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不未之奇のアンテナ
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偽日記@はてな
●12/27 12:26
2024-12-162024-12-16⚫︎相米慎二『愛しい女』(1985年)。初めて観た。桂木文が主演。言ってみれば、ファンが観るための、ヌードありでエロ要素強めのイメージビデオなのだが、おそらく、80年代にはまだ業界にお金があったから、そういうものも名前のある映画監督が、それなりの予算で、「作品」的な要素も強めで作るということがあったのだろう。画質の悪い当時のVHSヴィデオソフトとして発売されたものだが、クレジットをみると、撮影が伊藤昭裕、照明が熊谷秀雄となっているので、35ミリのいわゆる本編と同じスタッフで撮影されている。若い女性(桂木文)と、先生と呼ばれるおじさんの情痴話なのだが、カメラはほとんど常に桂木文を中心に追っていて、おじさんは、ちょこちょこっとフレームの隅に映るだけという感じ。性交シーンも2回あるが、その場面ではおじさんが消えてしまって、女性一人のエアセックスみたいになる。あくまでも桂木文を見せるための作品だということだが、おじさんが実在するのかどうか怪しいという、結果として不思議な感じになっている。演出の感じは同じ年に公開された『雪の断章―情熱―』にかなりトーンが近い。桂木文がスタイリストという設定なので、「撮影現場」が出てきて、ちょっとメタっぽい構造を匂わせもする。60分くらいの作品で、最初の40分くらいは、正直ちょっと退屈だった。ところどころに相米っぽい演出のあるイメージビデオだなあ、と。おそらく北海道で撮影されていると思われる、北国感のとても強い場面はどれも良かったのだが。だが、ラストの20分くらいがかなり面白くなった。まず電話のシーン。公衆電話ボックスで、桂木文が電話をかけている。彼女はジュネーブにいる誰かに電話しているようなのだが、対話の相手の向こうの人のセリフも自分で言う。この、真っ暗な雨の中での一人二役の電話・対話を、ボックスの周りを360度ぐるぐる回るカメラが捉える。相米の映画では「電話」の場面はほとんどいつでも、すごく変な撮り方がなされるのだが、そのような歴代数々の相米電話場面の中でも有数の面白さだと思った。この場面を見るためだけにでも、この作品を観る価値がある。クライマックスでは、それ以前とトーンがガラッと変わり、おじさんが魔窟のような怪しい建物に入っていき、その魔窟の奥の奥のような場所で桂木文を発見する。この魔

古本屋ツアー・イン・ジャパン
●12/26 19:36
2024年12月25日12/25「ほん吉」でメリー・クリスマス!陽が陰り始めた午後一時過ぎに、『芦花公園』脇の巨大ガスタンク前に流れ着く。トボトボ歩き続けて千歳船橋に出て、小田急線で下北沢に向かう。異様なほど増えた、無料お笑いライブの客引きの間を抜け、いつでも賑やかな下北沢の街に入り込んで行く。まずは「ほん吉」(2008/06/01参照)にて楽しいお買い物。小沢書店「風船乗りの夢/司修」(署名入り)鐵塔書院 ソヴェート作家叢書「新しき者と古き者/オリヨーシヤ作 村田春海譯」(カバー・表紙・本扉に螺子頭のマークがあるので、完全に柳瀬正夢の装幀である)小学館の絵文庫5「シンドバッドの冒険/東映動画作品 まど・みちお文」を計770円で購入する。やはり「シンドバッドの冒険」が素晴らしきクリスマスプレゼント!この時代のバタ臭い東映動画のアニメ絵は、見ているだけで興奮してしまう……あぁ、それにしても小学館の絵文庫10と12の「サイボーグ009」「サイボーグ009怪獣戦争」は、いつかは手にしたい二冊である。続いて『茶沢通り』を渡って「古書ビビビ」(2009/10/15参照)に到着し、最近やたらと面白い店頭棚を楽しむ。そして貸本仕様の講談社なかよし第16巻第7号付録(昭和45年刊)「わらいの未来派/古谷三敏」を250円で購入する。『なかよし』の付録なのに、下品な笑い(人体解体・尾籠系・超絶ナンセンスなどなど)が満載の一冊である。良し、今日も面白い古本が買えて、ニコニコである。メリー・クリスマス!【関連する記事】posted by tokusan at 16:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 追記 | |2024年12月24日12/24古本を売って古本を。昨日は午後一時前に上祖師谷の仙川沿いに流れ着く……「文紀堂書店」(2015/03/31参照)は月曜だからお休みか……というわけでサッサと京王線と井の頭線を乗り継ぎ、吉祥寺に出てしまう。「古本センター」(2017/03/06参照)では処分品棚前で、足に根が生えたように永遠に吟味中の先客を躱しながら、ブロンズ社「スキ・スキ・バン・バン 映画デティール小事典/小藤田千栄子・川本三郎編著」を150円で購入。続いて「よみた屋」(2014/08/29参照)ではマーブルトロン「豆千代の着物モダン」を1

猫額洞の日々
●12/25 18:16
2024年 12月 22日昨日は雑司ヶ谷~南池袋/今日は高円寺昨日は雑司ヶ谷へ。すぐ明治通りのほうへ北上する。古書 往来座を尻目にかけて明治通りを越える。自由学園・明日館を目指して。陽は明るいが、風が強い。明日館に着いたら貸切で入れなかった。まあ、また来ればいい。ほぼ来た通りの道を戻って明治通りへ。ほぼ満員のヴェローチェで休む。紙の本を読んでる人が目につく。往来座が近いからだろうか?往来座に入る。安岡章太郎『私説聊齋志異』(講談社文芸文庫)、山田風太郎『秀吉はいつ知ったか』(ちくま文庫)___既読なのを忘れていた。あの本の山のどこかにあるのだろうが___、色川武大・阿佐田哲也ベスト・エッセイ』(ちくま文庫)。『山田稔自選集』は持ってるけれど、『マビヨン通りの店』(編集工房ノア)。花柄の布を貼り付けた小さな蓋つき桐箱も。今日は日曜日だ。昨日も今日も電車に乗るのを避けたい日だが、今日は行きは歩きで、中野駅近くの線路沿いに高円寺へ。昨日より気温が低く風は強く、ダウンコートを着ていても寒い。電車の窓からテルプシコールはなくなったのかと思っていたら、外壁が赤茶から黒っぽく塗り直されていたのだった。座・高円寺。本の楽市が目当て。古本に目もくれず、奥のほうへ、ハチマクラへ。わたしは本当に紙ものが好きだ。脇目もふらず小さな紙片を選ってゆく。予算に限度がないのなら全部の棚をチェックしたいところだがそうも行かないので、いちばん好きなものが見つかりそうなブースに張りつく。たぶん棚を独占するオーラを発散していただろう。紙ものではないが、小さなオブジェがくっついたキーホールダーも熱心に探して、緑色がきれいなお酒の瓶を模したのにする。小さくて、ラベルになんて書いてあるか読めない。部屋に戻ってよく見てみると、IZRRAと書いてあるようだし、下にさらに小さな文字でリキュールとあるから、<リキュール IZARRA>で検索すると、フランスのリキュールで、イザラはバスク語で星の意味、と。なんだかうれしい。イザラ書房も、ここから来ていたのか。2Fのアンリ・ファーブルで休んでから降りてきて、古本も一冊、『ウジェーヌ・アジェ回顧』(淡交社)。Stop the Gaza Genocide自民党裏金リスト(選挙区別一覧)___顔写真と名前の

文壇高円寺
●12/22 20:29
2024/12/20成長の罠 その三月曜、阿佐ケ谷散歩。南口のパールセンター商店街のしまむらで長袖のヒートテックもどきを買う。パールセンター、いつの間にかOSドラッグが開店していた。今年十一月一日にオープンしたようだ(インターネット調べ)。阿佐ケ谷のOSドラッグは、中野店や高円寺店より広く、洗剤などの種類も多い。夕方、けやき公園の屋上から新宿の夜景を見る。ドコモタワーも見える。水曜、神保町。澤口書店で『推理街道三十五年 松本清張展』(朝日新聞社、西武美術館、一九八五年)、一誠堂書店で『別冊かまくら春秋 特集 鎌倉文庫』(かまくら春秋社、一九八五年)を買う。『別冊かまくら春秋』の鎌倉文庫特集号は、はじめて見た。澤口書店の二階で温かいカフェオレを飲む(五百円以上買うとドリンクチケットがもらえる)。塩沢由典著『今よりマシな日本社会をどう作れるか 経済学者の視野から』(編集グループSURE)は二〇一三年刊。刊行から十年以上の時を経て、この本の中で何度となく語られている日本社会の問題がより明白になってきたようにおもう。欧米の先進国に追いつけ追い越せ期の日本はとても優秀だった。国内の消費も活発で、人口ピラミッドでいえば、老人が少なく、子どもが多い三角形だった。東西冷戦期に「平和」を享受できたことも大きい。一九六〇年代と今の日本の社会状況とはちがう。もはやキャッチアップ期のやり方は通用しない。教育の分野も同様である。《先に言いましたように、日本はキャッチアップ期の人材養成は非常にうまくできた。キャッチアップ時の人材養成というのは、簡単に言うと底上げ教育です。身につけるべき能力は、早分かりの能力です。先進諸国の事例を見て、大きな方向性を決める。決めた後は、衆知を絞って、改善・改良に取り組む。そういう場合、みんなの水準が高いのがいいのです》日本よりも進んでいるとおもわれている他国の教育にしても、その国の上澄みのごく一部で国全体としてはそこまですごくないということもよくある。たとえば、日本の高校教育を視察にきた人が、大阪の履正社高校と大阪桐蔭高校の野球部を見て「日本の高校生はみんな野球がうまい」と錯覚するようなものだ。いまだに文化に関してもキャッチアップ期の影響が残っている。「遅れている」われわれは「進んでいる」海外(といってもごく一部)の人々の価値観を学ぶ必要がある

小谷野敦ブログ
●12/22 01:21
2024-12-21教育のこととなると母親が買うから曽野綾子の『絶望からの出発 私の実感的教育論』というのが、1975年、私が中学一年の時に出て、ベストセラーになったのだが、どうもうちの母も買っていたような記憶がある。私は読んでいなかったので図書館から借りてきて読んでいるが、特に絶望がどうとかいう内容ではない。単に曽野綾子は三浦太郎という、小説の題材にもした、文化人類学者になった息子を育てた経験からエッセイを書いているだけである。しかし、教育論となるともう母親は夢中になる。ちょっとしたきっかけでベストセラーになる。最相葉月の『絶対音感』(1998)というのも、単なるノンフィクションで、大して面白くもないのだが、かなり売れた。これは井上章一さんが当時言っていたところによると、子供にピアノを習わせているような母親が、どうすれば子供に絶対音感をつけられるかと思って買ったからだという。まあだいたい、そんなところだろう。今井むつみ・秋田喜美の『言語の本質』(2023)というのもやたら売れたが、これも、子供にどうやって言葉を覚えさせるかという教育論として売れたというのが本当のところだろう。しかし曽野の本をちょっと読んで私はバカバカしくなったのだが、子供の能力だの将来というのは、先天的素質でだいたい決っているのである。じたばたするがものはないのである。橘玲や安藤寿康の遺伝についての本を読んだほうが少なくとも読者は正しい事実を教えられるというものだ。(小谷野敦)jun-jun1965 2024-12-21 19:46 読者になる教育のこととなると母親が買うから

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