kyonususanのアンテナ
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▽きままに歴史 元寇と高麗●06/13 03:07 高麗王元宗の子、 〓ェ(しん、後の忠烈王)がフビライの前に参内し高麗に帰る際に、こう進言した。
『世子 〓ェ云、「吾父子、相継朝覲、特蒙恩、宥小邦人民、得保。遺瞧 感戴之言不可。既 〓ェ 連年入覲、毎荷皇恩、区々之忠、益切致効。惟彼日本、未蒙聖化。故発詔、使継糴軍容。戦艦兵糧、方在所須。儻以此事委臣、庶幾勉尽心力、小助王師。」』
「世子 〓ェは言った。『私ども父子は相次いで天子の前に参内し、ひときわ御恩をこうむり、私どものような小国の人民をなだめていただきまして、国を保つことを得ました。目もくらむばかりで、戴いた事への言葉もありません。すでに私は連年して参内しております。つねに陛下のご恩を受け、ささやかな忠義をあらわしたいと切に思っているところでございます。思いますに、あの日本は、いまだ陛下の聖なる感化を受けておりません。ゆえに命令を発して我が軍の装備や糧食を整えさせました。
▽古事記物語●03/25 19:26 古事記物語
鈴木三重吉
目次
女神(めがみ)の死(し)
天(あめ)の岩屋(いわや)
八俣(やまた)の大蛇(おろち)
むかでの室(むろ)、へびの室(むろ)
きじのお使(つか)い
笠沙(かささ)のお宮
満潮(みちしお)の玉、干潮(ひしお)の玉
八咫烏(やたがらす)
赤い盾(たて)、黒い盾(たて)
おしの皇子(おうじ)
白い鳥
朝鮮征伐(ちょうせんせいばつ)
赤い玉
宇治(うじ)の渡(わた)し
難波(なにわ)のお宮
大鈴(おおすず)小鈴(こすず)
しかの群(むれ)、ししの群(むれ)
とんぼのお歌
うし飼(かい)、うま飼(かい)
女神(めがみ)の死(し)
一
世界ができたそもそものはじめ。まず天と地とができあがりますと、それといっしょにわれわれ日本人のいちばんご先祖の、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)とおっしゃる神さまが、天の上の高天原(たかまのはら)というところへお生まれになりました。そのつ
▽きままに歴史資料集●12/06 07:24 転載・編集はご自由に(但しアジ歴など出典資料記述は明確に) 目 次 1 (別ページが開きます) →目 次 2
慶応2年(1866)〜明治7年(1874)11月
〜明治8年(1875)7月
・ 日本政府の内諭
〜明治8年(1875)11月
・ 江華島事件(雲揚号への砲撃事件)
・ 両国交際三百年
・ 江華島事件のみならず
・ 木戸孝允の意見書
明治8年12月〜明治9年(1876)2月
明治9年(1876)2月
明治9年(1876)2月
・ 日朝修好条規 いわゆる「不平等な」条約について
明治9年(1876)4月
・ 江華島事件について
明治9年(1876)6月
・ 「清道」「巡視」の旗について
・ 付録 朝鮮は清国の属国である
〜明治9年(1876)8月
・ 宮本小一外務大丞、朝鮮国京城に行く
・ 日本人が見た朝鮮国の風俗・風景
・ 再び医療を行う・東莱府で
・ 陸路、京城に行く
・ 京城
4.<前5 6.次5>
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