不未之奇のアンテナ
id:jindong
1/4ページ
▽猫額洞の日々●11/24 20:28 2024年 11月 23日(3)読んだ本と読みかけの本/ナンシー関『耳のこり』~11月21日より続く比較的覚えていそうなナンシー関『耳のこり』の感想文くらい書いておかなきゃ。『耳のこり』は"耳に残る"の意らしいが、音が同じ"耳の凝り"でもあろう。パラパラとめくってみたSが、「これ、ミシェル・フーコー?」と笑いながら言ったように、繊細で切れ味鋭いTV文化・大衆文化批評だ。彼女が長生きしていたらと思うが、いまやTVを見る人口が減り、TVに出ている誰それといったところで多くの人がああ、あの、と即座に認識する状況ではない。TVアイドルやTV文化人たちは全滅したわけではないけれど、若い人々の多くはかつてのTV文化に在った大きな分母を持つ大衆のアイドルではなく、細胞分裂を繰り返して増殖する小さな枠内のweb上アイドルに向かって行ってるように見える。実態は知らないのだけれど、そんな感じだ。彼らを批評の対象にするにはナンシー関が何人いても手が回らないだろう。『にんにくの章』『とうがらしの章』『しょうがの章』と分かれているが、最初の『にんにくの章』から[田村亮子 「えー、何とお答えすればいいんですかね」]にしようか。ほぼ全文引用になりそうで怖いが___< 金メダリスト田村亮子は、凱旋帰国後も大活躍である。こういうのを「国民的アイドル」というのだろうなあ。ヤワラさんかあ。一部では、「ヤワラさんセクシー」説も浮上してきてるし。日米野球の始球式のときのドレスはまさにセクシー。うひょー。意外に巨乳ということを国民に啓蒙したね。いったい何のつもりだ。あ、失敬。ついつい激高してしまいました。いや私はね、柔道着姿がイチバン似合うと思うもんでね、ついついね。いつまでも「みんなの可愛いヤワラちゃん」でいてほしい、みたいなね。セクシーになっていくヤワラさんがまぶしくて見てらんねえや、見てられっかよ、つうかね。で、もはや女子アナにしかオトせないのかと言われつつあったプロ野球選手もゲットしたしね。もう、向かうところ敵なしね。って、なんで「ね」で韻踏んでるんだ、私。他意はない。本当にないのか?(自問自答)[略]いま、こういうことを言うと、「へそ曲がり」ってことで片づけられるんだろうけれど、言ってみるわ。ヤワラさんって、ものすごく根本的なところで、傲慢
▽文壇高円寺●11/23 01:22 2024/11/21貼るカイロ十九日、この秋はじめて貼るカイロを装着。寒暖差が激しかったので、神経痛と腰痛予防のために貼った。すっかり貼るカイロなしでは生きていけない体になっている。先週の西部古書会館。今回も本は三冊、あと伊勢鉄道開業記念(一九八七年三月)と開業一周年記念(一九八八年)の下敷(裏は時刻表)があったので買う。伊勢鉄道は第三セクターで、国鉄の伊勢線。本社は三重県鈴鹿市桜島町にある。わたしが郷里の鈴鹿市にいたのは一九八九年春まで。高校時代は近鉄で津新町まで通学していた。高校を卒業したのは一九八八年春で、そのあと名古屋の予備校に通っていたころ、何度か伊勢鉄道に乗った。わたしが上京した年、親も市内で引っ越した。伊勢鉄道だと乗り換えなしで名古屋に行ける。ただし近鉄のほうが本数が多く、駅も近いのでたまにしか乗らない。鈴鹿市関係の資料では『特別展 斎宮・国府・国分寺 伊勢のまつりと古代の役所』(斎宮歴史博物館 三重県埋蔵文化財センター、一九九六年)も買った。古代の伊勢国府は鈴鹿にあったといわれている。何年か前、安楽川沿いを散策中にその跡地らしき場所を彷徨った。伊勢の国府跡をはじめ、能褒野神社、加佐登神社、白鳥塚古墳などの史跡は江戸期の東海道からちょっと離れている。東海道と伊勢参宮街道が分岐する日永の追分から亀山にかけての古道は上記の史跡の近くを通っていたのではないか。五年前、五十歳になったとき、ここで一区切りという気持になった。知らない町を歩いたり、バスに乗ったり、そういう時間を増やしたほうがいいと考えた。本の読み方にしても、寄り道を多くしたい。……なんてことを書いていたら、読みかけの本が行方不明になる。付箋を貼ったところまではおぼえているのだが、どこへ行ったやら。そのかわりといってはなんだが、数週間前から探していた『やなせたかしの世界』(公益財団法人やなせたかし記念 アンパンマンミュージアム財団、二〇一九年)が見つかる。なぜかわたしは白い背表紙だったとおもいこんでいた。黒だった。やなせたかしはインタービューやエッセイなどで、戦争と飢えの世界を希求し、『アンパンマン』を創作したという話をくりかえし語っている。一九一九年生まれ。やなせたかしの弟は戦死している。世代を一括りにするのはむずかしいのだが、ある時期の多くの日本は、やなせたかしのように戦争は懲
▽内田樹●11/08 23:01 内田樹選集今日はこれから病院ですい臓がんの切除手術の日程打ち合わせである。手術が無事に終わったとしても、もう74歳であるから、相...2024-11-08 vendredi韓国の出版社企画で「無知の楽しさ」という本が出た。韓国の編集者や訳者の朴東燮先生からの質問に私が答えて一冊の本になったの...
▽退屈男と本と街●11/03 00:41 < November 2024 >1 23 4 5 6 7 8 910 11 12 13 14 15 1617 18 19 20 21 22 2324 25 26 27 28 29 30
▽黌門客●10/23 09:09 今年1月、「本よみうり堂」の連載「私を作った書物たち」に乙川優三郎氏が登場し、その第3回(1月21日付「読売新聞」)で芝木好子(1914-91)の『隅田川暮色』を紹介していた。乙川氏自身によると、芝木のこの作品は「(乙川氏自身が)デビューして間もなく、文体を模索」していた時期に出会った小説だといい、「いまの作家には書けない文章だと感じた。素直に学ぼうと考えた」という。そしてまた、次の様にも述べる――「芝木好子という手本があったことは、貴重でした。吉行淳之介も、三浦哲郎も好きでしたが、私が手本にする文章ではなかった」。これに従うならば『隅田川暮色』は、「平安時代の組紐(くみひも)の復元」を中心に据えた「芸術家小説」ということになる。芸術家小説というのは、「芝木好子の真骨頂が発揮されているように思う」(山下同前p.276)などと評される如く、後期芝木作品の集大成的な作品といえるのだろう。また、太古から変わらない大川(隅田川)のゆったりとした流れが冴子の過去の記憶を呼び覚まし、往時と現在とを往還する筋立てには不思議な味わいもある。そして、谷川健一ではないけれど、死者こそが生者を支配するというか、冴子の、亡き父・千明に対するファーザー・コンプレックスともいうべき一方的な愛情には、どこか尋常ならざるものを感じさせる。娘の父親への愛著というテーマは、「三代の女性を描いた自伝小説」に分類される芝木の「湯葉」(この場合は実父ではなく養父)にも描き込まれていたが、『隅田川暮色』の冴子は、父親にかけるおもいが強すぎて、彼の「実体のない(略)影か、霊魂」(p.75)を見てしまうほどである。一方で、芝木作品の短篇も実にいい。改めてそのことを感じさせられたのは、アンソロジーの『新しい日々』や『恋する昭和』を読んだからだ。ことに「十九歳」という短篇がよかった。これについては山下多恵子氏が「解説」(『恋する昭和』)で次の様に述べている。芝木があからさまな描写を避け、「文章に含みを持たせ」ているのは、「白萩」などの短篇でも同様であるが、「十九歳」はことにその傾向が強い。ぼんやり読んでいると、うっかり読み落してしまいかねない仄めかしかたである。「十九歳」では、末尾で二人(由木と紀子)の四十三年ぶりの再会が劇的に描かれる。この再会の場面における二人の会話が趣ふかく、その遣り取りの妙を味わう
6.次5>
0.はてなアンテナトップ
8.このページを友達に紹介
9.このページの先頭へ
□ヘルプ/お知らせ
□ログイン
□無料ユーザー登録
□はてなトップ
(c) Hatena