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旭丘高校と演劇のアンテナ
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ひごろのおこない
●04/29 01:56 ジャッキー
2003.4.28(月) ウッ殿ナン殿
まるで教会のように
腐敗した生活
読書していない時は授業を受けています。
授業を受けていない時は読書しています、なんて言うのは厚かましいと思って。
非常に恥ずかしい。
実際はそんなにしていません。
していたら恥ずかしくて書けないですよ。
嘘だからこそ恥ずかしげもなく何でも言えるんです
本当のことなんて、
たとえどんなことであっても、
口にできない、
絶対に。
人間の知識は、その大半が、経験から学んだものと伝聞によって得られたものである。
とスピノザは言う。
人間の喋り出すことってほとんどが
自分を守るためか
自分を高く見せるため
じゃんね
或いは何の意味もない。
そんなことを考えたら何も喋れなくなってしまう
何かを口にする度に自分を非難しなくちゃいけない
落ち込まなくちゃ
だから
考えちゃいけないね
「ありとあらゆる種類の言葉を知って、何も言えなくな

枇杷空間
●03/05 01:58 コーラン
医療、倫理、ハンバーガー。そこに見られる自己決定の穴や襞。 2003,3,4
初めてハンバーガーを見た日本の人が、「これは女子(おなご)の胸と股間を示している」と叫んでからどのくらい絶つのでしょう...。その人は既に死にましたが、病院では死んでいません。
脳死にまつわる論議は、別に心身二元論に基づくとは限らず、その図式は実際は「生きているという単なる事実(”zoe”ゾーエ)」と「生の形式・生き方(”bios”ビオス)」の二元論に彩られると見た方がいいと思います。
脳死では、病床に於いて、意識が消え身体が取り残されます。意識と身体の交わり響き合うことが終わるわけです。パーツの売買、贈与は脳死者の生(”vita”)を”zoe”として捉えるから為せる業であり、遺された家族たちの想いは脳死者の生を”bios”として捉えているわけです。
素朴な「自己決定」論は、脳死者の身体をbiosとzoeかに裁断

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