個人的な生活
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SNSI・副島国家戦略研究所
▽室井佑月blog●03/24 01:08 ログイン|ココログ登録|お知らせ
1970年青森県生まれ。ミス栃木、モデル、女優、レースクイーン、銀座のクラブホステスなどを経て、97年「小説新潮」 の「読者による『性の小説』に入選。以後「小説現代」「小説すばる」などに作品を発表し、98年『熱帯植物園』(新潮社)、『血い花(あかいはな)』(集英社)、99年『piss』(講談社)を刊行。「anan」「青春と読書」などで連載していたエッセイも好評を博す。最近はテレビ、ラジオ、シンポジウムなどでも活躍中。
近著に『プチ美人とお金』『ああ〓ん、あんあん』『子作り爆裂伝』がある。
< お知らせです!! >
あけましておめでとうございます。
皆さま、ブログが終了してからご無沙汰しております。
このたび、室井佑月ブログが移転することになりました。
1月中には本格スタートする予定ですが、”予告編”をアップしました。
アドレスは以下の通りです。
今年も、そして今後ともよろしくお願い致します。
室井佑月事務所
< じゃぁ、またね >
先週は寂しいって気持ちが身体中、ぱんぱんに膨らんで、なんだか暗い調子になってしまった。
不思議だよ。絶対的にあたしを愛してくれる息子がいて、いつのまにかいい歳にもなって、男なんていくら代わってもぜんぜんへっちゃら、
「失って惜しい男はいないわ」
などと捨て台詞も吐けるようになったこのあたしが、今回、みんなとお別れするのがこんなに寂しいなんて。
そうそう、前回のブログを読んだ友人から電話がかかってきたんだ。
「おまえはどこまでファンに甘えるのだ」だって。
そうかもね。あたしのブログは愚痴が八割、自慢が二割。すっげぇ甘えた日記を書いているなと、改めてブログを読み直して思ったよ。喧嘩は買いまくるしさ。
ふざけた女だと自分でも思う。
コメンテーターなんかして偉そうに意見をいったりなんかしてるけど、始終あやふやな感情に揺さぶられている。
講演だって、そう。台の上に立って話すのはあたしじゃないだろ、っていつも思ってる。この会場の中で、いちばん怪しい人物は確実に自分に違いないと。
高校もろくすっぽ通っていない。長くつづいた仕事は、水商売と作家だけ。
知識がないから、クイズに出ればビリッケツ。家族や親戚から、恥をかかすなっていわれるておる。
じゃあ、なんで仕事をこなしていけるのかと考えたら、ひとつしか思いつかなかった。
勘の良さだろう。
私生活ではこの勘の良さが仇となったりもするが。
数年前、当時つき合っている彼氏ときゅうに連絡が取りたくなった。でも携帯が繋がらない。ふと、都内のホテルの名前が脳裏に浮かんだ。不思議に思い面白半分で電話を入れてみた。するとそこにいた、そいつは。九州に出張にいっていたはずなのに。
悲しい勘の良さだ。勘が良くて助かるのは、仕事においてだけだ。
……でも、それってどうなの? 唯一の長所が、勘の良さって。二択のクイズを当てる才能みたいな。誉められたもんじゃない。
ちょっと前に流行った成分解析という占いで、室井佑月という名を調べてみたら、
室井佑月の68%は魔法で出来ています
室井佑月の22%は波動で出来ています
室井佑月の6%は理論で出来ています
室井佑月の4%は言葉で出来ています
という結果になった。
よくわからないけど、ふんわりと当たっている感じがする。
理論と言葉という二つの成分はおいといて(ちゅーかそれが一番大事なんか)、魔法と波動というのは理解できる。
あたしは、みんながかけてくれた魔法と、みんなが発進している波動でできた女なんじゃないかと思うことがある。
魔法の力で本を出版し、テレビに出ているんじゃないかと。
そして、勘の良さを活かし、みんなが「こうであろう、あの女は」という波動を受け止めあたしというものになっているんじゃないかと。
魔法が解け、みんなの波動をキャッチする力がなくなったら、ただのろくでもない女だ。
いや、我が儘だし、短気だし、頭悪いし、快楽主義だし、今だって相当なろくでもない女だと思う。
けど、だからこそ、こんなあたしに出来ることは、なんでもやっていきたいと思う。
いっとくが万引きとかじゃないからね。
といっても、それほど力はないからさ。
あたしを支えてくれるみんなが、みんなを支えてくれるそのまわりの人が、そのまわりの人が大切に思っている人たちが、
一年間に百回笑うとしたら、それを百一回にしたい。
十年間に百回不安に思うことがあったら、それを九十九回にしたい。
……ちょっと匂うかしら。
あたしらしくない、あたしにとっては気合いの入った重い告白。こうして書く以上、みんなとの約束だと思うから。苦手としてる。
前回のブログで、重い発言をするって書いたじゃん。
仕事の関係者たちが「なにを暴露されるんだろう」って怯えてやんの。
わりと恐れられているのかしら。こーんなに可愛らしいあたしなのに。見たらわかんだろ。
迷言や不審な行動の多いあたしだけど、
「しょーもねーなー」
とあなたが苦笑いしてくれますように。
願わくば、ずっと、ずっと。
< さようなら 序章 >
これを書き上げると本日の仕事はおしまい。秘書の神林と飲みにいこうと思っている。
神林は酔っぱらうと面倒なので家に帰らない。なら、寂しくないじゃん。
なんだか、みんなのコメント欄を読んで、寂しくなってしまったわ。
仕事の一つとしてはじめたブログだったけど、みんなと絶ちがたい繋がりができてしまったように感じて。
あたし、「さよなら」にいちばん弱いの。
でも、ごめん。
契約の関係上、今月一杯なんだ。
一応、あたしはプロだから、ここだけ特別に無給でということにはいかない。
誰からか「結局、金かい?」と指摘されたけど、半分当たって、半分外れてるな。
そりゃあ、あたしは原稿を書く能力や思想を売ってご飯を食べているわけで、というかそれしか能力はないからその方法しかないわけだけど、でも「じゃあ金を稼ぐためだけかい」といわれれば、ちょっと違う。
ちょっとじゃなく、絶対に違ってる。
そうそう、身体の具合が悪いんじゃないかと心配してくれている人もいたけれど、ありがとう、今のところ身体はいたって健康よ。
ただ、長い小説執筆に気持ちを集中させるため、心をずっと淀ませている。
でもさ、そうすることが自分にとって大事だから。それがあるから、自分を生かしておけるっていうか。
定期的にどっぷり暗〜い気分に浸るわけ。
そうすっと、きゅうな爆発しないじゃん。
小説を書くようになって、気分のアップダウンのバランスを取ることを覚えた。それはあたしにとって、すんばらしい宝刀を手に入れたようなこと。それさえ持ってりゃ、なにがあっても生き延びていけるさ、みたいな。
「んじゃ、それがなきゃ、おまえ駄目なんかよ」
というツッコミが入ることを予測して答えれば、
「そうね、その通り!」
胸を張って堂々と返事すんぞ。
あたしを姉さんと呼んで慕ってくれた可愛い子たちがいる。
ブログを辞めることじゃなく、むしろあたしはそういう子たちに、騙すような真似をして悪かったといいたい。
いや、騙すつもりなどまったくなかったんだけどね。
案外、あたしは弱っちい人間なんです。どっちかってーと手下タイプ。下僕タイプってやつ。
次回は最後だし、みんなに甘えてもっと重い告白をすんぞ。覚悟しておいてくれ。
< お知らせ >
9日10日 6時
今月いっぱいで、このブログは閉鎖します。
(過去の記事は読めるようにしておくけど)
あと数回あるけれど、今までここを読んでいてくれていたみんなに、きゅうに伝えるのもどうかと思って。
最後だから、なにか質問やコメントがあったらトラックバックしてちょうだい。
できるだけ返事するから。
< 人身売買 >
8月31日15時
作家の板東真砂子さんが、自分の飼い猫を避妊させず、生まれた子猫を「殺している」と日本経済新聞に書いたエッセイに対し、抗議が殺到したらしいね。
彼女は雌猫を三匹飼っており、子猫が生まれるたび家の隣の崖に放り投げているんだって。
彼女いわく、
「人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない」
「自分の育ててきた猫の『生』の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した」
うーん、彼女のいっていることもわからなくもない。でも、だからといって新しい命を始末する権利はあるんだろうか。
まあ、そこらへんのことは置いといて(一番重要であると思われるが)、このエッセイのタイトルだ。
エッセイのタイトルは『子猫殺し』。
あたしは妙なところで関心してしまった。
このタイトルはいい。イカす。
ニュースで話題になっていなくても、日経新聞をとっているなら絶対に読んでいるだろうな、と思った。
だって、「子猫」に「殺し」だ。
シンプルでわかりやすく、そして背中がぞくっとするようなタイトルじゃぁありませんか。
そういえばこのタイトルに似たもので、外国人の作家が書いた小説『赤ん坊を落とす』というのがある。
あたしはそのタイトルも抜群にいいと思った。おなじような理由から。
作品の名前であるタイトルって大事だ。けど、あまり考え過ぎちゃいかんのかも。
妙に懲りすぎたタイトルっていただけない。恥ずかしいよ。
……ずいぶん話がズレちまったな。板東さんのエッセイについてだった。
あたしの女友達、いかず後家やバツイチらは、そろいもそろってその濃ゆい愛情を犬や猫に注いでいるので、この問題に対しかなり熱くなっていた。
ちょっとうるせー。
彼女らのいうことはもっともだと思う。けれど、犬や猫に対し自分のことをママという彼女らに
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[2005年09月28日]
シナモン日記 vol.7
6月末に「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」を刊行して以来、この3ヶ月、日本全国約30カ所の書店でサイン会をやりました。バスや列車や飛行機に乗って、たくさんの町を回りました。
一店限定100人で約3000人のお客さんの名前を書き、サインをして写真を撮り、お話をしました。100人サインするのに3時間前後かかってしまい、整理券番号が後ろの人は長い時間、立ったまま待たせてしまったと思います。ごめんなさい。
イベントにトークショー、雑誌の取材は50誌くらい?もう数えきれないくらいやってもらいました。テレビに出るのは今でも苦手なのだけど、宣伝をしてくれるというのでだいぶやりました。
そうしているうちに、夏はいつの間にか過ぎようとしていて、かき氷を一杯も食べないまま、今、秋の虫が鳴いています。
そして、皆さんからたくさんの手紙、HPにはメールを頂き、とてもうれしいのと同時に、不思議な気分がしています。
この小説はまだオカンが虫の息になりながらも生きていた病院のベッドの隅で書き始めました。無力な看病をしながら、なにをしてあげることもできず、その中で、ふと、オカンのことを書いてみようと思ったのがきっかけです。
はじめは本にすることを具体的に考えていないまま、冒頭の部分を何度も書き直していました。でも、まだオカンの死が生々しいうちはなかなか書き進めることができず、月日は流れ、それから二年後、エンタクシーという同人誌に参加した時から、二年かけて書き続けたものです。
最初の一行を書いてから本になるまで、4年以上が経っていました。本を作る作業の中で、ゲラを直したり、本のデザインをしたり、そのたびに思い出し、何度も何度もオカンの葬式をしている気がしました。
ボクは文章を書く仕事をしていますが、この本を出すことは仕事という感覚はまるでなく、また、こんなものを読んで人がおもしろいと思うこともないだろうと感じながらも、オカンの供養のような気持ちで本を作っていたのです。
でも、みなさんの話を聞いたり、手紙やメールを読んだりしているうちに、なにか、ボクのオカンの葬儀にみんなが参列してくれているような、あつかましいですけど、そんな不思議な気持ちがしています。
ひとりひとりの人たちが、御自分の親へ対する想いと重ね合わせて、色んなことを書いてくれました。どれも温かいものばかりでした。ありがとうございました。
今まで、あまり強く思ったことはなかったのだけど、この本はなるべくたくさんの人に読んでもらたい。そう思ったのです。
一冊の本でこんなに何回もサイン会をやってるバカを自分以外に見たことがないけれど、できることなら全ての本を直接手で届けたいと思っています。
本の装丁(デザイン)をする時、考えたことは一つだけでした。
大切に扱ってもらえる本にしたい。紙の手触りとか、重さとか、心地良くしたい。
そして、これはオカンの本なのでオカンなテイストにしたかったのです。
よく、もらった洋菓子の包装紙とか、結んである金色のひもとか、うちのオカンに限らず、おばちゃんってそれを捨てられないで、大事に取っとくじゃないですか。
あれみたいに、なんだか捨てられないかんじがする本にデザインしたつもりです。
たくさんのメールやお手紙、ありがとうございました。今まではなるべく、忘れられるくらい遅くなっても返事は返すように心掛けていたのですが、今回は量が多くて、返事を出せそうにありません。
御無礼お許し下さい。
読んでくださったすべてのみなさん、ありがとうございました。
取り急ぎ、秋の気配をかんじましたもので一筆さし上げた次第でございます。
二〇〇五年 初秋 リリー・フランキー
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2007年4月10日 (火)
第18回 おっぱい
“オッパイ”を、思うだけで幸せな気になる。人に聞こえないくらいの小さな声で「オッパイ……」と、呟くとさらに効果はてき面、少々の悩みなどフッ飛んでしまう。
何せ言葉の響きがいい。“チチ”とか、“ニューボー”では今一つ、あの感じは出ない。あくまで“オッパイ”は、“オッパイ”なのである。
オッパイの楽しいところは形がさまざまであるというところ。大きいのもあれば、小さいのもあり、ボトルでいえばキャップの部分もさまざまである。
赤ん坊の頃からあんなに好きなものは、なかなか飽きることはない。趣味など遥かに超越している存在なのである。
教育というものは、男にとってオッパイ以外のことを考える修業である。気を散らすために大して役にも立たないことを覚えさせられるのである。それさえ授業を始める前に説明してもらえれば“何のために?”とか、若い頃、悩まずに済んだはずだ。
それにしても“オッパイ”はいい。歳を取れば取るほど思うのは、どんどん教育から解放され本能に戻るからだ。
道を歩いていても“オッパイ”に似た形状のものをつい見つけてしまう。
コレは、寺の山門とかにくっ付いている名称が分からないもんで、オレは“オッパイ”と呼んでいるんだけど。
2007年4月10日 (火) | 個別ページ
2007年3月26日 (月)
第17回 犬
何匹、飼おうが他人につべこべ言われる筋合いはない。
それでも“エサ代は随分かかるんじゃないのか?”とか、“いろんな種類ならいいが、同種の場合、一匹一匹よく区別がつくもんだ”とか、いらぬ心配をしてしまうが、やはり大きなお世話なのだ。
名前だってどうするよ?
一匹目を『イチロー』にしておけば、『ジロー』『サブロー』『シロー』『ゴロー』『ロクロー』『ナナロー』と、覚えやすい。
それが『ジョン』などと1匹目を呼んでしまった場合、『ポール』『ジョージ』『リンゴ』と、続けてもせいぜい4匹まで。
そんなことより、この犬シール、どこでもらえて、1匹につき1枚しかもらえないものなのか?
シール地も青や赤、黄とさまざまだが、その分け方が知りたい。
本当は、こんなに飼ってないんでしょ?
押し売りとかドロボー対策として、こんなにズラーッと貼ってんでしょ。
何枚までが本当なのよ?
ま、これも聞く権利なんてオレにはないんだけどね。
2007年3月26日 (月) | 個別ページ
2007年3月20日 (火)
第16回 USA
例えば、“アップル”のことを
「アンナッポー」
と、正しく発音でもしようもんなら、クラス中(寝ている奴以外から)、
「何、おまえ、カッコつけとんねん!」
と、罵声を浴びせられたもんだ。
今なら確実に「欧米か!」と、ツッ込まれるところだが、’70年代初頭、特にオレの通ってたヤンキー中学では、欧米の意味を知る者は少なかったと思う。
だから、英語教師に教科書を読めと立たされた時、細心の注意を払って“アップル”は
「あん あっぷるー」
と、発音するのが正しいとされていた。
クラス中の誰もが将来、アメリカなどに行くこともないし、ましてやアメリカ人などと会話する機会など絶対にないと信じてた。
洋楽は遠い国の音楽、意味など分かるはずがない。たまにクラスに入ってくる情報は、ペニスのデカさ。ヤンキーが授業中、後ろの席から回してくる写真は頭がクラクラするぐらいの無修正モノだった。
“こんな奴らには勝てるわけがない”、今更思っても後の祭り。
あれからロックを知って、洋学志向にはなったけど、一度もアメリカなんて行きたいなんて思わなかった。
日本人の巨大コンプレックスの固まり、それがアメリカ(USA)だったからだ。
“WELCOME TO USA”
と、看板が立っていた。
ここは大分県・宇佐市――。
腰砕けなオヤジ・ギャグ。未だコンプレックスは解消されていない。
2007年3月20日 (火) | 個別ページ
2006年9月 4日 (月)
スターと遭遇
ふだんテレビで見ている人を街角で見かけると、かなりドキドキする。
大ファンならなおさら、「どうしよう!?」とソワソワする。握手、「がんばって下さい」、サイン、できればツーショット写真を撮って友達に見せたい。
でも、スターは急いでる。
渋谷の歩道橋を駆け足で降りてきた。
オレはすかさずバッグからカメラを取り出し、シャッターを押した。
どうやらまわりは、スターの存在に気づいていない。気づいたときには手遅れだ。大パニックになること必至である。
なんと、スター、階段の途中で立ち止まり、何やら話し始めたではないか。常人なら完全にイカれた光景だが、そこはスター、胸元にピンマイクがついているのだろう。その姿をどこか離れた場所からテレビカメラが狙ってるんだろう。オレは釘付けでスターを見つめていた。微かに声が聞こえてくる。
「どんなにおいしいか、行ってみましょう!」
いつもの声、いつもの調子だ。
すると、スター、またも駆け足となり、一気に階段を降りたかと思うと、オレの目の前を走り過ぎ、地下の店に入っていった。
きっと数分後、大口開けてスターは、
「これは正しく、親子丼界のIT革命やぁー」的なコメントを発しているのだろう。
オレはまだ店の看板を見つめていた。
東京に出てきて30年近く、いろんなスターに出くわした。しかし、今回ほどドキドキしたことはない。
「あの時、声をかけなくて良かった」
そう思いながらオレは渋谷の雑踏に紛れたのだった。今年の夏、一番の出来事――。
2006年9月 4日 (月) | 個別ページ
2006年6月29日 (木)
第14回 ブロン葬
男気の権化・ブロンソンが亡くなって約2ヵ月後に「ブロン葬」は行われた。
喪主は俳優の田口トモロヲと、オレ。二人はブロンソンとこれっぽっちも血縁関係などないのに“遺族”と言い張って止まなかった。
オレたちは’95年、東芝EMIより『マンダム 男の世界/大脱走のテーマ』というCDをリリース、ブロンソンズと名乗った。当然、ジャケ写はテンガロン・ハットをかぶり、髭(付けヒゲ)、CMで有名になった「うーん、マンダム」ポーズを取った。
“オレ、穴を掘る
脇目も振らずに掘る
オレ、穴を出る
自由を求めて♪”
オレたちが勝手に歌詞を付けた『大脱走のテーマ』は、映画の中で地味に穴を掘り続けていたブロンソンへのオマージュであった。
オレとトモロヲさんは同い歳であり、中学時代に見た映画『さらば友よ』で、ブロンソン革命に衝撃を受けた。それは当時、世界一ハンサムとされていたアラン・ドロンと、世界一ブチャムクレと言われていたチャールズ・ブロンソンが夢の共演。しかも見終わった後、ブチャムクレの方が断然カッコよく思えた逆転の革命。それ以降、ブロンソン映画にハマリ20年後、出会うべくして下北沢の飲み屋でブロンソンズを結成した。
主な活動はしこたま酒を飲んで、熱くブロンソン談義をすることだったが、フルアルバム『スーパーマグナム』も発表し、ちょっとした文系男気ブームを世に送り込んだ。
“いつかはブロンソンの家の前に立とう”
オレたちの夢はこれで満足だった。だって、会っても喋ることないし……コワそーだし。
そんなこと言っているうちに男気の権化はお亡くなりになった。せめて遺族にできることは……
“そうだ! ブロン葬だ!!”
オレたちはその日、黒い喪服に身を包み、テンガロンと付けヒゲは忘れずに、ブロンソンの遺影を持って登場した。知り合いの坊さんにお経を上げてもらい、お焼香もした。
「いやぁー、実にいいお葬式だったね」
二人は満足したが、仏式でよかったのかは今もよくわからない。うーん、合掌――。
2006年6月29日 (木) | 個別ページ
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▽絶望書店日記!! 目次!!●03/23 12:03 ユーザーホームページ
指定したホームページが存在しないか、お客様のご都合で停止させて頂いております
フレッツADSL固定IP Bフレッツ固定IP 固定IPアドレス IP8
独自ドメイン取得gonbei.jp レンタルサーバー『マイドメイン1000』 格安レンタルサーバー ホスティング
▽ogihara.com●03/22 22:25 ‖ デジビ‖ 掲示板‖ 検索‖ 過去ログ‖ 管理用 ‖
ここ【ogihara.com】は、デジタル・ビスケットの衛星サイトです。
荻原裕幸の活動を日記形式で紹介してゆきます。更新は不定期です。
感想・メッセージなどは、掲示板にてお願いいたします。
このページに記載されていない分は過去ログでご覧いただけます。
=== 歌集『デジタル・ビスケット』発売中! ===
荻原裕幸の20年の作歌活動を一望できる「全歌集」。
全既刊歌集&未刊の『永遠青天症』を完本で収録。
書店にてお求めいただけます。版元への電話注文も可能です。
定価3,500円(税別) ISBN4-8060-1093-6-C1092
沖積舎(電話03-3291-5891) 2001年3月1日刊
‖ogihara.com、移転。
Date: 2004年07月7日 (水)
ogihara.comを下記へ移転しました。
このサイトのデータは、
そのまま残しておきます。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
‖選者としての
Date: 2004年01月13日 (火)
インターネットの短歌サイトが、
短歌にバイアスがかかるがゆえに
一定数のアクセス者を確保しながら、
それ以上にはならないという状況は、
歌集・短歌誌と読者との関係に似ている。
だとしたら同じ対応策に効果があるかも。
★
加藤治郎さんが、鳴尾日記に、
選者観をまとめているのを読んだ。
ある意味でふるくさい「師弟関係」を
この人は刷新してしまうだろうと思う。
いやもうすでに刷新してしまったのかな。
加藤治郎は破壊的な展開を好まない。
無言の圧迫感のようなものは持っているが、
歴史が自然にそう流れたように刷新する。
だからいつもその過程で急進派に批判され、
結果が出るとさらに守旧派に批判される。
批判されまくるが最後までもちこたえる。
選者としての加藤治郎はどうだろうか。
できるかぎりの応援をしてゆきたい。
‖他人の記憶の
Date: 2004年01月11日 (日)
数日前、藤原龍一郎さんが掲示板で、
東京圏の中波局を名古屋では聞けない、
と書いていて、ん? と思ったのだが、
コメントを書きそびれたので、ここに。
木更津から100KWで出力するJOLFの場合、
夜間ならば名古屋でも聞けるケースがある。
実は三十年近く前、国内の中波に熱狂して、
毎日、全国の大出力局を受信していたのだ。
いわゆるBCL。BCLっていうのは、こんな感じ。
ぼくははじめ短波に熱狂し、のちに中波が主に。
★
と、懐かしいことを思い出しながら、
『あなたに似た人』(フーコー)を読む。
2000年刊。五十嵐きよみさんの第一歌集。
自殺せぬままに終わりし者たちがずらりと並ぶ卒業写真/五十嵐きよみ
「たいせつなものをあげる」という歌詞がまだ良識を刺していた頃
今週の少年漫画を論じ合い過ぎゆく午後にサイフォン騒ぐ
ひとことがどこにも届かずいつのまに深夜ラジオも音楽ばかり
まっさらに戻って一から始めたい他人の記憶の私を消して
追憶のモチーフは第二歌集にも頻出し、
リアルに造型する文体にややシフトしたが、
決め科白的な文体で描いていたこの頃の歌は、
懐かしさという点ではより強くひびく感じだ。
この時期の作者の「華」がきれいに奔っている。
‖東桜歌会新年会
Date: 2004年01月08日 (木)
夕刻から東桜歌会の例会&新年会。
例会はこれで78回を数えることになった。
18人が出席、発足時のメンバーが6人いる。
題詠「紫」と自由詠。今年の題は色彩一文字。
今回は割烹が会場で、選歌以外はほぼ歓談。
★
準備してあったデータが見つかったので、
MAP@ogihara.comを再調整しておいた。
直にかかわりのあるサイトの他にも、
【歌葉】や風媒社での本づくりを手伝った
作者さんのサイト等もあらたに掲載した。
(favoriteは、データが見つからないまま。
検索等で補完して順次更新する予定でいる。)
チェックをしてもらった佐藤りえさんに感謝。
‖パソコンと縦書き
Date: 2004年01月06日 (火)
先日、むかし書いた作品を求められ、
ファイルを発掘してともだちに送った。
そう言えば、はじめて買ったワープロで
これを入力したのだった、と思い出し、
使いつぶしたワープロ/パソコンをたどる。
5台とも疾うに現行商品ではなくなっている。
・文豪ミニ7HG(→写真)
・PC-9801NS/R(→写真&スペック)
・Macintosh Performa 5220(→写真&スペック)
・Power Mac6200/75(→写真&スペック)
・iMAC 400 DV(Indigoの単体写真がない……)
★
と、パソコンの遍歴を書いていて
あらためて思い出したことなのだが、
モニターに縦書き表示をさせながら
短歌を書くようになったのはこの6年、
それまではすべて横書き表示だった。
記号短歌などと呼ばれていた作品も、
手書きの構想と横書き表示の入力、
プリントアウトしては朱入れをして、
原稿をまとめていったのである。
どこかしらアナログ的で懐かしい。
‖梨の実歌会
Date: 2004年01月04日 (日)
Mac OS X v10.3にとまどっている。
OS9に比較して格段に安定した反面、
周辺機器やフォントやソフトなどが、
OSにしっかり追いついていない状態、
バッグ一つで気ままに出かけた旅先で
そのまま生活をはじめているような感じだ。
★
五十嵐きよみさんが主催していたネット歌会、
梨の実歌会が、第20回をくぎりに終了した。
題詠マラソン2003にひきつづいての撤収作業。
参考にしてもらうため、今後もログは継続公開する。
また、五十嵐さんの、新しいBBSも稼働している。
歌会には、価値判断を前面に押し出す批判系の場
(絶賛/批判系というのが正確だろうか)と、
あと、読解を徹底して進めてゆく場とがあるが、
梨の実歌会は後者のタイプの場だったと思う。
前者が瞬発力と緊張感を要するのに対し、
後者は思考的腕力と冷静さを要するものだ。
ログをぱらぱら再読しながら再認識していた。
‖謹賀新年
Date: 2004年01月01日 (木)
2004年が、あなたにとって、
素敵な一年になりますように。
★
MAP@ogihara.comを微調整した。
ご覧いただければ幸いである。
題詠マラソン2003が年とともに終了した。
初詣から帰ったあと、会場を撤収する。
サーバの調子がよくなかったせいか、
ログの閲覧がうまく機能しないため、
思いのほかに作業が増えてしまい、
新年早々パソコンにはりついていた。
今年もそんな風に展開するのかな……。
‖それなりに、それなりな
Date: 2003年12月31日 (水)
今年もいろいろなことがあった。
むろんいろいろなことの内実が問題だが、
それなりに、それなりな、一年だったか。
★
「31フォーラム」で実施したアンケート、
【オンライン短歌2003年の収穫】に
今年も諸氏から貴重な意見をもらえた。
とてもありがたいことである。感謝。
端的に言って、休みがちの掲示板なのに、
こうした反応がもらえてうれしかった。
休みがちと言えば、この日記もそうだが、
更新が滞っていた二か月半ほどの間にも、
一日平均して100件ほどのアクセスがあり、
もうしわけなく、かつ、うれしくもあった。
気づいてみれば14万アクセスを超えている。
先月来のパソコンのトラブルのために、
一部のデータがまだ行方不明のままで、
しばらくはそちらの復旧作業が中心だが、
来年もogihara.comは継続したいと思う。
‖大掃除とか打ちあわせとか
Date: 2003年12月29日 (月)
昨日は終日大掃除の時間が続いていた。
書斎の入口から机までのわずかな距離を
何も物をまたがずに到達できるようにする、
というレベルの低い目標を立てていたが、
その目標すらクリアするのに四苦八苦した。
途中、ごみ(またの名を資料)のなかから、
何かの折にもらったビール券を発見して、
宝探しみたいだなあと自嘲気味な独り言。
深夜、やっとのことで絨毯は細い道となり、
ひさしぶりにふつうの姿勢で部屋を歩いた。
★
午後、加藤治郎さんと会って打ちあわせ。
エスツー・プロジェクトに関するあれこれ。
おおむね無表情で、ときどき笑ったり、
ときどきとても厳しい表情になったり、
気づいてみると四時間ほど話していた。
帰宅すると、家人と同級生たち計七人が、
忘年会の最中で、楽しげに談笑していた。
十月から着手した長い原稿にきりをつける。
今年書いた原稿のうちでいちばん長かった。
友人二人とそれから家人に感想をもらい、
おかげで脱稿するきもちになれたのだった。
年末年始の仕事をメモに書き出してみたら、
う〜む、と唸り声が出るような状況だった。
わかってはいるのだが、書くと、愕然とする。
‖憑きもの
Date: 2003年12月27日 (土)
読んだ本のこと、書いた原稿のことなど、
三か月分に近いおしゃべりがたまっていて、
あれこれとまとめてゆきたいところだが、
抱えていることが多すぎて時間がとれない。
★
パソコンのデータの整理をする流れで、
電脳短歌イエローページと17.com、
それぞれメンテナンス作業を終える。
実は以前に半分ほど作業をしたところで、
この管理作業ももう限界かも知れないな、
と、一度きもちが切れかかっていたのだが、
なぜかこの数日、手が勝手に動きはじめて、
気づいたらすべての作業が完了していた。
管理作業というのは、うまく
▽今日の家元●03/22 21:40 7月1日 立川談志、ガクッと体力が落ちた。
2日 熱海なんざぁ来るんぢゃなかった・・・。
3日 ホテルで朝から飲んでいる。
4日 国立のひとり会の券が七万円だとサ。
5日 字が書けなくなってきた・・・。
6日 落語を間違えて・・・、いつも間違えてはいるけれど・・・。
7日 昨夜の高崎の独演会で、主催者が客に券をバラ撒いたそうだ。
8日 片や七万円、高崎ぢゃぁタダ、どうすりゃいいんだ。
9日 大体、作家で日記を出すようになるともうネタ切れ、お終いである。
10日 楽太郎の奴ァ“笑点は私のライフワーク”だとサ。
11日 「話の泉」は俺が問題を作らないと駄目である。
12日 酔って歩けない・・・。
13日 空腹でも食べられない。
14日 プレミアで七万円払った客に落語を聞かせたくない。
15日 声に力がないから落語も面白くない。
16日 今日は朝からビールを飲んでいない。
17日 糖尿病は悪くなってないらしい。
18日 朝から気分が悪くてどうにもならない。
19日 出掛けてみるか。
20日 七夕やセントヘレナの灯がゆれる。
21日 元来、物真似は上手いが、三平さんのは我ながら見事であった。
22日 家元は昔皆既日食を見ている。
23日 何して過ごせばいいんだ。
24日 何処へも行く気力がない。
25日 入院は嫌だ。
26日 全て家元の真似也。
27日 家元は怒鳴り狂ったカンナ屑。
28日 昔演った落語ならいつでも出来る。けど嫌なのだ。
29日 ペラ8枚なぁ・・・。
30日 己れの姿を鏡で見るのが嫌になった。
31日 治りゃいいがね・・・。
8月1日 立川談志、終焉かも知れない。
2日 無理して喰っている・・・。
3日 酔うしか方法がない。
4日 何も仕事がないと安心する。
5日 満州は要らない。
6日 また元気になったら話をしてやりたい人もいる。
7日 楽しみは大統領の夕涼み。
8日 メチャクチャな「天災」でも演ってみるか。
9日 転んで腰が痛い・・・。
10日 2本録りはもう無理である。
11日 「天災」が面白く無くなってきた・・・。
12日 這って上がってみる。
13日 骨にひびがはいっているそうな・・・。
14日 我慢はしない方がいい。
15日 効かないものを飲んだって仕様がない。
16日 非道いよ・・・。
17日 中日が優勝する。
18日 舌が荒れている・・・。
19日 不景気の基準ってのはあるのか。
20日 2.5ゲーム差ぐらいが一番縮まらない。
21日 何かってえと立川流の弟子は高座ですぐ転ぶネ。
22日 弟子でも呼んで稽古してやるか。
23日 すべてにイライラしている。
24日 ビールのどこが身体に悪いのか?
25日 落語の雰囲気が違うことに何で気が付かないのか。
26日 体調不良でご迷惑かけてすみません。
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▽女子メモ●12/23 00:09 ●2005年3月
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▽署名で書く記者の「ニュース日記」●10/11 17:58 真砂の学習塾
華麗ぱん
お勉強の友。
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桂井琉夏の「アリアリ・ワールド」
アリアリワールド第93回−ウマフル
アリアリワールド第92回−「心臓が壊れる−8」
アリアリワールド第91回−「心臓が壊れる−7」
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