Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

ぜんぶ「プロジェクトX」のせいだ。

ぜんぶ、「プロジェクトX」のせいだった。僕が勤めている会社上層部のクソ・ムーブが悪化したのは、今春放送開始の「新プロジェクトX~挑戦者たち~」の影響だった。上層部が週末の会議で「プロジェクトXみたいにできないのか」「土曜日に放送されているから見たほうがいい」と言っていたから間違いない。

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「プロジェクトX」はオッサンのオッサンによるオッサンのためのおとぎ話だ。ある難易度の高いプロジェクトの成功を目指し、様々な課題や困難をオッサンたちが乗り越えていく血と汗のドラマだ。特徴はプロジェクトの意味や技術の凄みではなく、関わったオッサンたちの人間ドラマにフォーカスしていること。その作りが「俺たちは空に輝く星のように華々しくはないが、地味に人々の暮らしを支える地上の星なのだ」というオッサンのプライドを刺激してウケた。自分も「地上の星」になれるのではないかという夢を抱かせた。オッサンは自分が好きだからだ。平成まではそれが通じた。だが令和の時代にプロジェクトX的な価値観、仕事観はいかにも古すぎやしないだろうか。残念ながらオッサンたちの血と汗と涙で勝てる時代はとっくに終わっている。だいたいのビジネスマンはそのことがわかっていて、プロジェクトXをおとぎ話をして楽しんでいる。だがプロジェクトX復活でプロジェクトX的な働き方が今もイケると勘違いをする人たちも中にはいる。それが当社の会社上層部だ。

たとえば、僕の勤めている会社では人材流出と人材確保が課題となっている。各部署の責任者が協力して、定期昇給額や賞与の増額などの対策を練っている。先日、そんな僕らの思惑を無視し、会社上層部がトップダウンで現場社員の給与を月2,000円上げた。結果は最悪。「月2000円…ナメとんのかコラ!」とかえって現場の人材流出ムードは高まってしまった。そんな逆風にめげずに僕らは取り組んでいる。所定労働時間内で問題を解決しようとしている。その姿勢が会社上層部は不満らしい。僕ら部長級に「仕事が終わったあと、夜に対策会議をやるくらいの熱意を見せろ」と言ってきたのだ。夜な夜な部長達が集まり、残業代返上で真剣に取り組んでいる熱い姿を部下に見せることが問題の解決につながると考えているのだ。プロジェクタェーックスッ(例のアレ)。これまで「残業は悪」「残業するやつは仕事ができない」と罵っていた会社上層部が突然の残業推奨。プロジェクトXの影響としか思えない。

また、ウチは食品会社で常に新商品の開発を行っている。これまで上層部は新商品について、コストと売上と利益しか興味を示していなかったが、今月の開発会議から「現場第一主義」をうたって突如参加。会議の冒頭で「ニーズに背いた商品開発が当社の生き残る道」という意味不明な訓示をして和やかなムードを作り上げてくれた。プロジェクタェーックスッ(例のアレ)。現場第一主義。現場の声を聞く。これもプロジェクトXの影響だろう。当社の看板商品を試食して「他社はこんな優秀な商品を開発しているぞ!開発部門はなにやっているんだ!」と絶叫して開発者に喝を入れるのもプロジェクトXの描く熱いリーダーの間違った解釈だと思われる。

まだある。当社は縦割り組織だが、本部自体が小規模なこともあって、部署間の協力体制はできている。部署間のセクショナリズムは強くない(皆無とはいえないが)。僕の経験では、営業部門の長として他部署に協力を求めて拒否をされたことはないし、その逆もないはず。ところが会社上層部は、縦割り組織の弊害を憂慮して、部署の垣根を越えた飲み会の来月開催を決定した。「縦割りで意見も交わさず非協力的かつ硬直化した組織体制」というプロジェクトX的な妄想にとらわれているとしか思えない。「こんな会話もままならない縦割り組織(妄想)では、部署間でいがみあっているばかりで(妄想)一丸となって目標に向かえない!(妄想)」。そこで上層部が解決策として打ち出したのが飲み会。プロジェクタェーックスッ(例のアレ)。令和の時代に飲みにケーションで意思疎通。しかも参加者から会費3000円徴収。現場社員の昇給額より多い。ふざけているのか。

他にも会社上層部は「無茶な納期設定」「不採算部門からのミラクルな商品で逆転」「大義のためには人命もしかたない」などを口にするようになっている。これらもプロジェクトXの影響だと思われる。

このようにプロジェクトXのせいで当社の混乱は悪化している。NHKには老人の中にはおとぎ話をおとぎ話として受け取ろうとしない人がいることに留意して番組を制作していただきたい。かつて番組に夢中になった60代70代を、「モーレツな労働は正しかった」という誤解をまねくような描き方で変に勇気づけないでほしい。プロジェクトXで描かれる、血と汗と涙でつくられた熱意と団結があれば勝てるという勘違いが、日本が世界で勝てなくなった理由だ。だからこそ、僕や僕よりも若い世代は、ふたたび点灯した迷惑な地上の星たちを潰していかなければならないのだ。(所要時間30分)

人材流出阻止目的で臨時昇給を実施したら地獄の門が開きました。

会社が大荒れ。上層部が行った臨時昇給がその原因。一般的にポジティブなイメージのある昇給イベントで地獄になるのはめずらしいことである。説明しよう。当社は特に現場において人材不足状況が問題になっている。会社上層部は、人材流出阻止のため「ギリギリの経営判断で現場の皆様の昇給を決定いたしました」と社内メッセージを送り、現場社員を対象に臨時昇給を突如実施した。典型的なトップダウンである。

ところが昇給額が一律月2000円。しょぼすぎ。それを知った現場社員から「ギリギリに切り詰めて2000円なのか?」「2000円しょぼすぎないか?」「バカにされている気がする」など、絶望感が強まり、流出ムードが加速してしまった。最悪の結果だ。

僕ら部長クラスは、このトップダウン決定を事後に知らされた。事前に知っていたら、現場の反応と絶望を正確に予測できたし、昇給額が2000円ということもなかったし、最低でも「ギリギリの経営判断」という文面をメッセージから削除していただろう。いずれにせよ後の祭りだ。この決定に関わらずに済んだことを今は感謝している。残念ながら他人事というわけにもいかない。連休明けから営業部長の僕も現場からの「この会社の施策はふざけているのか」という声への対応に追われている。

1人月2000円であっても、相応の人数に支給するとなれば大きな金額になる。費用対効果はマイナスだ。なぜ、上層部がこのような阿呆ムーブをキメたのか。それは金融機関からの天下りメンバーのため、業界と現場を全く知らないからである。現場は知らないが、現場からリスペクトされたい、という気持ちが強い。そのため、現場介入をたびたび行っているがすべてしくじっている。たとえば昨年末ニュースになった宅配冷凍クリスマスケーキ事件は覚えているだろうか。当社は同様に冷凍食品を扱っている。上層部は急遽、現場視察を実施。5人仲良く車で冷凍倉庫に駆けつけ、倉庫を外から見て5人並んで腰に手を当て指差し呼称「ヨシ!」をキメる姿を現場スタッフに目撃されるという愚行を犯した。彼らは現場からよく思われたいのと同じくらい、現場からナメられたくないという気持ちが強い。そのため、現場で的外れなポイントを視察したり、素人丸出しの質問をするのを回避するのである。バカにされたらリスペクトされないからだ。こうして現場介入にしくじってきた彼らは、手っ取り早く現場からリスペクトされるには昇給だと安易に考えたのは想像にかたくない。

会社上層部は、「今回の臨時昇給を事前に知って、了承したことにしてくれ」と僕ら部長級に依頼してきた。後付け連帯責任。自らトップダウンを強調したのに今更なかったことにするつもり。僕は上層部に質問した。「もし今回の施策がうまくいっていたら、上層部の皆さんの成果になっていましたよね。そのとき、私は無関係とされますよね。いやむしろ部長クラスを排除してうまくいったと会社内で言いまわりますよね」。上層部は「まぁそうだね。そういうことになるね。なぜなら我々が決めたことだから」と実に都合の良いことをいうので「拒否します。私は事前に知らされていません」と答えた。当たり前である。会社上層部は僕からそういう反撃が来るとは思っていなかったらしく、口を大きく開け、首をかしげ、悲しそうな表情を浮かべた。馬鹿にしているのか、単なる馬鹿なのか、わからない。あるいは軽度の痴呆かもしれない。

上層部は、現場社員の給与を上げる「姿勢」を見せることが大事だと勘違いしていた。金額の問題ではないという見込み違いである。完全に間違っている。労働者は金額が全てだ。昇給だけで嬉しい、金額は関係ないという人間は存在しない。また、恩着せがましさも裏目に出た。経営状況や社会情勢を鑑みた感じ、社内で慎重な話し合いを経た感じ、それらを演出するための「ギリギリの経営判断」と言うワードを使ったのが最悪であった。つかセンスなさすぎ。やった感を醸し出すためのギリギリは、会社の経営状況がギリギリと捉えられた。まぁ普通そう受け取られるよね。

炎上はされに延焼中である。現場以外の本社や支社、各営業所の社員から「なぜ現場の社員だけなんだ」「差別だ」と言う声が上がっている。人間とは面白いもので、たとえ月2000円の昇給であっても、自分が対象外とされるとムカついてくるのである。2000円が20,000,000円のような気がしてくるのである。さらに、現場社員に限定したことによって現場で一緒に働いているパートからも不満がでている。パートスタッフも人材確保に苦労しているのに、時給アップはされなかったのである。上層部に確認したら「パートがやめても代わりはいるもの」と綾波レイのように言っていた。現場がわかっていない。

この問題の対策会議に営業部長の僕も強制参加させられている。昇給対象のパートを含む全社員への拡大、昇給額のさらなるアップ、パート時給のアップしかないように思われる。それでも会社上層部は「昇給だけでもありがたいのに、金額について文句を言うとは現場社員は贅沢だ」と自らの失敗を認めていないので、これからも同じような事は繰り返すだろう。社員は馬鹿じゃないので、同じ仕事であればより良い環境、より賢い上層部を求めて、同業他社に移っていくものは出てきても仕方ない。止められない。このように、行動力のある権力をもった無能がいちばん厄介なのである。

なお、僕の会社員生活において今回の人材流出策はワースト2位に留まっている。さらに輪をかけて酷いワースト1位がある。だから、まだ耐えられる。以前勤めていた会社上層部は、人材流出を阻止するため、あえて退職金制度を廃止した。退職金がなくなれば必死に今の状況にしがみついて働く、つまり転職を考えなくなるというワンダーな思考によるものであった。この政策は、効果てきめんであった。退職者が続出した。僕もこれでやめた。お金うんぬんではなかった。行動力のある無能と付き合うのは耐えがたいからである。このように、労働者が働きたいと思う職場環境には会社上層部も含まれるのである。(所要時間33分)

会社上層部に疎まれて着実に退職に追い込まれている。

僕は食品会社の営業部長、先日、ある問題社員を上層部から託された。営業部門は表向き「会社の看板を背負っている」と持ち上げられるが、他の部署でパッとしなかった人材が送り込まれてくる姨捨山のような場所でもある。僕は会社から珍獣使いとして評価されている。自称必要悪くん、「刺身が生だ」部長、仕事中の居眠りが止められない眠狂四郎君、役職を与えられれば本気出しますよ氏、言われたこと以上の仕事は出来ませんマン……思いつくだけでここ十年くらいの間にこれだけの厄介な人を面倒を見てきた。時間の無駄であった。これからの職業人生でこの無駄な時間を少しでも取り返していきたい。と心に誓った矢先にこれだ。

問題社員はクライアントから運営を委託されているレストランの責任者だ。腕はよく、客先からの評価は高い。その一方で問題をたびたび起こすため取り扱いが難しい。手を焼いた上層部が珍獣使いとして評価を得ている僕に彼を任せたのだ。上層部からは「一任するからフリーにやってくれ」と言われた。実際に問題の社員と会ってみて、会社上層部が彼の取り扱いになぜ苦労しているかはすぐにわかった。当該社員は阿部寛似で睨まれると圧力を感じた。ただし身長が阿部寛より25センチほど低いためその圧力は弱かった。アベちゃんは大酒飲みで無断欠勤を繰り返していた。だが、腕は確かだった。客先からの評価も高い。上層部は、アベちゃんを何とかコントロールして客先からの評価を継続したいと考えていた。一方、アベちゃんは、客先からの高い評価を背景にふざけた仕事をしていた。守秘義務があるので、ここには書けないが、無断欠勤以外にも問題はたくさんあった。レストランの運営は当初うまくいかなかった。責任者となったアベちゃんが運営を安定させた。その実績によって客先から信頼を得ていた。そのため、上層部はアベちゃんに問題があっても目をつぶって放置していたようだ。

上層部が僕に期待したのはアベちゃんを制御することだった。僕の出した結論はシンプルだった。解雇だ。本人に反省がなく改善の見込みがないと判断した。理由を淡々と伝えたらアベちゃんは納得していた。未練もないようだった。「俺がいなくなったらあのレストランの仕事がなくなるかもしれませんよ」と言われた。「結構です。こちらの問題です。君には関係ありません」と答えた。「こんなふうに社員を乱暴に切っていいの?部長さんはそんなに偉いの?」「僕も社員なのであなたのような仕事をしていたらクビになるでしょうね」「部長さんご家族は?」「資産家の娘である妻と小学6年と3年の娘。それからシベリアンハスキーと港区白金台の一軒家で暮らしている」嘘である。もう会うことのない人にプライベートを教える意味がないので、僕が目指していた理想の家族を教えた。「忘れないぞ部長さんのこと」脅迫かしら。「この会社の事はすぐ忘れて、新しいところで頑張ってください」。心優しい僕は、本人からの退職という形で終わらせた。脅迫に屈したわけではない。

 僕の対応は、会社上層部から非難された。叱責を受けた。「問題から逃げただけだ」「問題に対処していない」「1番楽な解決法を選んだ」等々。社内規定に反している人間を見逃すことはできない。特定の客先からの高い評価を得ていたとしてもだ。それで免責されるような組織は腐っている。結局のところ、会社上層部は僕が気に入らないのだ。僕がどのような対応をしても非難されるのだ。「客先からの評価はどうなる」と会社上層部から詰問。「そんな評価はクソでしょう。問題人物で獲得した評価をあてにする位なら撤退したほうがいいです。対応してこれまでよりも良い評価を得ればいいだけです」「そんなことができるのか」「わかりません。客先に説明して理解を得てしっかりとした対応を取る。我々がやるべき事はこれだけですよ。皆さんがやることですよ?わかってますか」と助言したが返事がない。ただのしかばねのようだ。

連休明け。会社上層部は当該客先に赴き、自らの手で問題社員を解雇したので今後ともよろしくお願いします、と挨拶したらしい。クソが。僕は脅迫されたのだ。命を狙われているかもしれないのだ。今この瞬間もアベちゃんは僕の家族(架空)を狙って、白金台でシベリアンハスキーを探しているのかもしれない。恐ろしや。会社上層部は僕に様々な難題を押し付けて退職に追い込もうとしている。薄々気づいていたけれども最近はそれを隠そうともしない。それがムカつく。会社上層部の意のままになるのは嫌なので、相手の神経がすり減る位に嫌がらせをしながらギリギリまで会社にいたいと考えている。50歳をこえて転職活動するのもダルいからね。これが正解なのか、そうでないのか、僕にはわからない。(所要時間32分)

「大谷ハラスメント」は存在しませーん!

メジャーリーグのスーパースター大谷翔平さんに関する報道が加熱している。世界最高の野球選手がニュースになるのは当たり前である。だが、謎の正義感や妬みなどから大谷報道を気に入らない人が世間には一定数存在する。なかには加熱気味の状況を「大谷ハラスメント」と呼んで非難している人もいる。「大谷の結果はテレビで速報するほどの価値のあるものなのか?」「大谷以外に報道しなければならないものがあるだろう」がその理由。なかには大谷の情報を大量に流すことで国民に知られたくない情報を隠ぺいしていると主張するインボーロンもあるようだが、デクノボーの僕にはよくわからない。昨年から、そして今年になってからさらに頻度を増して、毎日、NHKから民放までニュース番組やワイドショーが大谷さんの打席を速報している。天気予報より多い。特にフジテレビ。サンケイ系列のヤクルトスワローズの試合結果をろくに放送しないのに「今日のオオタニサン」とかふざけているとしか思えない。実は、これらの大谷報道については僕も「やりすぎじゃね?」と異議を唱えたことがある。すると、ウチの奥様は「テレビ業界はコンテンツを作る能力がないから大谷に頼ってしまう」説を唱えて大谷をかばった。

この問題は大谷に起因するものではなく、メディアにその原因があるのを看過した彼女は鋭い。そう、メディアの問題なのである。「大谷ハラスメント」ではない。「大谷報道メディアハラスメント」なのだ。この説に対しては「政治家や芸能人や有名スポーツ選手のご子息をコネで、大学のミスコン上位者をアナウンサーとして、採用しているテレビ局が、自力でコンテンツを作れない、コンテンツ・インポテンツにかかっているなどありえない」「たいして面白くないが世の中に拡散したポストを投稿すると《貴兄のポストを番組で取り上げたいので取材していいすか》とダイレクトメールを飛ばしてくる超強力な取材力をもったテレビ局がネタ集めできないはずがない」と反論しておいた。大谷情報をハラスメントととらえる人がいるのは、大谷速報の情報が薄く手抜き感がするからではないだろうか。こんな取るに足らない情報をいちいち電波に乗せるなということ。クソ忙しい毎日を過ごしているのに大谷大谷大谷大谷オオタニサンオオタニサンを連呼されたら、大谷からポルシェをもらっていない赤の他人はムカムカするのも無理もない。たとえば大谷の速報。ヒットやホームランを打った場合、当該打席すべてを見せずに打った球のシーンだけである。三振や凡打に終わったときも三振や凡打にとられたシーンだけで、観戦するデコピンの様子は報じられても打席の過程、投手との駆け引き等は報じられない。メディアからみればDHに専念している大谷は打席を報じればいいので扱いやすい。打つか打たないかを報じればよいからだ。衛星中継をみていれば素人でも伝えられる内容。もっとメディアにはプロの意地をみせて取材し、濃い情報を流してほしい。最近は打球速度や飛距離も報じられるようになってきたがまだまだ足りない。入手できる野球関連の数値データはもちろんのこと、取材で得た大谷の毎日の体重・血圧・心拍数、家を出た時間、デコピンの散歩の有無、今日の朝食、パワプロ新作への関与、真美子夫人コーデ等々圧倒的な濃いデータとともに毎回の打席を、打席に入ってから結果が出るまでを完全中継されれば「あ、この局は本気で伝えたいのだな」と認識をあらためて大谷ハラスメントは蒸発するのである。いや、大谷は不世出のスーパースターだ。打席のたびに全国民に対して緊急地震速報のシステムで流すべきだろう。画面の上部に「本日の大谷翔平。4打席3安打うち2本はホームラン。打点3」のように常時テロップで表示すべきである。そこまで徹底的に本気の報道姿勢を見せればハラスメントと言われることはなくなるはずである。片手間に大谷大谷騒いでいるから駄目なのである。繰り返すが、大谷の報道が加熱しているなかで、メディアの怠慢こそあるものの、大谷起因のハラスメントは存在しないのである。なお、僕はウチの奥様から「大谷君はカッコよくて背も高くて世界最高の野球選手で超お金持ちなのに、なぜキミは年齢以外は負けているの?」的な発言を毎日のように喰らっている。これこそ、大谷が原因となっている真の大谷ハラスメントといえるだろう。(所要時間22分)

「配属ガチャ」は優しさでできている。

「配属先が希望と違う」と「配属ガチャ」を訴えて、入社即退職する新人の話題がこの季節の風物詩になった。「やってみないとわからないよねー」みたいなクソにも薬にもならない世の中の反応までがワンセット。僕は「配属ガチャ退職、別によくね? 」派。ガチャとは「自分の力が及ばない運で決められてしまう」ことだ。ガチャ自体はそれほど悪いものではない。なぜなら長い人生において全てを自分の責任にしていたらもたないからだ。すべてを自責にするのはよほどのマゾだろう。普通無理。誰かに責任転嫁できるならそれがいい。そこでガチャの出番となる。「ガチャで決められてしまったよ」といえばガチャのせいにできる。「ガチャはひどい」「ガチャありえない」というふうに否定的に語られているけれども、人生なんてガチャの連続である。僕らは皆、多くのガチャを通過してきている。ガチャの結果を、そのときの自分の置かれた立場や状況をかんがみて、受け入れるかどうかの違いに過ぎない。経験の少ない新人には立場や守らなければならないものもないので「配属ガチャ外れた〜ないわ〜」と嘆いてあっさり退職するのも仕方ないことなのだ。

僕は新卒採用のとき、会社の総務法務部門に配属された。希望通りだった。配属ガチャで当たりを引いたのだ。しかし、何ヶ月かその部署で働いているうちに「これは自分には合わない仕事だ」と考えるようになった。ガチャで当たりを引いたのに分からないものだ。そこへ営業部門への異動の話が来た。営業だけは嫌だった。「異動ガチャでハズレを引いた」とキャバクラで嘆いたものである。ところがどうでしょう。28年経った現在も営業職として働いている。なお、営業の仕事が楽しいと思ったことはない。何が言いたいのかというと、ガチャの当たり外れはとらえ方次第ということだ。

生きていると様々なガチャに遭遇する。配属ガチャ、異動ガチャ、上司ガチャ、座席ガチャ、プロジェクトガチャ、昇進ガチャ。ガチャは運次第で、自分の力では何ともできないが、どのガチャを選ぶかはある程度コントロールできる。ガチャガチャコーナーでどのガチャを回すかは自分で選ぶだろう?それと同じだ。極論を言ってしまえば配属ガチャがいやなら配属ガチャを回さずにすむようにすればいい。例えば自ら起業すれば配属ガチャを回さなくていい。配属ガチャのかわりに融資先ガチャ、販促ガチャといった別のガチャを回すだけのことだ。

ここまでガチャは運で決まることを前提に話を進めてきた。だが、すべてのガチャは本当に運で決まっているのだろうか。僕はそうは思わない。ほぼ全てのガチャは回す前に結果が出ている。たとえば意識と能力の高い学生たちが、新卒採用された全員が希望する配属先に配属されるとは思っていないはずだ。それでも自分は大丈夫だと思うのは、自分の力量なら希望するポジションを勝ち取れると信じているからだ。一方でポジションには定員があって配属される人数は限られている。人気のある企画系や広告系に希望は殺到する。より優秀で適性や能力のある人が選ばれる。漏れた人は営業部のような不人気な部署へ配属される。つまり運悪く配属ガチャで外れたのではなく、客観的な選考を経て能力や適性で自分より優秀と評価された人が選ばれたにすぎない。運ではなく実力で破れたのだ。ガチガチの配属ガチャもあるだろう。だが配属ガチャの多くは、実力の無さをガチャ運の無さに変換して自尊心を守る自分自身への優しさなのだ。「運が悪かった…」と思い込むことでダメージを最小限におさえて次に進むために「配属ガチャ」は必要なのである。すべてをガチャのせいにして今日を生き抜こう。

余談だが、結婚もガチャだ。僕は「結婚ガチャで大当たりを引いた」「僕の結婚ガチャは当たりっぽい」「当たりだと思う」「当たりかもしれない」と毎日繰り返し唱えて自分に言い聞かせている。言葉は神だ。希望の言葉を唱えていればやがてそれは真になるのである。(所要時間24分)