ>ヒロインはチャン・ソヒさん演じる脚本家ウン・アリヨン。深い恨みを抱える彼女は、ある人物への復讐だけを胸に生きていました。その人物は、家族で親交のあった女優シム・スジョンと不倫した末に再婚するために母ギョンヘと自分を捨てた父ウン・ジンソプ一家。離婚を黙って受け入れた母はそのとき身ごもっており、ジンソプには知らせないまま出産するも、アリヨンの弟は障害があり、幼くして他界。アリヨン母は苦労の末に失明してしまいました。アリヨン母はもともとはいいおうちのお嬢さんでしたが、幼い息子の治療でお金を使い果たし、生活は極貧に。アリヨンは細い体でアルバイトを掛け持ちしながら母を支え、やがて売れっ子の脚本家として歩み始めます。一方、アリヨン父ジンソプは新聞社テヤン日報で出世し、シム・スジョンとの間にもうけた娘イエヨンとともに何不自由なく暮らしていました。一家のようすを物陰から見つめながら、いつか絶対に復讐してやる!と静かな炎をたぎらせて育ったアリヨン。にっくき父とシム・スジョンの不倫劇そのままに描いたような「愛の歓び」の脚本を完成させると、シム・スジョンを強引にキャスティングします。もちろんシム・スジョンに嫌がらせをするためでした。アリヨンの復讐の矛先は異母妹イエヨンにも向かいます。イエヨンの婚約者イ・ジュワンは、テヤン日報の社長の息子。彼をイエヨンから奪うために、テヤン日報に勤める友達に協力してもらい、脚本のための取材を口実にジュワンに近づくのでした。こんな感じで始まるこの物語、まずアリヨンがとても魅力的なのです。チャン・ソヒさんは今もお綺麗ですが、この頃は輝いています。復讐劇なんだけどギャーギャーさわぐドラマではなく、アリヨンはしっとりしていて女らしく、淡々と物語が進んでいきます。脇役たちのしょーもない日常も不要なほどに粛々と描かれ、いつ復讐できるんだーとイラつくこともある長丁場なのですが、それもまたこのドラマにはまってしまう要因。ちなみにしょーもない日常のほとんどは、上にはまだ書いていないテヤン日報一家の嫁姑、後に重要な存在となるブティック経営者スアの息子と娘によって描かれます。2024年08月09日 | ★テレビ・映画・本 雑談 | コメント(0) | 最新記事を見る

夏のひこうき雲
●03/28 08:52
夏のひこうき雲(ブログ移行中)読者になる

カフェオレみたいな日記   黒いのと白いのと甘いのと
●03/28 03:30
カフェオレみたいな日記   黒いのと白いのと甘いのと読者になる

読んだものまとめブログ
●03/28 01:18
sadadadの読書日記読者になる

はるるの勝手に独り言
●03/28 01:06
nihongoのブログ読者になる

ひじる日々 東京寺男日記 ehipassiko!
●03/27 22:29
ひじる日々読者になる

yuhka-unoの日記
●03/27 20:16
yuhka-unoの日記読者になる

チョコっとラブ的なにか
●03/27 19:19
チョコっとラブ的なにか読者になる

金田一輝のWaby-Saby
●03/25 19:34
金田一輝のWaby-Saby読者になる

The Passing − 書物について
●01/25 19:04
passing 2023-12-24 18:43 読者になるpassing 2022-06-07 18:06 読者になるpassing 2021-04-09 00:00 読者になるpassing 2021-04-02 00:00 読者になるpassing 2021-03-26 00:00 読者になるpassing 2021-03-19 00:00 読者になるpassing 2021-03-08 17:10 読者になるpassing 2021-03-05 00:23 読者になるpassing 2020-08-17 21:22 読者になるpassing 2020-07-31 00:00 読者になる

6.次15>

0.はてなアンテナトップ
8.このページを友達に紹介
9.このページの先頭へ
ヘルプ/お知らせ

ログイン
無料ユーザー登録
はてなトップ

(c) Hatena