guttermouthのアンテナ
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▽HOUKOUの彷徨人生●12/22 15:16 2024年12月19日リタイア後初めての越冬/電気代が気になってしょうがない今年6月に不本意ながらも仕事を辞め、何とか暑い夏を乗り越えてきた。そして、1年で最高の季節である秋は、大したこともせずにあっという間に過ぎ去り、あっという間に寒い冬がやってきた。地方によって違うと思うが、わが町内では「♪ゆ~きやこんこん、アラレやこんこん」という灯油販売車の音楽が聞こえてくる季節になったのだ。夏の暑さは、どうやってもクーラーなしでは過ごせない。そこで、電気代節約のためにほとんど毎日、図書館や公民館などに避暑を求めて出かけたものだった。しかし、冬の寒さは布団にくるまっていれば家の中にいてもやり過ごすことができる・・と高をくくっていた。確かに電気敷布の温もりでベッドにへばり付いていればそのとおりだが、しかしそれでは正に絵に描いたような「寝たきり老人」の出来上がりではなかろうか?事実、朝起きて布団を跳ねのけて、何とか活動的な1日にしようとは思っても、なかなかそれが出来ない。ベッドから這い出し、エアコンのスイッチを入れるのさえひどく億劫なのだ。こうして、ベッドに張り付いた「不健全」な生活がしばらく続いた。これではいけないと、ベッドサイドにエアコンのリモコンを置くことにして、朝起きたら手元の暖房のスイッチを押すことにしている。少し部屋が温まってきたところで冷蔵庫のCCレモンを飲む・・これが1日の始まりだ。リタイアするまでは、その後食事をすましエアコンを切り、つらいけれども仕事に出ていた。しかしリタイアして365日全く自由の身になってみれば、どうしても安楽さに浸ってしまい、やっぱり家でグズグズしたくなる。ところが、そうして家での安楽さに水を差すのが、エアコンの音だ。音自体にではない。電気の消費が気になってしょうがないのだ。サラリーマン時代、出勤日は日中の暖房費はゼロ。ところがリタイア生活では、もし外出しなければ、丸々その光熱水費がかかってしまうのである。無職生活とは何かとお金がかかるものなのだ。灯油の買い出し、給油が面倒くさくなって、我が家では日常の暖房はファンヒーターを数年前に辞めてエアコンにしている。(脱衣所のみファンヒーター)設定温度は23度。政府の推奨設定は20度というが、いろいろ試してみたがこれが限界だ。エアコンが古くなったせいか、歳を取ったせいか、それでも寒く感じる。夏の暑さだったら、半ズボンにTシャツで気軽に外出できたのだが、冬の外出は防寒着の鎧をまとわなければならない。これが面倒くさい。そして夏だったら、汗をかきながらも自転車で颯爽とどこかに出かけていたものだが、冬の自転車は寒さに耐えながらの自転車漕ぎになるので、そのことも外出を億劫にさせる。結果的に、やっぱり家に引きこもりになり勝ちになってしまう。そこで再び西鉄バスの乗り放題カード(グランドパス)を買った。1カ月で6300円なのだが、フルに活用すれば、もしかして同じぐらいの電気代の節約になるのではなかろうか・・というせこい計算もある。夏場は自転車で通っていた地域図書館にバスで行く。あるいは、たまには目的地を決めないままバスに乗る。暖房が効いたバスの中で読書する。時折本から目をあげ、車中の人間観察をする。暖を取れそうな場所、小散歩できそうな場所でバスを降りる。疲れや寒さを感じてくれば、またバスに乗る。正に暖を求めて彷徨の日々である。こんな努力をしてもサラリーマン時代よりは確実に電気代は高くなっているはずだ。何しろ暖房運転時間は確実に長くなっているのだ。今月の電気代は如何ほどになるのであろうか?何とか1万円台前半に収まってくれればいいのだが。寒さに打ち震えながら、その通知を待っている。ちなみに今日、ハロワの認定日帰りに、「駆け込み」でガソリンと灯油を買った。ガソリンはリッター177円、満タンにして約3500円。灯油は18Lで約2000円。ついでにディスカウントスーパーで焼酎、日用雑貨、裏庭ネコちゃんのカリカリなどで約14000円ほどの支出。このご時世、二万円などあっという間に吹き飛んでしまう。励みになります。応援クリックお願いします。↓にほんブログ村にほんブログ村60歳代ランキング◎読書:カズオ・イシグロ『浮世の画家』前に読んだ『女たちの遠い夏』(『遠い山なみの光』)同様、恐ろしいまでに日本的情緒を感じさせられる作品である。これは、翻訳者の方が作家と緊密な検討を繰り返しながら日本語約された努力に負うところ大だと思う。しかし、『女たちの遠い夏』では、日本での場所がはっきり長崎とされているのであるが、この作品ではおそらく意図的に「どこでもない場所」に設定されているようだ。まるで夢に出てくる「どこでもない場所」のように。物語もそういう虚構性によって組み立てられているような気がする。話の本筋としては、戦前の高名な画家である小野が、戦争機運高揚を煽り立てるような作品を作ったこと、要するに画壇における「戦犯者」が自己反省じみたものをするというものである。しかし、単なる「浮世の画家」が、はたして軍部や国体を動かす力を持つことができたのだろうか?できたとしても、それは「戦犯」の名に値するものか。小野の二人娘の妹(この時代すでに「行き遅れ」気味の20代後半である)礼子のお見合い話が、流れてしまった・・これはもしかして自分の戦時中の体制寄りの創作活動が影響したのではないのか?・・という反省にもなっていない反省が小野の頭によぎる。再び礼子にこれが最後的な好条件のお見合い相手が見つかる。「同じ轍」を踏まないように、小野は昔の自分を知っている知人、昔の弟子を尋ね歩き、お見合いがうまくいくよう工作をしようとする。そして、そのお見合いの席で、小野は「自分が犯した戦時中の誤り」について場違いとも思える自己批判を加える。相手の家族は、この「自己反省」に全く違和感を覚えたそうだ・・少なくとも小野の長女・節子の報告によると。(これも真実かどうかわからない)この小説には、こうした「浮世の画家」の漠然とした不安感、胸を刺すような回想があちらこちらに散りばめられている。こうした場において、虚構の自意識にもがき苦しみ、最後は自己肯定に至る意識の流れ的なのものを、この作品は文学として見事に描きあげているのではなかろうか。それは誰もが大なり小なり持っている過去の「棘」と戦う人間の普遍的な姿である。独善的思考で前向きに生きていこうとするこの小野老人に多少の嫌悪感を感じながらも、どこかで共感するところがあるとすれば、それはそこに自分の似姿を見ているせいかもしれない。にほんブログ村タグ :#カズオ・イシグロ#ノーベル賞作家コメント数:0 コメントカテゴリ:リタイア生活読書by HOUKOUmixiチェックリタイア後初めての越冬/電気代が気になってしょうがないリタイア生活 (35)読書 (192)泉州
▽ はなとゆめ+猫の本棚●12/21 14:02 森沢明夫 「癒し屋キリコの約束」(幻冬舎文庫) (12/21)≫ EDIT2024.12.21 Sat森沢明夫 「癒し屋キリコの約束」(幻冬舎文庫)少し変わった形式の小説。1章から5章までが独立した作品になっていて、最後6章と7章とエピローグは5章までの作品をまとめるようにしてクライマックスになっている作品。物語の舞台は喫茶店「昭和堂」。この喫茶店で「カッキー」といわれている雇われ店長が、主人公の柿崎照美。そして店のオーナーの有村霧子は、店の奥でロッキンチェアに身をまかせいつもビールを飲んでいる。この店は少し変わっていて、普通の店なら、神棚は奥に置かれるものなのだが、店の入り口のレジ横に置かれ、その隣には賽銭箱が置かれている。コーヒーやジュースだけでは店は持たない。実は喫茶店というのは世の忍ぶ姿。困ったことやトラブルを抱えている人がやってきて、霧子に相談をする。すると霧子と喫茶店にやってくる常連が、その相談を受けてたちまち解決してあげる。相談の依頼主は、その対価として賽銭箱にお金を奉納するという具合になっている。そのトラブル、相談が最初の5作品で描かれ、最後の2作品で照美と霧子の過去から今までの辛い悲しい物語が描かれる。それから、面白いのはそれぞれの話に見合った今では少し懐かしヒット曲が効果的に差しはさまれる。最初の作品では嫁姑の不仲の問題解決に桐子があたる。桐子は互いのどういうところが嫌いか交代に言わせ、それがさきに尽きてしまったほうが負けというゲームをさせる。その言い合いが尽きたときに、霧子は逆に、相手の良いところ言い合いさせる。普段良いところなど思いつかないが、嫁姑は懸命になって相手の良い部分を探し出す。するとあの時優しい声をかけてくれたとか子育てを懸命に支援してくれたとか、ポツポツと思い出す。その時、霧子が店で流す曲が井上陽水の「夢の中へ」「さがしものは何ですか。見つけにくいものですか。・・・探すことをやめたとき、見つかることもよくある話さ」これが、見事で効果的。そして最後のクライマックスでかかる曲は当然中島みゆきの「時代」。その他竹内まりやの「元気をだして」少し我々より下の世代が享受した曲。物語と曲がコラボして見事に溶け合っている。ランキングに参加しています。ぽちっと応援していただければ幸いです。| 古本読書日記 | 06:22 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑2024年12月 (21)森沢明夫 「癒し屋キリコの約束」(幻冬舎文庫) (12/21)古本読書日記 (5370)
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