まだら猫は眠らない
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▽ララビアータ●10/19 03:36 id:easter1916ベンヤミンにおいては、鋭い直感が、不十分な哲学的裏付けを伴って提示されるので、ことさら秘教的なものになっていることが多い。例えば初期の言語哲学。それがフッサールの『論理学研究』に対して批判的であることは当然予想されるとおりだが、だからと言ってまさかのName中心の言語論、それも固有名詞中心の言語論とはいかなることか?もちろん彼が、フレーゲに始まる言語哲学的転回を知らないのは致し方ないとしても、このままでは偽なる有意味な命題の扱いすらままならない。神による命名という神学的テーマにインスピレーションを得ているにしても、このように乏しい道具立てで言語哲学に挑戦しようとするのは、どんな勝算があると思ってのことなのか?
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