ねこひげアンテナ
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▽ 読書猿Classic: between / beyond readers●05/25 03:25 未分類 (67)2025年05月 (1)2025.05.22 5年ぶりの読書猿の新刊が出ます→『ゼロからの読書教室』5/23刊未分類5年ぶりに新しい本が出る。200ページと少し、厚さ17ミリメートル、読書猿初の「薄い」本である。本書は、2022年4月から2年間、NHKの『基礎英語レベル1』で連載した、本についての対話篇をまとめたものである。これが、これまで書いてきた単著、3冊の『大全』との大きな違いだ。手元においておくと、どこまでも文章を修正し続けて、いつまでも書き終わらない悪癖があることは自覚している。毎月書いたものを手放さなくてはならない連載は、この悪癖を封じるのに効果的だった。おかげで、こうして一冊の本が世に現れることができた。もう一つの違いは、これまでに書いた3冊の『大全』はどれも、決めたテーマが演繹的にすべてが決めていった。「そのテーマなら何と何を書かなくてはならないか」が決まり、どんな順序であるべきかが決まり、それがそのまま構成になり、目次になった。次に、それぞれの項目が何を備えていなくてはならないかが決まり、あとは、ひたすら完成させていくことになる。つまり、すべてを自分で設計して、自ら施工した感じである。今回は本は違う。連載1回の分量は2000文字くらい。よく書きたいことがあふれて、次回へ持ち越しになった。それが毎回、次回への引きになったのだが、結局その時に一番書きたいこと、いや「書かなくてはならない」と感じたことを書いた。なんというか、図面を引いてその通り作り上げるというより、走り抜ける感覚であった。だから今も、書き終えた(完成させた)というより、走り終えた感慨でいっぱいである。連載のお話があったときに、「一冊にまとめることを前提に」という話だったが、実を言うと、あまり意識せずに走りつづけた。気がつけば、2年間の連載(全24回)が終わり、書籍化の作業に取り掛かり(例によってここで遅筆癖が炸裂し)、完成させるまでに随分時間が経ってしまった。こうして連載された記事をまとめて読み直してみると、意識していなかった本の姿が浮かび上がってきた。自然と、本とのつき合い方を見直す話題が並ぶ第1部と、本との出会い方について具体的に扱った第2部という構成になっていた。この本はおそらく、この通りにしかならない/それ以外の姿にすべきでない本なのだろう。そう合点がいくまでに、また時間が必要だったけれど。「読書猿」などという筆名だから、「読書について書いてください」というお話は何度もいただいたが、その度に固辞してきた。理由は筆名の由来と同じ、自分が「読書家には遠く及ばない」、読書について語る資格なんかないと、ずっと思ってきたからだ。その気持は実は今もあまり変わらない。でもまあ、「資格」などなくても本はできてしまうのである。必要なのは、何かの機運とか機会のようなものだ。『大全』シリーズでは、そのテーマに必要なこと、発想法、問題解決、学び方や知識のあり方など、必要な技術や知識は、どの分野の由来しようと、誰が考えたものだろうと、すべて詰め込むことを目指した。今回の本は、かなり違う。読書について書くべきことは、確かにまだまだたくさん残っている。けれど、書かなかったこと、書けなかったことたちが、この本を、もっと気楽で、もっと軽くて、もっと自由なものにしていると思う。それこそがこの本が目指すところ、そして読み手に手渡したいものだ。本と付き合うには「しなければならないこと」など本当はなく、「しなくてもいいこと」の方がずっと多い。これがトップダウンに設計して知識を凝縮する『大全』という形では、書けなかったことだ。あちこちで繰り返し話していることだが、自分自身、本を読むことが得意ではない。読むのが遅く、すぐに疲れてしまし、飽きてしまう。「全部読まなくてもいい」「途中でやめてもいい」「わからないことがあってもいい」というメッセージは、いつも自分を甘やかし救い出すために繰り返している「言い訳」だ。けれど、そんな「言い訳」で開くドアがあるのなら、開けよう。本を前に気負ってしまうすべての人に、このドアを開け放とう。読書はきっと、本当はもっと自由であるはずだから。この本は薄いけれども、濃縮したエッセンスやノウハウ集の類ではない。本を開いて少し読んだら、すぐ本を閉じて、自分が本当に読みたい本を探しに行ってほしい。『ゼロからの読書教室』は開け放たれた扉だ。その向こうにはたくさんの出会いを待つ書物が待っている。明日(5/23)、書店に並ぶ『ゼロからの読書教室』を、ぜひ手に取ってみていただければうれしい。その手触りが、気持ちまで軽くしてくれることを願っている。では、本屋さんかポストの中で、お会いしよう。『ゼロからの読書教室』著者:読書猿出版社:NHK出版発売日:2025年5月23日定価:1760円(本体1600円+税)判型:四六判並製(208ページ、厚さ17mm)ISBN:978-4-14-081995-1全国書店およびオンライン書店にて取り扱い目次構成第1部 本となかよくなるために──しなくてもいいこと、してもいいこと1. 全部読まなくてもいい2. はじめから読まなくてもいい3. 最後まで読まなくてもいい4. 途中から読んでもいい5. いくつ質問してもいい6. すべてを理解できなくてもいい7. いろんな速さで読んでいい8. 本の速さに合わせてもいい9. 経験を超えてもいい10. 小説なんて読まなくていい11. 物語と距離をおいていい12. 小説はなんでもありでいい第2部 出会いたい本に出会うために──してみるといいこと、知っておくといいこと13. いろんな本を知ろう14. 本の海「図書館」へ行こう15. レファレンスカウンターに尋ねよう16. 百科事典から始めよう17. 百科事典を使いこなそう18. 書誌はすごい道具19. 書誌を使ってみよう20. 件名を使いこなそう21. 上位概念を考えよう22. リサーチ・ナビを活用しよう23. 青空文庫に浸ろう24. デジコレにもぐろう---「あとがき」より──読書猿からのメッセージこんなペンネームなのに、本を読むのは苦手だ。小さな頃から、本を読むのはあまり好きでなかったし、得意でもなかった。何より集中が続かない。本を開いて読み始めても20分もすれば力尽きてしまう。なので、たくさん読むことは難しい。何かのきっかけがあって苦手な読書が楽しめるようになったとか、素晴らしい方法を発見してスラスラ本が読めるようになったとか、そういう話ができればいいのだけれど、残念ながら私にはそういう幸運は起こらなかった。この本に書いたのは、そんなささやかな工夫や気の持ち方、たとえば読書についての考え方のようなことだ。唯一良かったのは、本を読めない理由はすべて自分の中にあって、忙しすぎるとか本屋がないとか周囲に読書家がいないせいではなかったし、「読書すると冷たい人間になる」「本なんてぜいたく品だ」などと誰かに邪魔された訳でもなかったことだ。自分だけのことだから、必要なのは自分だけの工夫とか気持ちの持ち方であって、社会や他人のせいにしなくて済んだ。この本に書いたのは、そんなささやかな工夫や気持ちの持ち方、例えば読書についての考え方のようなことだ。読書は誇るべき立派な行いではない。どちらかというと後ろ暗いことだ。こっそり楽しむ楽しみだ。そう思っておけば、誰かに無理やり読むことを勧めて、その人を読書嫌いにしなくて済む。我々の誰もが好きな本を読んでよいのと同じように、読まないことを好きに選んだって構わない。私やあなたが読まなくても、誰かがきっとあなたの代わりに読んでくれる。もちろん好きでこの本や他の本を読んでくれるなら、とても嬉しい。あなたが「好き」で書物のページをめくることで、知らない誰かに書物が届き、世界のどこかで本が生まれる。
▽Silva Speculationis ●05/17 23:20 Humanities反照の先史学2025年5月17日 sxolastikos久々に先史学系の本を読みました。刊行されて間もないリュドヴィック・スリマック『裸のネアンデルタール人』(野村真衣子訳、柏書房、2025)です。かつてのアンドレ・ルロワ=グーランの本などもそうでしたけど、先史学はわたしたち現人類がいかなる存在なのかを反照的に問うという点で、とても刺激的な営みです。今回のものもまさにそういった一冊ですね。https://amzn.to/4jcyHya著者はネアンデルタール人を専門とする先史学者です。この本は、ネアンデルタール人にまつわる一般的・世俗的な誤解の数々を、こともなげに次々に粉砕していくという、ある意味痛快な本でもあります。ロシアの北極圏近くとかに遺跡があることから、ネアンデルタール人は技術的な発展によって過酷な環境を克服していた種族で、そこが温暖化したことによって滅びたのではという仮設があるそうなのですが、著者は太古においてシベリアがすでにして温暖だったことを指摘したり、そもそも人間も含む動物の気候への適応力をナメてはいけないと論じたりしています。技術的な発展にしても、たいした武器の痕跡が出土しているわけではない(ネアンデルタール人みずからが貝殻などに開けた穴すらない <- あるのはカニが開けた穴だけ)と、けんもほろろです。文化的な指標として死者の埋葬の習慣などが挙げられることもあるわけですが、これも実は様々な動物に広く見られるもので、必ずしも「人間」を区別する指標にはならないといいます。総じて著者は、生物学的な現実を考慮することなしに、現生人類が先史時代に、自分たちの世界観・人間観を安直に投影していることが多々あると批判します(そのことは、洞窟絵画展などで、先史時代の住人を復元したとする像を見たときの違和感に十分に感じられますね)。ネアンデルタール人は、とてもゆるい社会性・社会構造を有していたことが、ごく限られた出土品からは推測されるのですね。著者はネアンデルタール人が滅びた原因についても、気候変動とかではなく、現生人類(サピエンス)の登場と年代がわずかながら重なることから、後者が「征服者」となった可能性を示唆しています。レヴィ=ストロースの親族構造の研究を引き合いに、2つの集団が友好関係を結ぶ場合、夫方居住と、双方の姉妹を相互に交換するというかたちが一般的だというのですが、ネアンデルタールに夫方居住は遺伝学的に示唆されるものの、サピエンスとの関係性では、古遺伝学から非相互性しか示唆されない、というのですね。これがもしかすると、征服を示唆しているかも、と。スペインがインカ帝国を滅ぼしたように、圧倒的な武力の差をもって……。結局、ネアンデルタール人が現生人類と同じように世界との関わり方を発達させたという「客観的・論理的・合理的な理由は一つもない」と著者は述べ、「そのような思考の無意識の構造が、私たちの社会で無意識の創造論的な見方が相変わらず存続する原因になっている」と指摘します。生物はどれも人間が到達した地点に向かっている……そんな見方は打ち捨ててしまえ、というわけですね。なんとも耳の痛い、至言です。共有:クリックして X で共有 (新しいウィンドウで開きます) XFacebook で共有するにはクリックしてください (新しいウィンドウで開きます) Facebookクリックして Pocket でシェア (新しいウィンドウで開きます) Pocket反照の先史学
▽檜山正幸のキマイラ飼育記●05/16 19:11 2025-05-15アレレ、プロ関手の方向がぁ雑記/備忘 上下左右プロ関手 $`\mathcal{C}^{\mathrm{op}}\times \mathcal{D} \to \mathbf{Set}`$ の方向を「$`\mathcal{C}`$ から $`\mathcal{D}`$」とするか、はたまた「$`\mathcal{D}`$ から $`\mathcal{C}`$」とするかは好みの問題でその選択は恣意的です。僕は、「$`\math…アレレ、プロ関手の方向がぁ
▽傘をひらいて、空を●05/08 18:27 2025-05-06老化する練習 あるいはわたしの草について大学生のころに家庭教師をしていた子の母親がときどき食事をご馳走してくれた。たくさん食べなさいと言いながら自分はほんのちょっぴりで、食後はわたしにコーヒーを淹れてくれて、自分はハーブティーを飲んでいた。自分の母親や叔母もある程度の年齢で「なんとか茶」みたいなのを飲み始めたような覚えがあって、「女の人ってなんで年とると草を煎じて飲むんだろ」と思ったものである。自分が四十代半ばになって、その謎がとけた。あれは老化にともなう妥当な戦略なのである。わたしの場合は三十歳を過ぎたあたりで、それまでとは質のことなる食欲の衰えを感じた。大盛りを避けるようになり(それまでは平気で平らげていた)、カツ丼や焼き肉のカルビを頼むことがなくなった。その後、自炊における焼き魚の比率が上がり、気がついたら学生時分に「おやつじゃん」と思っていた量で夕食を済ませている。おひたしだの煮物だのが大好きである。酒や菓子をとる機会もぐっと減って、午後四時以降はコーヒーを飲まない。気づけば十年以上コーラを買っていない。意識が高いのではない。身体が弱ったのだ。わたしはもう大量の油脂や炭水化物やアルコールやカフェインを気持ちよく消化代謝することができない。でも美味しいものを摂取したいという欲望はある。このような状況の最適解のひとつが、おそらくは「年とった女の人が煎じて飲む草」なのである。風味を味わいつつ内臓に負担をかけない、なんなら身体に良い、そのような貴重な嗜好品が「草」なのだ。わたしの祖母は朝から夕方にかけて延々と日本茶を飲んでいたが、よく見ると朝に少量いれた茶葉を替えておらず、要は「いくぶんお茶の風味がついているかもしれない湯」を飲んでいた。あれもまた「草」である。年をとるというのは、つまり草を煎じて飲むということなのだ、とわたしは理解した。わたしはもう、旅行中も無理をしない。元気な人々が夜更かししているのを尻目に早々に寝る。非日常さえも、無理をして最大限楽しむものではなくなったのだ。ジムにだって行く。筋肉はもはやつけるものではない。維持を希うものである。若いころは意識もしていなかった骨密度やら関節の可動域やらのためにせっせと運動している。まだそんなにトシではなくない?そのように言われることもある。言いたいことはわかる。年の近い人間がババーっぽい仕草をすると気が滅入るのだろう。だが放っておいてほしい。わたしは早め早めに準備をしたいたちなのだ。自分の身に起きる老化現象をなるべく早くこまやかにキャッチして、本格的な老いにそなえたいのだ。思えばずいぶん若いころから少しずつでも貯蓄をするたちだった。今の生活様式はそれと同じ意識で構成している。そのために行動がずいぶんとババーっぽいのかもしれないが、わたしの老いはわたしの老い、あなたの若さはあなたの若さである。わたしはババーというあり方を悪いものだと思っていない。今よりずっと若い時分から、おばさんになりたくない、みたいなことを思ったことがない。ババーのまま、やりたかったら着飾ればいいし、色恋沙汰をやってもいいし、新しい仕事に挑戦してもいい。四十代どころか、六十になっても八十になってもやりたくなったらやるつもりでいる。相手のあることは相手に選ばれなければできないが、それは八十でも四十でも二十歳でも同じである。若くない女性である自分を、わたしはババーと呼称する。もちろん公の場では使わない、独白用の名称である。わたしの祖母が自身と親しい同性の友人たちに対して使っていた語で、彼女はそれに自虐や悪意をこめていなかった。どことなく誇らしげなニュアンスがあり、わたしはそれがわりと好きで、だから形見分けのつもりでもらった。形はないのだが。ババーは不自由な存在ではない。自由にしていると後ろ指をさされることがあることは知っている。知っているが、実は若い女性にだって、指すやつは指す。「わきまえろ」という指を。若かろうが年をとろうが、わたしはその指を無視する。これまでもそうしてきたし、これからもそうする。わたしはババーとしての自分を構成しババーとして必要な能力を身につける訓練をしながら、何ひとつわきまえる気はない。わたしのババーらしさはわたしのものである。わたしの草はわたしのために煎じられる。それがわたしの老化の練習である。kasawo 2025-05-06 19:00 読者になる広告を非表示にする老化する練習 あるいはわたしの草について2025 / 5
▽狐の王国●04/21 08:59 2025年春アニメ、32作品を1話チェックしてみた2025 / 4
▽ララビアータ●03/03 06:32 2025年03月02日リアルポリティクスの陥穽先日のワシントンにおけるウクライナと米国の両首脳の会談決裂は、多くの人々を失望させるものであった。事前に伝えられていた協定内容が、意外にウクライナに有利なものであるらしいことに、内心半信半疑に期待していただけに、私と同様に感じた人も多いと思う。結果から見れば、この決裂はいくつなの情報筋からの説明にあるように、トランプとヴァンスが事前に仕組んでいた罠であった可能性もしてくる。トランプは、大統領選挙キャンペーン中から、自分にはウクライナ戦争を直ちに停止させる力があると宣伝してきた手前、彼の支持者に対して何らかの成果を短期に示す必要があったのだろう。少なくとも、中間選挙前には、目に見える成果を呈示するとこがなければ、中間選挙に大敗する可能性が高い。そんなわけで、トランプにも、懸念すべき弱点があり、ウクライナとそれを支援するヨーロッパ諸国に対して、ある程度納得させ得る妥協案を提出する必要があったのかもしれない。実際にはウクライナにとって明らかに有利な条件であっても、そしてトランプの当初の恐喝的な停戦条件から大幅に後退したものであっても、とにもかくにも停戦を実現しさえすれば、トランプとしては、知性の低い彼の支持者に対して、自分がゼレンスキーに無理やり停戦を押し付けたディールの勝利者であると、納得せせることもできると読んでいたのかもしれない。あるいは、自己の利益しか考えないリアリスト政治家として、はじめからウクライナの鉱物資源に目をつけて、フランスなどに油揚げをさらわれる前に、資源開発の先鞭をつけて戦後処理の際に自国の有利になるように運ぼうと考えていたのかもしれない(私としては、トランプがそんな長期的ヴィジョンによって行動する人間とは思われないので、この可能性は少ないと思っている)。いずれにしても、専門家でもない我々に現在知り得ることは少ないし、それも不確かである。そんな不確かな問題に口をはさむことは愚かであるかもしれない。とはいえ、たとえ不確実な情報に基づいてであっても、断固とした判断が必要な場合がある。戦争に加担したり、反対したりすることは、そのような判断が求められる場合の一つであろう。私が例えば「絶対平和主義」のような原理主義的な立場に共感できないのは、それが困難な政治的決断を回避しているからである。侵略者と被侵略者を均並みに扱うことによって、世界秩序に対する顕著な撹乱をもたらすとか、自由と民主主義に対するアメリカ政治の重要な伝統をかなぐり捨てることによって(もっともそれさえしばしば偽善的建前に堕することはあったのだが)、国際社会からの共感と信用を根本から損なうという大きな国益損失をもたらしたとか、多くの識者が指摘していることにはおおむね賛成するが、ここでは少し違う角度からこの会談の決裂の歴史的意義を考えてみたい。続きを読むeaster1916 at 22:24|Permalink│Comments(0)│ │時局リアルポリティクスの陥穽2025年03月時局 (108)
▽R35な女子日記●10/22 07:15 <(1)からの続きのあらすじ>脚本家ウン・アリヨンは女優シム・スジョンに痛烈な嫌がらせをしつつ、異母妹イエヨンの婚約者で新聞社テヤン日報の御曹司イ・ジュワンに接近。美貌と知性を備えたアリヨンは、ドラムも叩けるしダンスも上手で、イエヨンとは正反対の魅力をふりまいてジュワンを虜にします。イエヨンの子どもっぽいわがままっぷりがときにジュワンを辟易させていたこともあり、ジュワンは幼なじみのようなイエヨンで...
▽夏のひこうき雲●03/28 08:52 夏のひこうき雲(ブログ移行中)読者になる
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