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不未之奇のアンテナ
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しのばずくん便り
●05/22 10:09
2025-05-20第25回 一箱古本市 店主さん箱写真2025年5月5日[月・祝]に開催しました「不忍ブックストリートの一箱古本市」の店主さんの箱写真をアップしました。※箱写真はクリックすると拡大されます。下記の目次の大家さん(会場)名をクリックしていただくと、それぞれのスポットへジャンプできます。■ 文京区立森〓外記念館/14箱■ 古本や めねふね堂/2箱■ 往来堂書店/2箱■ 根津教会/8箱■ kitchen haco 2階/4箱■ HOTEL GRAPHY NEZU/8箱■ 忠綱寺/8箱大家さん(会場):7スポット/全46箱■ 文京区立森〓外記念館/14箱文京区立森〓外記念館 文京区千駄木1-23-4https://moriogai-kinenkan.jp/特別展「本を捧ぐ—鴎外と献呈本」(4/12~6/29)モリキネbooks(文京区立森〓外記念館)とみきち屋https://x.com/keioki72BOOKS 鳩♡ずきんhttps://x.com/marimohoshimondobookshttps://x.com/syslovbooksGEORGE BOOKShttps://x.com/tatenokun読書サロンhttps://sites.google.com/site/yomuyomuutouto/秘渡箱https://x.com/kazumihisyazaki古本仮面https://x.com/4mmoejy48dysxmoDATURAhttps://x.com/kido_daturaNutsBookStandhttps://x.com/nutsbookstandSinne ja Takaisinhttps://www.instagram.com/tyyni_lehto/そらまめ書林https://x.com/ine0214エイリアン庵https://x.com/hesonogomadangoもよもよ文庫https://moyomoyo-moyo.hatenablog.com■ 古本や めねふね堂/2箱古本や めねふね堂 台東区谷中2-16-10https://www.instagram.com/menehunedo60/2024年10月オープンの古本

文壇高円寺
●05/20 06:50
2025/05/18図録買い先週の五月十二日の読売新聞の夕刊「本よみうり堂」の「梅崎春生 心救う『怠け』」という記事にコメントした。短篇「寝ぐせ」の冒頭の一節「寒くなると、蒲団が恋しくなる。一旦蒲団に入れば、そこから出るのがいやになる」が新聞に載った。よかった。十七日金曜、十八日土曜、高円寺の西部古書会館(初日は木曜)。古地図と文学展の図録が充実。新日本書籍が稀少な鳥瞰図を出品していた。吉田初三郎の『日本鳥瞰近畿東海大図絵』(大阪毎日新聞附録、一九二七年)を買う。同じ地図が二点出ていた。金子常光の伊勢参宮の鳥瞰図もあったが、迷った末、買わなかった。小さな古地図は保存がむずかしい(どこかに紛れてしまいそう)。金子常光の地図はインターネットで見ることができるし、いいかなと……とおもいつつ、未練、未練。ここで買えないところが、自分の弱さなのだろう。古本(地図だが)は買うかどうか迷うところにも趣がある。『図録 昭和はじめの「地図」の旅 横浜初 日本ひとめぐり』(横浜都市発展記念館、二〇〇六年)を買う。全頁カラー。印刷がいい。吉田初三郎の鳥瞰図が満載の図録である。初三郎の新潟市鳥瞰図(一九三七年)は見惚れてしまう。『露伴、茂吉、寅彦と小林勇展 一本の道ある出版人の軌跡』(神奈川近代文学館、二〇〇六年)、『生誕130年 詩人・尾崎喜八と杉並』(杉並区郷土博物館、二〇二二年)、『熊野道中記 いにしえの旅人たちの記録 みえ熊野の歴史と文化シリーズ』(みえ熊野学研究会編、二〇〇一年)など。ここのところ、寝る前に寺田寅彦をすこしずつ再読している。『改造』に吉村冬彦名義で発表した「空想日録」(一九三三年)の「身長と寿命」にこんな一節がある。《朝生まれて晩に死ぬる小さな羽虫があって、それの最も自然な羽ばたきが一秒に千回であるとする。するとこの虫にとってはわれわれの一日は彼らの千日に当たるのかもしれない》「空想日録」の生原稿は高知県立文学館にある(生原稿が発見されたのは二〇〇八年)。みえ熊野学研究会のシリーズ、気になる本がけっこうある。三重に長期間帰省するときがあったら、尾鷲と熊野はゆっくり歩きたい。母方の祖母が暮らしていた志摩(浜島町)も行きたい。鵜方や鳥羽には何度か行っているが、浜島は二〇〇四年十月に志摩市(旧・志摩郡)になって以降は一度も訪れていない。いまだに三

小谷野敦ブログ
●05/19 23:38
2025-05-19ぼんやりした思い出大学一年の時は私は文三四組のドイツ語クラスにいたのだが、ここは全部で40人くらいのところに女子が9人しかいなかった。その中に田村泰美(仮名)という、愛知県から現役で来た女子がいた。成績は良かったようだが、はじめ相撲部のマネジャーをしていたが、失恋ばかりしている人だった。一年生が終わる時に、テストが終わった記念で飲み会が行われた時、この田村さんが、どういうわけか「小谷野く~ん」と言いながら私にしなだれかかってきて、それはきっとまた誰かに失恋したあとだったのだろう。私はずいぶんあからさまに嫌な顔をして、「なんでそんな顔をするの」と言われていた。確かそのあと、オリエンテーション合宿というのがあり、私はオリターというのをやっていたので山中湖へ行ったはずである(夜中にボートがひっくり返る事件があるのはこの翌年)。これは下の学年の四組の新入生を連れていくのである。それから二ヶ月か三ヶ月くらいあと、つまり初夏に、田村さんがヴォランティアか何かでジンバブエへ行くので送別会をするという知らせがあり、渋谷のどこかの店へのこのこ出掛けていったら、何か変な雰囲気だった。愛知県から来た坂本という男と、泉さんというちょっときれいだけど高校生とつきあっていた女子とで、オリ合宿で知った下の学年の学生のうわさ話などしていた。ところが、クラスで一番成績のいい青木という男と当時つきあっていた安岡さんという女子について、「安岡さん、小谷野に送ってもらったら」と誰かがふざけて言うと、田村さんが「あなた、なんてことを言うの、こんな人に送らせたら危ないでしょう」などと言い、一瞬だがなぜか私が集中砲火を受けることがあり、私と親しい松川が「かわいそうだよー」と言うほどだった。店を出てからも田村さんの私への攻撃が続いたので、私が「あなたなんかジンバブエへ行って帰ってこなければいい」と言ったら、白けた空気になり、坂本が「お前、そういうことを言っても支持されないところが問題なんだよ」というようなことを言った。あとで考えたら、これは前の「嫌な顔つき」で見たことへの意趣返しを田村さんがしたんだなと思ったが、もしかすると失恋続きの果て傷心でのジンバブエ行きで、何か集まり自体に裏があったのかもしれない。ただあまりに記憶がぼんやりしているし、そのあと田村さんは帰国して多分優秀な成

猫額洞の日々
●05/17 06:28
2025年 05月 15日(1)宮脇俊三『台湾鉄路千公里__完全版』1/2弱写真はもちろん台湾ではなく、都内の京王線、笹塚辺りだ。なんとなく宮脇俊三のファンになったようで、見つけると買って読もうとしている。列車の時刻表を手にしたことはなく、鉄道マニアでもオタクでもないのに読む。彼の文章が好きなのだろう。中公文庫の『台湾鉄路千公里__完全版』は、日本中の鉄道路線を全部乗り倒した宮脇俊三が、かつて日本の植民地であった台湾の鉄道路線全周に挑む、乗り鉄の記録である。1980年に鉄道踏破に行ったときの記録と、その関連記事、及び11年後、1994年に再訪したときの記録が収められている。短い期間に全部の線路を乗りつぶすことが目的だから、事前の計画は周到である。観光は全く目的外だ。次の乗車時刻まで時間があったら街を歩くけれど、いかに効率的に列車を乗り継いで全周するか、とプランを立てる。行って着いたその直後に引き返す。同じ車両が上り線/下り線に替わって、中継地の大きな駅に戻るなんて技を繰り出すが、ちょっとした事故でも起きれば、たちまちプランは崩壊する、スリリングな旅である。観光しないから、1980年当時の日本の男たちが近場の外国に行くときの付き物、女を買うことなぞ問題外、ともかく全部の線路に足跡を残すことがテーマなのだ。1980年の台湾はまだ戒厳令下、1945年まで日本に占領されていたので中高年者は日本語が話せる。< 東勢から乗る客は私一人しかいなかった。そのためでもあろう、窓口氏、改札係、助役、さらに運転士や車掌まで珍しそうに私のまわりに集まってきた。みんな、乗ってきた列車ですぐ引き返す私の行動が不思議でならないらしい。助役は、「キップ、モッタイナイネ」と言った。日本語のわかる人たちなので、汽車に乗りたくて来た旨を説明すると、顔を見合わせて首をかしげ合っている。そして、私の手にした「時刻表」を見て、「時刻表シーコービャオ! ソレ、モッテルノ」と驚くのであった。台湾には鉄道の好きな人間はいないのか、汽車の写真を写したりする子供はいないのか、と私は訊たずねてみた。自動車の趣味雑誌はあるのに鉄道雑誌のないのが腑ふに落ちなかったからである。「イナイ。タイワンニハ、イナイ」と助役は答えた。駅員たちは手を振って

晩鮭亭日常
●05/15 14:23
2025-05-12はじめての入院(サプライズあり)。昨年に受けた健康診断で腸の精密検査をするように指示を受けた。診断で腸からの出血が見られたためだという。自覚症状がなく、仕事も忙しかったため精密検査を先延ばしにしていたが、今年の3月に自分がリーダーをしていた3年間のプロジェクトが終わり、時間に余裕ができたので地元の消化器科のクリニックに行って内視鏡検査を受けたところ、腸にポリープがあり、小さい2つは取ったが、大きなポリープ1つは病院に入院して手術を受けなければならないとのことだった。良性だと思われるが、大きいポリープは今後悪性の癌となる可能性があるため早期に切除しておくのが得策だと言われ、近場の大きな病院に紹介状を書いてくれた。GW期間中の入院は医師が手薄になるとの理由で断られ、連休明けの入院、即日手術となった。若い頃、海外旅行から帰国後に食あたりで一泊だけ(自分で救急車を呼んで)入院したことがあるが、1週間の入院(と言われた)ははじめてだ。ネットで入院に必要なものを検索し、関連動画をあれこれ見ているうちに荷物はスーツケース一杯になった。初日に手術が終われば、あとは経過観察のために病院にいるだけだから暇になることは分かっていたので、ポケットWi-Fiをレンタルし、タブレットとKindleと単行本1冊と新書1冊もスーツケースに入れた。病室は4人部屋。初日の同室は年上と思われる男性患者が2人。耳の遠い後期高齢者に見える1人と一泊でポリープ切除手術を受けに来た前期高齢者に見える1人。後者の男性は、看護師の説明に対して「えっ」と驚き、看護師がいなくなると「オレが何でそんなことしなきゃならないんだよ」と愚痴を言い、病室に勝手にパンを持ち込んだり、退院前に病院の外に友達に会いに行こうとして看護師にとめられたりなどを繰り返していた。高齢男性のワガママ振りは世間やネットでよく聞く話であるが、目の当たりにすると自分はそうなるまいという思いが強くなる。耳の遠い前者の男性は、看護師の呼びかけが聞き取れないのか、反応しないことが多く、そのため看護師の人たちは大声で繰り返し声がけをしなければいけなくなり、その結果まるで大声でけんかをしているような状況が度々病室内に出来した。そんな状況なので病室でのんびり読書とはいかず、耳にノイズキャンセリングのイヤフォンを入れて、タブレット

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