▽池田信夫 blog ●12/20 12:50 2024年12月19日12:30本ナベツネは原稿の書ける政治部記者だった(アーカイブ記事)読売新聞の渡辺恒雄主筆が死去した。彼が恐るべき独裁者だったことはよく知られているが、回顧録を読むと常識的な人だ。もちろん都合の悪いことは書いてないが、意外なのは主筆になってからも自分で原稿を書いていたことだ。そんなこと当たり前だと思うだろうが、政治家に都合の悪い原稿を「おさえる記者」が政治部では出世するのだ。NHKの海老沢勝二氏はその典型で、その前の島桂次は派閥のボスだった。朝日新聞でも三浦甲子二(テレビ朝日専務)は、まったく原稿の書けない記者だったが、田中角栄に取り入ってテレビ朝日をつくった。逆にスクープを書ける記者は出世しないが、ナベツネ氏は主筆と社長を兼ねる大記者だった。ロビイストとしても優秀で、1960年に岸内閣が総辞職するときの政府声明を彼が書いたり、中曽根内閣の「死んだふり解散