▽宇波彰現代哲学研究所 ●11/15 17:58 晩年、アイデンティティ、家族――『つがいをいきる』を読む (11/15)2024年11月 (1)髭郁彦 (80)晩年、アイデンティティ、家族――『つがいをいきる』を読む2024年11月15日(Fri)髭郁彦小説『つがいをいきる』の中で、著者の松井久子氏は様々なテーマを語っている。恋愛、家族、晩年、アイデンティティ、ジェンダー、時代精神、民主主義、生命、死…。もちろん、こうした問題すべてをこのテクストの中で語ることはできない。ここでは『つがいをいきる』の主人公である多華子とマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』の登場人物の一人であるスワンとの比較を通して、他者、アルテル・エゴ、対話という分析装置を中心に置きながら、前述したテーマの中で、晩年、アイデンティティ、家族という問題について語っていきたいと考えている。しかしながら、この問題を考察していく前に、何故多華子とスワンとを比較するのかという点に関して述べる必要がある。それぞれの小説で大きな役割を担っている二人ではあるが、この二人はあまりにも異なる人生を送っている。時代背景も、生活している場所も、性別も性格も嗜好性もまったく異なっている。そうした二人を何故比較しようと思ったのか。『つがいをいきる』を読みながら私はスワンの「Dire que j’ai g〓ch〓 des ann〓es de ma vie, que j’ai voulu mourir, que j’ai eu mon plus grand amour, pour une femme qui ne me plaisait pas, qui n’〓tait pas mon genre (私の人生の何年もの月日を無駄にしてしまったなんて、死にたいと思ったなんて、一生の中で一番大きな恋愛をしてしまったなんて。私を喜ばせもせず、私の趣味にも合わない女のために)」という言葉が思い起こされ、その言葉を何度も心の中で呟いた。家庭を持ち、妻と娘と一緒にパリの高級住宅街に住む初老の典型的なブルジョワ紳士スワン。だが、彼が愛したオデットは高級娼婦であり、自分の高い知性にも、高尚な趣味にもまったく合わないことを知りながら彼女と結婚した彼。社交界の冷たい視線と嘲笑に耐えながらも一人娘のジルベルトと三人の幸福なブルジョワ家族を生涯演じ続けた彼。その彼が人生の終わり
▽Freezing Point ●10/05 19:32 2024年10月4日の追記この木田元氏の分かりやすい解説が必須になる。technique.hateblo.jp「デアル」を豊饒化させる努力は今後もずっと続くが、その「デアル」を述べる言説そのものが「ガアル」の営みであり、それゆえの制約と命運を負わされている。それに気づいたところから編み出せる技法もあるはずだ。