daidojiのアンテナ
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▽蒼龍のタワゴト●04/25 21:20 ゾントハイマー「ワイマール共和国の政治思想」から保守革命を考える書評 (65)政治 (8)
▽はてなダイアリー - 富柏村香港日剰●04/25 14:54 乙巳年三月廿六日。摂氏15.4/18.4度。雨(16mm)。まるで梅雨のやう。本日とあるウガンダ出身の方と出くわして、とある行政システムにログインのことについて問はれ手伝ひしたのだが日本語をそれなりに解すこの方からしてもワケがわからず英語での情報は更に意味不明で「ウガンダでもこのくらゐならネットでの手続きは簡単」。我が国はガラパゴス的進化をしてゐるのではなく21世紀の世界のスタンダートからすると、もはや「後進国」入りかしら。先日もインド出身の方が夜間や週末の急な医療について印度でも公共医療はもつと選択肢もあるし水戸では余りに不便といはれた。国会での「論戦」。「米国と戦争する」といふ英断を摂る際に「負けた場合の未来永劫の負債」がどうなるのか、も理解できぬまゝ開戦で真珠湾で喜んでゐたのだから。戦争で敗れても何も変はることもなかつた。三島由紀夫はクーデターといふ喜劇を起こして全てを一旦毀してみ
▽じんせい色々●04/23 18:34 2025-04-23テレビとは時間であるテレビを自分の家に持たないというポリシーの人々は昔から一定数はいたわけだが、しかし今時分の世になって、21世紀も四半世紀を越えようとしているとき、テレビを自宅から追放する人々の層は以前にも増して厚くなっているように見える。しかしここで敢えて考えてみたい。テレビとは本当にこのまま消滅しようとしているのだろうか?社会の中にテレビ放送が始まって以来、それは日本ではNHKの開局から70年経つというのだが、強烈に現代社会に生きる人々の生活にとって、その根幹的な部分にも不可避的に食い込んできた、大きな文化の存在である。テレビジョンという機械の持つこの強烈な求心力の存在とは一体何だったのだろうか。テレビは終わった。人々はもはやそう云うようになった。成る程。それが言い得るとしても、しかしそれは地上波テレビのことだ。映像の文化がまさか人間の文明にとってここで終わ
▽HODGE’S PARROT●04/20 22:33 J.S.バッハ : フランス組曲第2番 ハ短調 BWV813piano (199)J.S.バッハ (74)
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