1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 次の15件>
503,531
2024年 04月 27日
安樂紀年の維摩詰経題記
数少ない安楽紀年文物として貴重なもの.書道博物館所蔵(のはず).私は池田温編『中国古代写本識語集録』で知ったのだが,沙武田「河西李軌大涼政権瑣記」(2010年の高台学会のペーパーが元になっている)にも紹介されており,未確認だが,磯部彰編『中村不折旧蔵禹域墨書集成』にも収録されており,そこから引いたとおぼしき写真が沙論文にも引かれている.
であれば
1 教育・学校
2 病気・闘病
3 ボランティア
4 韓国語
5 ゲーム
6 投資
7 FX
8 経営・ビジネス
9 ネット・IT技術
10 イベント・祭り
【ネット速度にお困りなら】Wi-Fi 6で速度解消
2024-04-27
Visual Studio Codeでの旧字体・新字体変換
ツール
Visual Studio Codeを使って論文を書くに当たって、私の分野の場合には、「旧字体⇔新字体」の変換ができると非常に有難い。pythonで開発された「kyujipy」をVS codeに組み込むことで、これを実現することができる。
kyujipy · PyPI
pythonとkyujipyをセットアッ
中国の城・町 (3)
前秦 (2)
アド・アストラ (1)
イサック (1)
2024年4月26日(金)
高知県
宿毛市・野中兼山遺族の墓地の墓石が、宿毛市を襲った地震により倒壊していた。[高知新聞]
2024年4月25日(木)
奈良県
奈良市・東大寺の東塔は、高さ70mと推定。奈良文化財研究所4/25発表。[奈良新聞]
奈良県
桜井市・大藤原京関連遺跡で、縄文時代後期の分銅形土偶2点。[奈良新聞]
滋賀県
甲賀市・多羅尾滝の脇磨崖石仏群(たらおたきのわきまがいせきぶつぐん
北野源氏
共同通信の記事;
源氏物語の「ノート」発見 京都・北野天満宮、神職が学ぶ
2024/04/25
学問の神様・菅原道真を祭る北野天満宮*1(京都市上京区)は25日までに、安土桃山時代に神職が「源氏物語」を学んだ際に書き残した「ノート」や、江戸時代前期とみられる写本が見つかったと発表した。特集展示「天神様と源氏物語―知られざる関係―」で公開している。6月30日まで。
詩歌に秀でた道真の慰霊の
「中国のグリーン製品輸出が他国の経済に損害」? 全くのナンセンス
香港特区で「上海グルメフェス」開催
中国南方航空がドイツ行きの定期直行便を就航 東北部初
スマート福祉を享受する高齢者たち 河北省石家荘
蘭州野生動物園パンダ館がオープン 甘粛省
広州交易会に200以上の国と地域からバイヤーが来場 広東省
中米外相会談 中米関係に対する中国の「3つの終始一貫」
パンダ「花花」が成都文化観光局の栄誉局
新着記事 2件(24時間)
伊集院光のタネ(ニッポン放送2024年3月5日)
2024年4月27日(土) 03:51 JST
清岡美津夫
※前の記事 リンク:関羽が敗れた[最大の原因]とは/ゲームさんぽ×三國志 真戦(YouTube2024年3月2日)
2024年3月11日月曜日2時6分、あるラジオ番組をrdiko.jpで聴く。それはニッポン放送にて毎週火曜日から金曜日までの17時30分から18時
4月26
厳 檉
カテゴリ:
成漢
厳 檉(げん てい)
成
李特が事業を起こすと、その属僚とされた。
李雄が成都を平定すると蜀郡太守(*1)とされ、雄が王位に即くと益州刺史(*2)に遷った。
(*1)後蜀疆域志に「蜀郡は成都・広都・繁・郫の四県を領する。」とある。
(*2)後蜀疆域志に「益州は成都・漢原・犍為・汶山・漢嘉・沈黎・江陽の七郡を領する。」とある。蜀中名勝記に「唐盧求の成都記に『蜀郡太
中国武術書フェア
中国武術書フェア
期間:2024年4月27日~5月31日
>>>特設サイト
4/19更新 4/19更新 4/26更新
中国21 Vol.60
中国現代思想
愛知大学現代中国学会 編
東方書店
2,200円
中国現代小説の起点
清末民初小説研究
2024年4月26日: 国内書 今週の新刊・新入荷 紅糖美学/著 金子典正/訳『中国の色彩』 他
2024年4月25日: 東方書店の本 『清張家の才女たち』
2024年4月25日木曜日
吉村府知事の0歳児選挙権発言を見て
・大阪府・吉村知事「0歳児にも選挙権を与えたい」(ガハろぐ)
結論から述べれば、おおよそまともな人間とは思えない発言です。一般人が言ってもおかしいのに、公職に就く政治家がこのような発言をするなんて理解しがたく、なんで大阪の人はこういうやばい人ばかり公職に就けようとするのか、わざと自分の所在地域を貶めようとしているのかという気すら覚えま
2024年04月26日
玄宗が楊貴妃と再会する話
楊太真は生まれながらに左臂に玉環があって、環上には小さな「太真」との二字があり、このため小名を「玉環」といった。
馬嵬の変が発生した後、明皇は朝夕思いをつのらせてひどく窶れてしまった。
一人の道士が少君の術によって謁見をたまわるよう請うと、お上はこれをたいそう手厚く遇し、彼女にもう一度会うことがかなえば死んでも恨むことはないと言われた。
すると道士