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  1. 2024/06/05 19:22:47 Kapperのブログ - 楽天ブログ(Blog)含むアンテナおとなりページ

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  2. 2024/06/05 19:09:12 ツジメシ。プロダクトデザイナー、ときどき料理人含むアンテナおとなりページ

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  3. 2024/06/05 00:47:28 たんなるエスノグラファーの日記含むアンテナおとなりページ

    今週のお題「#紫陽花」をチェック

  4. 2024/06/04 15:45:19 SHA_LOG ☆ FOTO_LOG含むアンテナおとなりページ

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  5. 2024/06/04 13:32:18 leeswijzer: boeken annex van dagboek含むアンテナおとなりページ

    2024-06-04
    『まじめにエイリアンの姿を想像してみた』週刊文春書評

    アリク・カーシェンバウム[穴水由紀子訳]
    (2024年4月17日刊行、柏書房、東京, 426 pp., 本体価格2,800円, ISBN:978-4-7601-5563-7 → 目次|版元ページ)
    ワタクシの書評が『週刊文春』2024年6月6日号と文春オンラインに掲載されました:【文春図書館】三中信宏「エイリアンの特徴は「かなりのところまで推測できる」現代生物学の知識を踏まえた“まじめな”仮説——三中信宏が『まじめにエイリアンの姿を想像してみた』(アリク・カーシェンバウム 著)を読む」(2024年6月3日)。
    leeswijzer 2024-06-04 07:28 読者になる
    『まじめにエイリアンの姿を想像してみた』週刊文春書評

  6. 2024/06/04 10:30:12 事実だけとは限りません含むアンテナおとなりページ

    「物語の川々は大海に注ぐ」解説と余談 其の十三
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    「物語の川々は大海に注ぐ」解説と余談 其の十三
    其の一と其の十二
    掲載誌:『SFマガジン』2024年6月号
    全体的にネタバレ注意。今回もシンクレティズムについて解説します。紀年は特記がない限りはADです。
    其の十ではインドの川の女神サラスヴァティに言及しましたが、インドの上位ヴァルナ(身分)の祖先であるとされるインド・アーリア人はイラン人の祖先であるイラン・アーリア人と起源を同じくします。というか「イラン」は本来、「アーリア」と同じ意味です。原アーリア人の起源は中央アジアだとされています。
    だからペルシア語とインド・アーリア諸語も、元は同じ言葉でした。本作主人公イブン・ムカッファが翻訳・改作した『カリーラとディムナ』の原典は『パンチャタントラ』で、「パンチャ」はサンスクリット語の「5」ですが、現代ペルシア語の「5」は「パンジュ」です。数詞のほか、「父」「母」、「手」「足」といった基本的な語彙は、だいぶ似ています。まあこの辺の語彙は、印欧語でだいたい共通してるんですが。
    そういうわけで、ペルシアの川の女神アナーヒターの別名「ハラフワティ」(というか、アナーヒターのほうが別名)がインドの川の女神「サラスヴァティ」と似ているのは、偶然じゃなくて元は同じ女神だからですね。
    サラスヴァティ/ハラフワティは「水を持つ者」という意味です。川/水を司るということは、豊穣の女神でもあるということになります。
    中央アジアの牧畜民だった「原アーリア人」が騎馬を採用し、インド亜大陸へ進出した集団、イラン高原へ進出した集団、中央アジアに残った集団に分かれたのは紀元前1500年頃だそうです。ハラフワティ/アナーヒターの権能に学問・芸術が含まれないのは、原アーリア人は学問・芸術の守護神を必要としなかったということですね。まあ、イラン高原進出後のアーリア人(ペルシア人)も、学問・芸術に関してはあんまり……
    イラン・アーリア人のうち西部イラン(ペルシア)の住民は、隣接するメソポタミアの女神イシュタルを崇拝するようになりました。イシュタルは金星の女神であり、戦争・愛欲・豊穣の女神でもあります。
    西部イラン人は、イシュタルを「アナヒティシュ」と呼びました。これは彼らが金星を呼ぶ名前ですが、「無垢なる者」という意味で、ハラフワティの別名の一つ「アナーヒター」の変化形でもあります。そのため、イシュタルとアナーヒターが同一視(習合)され、アナーヒター/ハラフワティは金星と戦争をも司るようになりました。名前が「アナーヒター(無垢なる者)」なので、「愛欲」要素は排除されましたが、元から豊穣神だったので結婚・出産も権能に加わりました。
    ギリシャ人はしばしば異民族の神々を、似た権能を持つ自分たちの神々の名で呼びました。ヘロドトスは前5世紀半ば、「ペルシア人はアプロディテ・アナイティス(アナヒティシュ)の信仰を早くから学んだ」と記しています。愛と金星の女神アプロディテは、ここではイシュタルのことです。ヘロドトスは知る由もありませんが、アプロディテは本来、イシュタルと起源を同じくする、東方(中東)の女神でした。
    アナーヒター信仰はハカーマニシュ(アケメネス)朝ペルシア帝国で勢力を増し、前4世紀以降は帝室からも崇拝されるようになります。
    ヘレニズム時代(セレウコス朝シリア)およびアルシャク朝(アルサケス朝/パルティア)の宗教は、本作とは関係ないんで飛ばします。サーサーン朝期(224-651年)のアナーヒター信仰については、本作で言及しているとおりです。
    「アナーヒター」という名は、「アナーヒード」→「ナーヒード」と変化して現在に至ります。元々、ペルシアの文字記録が多いとは言えない上に、7世紀半ばにアラブ・イスラムに征服されてからの約200年は、さらに減りますが、この期間に「アナーヒード」から「ナーヒード」へ変化したと思われます。
    同じ時代でも地域差があるし、イブン・ムカッファが「アナーヒード」と「ナーヒード」、どちらで認識していたかは判りません。本作で後者を選んだのは、前者は「アナーヒター」に近すぎるからですね。「アナーヒター」くらいは知っている読者は少なくないでしょう。あと個人的には、「ナーヒード」のほうが可愛いと思います。
    クルアーンからは、7世紀前半当時のアラビア半島の宗教について窺い知ることができます。木石でできた偶像が崇拝される一方、妖霊(ジン)がアッラーと呼ばれる神と同列に拝まれていたり、天使が「アッラー(神)の娘たち」と呼ばれていた、とあります。同じくクルアーンには、アラブの三女神ウッザー、アラート、マナートが「アッラー(神)の娘たち」と呼ばれていた、という記述もあります。
    こうした記述から判るのは、妖霊と神々の区別は曖昧で、「天使」(および「悪魔」)というユダヤ・キリスト教由来の語は偶像崇拝者・多神教徒にも知られてはいたものの、妖霊・神々との区別は曖昧だったということです。
    本作の作中作「双天使とファールスの乙女の物語」は、イスラムの伝説に基づいています。この伝説については時代順に解説すると、まずクルアーン第2章では、「悪魔はその技をハールートとマールートの二天使から授けられた」という主旨のことが述べられています。
    「ハールートとマールート」についての説明は一切ないので、当時のアラブにとっての一般常識だったと思われます。ハールートとマールートの伝承を最初に記録したのは歴史家タバリー(838-923年)ですが、その起源は現在でも不明とされています。
    「堕天使」という概念は、『創世記』の「神の息子たち(おそらく多神教時代の名残だが、後に天使と同一視された)の一部が、人間の娘たちの美しさに目が眩んで地上に降りて子をもうけた」と「地上に悪がはびこったので、神は大洪水を起こした」という、本来は別々の事件が結び付けられたことから生まれたものです。
    上記のタバリーが記したハールートとマールートの伝説の、「ハールートとマールートが地上に降りて、人間の娘の美しさに目が眩んで堕落した」という筋書きは、文字で記録されることのなかったユダヤ教の民間信仰だったのでしょう。
    堕落のきっかけとなった美女について、タバリーは幾つかのヴァージョン違いの伝承を記録していますが、それらは明らかにペルシア系ムスリムによる創作です。タバリーがそれらを知っていたのは、彼自身もペルシア系だからです。
    彼女はバイズフト(ペルシア語「神の娘」バイドフトの転訛)あるいはアナーヒーズ(アナーヒターの転訛)という名を持ち、ペルシア系の王女だったとも伝えられています。彼女の所業が、双天使に肉欲と葡萄酒を教えて堕落させた、で終わっているヴァージョンなら、「異教の神を悪魔や邪神に貶めるお馴染みのあれ」なんですが、その後を伝えるヴァージョンもあって、それによると彼女は双天使から「神の隠された名」を聞き出してその力で天に昇り、金星となった。
    彼女に置いて行かれた双天使は、がっつり神罰を受けているの

  7. 2024/06/02 12:33:57 紙屋研究所含むアンテナおとなりページ

    「楽待」の自治会問題記事にコメントが載りました
    新聞記事 (57)
    お知らせ (118)

  8. 2024/05/31 05:13:53 作品メモランダム含むアンテナおとなりページ

    新しい金縛りは無限ループ

  9. 2024/05/30 22:07:09 the blog 4merly known as deBlog (元 出不ろぐ)含むアンテナおとなりページ

    2024-05-30
    お買いもの:バーナード・バーバー(1952→1955)『科学・社会・人間』
    社会学 科学社会学 お買いもの
    この本、邦訳があったの知らなかった。
    Bernard Barber, 1952, Science and the Social Order. ISBN:B0000CILGM ISBN:0313203563 ISBN:1245640526
    https://dl.ndl.go.jp/pid/3023534
    科学社会人間 (1955年) (緑園選書)
    作者:バーナード・バーバー
    緑園書房
    Amazon
    感謝の言葉
    序に寄せて(R・K・マートン)
    緒言 科学とはなにか
    第1章 科学の性格
    第2章 科学の発達史
    第3章 現代社会における科学
    第4章 科学の社会的構造
    第5章 アメリカの科学に関する社会団体
    第6章 アメリカの大学における科学者
    第7章 アメリカ実業界の科学者
    第8章 アメリカ政府の科学者
    第9章 発明及び発見の社会的過程
    第10章 科学に関する社会的制約
    第11章 社会科学の本質と将来
    あとがき(訳者)
    contractio 2024-05-30 00:00 読者になる

  10. 2024/05/30 03:13:47 はてなダイアリー - 妄想科學日報含むアンテナおとなりページ

    2024-05-28
    あなたの戦国時代はどこから?
    社の健康診断でもっと運動せよと言われたので、数年ぶりに位置情報ゲームを始めた。
    www.gamecity.ne.jp
    あまり歴史に詳しい方ではなく、特に戦国時代には明るくない。そのため戦国大名の名前を見てもいまいちイメージできないので、せめて主要な武将ぐらい知っておこうかと思った。
    で、まずは戦国時代の主な流れを調べようとしたところで、実は私のイメージしていた「戦国時代」はその半分以上が戦国時代ではなかったことに気付かされた。
    戦国時代はいつからいつまでか
    時代というものは後世になって論じるために作られる区分であり、明確な定義のあるものではない。何らかの変化が訪れ、「それ以前の時代とは明確に区分すべき」という主張が生じた時に、その変化が始まった時期を区切りとするわけだが、しかし歴史とは常に以前の流れから連続しているものであって、変化もまた一度に発生するわけではなく、したがって「どこを変化の始まりとするか」には諸説ある。
    戦国時代について言えば、室町時代の終わりによって始まるという点では共通認識が形成されているものの、では「いつが室町時代の終わりか」というとなかなか難しい:というのも、室町幕府将軍足利家は弱体化しつつも長く存続していたからだ。
    室町幕府が名実ともに消失したのは1573年、織田信長が第15代将軍足利義昭を京都から追放した時ということになるが、しかしそれよりずっと以前から幕府は形骸化しており、各地の大名らは幕府の支配下になかった。そのため実質的には、第8代将軍足利義政の時代に次期将軍の座を巡り幕府を二分して応仁の乱が始まった1467年頃、もしくは第10代で後継者問題が再燃し幕府が再分裂した明応の政変1493年頃を実質的な室町幕府の瓦解と捉え、戦国時代の始まりとする見方が一般的であろう。以降5代ほどにわたり、室町幕府は実質的に武家を掌握できていない。
    始まりはそれで良いとして、では終わりはというと、こちらは概ね安土・桃山時代の開始とする見方が一般的のようだ。
    安土・桃山時代とは織田信長が安土を本拠とする政権を築いた時代と、豊臣秀吉が桃山を本拠とする政権を築いた時代である。織田信長は前述の通り15代将軍を追放して室町幕府を消失せしめて京と将軍を巡る長い争いを平定、豊臣秀吉は天下統一を成し遂げており、これは確かに大名らが群雄割拠した戦国時代が終わったということができよう。
    つまり信長が足利15代将軍義昭を擁し上洛した1569年、もしくはその義昭を追放し室町幕府が完全に終焉を迎えた1573年あたりが戦国時代の終わりと考えられており、歴史的用語としての定義では「戦国時代」とは概ね1467あるいは93〜1569あるいは73年の76〜106年間ほどを指すものということになる。
    あなたの思う戦国時代とは
    さて、学術的な「戦国時代」はひとまず定義できたとして、では実際に「戦国時代の大名」を、あなたはどれぐらい思い浮かべることができるだろうか。何人もの名前が出てくるとして、彼らが戦国時代の100年間のどこで活躍したのか、ご存知だろうか。あるいは「戦国時代の合戦」を、あなたはどれぐらい思い浮かべることができるだろうか。
    歴史に詳しくない人でも教科書や、あるいは歴史もののフィクションなどでいくらかは触れたことがあるだろうが、これらが具体的に認識できている人はごく僅かではないだろうか。
    非歴オタの一般人が戦国時代に触れる機会というのは、歴史の教科書以外ではほとんどエンターテインメントの中に登場する場合だけではないかと思われる。
    しかし映画や小説、漫画など様々なジャンルに渡って戦国時代を扱う作品を俯瞰できるデータベース的なものはちょっと見当たらないので、ひとまずデータの入手が容易な範囲を参照したい:ゲームのステージ情報である。
    戦国時代をテーマとしたゲームは色々あるが、その中で信長出陣と同じコーエーテクモの「戦国無双」シリーズが、ちょうどシリーズ通してのステージ一覧をデータ化してくれていた。
    dic.nicovideo.jp
    戦国無双は元々歴史ウォーゲーム系のメーカーが手がけたシリーズであるためユーザも歴史好きが多めと思われ、その分やや知名度の低い合戦もいくらか登場する。また作品本数が多いこともあって、前作との差別化のために異なる合戦をステージ化するなどにより総計で約110の合戦が採用されており、これではまだ多すぎて「有名な合戦」だけに絞りきれていないため、ここから更に各タイトルでの採用割合によって絞り込みをかけた。
    戦国無双はナンバリング5まで、プラットフォームの違いなどにより全15タイトルがリリースされているが、うち戦国無双2は4本目に当たる(3は9本目)。したがって「ほぼ全作」および「2以降ほぼ全作」で登場する合戦については採用率が約80%に達し、どのタイトルでも定番として登場する「有名な合戦」と見做して良いのではないかと考えられる。
    以下に、それらの合戦を記す。
    戦国時代
    西暦 合戦 陣営
    1560 桶狭間の戦い 今川軍 対 織田軍
    1561 第4次川中島の戦い 上杉軍 対 武田軍
    安土・桃山時代
    西暦 合戦 陣営
    1570 金ヶ崎撤退戦 浅井・朝倉軍 対 織田軍
    1570 姉川の戦い 浅井・朝倉軍 対 織田・徳川軍
    1573 三方ヶ原の戦い 武田軍 対 徳川軍
    1573 小谷城の戦い 浅井軍 対 織田軍
    1575 長篠の戦い 織田・徳川軍 対 武田軍
    1577 手取川の戦い 織田軍 対 上杉軍
    1582 本能寺の変 織田軍 対 明智軍
    1582 山崎の戦い 羽柴軍(織田軍) 対 明智軍
    1583 賤ヶ岳の戦い 柴田軍 対 羽柴軍
    1584 小牧長久手の戦い 織田・徳川軍 対 羽柴軍
    1585 四国征伐 長宗我部軍 対 羽柴軍
    1587 九州征伐 島津軍 対 豊臣軍
    1590 小田原征伐 豊臣軍 対 北条軍
    1600 関ヶ原の戦い 西軍 対 東軍
    1600 長谷堂の戦い 上杉軍 対 伊達・最上軍
    江戸時代
    西暦 合戦 陣営
    1615 大坂夏の陣 徳川軍 対 豊臣軍
    お分かりだろうか。
    戦国無双に於いて、ほぼ全作に登場するほどの有名な合戦のうち、実際に戦国時代に行われたものはわずかに2戦しかない。大半は安土・桃山時代の合戦であり、大阪夏の陣に至っては江戸時代に入ってからのものだ。
    つまり、一般にイメージされている「戦国時代」というのは、実質的にほとんど戦国時代ではなく、安土・桃山時代を指しているということになる。
    なお戦国大名の活躍時期についてはリングワールドの黄昏(たそがれ) 戦国武将の生没年表に主要人物の生没年グラフがあるが、この表で左半分が戦国時代である。
    DocSeri 2024-05-28 14:06 読者になる

  11. 2024/05/27 11:41:47 内田樹の研究室含むアンテナおとなりページ

    人口動態と受験生
    高校生は「人口減」という文字列を見ても、あまり強い反応は示さないと思います。「だんだん出生数が減っているんでしょ?」と...
    2024-05-26 dimanche

  12. 2024/05/25 22:49:16 ココロ社 ♪ほのぼの四次元ブログ♪含むアンテナおとなりページ

    2024-05-25
    下戸がノンアルコールビールを飲んで「おつまみ」の概念を理解した話
    アルコールが苦手で、飲酒する人の習慣がわからないまま半世紀以上生きてきた。とくにわからなかったのが「おつまみ」という概念である。otsumami……omotenashiの親戚のような語感。おかずでもなく主食でもない謎の存在。非アルコールの領域でこの「おつまみ」に近い概念といえば、おそらく「お茶請け」であるが、わたしは甘い物が好きなので、お茶請けも瞬く間に食べつくしてしまって、お茶請けというより、お菓子を食べてからお茶を飲むというだけである。
    さらにわからなかったのが、「お通し」である。「おつまみ」の概念に近いのかもしれないと思っていたが、飲食店への献金のようなものだと認識していた。
    本邦においてノンアルコールビールが初めて売られたのが1986年であることをわたしは忘れてはいない。宝酒造の「バービカン」で、高校1年生の時に飲んだのだった。他はさておき、味覚についてはノーマルな感性しか持っていなかったので、なんだか苦いという印象以外は何もなかった。大人になってから義務的な飲み会でビールを仕方なく一口飲んだりすることはあったが、苦みはともかく、飲むと眠くなるし、そもそも仕方なく飲んでいたので、おいしい/まずいの概念とは別の存在だった。わたしにとってビールとは「お酒を飲んでいる感」をアピールする道具でしかなく、平成の終わりごろ、そのようなアピールも必要なくなってからは、ビールを口にすることもなくなったのだった。
    「おつまみ」という概念を理解することなく、わたしは天国に行く(半年前に救世軍の社会鍋に5000円投入したことが根拠)のだろうか……と思っていたのだが、昨年、お好み焼き屋に行ったとき、いっしょに行った人がノンアルコールビールを頼んでいて、おいしいかもしれないと思って頼んで飲んでみたら、おいしかった、というか、「おつまみ」がほしいと思ったのだった。いままで、炭酸水はよく飲んでいて、ペリエをケースで買っていたりした時期もあったが、それをはるかに上回る「甘くなくて爽快な飲み物」の存在に気づいたのである。
    以上の経緯があって、飲食店に行くと、ノンアルコールビールを頼むことが習慣になっている。勢いでノンアルコールワインも買ったのだが、これもおいしゅうございまして、チーズとノンアルコールワインをセットでエンジョイしている。
    そして、どんなおつまみでもよいわけではなく、お酒とおつまみには相性というものがあることも理解した。お寿司屋さんにビールがあることを今までは何も思わなかったのだが、ノンアルコールビールと合わせていただいた結果、生魚の生臭い風味が口いっぱいに広がって、お寿司もビールもおいしくなくなってしまった。生魚は日本酒のおつまみ、というか、そもそも「魚」の語源が「酒菜」なのだからそういうものなのだろう。もしかすると、まったく酔っていない状態だから生臭さに耐えられなかったのかもしれない。酔っているなら平気なのかもしれず、ノンアルコールビール特有の問題なのかもしれない。ノンアルコールの日本酒が普及すればいいのにと思い、Googleの地図でお寿司屋さんのメニューを目を皿のようにして見ている。
    また、一般的にビールのつまみとして利用されるスナックたちには、ビールと併用することをイメージさせるパッケージが多い。
    ノンアルコールビールを飲むまでは、「なんで本体よりもビールの写真の面積が大きいの……スナックとして自立しなさいよ」と思ったりしたのだが、ノンアルコールビールを飲んで食べてからは、そのパッケージが購入の際の目安になっている。これくらい大きく写してくれないと困るね……。
    そして90%が「ビールが進む」と回答、というデータが奥ゆかしい。こういうのは97%くらいから出すものだと思っていた。なお、わたしの感想では(ノンアルコール)ビールが2本進みました。
    夕方に外に何かを食べに行って、最初に「お飲み物は何にします?」と言われ、水というわけにはいかないなと思いながら仕方なくジンジャーエールやウーロン茶をお願いしていて、それもお店にとっての正解からどれくらい近いのかもわからず、宙吊り状態のまま飲んだり食べたりしていたのだが、ノンアルコールビールを頼むという選択肢ができて外食の敷居が一気に下がった。そして、ノンアルコールビールを飲むことによって「お通し」の意味も理解できた。いままではお通しを10秒で食べてウーロン茶を飲んでいたのだが、ノンアルコールビールを飲みながらゆっくり味わえるようになったし、席についてすぐ出てくる料理のありがたさを理解した。
    たとえそれが生のキャベツであったとしても大変うれしい。つい最近まで、烏龍茶を飲みながら生のキャベツを食べて串カツが揚がるのを待っていたなんて信じられない。
    なお、ノンアルコールビール暮らしをするうえで重要だと学んだのは、アルコール入りのビールと間違われないための作戦である。先日、初めて行った店で、メニューを見てノンアルコールビールがあったので、その銘柄(なんとかゼロという名前)で頼んだのだが、出てきた飲み物を飲むとアルコールが入っているような印象を受けた。ひとくちだと確信が持てないのでもう少し飲んだら、体温が上がってきたのがわかる。そこで「なんとかゼロを頼んだのに全然ゼロじゃないのが来てる」と主張しても、わりと飲んだあとなので替えてくれといいづらいし、言った言わないの話になるのは面倒である。言った言わないの話にならないよう、各ビール飲料メーカーはわかりやすい名前をつけているはずなのだが、お店の人の脳内では「何かビール状の飲料を頼んでいる→ビールを出す」という雑なフローチャートができているようだった。以後は、銘柄を知っていたとしても間違われる可能性があるため、わざわざ「ノンアルコールビールはありますか?」と聞いて、銘柄を教えてもらってから「じゃあそれで」と返すことで、お店の人に「この客にはノンアルコールビールを提供しなくてはならない」という情報をインプットするようにしており、それから間違いは起きていない。
    このときは、せっかくの機会だし、たまにはアルコール入りのビールを飲んでみようと思って、飲んでいくうちに気分がよくなったのはたしかだが、そのあと数時間が何もせぬままあっという間に過ぎてしまった。時間の無駄遣いになってしまうと思い、アルコールは自分にとってはよろしくないと思ったし、アルコール愛好家は、この時間があっという間にすぎてしまうことも合わせて好きなのだろう。
    そして、あのころ飲んで特に琴線に触れることもなかったバービカンは今どうしているのだろうと思って検索したら、販売権が宝酒造から日本ビールに移り、名前が「龍馬1865」に変わったとのこと。受験に出ないところは何も覚えなかったので未だに坂本龍馬のことをよく知らない。なんか大事な話をまとめたらしいという記憶はあるので尊敬している。
    さっそく1ケース頼んでみたのだが、パッケージから坂本龍馬で驚いた。
    そこまで龍馬推しということは実は彼はノンアルコールの草分け的な存在だったりしたのかなと思ったが、検索して、坂本龍馬は酒豪で、下戸だったのは

  13. 2024/05/24 05:56:06 shorebird 進化心理学中心の書評など含むアンテナおとなりページ

    2024-05-23
    War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その66
    War and Peace and War: The Rise and Fall of Empires (English Edition)
    作者:Turchin, Peter
    Plume
    14世紀が始まるころ,フランスはある種の黄金時代だったが,そこから崩壊する.
    ターチンはこの基本メカニズムはマルサス過程だとするが,それだけでは崩壊から回復への遅れが説明できないとして,支配層のダイナミクスをより詳しくみることが必要だと説く.人口増加による食料不足はまず一般市民を直撃するが,土地を所有する貴族層は短期的には逆に利益を得る.しかしそれは貴族層の人口を相対的に過剰にし,ついに貴族層も苦難に陥る.苦難に陥った貴族たちは内戦を始め,不利になった方は英国を引き入れる.そしてそのような騒ぎの最大のものが詳しく語られる.
    第8章 運命の車輪の逆側:栄光の13世紀から絶望の14世紀へ その10
    1354年,エリート間の暴力的な抗争が国の中心部,つまりイル・ド・フランスとノルマンディで起こった.抗争の雰囲気はまるでクリント・イーストウッドのマカロニ・ウエスタンのような,善玉,悪玉,卑劣漢(The Good, the Bad, and the Ugly)の登場劇として始まった.これらの事件のキープレーヤーは(後の歴史家に悪玉とされる)ナヴァラのシャルルだ.悪玉シャルルは王家と深い関係があったために貴族層の不満が集まってくる焦点となった.
    「The Good, the Bad, and the Ugly」はクリント・イーストウッドのマカロニウエスタン「続・夕陽のガンマン」の英題となる(伊題は「Il buono, il brutto, il cattivo」だそうだ.もちろんイーストウッドは善玉を演じている).またナヴァラ王国は当時ピレネーを越えた先のバスク地方にあった小王国になる.
    続 夕陽のガンマン (字幕版)
    クリント・イーストウッド
    フィリップ4世端麗王(1285-1314)の息子が跡継ぎを残さずにすべて死んだ時,王位はフィリップの甥であるフィリップ6世に渡った.
    ターチンのいう「フィリップ4世の息子がすべて死んだ時」というのは1328年にフィリップ4世の息子でフランス王とナヴァラ王をかねていたシャルル4世が死んだ時にあたり,これによりカペー朝は断絶したとされる.そして次の王であるフィリップ6世はフィリップ4世の甥であるが,その父(シャルル,4世の弟)がヴァロワ伯であったためヴァロワ朝の始祖とされる.このあと登場するジャン2世はこのフィリップ6世の子になる.
    この時王位継承候補にはあと2人いた.1人はフィリップ端麗王の(「フランスの雌狼」と呼ばれた)娘イザベルの息子である英国王エドワード3世,もう1人はフィリップ端麗王の腹違いの弟の子であるフィリップ・デヴルー(エブルーのフィリップ)だった.
    フィリップ・デヴルーはフィリップ端麗王の孫娘のジャンヌ・ド・フランスと結婚し,フランス王位を要求しない代償として(シャルル4世の死後やはり空位になっていた)ナヴァラ王国の王位を得た.その子がナヴァラのシャルルだ.つまり悪玉シャルルは父系と母系の両方がカペー王家につながっていたのだ.
    そしてシャルルは父系を通じてノルマンディとイル・ド・フランスに広大な領土を相続していた.苦境にあった両地方の反体制派貴族はシャルルを彼らのリーダーとみなすようになった.
    2人目の登場人物は善玉ジャン2世だ.ジャンはフランス王位を1350年に継いだ.善玉ジャンは彼のお気に入りのシャルル・デスパーニュを軍の総司令官に任命し,これが紛争の勃発を招いた.ジャンはシャルル・デスパーニュを(軍司令官の任命に続いて)ナヴァラ王国内に領土を持つアングレーム伯の地位につけ(これによりシャルル・デスパーニュは卑劣漢役となる),事態を悪化させた.
    自らの領土を蚕食された悪玉シャルルは激怒し,善玉ジャンの軍司令官を襲撃した.1354年1月,軍司令官がノルマンディにいる時に悪玉シャルルの弟ナヴァラのフィリップに率いられたノルマン貴族たちが軍司令官の寝室に押し入り彼をベッドから引きずり下ろした.裸の状態の軍司令官はひざまずいて許しを請うたが,そのまま刺し殺された.
    軍司令官の地位はとても儲かるものだった.平時でも毎月2000リーブル支払われ,戦時には別に傭兵代がすべて支払われた.さらに雇用や兵站に関する様々なうま味があった.多くの困窮していた貴族たちが軍司令官の周りに群がり,蜜を吸った.
    逆にそこから何も引き出せなかった貴族たちは軍司令官を深く憎んでいた.それを取り除いた悪玉シャルルは瞬く間にヴァロワ朝に対する反体制派のリーダーとなった.悪玉シャルルの地盤でもあったノルマンディは反乱の地となり,納税と兵役を拒否した.この豊かな地域からの収入がたたれたことで王家の財政は崩壊に向かった.
    軍司令官の暗殺は復讐の悲劇の第一幕に過ぎなかった.それは復讐の連鎖を生んだ.1356年4月,王太子が悪玉シャルルとノルマン貴族たちをノルマンディの首都ルーアンで歓待していたところをジャン2世とその武装兵が押し入った.王太子は父親であるジャン2世に歓待している客ヘの乱暴を許しては名誉を失ってしまうと情けを請うたが,ジャン2世は王命をもって悪玉シャルルとシャルル・デスパーニュ殺害容疑のあるノルマン貴族たちを逮捕させた.王は暗殺の直接の下手人ジャン・ダルクールを自らの手で乱暴に衣服をはぎ取りながら捕らえた.翌朝ジャン・ダルクールは同じく下手人とされた3人のノルマン貴族たちとともに処刑場に連行されたが,復讐の渇望をこれ以上抑えきれなくなった王は突然行列を野原で止め,その場で囚人たちを斬首した.
    ジャン・ダルクールの処刑は(王にとって)賢明とは言えないものだった.なぜならジャン・ダルクールには3人の兄弟と9人の子供がいて,それぞれ北部フランスの有力貴族と結婚していたからだ.王はその貴族たち全体をその中心であるナヴァラのシャルルを完全に排除しないまま敵に回した.ナヴァラのシャルルは当時パリで幽閉されており,後に破壊的な悪玉役を演じることになる.
    この辺の歴史物語はいろいろと楽しい.
    ヴァロワ朝 フランス王朝史2 (講談社現代新書)
    作者:佐藤賢一
    講談社
    shorebird 2024-05-23 11:35 読者になる

  14. 2024/05/24 00:50:19 はてなダイアリー - 弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の 「日々是好日」含むアンテナおとなりページ

    2024-05-23
    「がん「エセ医療」の罠」
    書籍
    がん「エセ医療」の罠 (文春新書 1456)
    作者:岩澤 倫彦
    文藝春秋
    Amazon
    著者から贈っていただきました。ありがとうございます。早速、読んでみました。
    本書で紹介されているすべてが「エセ」かどうかは、素人の私には判断がつきかねますが、感じたのは、医学的に効果が実証されていない治療に飛びついてしまうことで、本来、実証されている治療であれば効果があげられたものがあげられなくなったり、終末期に無用な苦痛を被ってしまう、それに伴い多額の経済的負担も生じてしまうということではないかということでした。
    素人の思い込みや一方的な期待だけで飛びつくのではなく、セカンドオピニオン、必要に応じてサードオピニオンにも耳を傾けながら、慎重に臨む必要があると思いますし、インフォームドコンセントを十分に行い、受けて、リスクを十分に認識した上で治療法を選択する必要もあるでしょう。
    癌で、余命いくばくもない、といった状態になると、藁をもすがる気持ちになることは無理からぬことであり、そうであるからこそ、周囲の協力も得ながら、慎重に臨むべきうだろうと本書を読んで思いました。
    yjochi 2024-05-23 16:08 読者になる

  15. 2024/05/18 04:22:03 メレンゲが腐るほど恋したい含むアンテナおとなりページ

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