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▽妄想科學日報●04/17 19:35 この広告は、90日以上更新していないブログに表示しています。
▽真理省●04/09 00:22 風邪ひいてまんねん2025 / 4
▽インタラクティヴ読書ノート別館の別館●03/24 10:54 2025-03-23久保田さゆり『動物のもつ倫理的な重み』コメント(京都生命倫理研究会2025年3月例会 2025年3月22日 於:キャンパスプラザ京都)論点 本本書で久保田は動物倫理における「最小主義」的立場を提示しようと試みるが、久保田の議論はどのような意味で「最小主義」と言えるのか? 理論的な負荷、前提が少ないという意味では最小ではない。この意味では功利主義やカント主義の方が理論的前提が少ない。むしろ「自然な常識からの距離が小さい」という意味で、常識道徳からの最小の改編で済む、という意味で最小主義である。つまりある種の保守主義である。しかし出発点としての誰もが認める常識道徳などというものがあるかどうかは自明ではない。ここが理論としての弱点である。実際には久保田の議論は、特定の規範倫理学理論にコミットしないといいつつ、徳倫理学の一種として理解できる。ここで動物は道徳的配慮の対象として道徳的地位を持つが、道徳的行為能力を十分には(あるいはまったく)持たない存在として位置づけられる。単純な功利主義は前者を、単純なカント主義は後者を重視するが、その両者の適切なバランスを考える立場であると言える。この立場に問題があるとすれば、差別を許容する理論であるということであり、実際久保田の議論は動物を差別する。差別するから大切にしない、蔑視しないがしろにするというわけではない。動物を動物なりに大事にする。しかし人間より劣位に置く。そう考えると久保田的徳倫理は功利主義やカント主義に対して道徳理論として劣るようにも見える。なぜなら差別を許容するからだ。これは場合によっては人間の間の差別の正当化にもつながりかねない理論である。しかし先に見たように、それが道徳的patiencyと道徳的agencyの両者を応分に重視するという意味では、理論的にはより包括的でありその意味でより優れているともいえる。しかもより包括的かつ保守的であるがゆえの強みもある。たとえば功利主義やカント主義におけるような徹底的な反動物差別主義の立場に立つと、ペット、家畜、野生動物、そのいずれについても長期主義的な観点からすればその扱いに対して大変な困難が生じる。つまりこれらの理論を徹底化すると、場合によっては選択的絶滅主義・反出生主義を帰結したり、あるいは逆にあらゆる動物をペットとして愛玩する、あるいは人間並みに知性化して文明社会の成員として取り込むことを目指す(なぜなら野生動物の生においては苦痛が上回るだろうから)、といった極端な方向性がもっともらしくなるからだ。これに対して久保田の議論からは、より無理のない未来が展望できるだろう。またこのような立場は、ペットや家畜など、実際に具体的に動物個体とかかわりあう人間の立場、経験を重視するという点において、純粋に理論的に功利主義やカント主義の立場から展開される議論よりもある意味で豊かなものでありうるかもしれない。動物のもつ倫理的な重み 最小主義から考える動物倫理作者:久保田さゆり勁草書房Amazonshinichiroinaba 2025-03-23 14:52 読者になる久保田さゆり『動物のもつ倫理的な重み』コメント(京都生命倫理研究会2025年3月例会 2025年3月22日 於:キャンパスプラザ京都)2025 / 3
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