2023年11月28日火曜日
松山寛恵老師
臥雲庵老師と写真を撮らせて頂いたのは、もう17年前の11月28日京都妙心寺山内大法院の紅葉の会でした。あの頃は、管長さんをなさってました。
東福寺で修行中、月一位、臥雲庵老師は東福寺管長松蔭軒老師に会いに来られていました。当時は、そんな事知らず、なんかスキッとした和尚さんが来られてるなと思っていました。
慶應大学卒の臥雲庵老師は、良い老師でした。
いや、老師は皆良い方ですがね⭕️
当時、毎年紅葉の頃、大法院では「紅葉の会」という、ミニコンサートと阿じろの精進料理を皆で頂く会をなさってました。第1回から、音楽の手配と司会をしてました。コロナで途切れました。弦楽四重奏をあちこち依頼して演奏したものです。
三笠宮両殿下が来られた、微笑会とい年一の妙心寺の会の時も四重奏手配しました。
三笠宮両殿下と至近距離で緊張したのを覚えています。黙礼しか出来ませんでした。
境内の桜の葉っぱが多く落ち、銀杏の葉も色付いて来ました。赤と黄色で綺麗ですよ。
- 11月 28, 2023 0 件のコメント:
メールで送信BlogThis!Twitter で共有するFacebook で共有するPinterest に共有
松山寛恵老師
臥雲庵老師と写真を撮らせて頂いたのは、もう17年前の11月28日京都妙心寺山内大法院の紅葉の会でした。あの頃は、管長さんをなさってました。 東福寺で修行中、月一位、臥雲庵老師は東福寺管長松蔭軒老師に会いに来られていました。当時は、そんな事知らず、なんかスキッとした和尚さんが来ら...
▼ 2023 (63)
▼ 11月 (6)
松山寛恵老師
2023-11-28
ストレスというのは、ライフイベントの重さとリアルタイムで比例しないもの
日常
前に、精神科・心療内科で閉経期の脳のはたらきについて聞いたり話した経験を書きました。(参考)
そのときに自分の口から出た言葉をきっかけに、発見したことがありました。
医師のかたは便宜上「ストレス」という言葉を使っていて、わたしの意図とのギャップから気づくことがありました。
わたしは、何度もこう言っていました。
いまはすごくストレスが少ない生活のはずなんですが
無意識に、当たり前のように、過去に生活全般がしんどかった時期と比べているのです。
漠然とその頃の出来事を黒い塊として捉えて「あの生活に比べれば、いまはかなりラクなはずなのに」と比較しているのでした。
ストレス=しんどい出来事
と思っていると、「なんで??? いまはこんなにラクなはずなのに」と考えてしまいます。現在の話をしているのに、過去の記憶の倉庫の扉を開けようとする。
ストレスというのは、そういうものじゃない。現在のことなのに。ハードな災難級のものばかりではなく、気温とか、環境の変化とか、そういう広義の「今日この頃の、現在」のことなのに。
この問答が、自分の思考のパターンに気づくきっかけになりました。
それで何周も回って気がついたのですが、「ストレス」という言葉を使う瞬間、わたしは「嫌なこと」「理不尽なこと」を特定しようとする思考がワンセットになりがちです。そのメカニズムが発動することそのものが、わたしの場合はストレスだった(笑)。
「誰も悪くないのだけど、うまく回っていないこと」というのは、当たり前に日々の中で発生するもの。
「なんかうまく回っていないことをそのまま放っておく」ということをするのが「休養」なんですね。
「うまく回っていないこと」の原因を特定・解決しようとする思考自体がストレスっていう感情に気づけたことが、わたしにとっては大発見というか、「手放すって、これか〜」と。
だから、ストレスがある時って、楽しいんですよね。楽しみがワンセットだったりもする。
これはヨーガの心理学でもいろんな角度から言語化されていて、わたしがガイドをするときに「呆けて(ほうけて)」と促すことの背景にあることと同じコンセプト。なんだけど、わたしはわたしのガイドを受けることができません。
今回は別の道のプロが目の前にいる状態で自分の中から言葉を出してみることで、自分の日常感覚で「手放せていない状態」を捉える経験をしました。
uchikoyoga 2023-11-28 12:00
2023-11-28
ストレスというのは、ライフイベントの重さとリアルタイムで比例しないもの
日常
日常 (491)
ちょっと昔の精神医療思い出話2(有料記事)
2023-11-14
観客席で世界のねじを巻く 〜舞台「ねじまき鳥クロニクル」〜
演劇 舞台 書評
「いい考えがあるわ。せっかくそこに考えごとをしに入ったんだから、あなたがもっとその考えごとに集中できるようにしてあげましょうか」
「どんな風に?」と僕は質問してみた。
「こんな風に」と彼女は言った。そして半分だけ開けてあった井戸の蓋をピッタリと閉めた。そのようにして完全な、完璧な暗黒がやってきた。
ー「ねじまき鳥クロニクル」第2部 予言する鳥編
新型コロナウィルスの世界的なパンデミックについて、誰が事前に予想していただろうか。少なくとも私は一切、まったく、あのようなことが起きるとは想像していなかった。「中国で何かヤバい感染症が流行している」と聞いた時も、それがジワジワと日本にやってきて出勤停止命令が出た時も、「東日本大震災の時もしばらく会社に来るなと言われたけど、二週間ぐらいだったしな」などと高を括っていた。そうしたらひと月、半年、一年…と、いつまで経っても終わりが来ない。コロナ禍は、それなりに大きな影響力で私を変えてしまった。いちばん大きかったところで言うと、会社を辞めた。
リモート勤務が当たり前になり、「おつかれ〜」から始まる同僚との他愛のない話がなくなり、エレベーターの扉が閉まるまで見送るお辞儀がなくなり、オフィス街で立ち寄るDEAN&DELUCAでのコーヒータイムがなくなり…という日々の中で私は、自分が「仕事」だと思っていたことの大半が、ビジネス本来の部分ではなく、その周辺の「ごっこ」みたいな部分だった、ということに気付かされてしまった。私の仕事に関していうと「ビジネス本来の部分」は、リモート勤務でも問題なく進めることができたのだが、そこだけ残すと案外、味気なかった。一緒に働いていたのが、効率を重んじる優秀な人たちだったからだろうか、だんだんと誰もオンライン会議のカメラをオンにしなくなり、雑談のない声だけのコミュニケーションは些細な行き違いを度々生み、疑心暗鬼になるようなこともしょっちゅう、起きた。むしろ、そんな中でも問題なく仕事が進むことを、不思議に感じるようにさえなった。
「会うな」「近づくな」「話すな」「叫ぶな」「歌うな」
コロナが私たち人間に禁じた行為は限定的なものだったけれど、絶対に欠かすことができないものだったと今でも思う。東日本大震災の頃、各種のエンターテイメントは随分と長いこと「自粛すべきもの」という扱いだった。そして当時、私はそのことに納得していた。仮設住宅で暮らし、衣食住すら思うようにならない人たちがいる中では当然だろうと。
でも、コロナ禍で半年、一年、とライブや観劇ができない日々を送る中で、私は「エンターテイメントは不要不急」に、全く納得できなくなった。全てのイベントというイベントが中止になっていく、あのモヤがかかったような日々。自分はそんなに大してライブやステージ通いをする方ではないと思っていたが、実は「生(Live)」のエンターテイメントがもたらす様々な種類の刺激や感動に、大いに支えられていたんだと思い知らされた。
「アタッチメント」を演じ、歌い、踊る
「ねじまき鳥クロニクル」は、2020年2月に初演を迎えており、途中コロナ禍の影響で公演を中断した舞台だ。私が観に行くことにしたきっかけはダンサーの友人に誘われたことだが、「一度中断を余儀なくされ、あらためて再演することになった」という舞台だからこそ、余計に観てみたいと感じた。ただの観客である私ですら、「再演できることになって本当によかった…」と思えるのに、作り手の人たちの想いたるや。そしてこの3年半の間には、ウクライナやガザでの戦争があり、いまこの作品(途中に「間宮中尉の長い話」というとても有名なパートがある)を観たいという気持ちもあった。
まだ公演が続いており、できれば多くの人に「観たい」と思ってもらいたいので、あまりネタバレをせずに感想を書こうと思う。途中に15分休憩を挟む3時間で、内容はとても良かった。ラストシーンは決して派手ではないのだがジーンとしてしまい、「ああ、ひとつの冒険を見届けたなあ」という気持ちになった。イスラエル人の演出家インバル・ピントさんは、演出だけでなくダンスの振り付けと、美術も合わせて行なっており、全体に統一感がある。舞台装置や衣装は、多くの要素が削ぎ落とされていて美しく、そして時折、チャーミングにも見える。そのため非常にシビアな場面が続いても、重苦しくなりすぎないという印象が残る。原作は小説であるし、基本的には登場人物の台詞が物語を前に進めていくのだが、ダンスがあり、歌があり、音楽の生演奏があるため、多くの台詞があっても間延びしない、退屈をしない舞台になっていると思った。
私は村上春樹については、熱心なファンではないが、まあまあ読んできた方ではないかと思う。ただ長編小説については途中で挫折したものが多い。ねじまき鳥クロニクルについても、一巻くらいで挫折したのではなかったか。ただ、間宮中尉の独白については、すごいインパクトで当時も話題になっていたので、覚えていた。
劇場で販売されているパンフレットによると、この「ねじまき鳥」は、村上春樹が「デタッチメント」から「アタッチメント」に向かうターニングポイントのような作品らしい(スラブ文学者の沼野充義さんによる解説、パンフレットP.36)とても分厚い原作3冊を、3時間の舞台で見せることができる理由は、「アタッチメント」=主人公が、他者に対して積極的に関与しにいくこの物語が「冒険譚としてよくできていて、面白い」からだと思う。観終わって振り返ると「活劇」という意味で新海誠の映画を想起したりもするのだが、それは新海誠が村上春樹のファンだから、というのも関係するのだろう。
劇場で、この舞台の宣伝をするPOP を書いてSNSに投稿すると、インバル氏のデザイン画ポストカードがもらえるという催しをやっており、休憩時間に5分で書いてみた
これもまた沼野さんの解説に書いてあったことだが、この作品が世界中で翻訳され、愛されている理由は「現代の日本、オカルト的と言ってもいいようなファンタスティックな世界、歴史の深い闇という三層が織り重なった総合小説」であり、この三層が重なり合うダイナミックな物語構造は「演劇的な仕掛けによって新たな表現を生むはず」らしい。今回舞台を観て、舞台表現というのは、固有名詞で名前を持つ場所と、現世かどうかもわからない謎の場所、あるいは心象風景でも、とにかく非常に行き来しやすいのだなと感じた。「世田谷の井戸」「どこだかわからないホテル」「満州とモンゴルの国境付近」など、今ここがそうです、と言われれば、そうとしか見えない。
同時に、原作小説には「わざと抽象的に表現されている事象」がたくさんあることもわかる。それが村上春樹作品の持つ魅力だし、力なのだとあらためて気付かされた。たとえば綿谷ノボルについても、どこかの誰かに限定されるものではなくて、「綿谷ノボル的な下品さ」とか「綿谷ノボル的な悪意」とか、誰にでも湧き上がる可能性のある感情などにも入れ替えられるように作られているのだと思う。
色々書いてきたが、「自分のことをそこそこまともだと思って
#ブロンプトン #輪行袋 #Amazon
#マイクロスワロー #十三峠 #ARAYA
▼ ▶
2022
2022 / 5
2022 / 1
▼ ▶
2020
2020 / 1
▼ ▶
2019
2019 / 12
2019 / 10
2019 / 9
2019 / 7
2019 / 5
2019 / 4
2019 / 3
▼ ▶
2018
2018 / 12
2018 / 11
2018 / 9
▼ ▶
2017
2017 / 12
2017 / 11
2017 / 8
2017 / 7
2017 / 4
2017 / 2
2017 / 1
▼ ▶
2016
2016 / 12
2016 / 4
2016 / 2
▼ ▶
2015
2015 / 12
2015 / 11
2015 / 10
2015 / 9
2015 / 8
2015 / 7
2015 / 6
2015 / 5
▼ ▶
2014
2014 / 6
2014 / 3
2014 / 2
2014 / 1
▼ ▶
2013
2013 / 12
▼ ▶
2012
2012 / 12
2012 / 10
2012 / 9
2012 / 4
2012 / 3
2012 / 1
▼ ▶
2011
2011 / 11
2011 / 10
2011 / 9
2011 / 8
2011 / 7
2011 / 6
2011 / 4
2011 / 3
2011 / 2
2011 / 1
▼ ▶
2010
2010 / 12
2010 / 11
2010 / 10
2010 / 9
2010 / 8
2010 / 7
2010 / 6
2010 / 5
2010 / 4
2010 / 3
2010 / 2
2010 / 1
▼ ▶
2009
2009 / 12
2009 / 11
2009 / 10
2009 / 9
2009 / 8
2009 / 7
2009 / 6
2009 / 5
2009 / 4
2009 / 3
2009 / 2
2009 / 1
▼ ▶
2008
2008 / 12
2008 / 11
2008 / 10
2008 / 9
2008 / 8
2008 / 7
2008 / 6
2008 / 5
2008 / 4
2008 / 3
2008 / 2
2008 / 1
▼ ▶
2007
2007 / 12
2007 / 11
2007 / 10
2007 / 9
2007 / 8
2007 / 7
2007 / 6
2007 / 5
2007 / 4
2007 / 3
2007 / 2
2007 / 1
▼ ▶
2006
2006 / 12
2006 / 11
2006 / 10
2006 / 9
2006 / 8
2006 / 7
2006 / 6
2006 / 5
2006 / 4
2006 / 3
2006 / 2
2006 / 1
▼ ▶
2005
2005 / 12
2005 / 11
2005 / 10
2005 / 9
2005 / 8
2005 / 7
2005 / 6
2005 / 5
2005 / 4
2005 / 3
2005 / 2
2005 / 1
▼ ▶
2004
2004 / 12
2004 / 11
2004 / 10
2004 / 9
2004 / 7
子どものいじめや、性的嫌がらせは警察に名前を記録したらどうか?
スカートめくり大流行はなぜ起きたか?
俺たちオタクは2次元キャラを「性的消費してる」のではない。「性的消費させられている」のだ。
このブログについて
at 2013-12-31 16:38-他に外すものはないですか?