▽池田信夫 blog ●11/20 19:38 2024年11月20日17:25本大乗仏教はポストモダンを超えるか西洋哲学がプラトンに始まりニーチェで終わったとすると、20世紀以降の哲学はそのオマケみたいなものだが、大乗仏教の歴史はその終わった地点から始まっている。これは偶然ではない。インド=ヨーロッパ語族は主語・述語の論理で考えるので、大乗仏典のロジックは西洋哲学と似ているのだ。中観派(ナーガールジュナ)は客観的実在を否定して「空」の思想を創造した。そこではカントより1500年以上早く、「存在は有から生じない」などのアンチノミーを使って素朴実在論から矛盾が導かれることを明らかにしているが、積極的な世界像はない。この点はポストモダンに似ている。そういうニヒリズムを超えようとしたのが唯識派である。それは単に実在を否定するのではなく、それを成り立たせる本質は意識だと考える主観的観念論だった。これは独我論に近いが、世界を成り立たせて
▽ホームズ・ドイル・古本 片々録 by ひろ坊 ●11/12 17:03 <2024年11月10日、追記>1914年の野球観戦については、自伝『わが思い出と冒険』(延原謙訳、昭和40年8月5日、新潮文庫)の第24章に書かれている。この旅はカナダ政府の招待によるもので、途中、ニューヨークに一週間滞在。その折、野球観戦。カナダに行ってから「野球の始球式」をやらされ「不安な経験」をした。バッターボックスにたってバットを振ったところ「球をバットのシンに当てることができ、球は私をねらって構えていた写真師の耳をかすめて飛んでいった。私はごく軽く当てると思っていた写真師は驚いたらしいが、あんな経験はあまり繰り返したくない。」と記している。以上のことから<注1>の「草野球に参加し」は誤りである。訂正します。