[ COG :: Antenna ]
id:hiyokoya


1/7ページ
▽charisの美学日誌●04/17 23:41 2025-04-16[演劇] 三好十郎『夜の道づれ』[演劇] 三好十郎『夜の道づれ』 新国立劇場・小H 4.16(写真↓は、真夜中の甲州街道をひたすら「歩く」御橋[左、石橋徹郎]と熊丸[金子岳憲]、本作は「歩く」ことが主題の一部になっている)三好の1950年の作品で、演出の柳沼昭徳は、ベケット『ゴドーを待ちながら』にも似た不条理劇の方向に、舞台を洗練した。私は同じ1950年に三好が書いた『殺意 ストリップショー』と同一性格の作品に感じた。どちらも、戦争の結果、銃後に普通に暮らしていた人々でも、親密圏の他者に「裏切られた」と感じることがあり、その深い孤独を描いている。戦争には、盛り上がるナショナリズムの集団的狂気と表裏一体のものとして、人間の深い分断と孤独と相互不信がどうしようもない不条理として噴出してくる。これが両作品の主題だと思う。本作では、作家の御橋[=三好の分身だろう]も、会
▽インタラクティヴ読書ノート別館の別館●03/24 10:54 2025-03-23久保田さゆり『動物のもつ倫理的な重み』コメント(京都生命倫理研究会2025年3月例会 2025年3月22日 於:キャンパスプラザ京都)論点 本本書で久保田は動物倫理における「最小主義」的立場を提示しようと試みるが、久保田の議論はどのような意味で「最小主義」と言えるのか? 理論的な負荷、前提が少ないという意味では最小ではない。この意味では功利主義やカント主義の方が理論的前提が少ない。むしろ「自然な常識からの距離が小さい」という意味で、常識道徳からの最小の改編で済む、という意味で最小主義である。つまりある種の保守主義である。しかし出発点としての誰もが認める常識道徳などというものがあるかどうかは自明ではない。ここが理論としての弱点である。実際には久保田の議論は、特定の規範倫理学理論にコミットしないといいつつ、徳倫理学の一種として理解できる。ここで動物は道徳的配慮の対象
6.次5>
0.はてなアンテナトップ
8.このページを友達に紹介
9.このページの先頭へ
□ヘルプ/お知らせ
□ログイン
□無料ユーザー登録
□はてなトップ
(c) Hatena) %]&utmr=&utmp=http%3A%2F%2Fa.hatena.ne.jp%2Fhiyokoya%2Fmobile.cgi%3Fgid%3D21484%26of%3D0&guid=ON)
