でみあんてな
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▽t-hirosakaの読書録●11/10 03:52 t-hirosakaさん2024-11-09鳥追いの唄先日、SNSを見ていてふと思い出したことがあったので、こちらにも書き留めておく。今年の一月に94歳の生涯を終えた秋田県阿仁地方出身の亡き母の教へ賜し歌に、鳥追いの唄、というものがある。♪能代(のしろ)のじゃじゃど、鳥追ってたもれ。どの鳥、小鳥(こ とーり)。粟(あわ)こ食う鳥こ、米(こめ)こ食う鳥こ。頭割って塩つけて、塩俵(しおだーら)にぶち込んで、上(かーみ)の淵(ふーじ)に流そかな、下(しーも)の淵(ふーじ)に流そかな。下(しーも)の淵(ふーじ)にながーそ、流そ。というものである。母はこれを単調ながら哀調を帯びた節回しで唄ってくれた。私がこの歌を思い出したのは、秋田妖怪蒐異(@akitayoukaisyui)さんが、母の出身地の近くの伝承から、「能代に塩買いに行かせる」とは、食いぶちを減らすために生まれてきた子を間引きすることの隠語だ
▽田村哲樹の日々の雑感●07/14 19:24 田村哲樹さん「『政治とジェンダー』研究における国家理論の必要性」本稿は、例えばクオータ制などを通じて国家レベルの政治におけるジェンダー不平等を是正しようとする際には、その前提として、そもそも「国家とはどのようなものか?」についての理論が必要なのではないか、という問題提起を行うものです。もう少し言えば、国家というのは必然的にジェンダー不平等をもたらすというわけではない、ということについての理論的理解が必要だ、ということになります。そうでなければ、例えば女性議員が増えても、それは(例えば)家父長制的な支配構造を強化するだけだ、といったタイプの理解も可能ということになります。女性議員が増えることにはそれ自体で意味があるのだと言うためには、国家がそのことによって変化し得るようなものであると理解しておく必要があるように思われます。コメントを書くもっと読む「『政治とジェンダー』研究における国家理論の必要性
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