Hatena::Antenna

cgavwbyhのアンテナ RSS OPML

おとなりアンテナ | おすすめページ

  1. 2024/11/08 15:41:06 批評時間含むアンテナおとなりページ

    両論併記と暴力
    「載せるべきではない」「載せること自体が犯罪である」。こうした発言が正当性を持つことはあるのだろうか。あるとしたらどんな時なのか。
    ネットサーフィンしていたら、雑誌『情況』のトランスジェンダー特集をめぐって、出る前から騒ぎが起きているらしいと知った。私はふだん『情況』はまったく読まないのだが、この騒ぎでかえって興味を持ち、amazonで予約して買ってしまった。
    読んで塩野谷恭輔の巻頭論文「トランスジェンダーの権利擁護と開かれた議論のために」の中で、ジュディス・バトラーの『ジェンダー・トラブル』のエルキュリーヌ・バルバン論に言及していたのが(具体的な中身には触れていないので、手記自体は読んでないのかもしれない)、個人的に気になった。私はかつて『重力02』でフーコー編のバルバンの手記と医師の解剖所見を翻訳し、付論的批評を載せたことがあった。当時『重力』の参加者たちは、どうしてこんなことをするのかと、これに何も反応を示さなかったし、読者からの反響もまったくなかった。そして鎌田哲哉氏が私とはもうやっていけないと宣言して(私の『重力』への参加態度や人格が問題だとメーリングリストで糾弾された)、私は次の『重力』から外れることになったので、バルバンについて共同討議する機会もなくなってしまった。
    『重力02』は「68年」を特集しており、ジェンダーの問題は取り上げるべきだという問題意識もあったのだが、誰にも理解されなかった。仄聞するに、浅田彰も、なぜこんな翻訳をするのか分からないとどこかで私を批判していたらしい(その文章を読んでいないが)。今改めて自分の翻訳と解説文を読み返すと、それ以前に書いたシュレーバー論からの流れで私の中では必然だったと分かる。しかし同時にこれ以上は進めない行き詰まりだったとも思う。私は他者とわかり合えない「平行線」の体験というものを考えてみたかったのだが、それを考えること自体が「平行線」にならざるを得なかった 。
    しかし現代においては、かつて「平行線」とされていた(それ故に文学的に美学化され抒情の対象となりえた)ものが、「今ここ」で(倫理的政治的に)交わらなければならないとされてきている。『情況』のトランスジェンダー特集をめぐる騒ぎはその一つの徴候と言えるだろう。ネットには9月20日付で「『情況』に関する声明」というアピール文が、「読者・寄稿者有志」の署名の下に公表されている。
    声明によれば、「特集に寄稿したLGBTQ当事者のひとりは、事前に特集テーマを正確に伝えられず、ヘイトの権利の主張と並べられるとは思わなかったと告発している」とのことで、「編集部は原稿依頼にあたってテーマや構成の概要を正確に伝え、執筆者が自ら判断する機会を保証すべきであった」のに「それをしなかったことは、編集部に「開かれた議論」を誌面において実現する気がそもそもなかったのだと判断せざるをえない」と批判されている。具体的にどの論考が「ヘイトの権利の主張」なのかは書かれていないが、とりあえず佐藤悟志「トランスヘイトの自由こそ基本的人権である」は、そのタイトルからして、「ヘイトの権利の主張」をしていると言える。実際内容的にも、「共産主義」と「ポリコレ左翼」を一緒くたにして罵倒する問答無用のアジテーションだが、注目されるのは「共産主義を憎むのは人間として当然であり、共産党にNOを言うのは人類の責務である」というように、それが「人間」「人類」という概念を自明の前提としていることである。佐藤は「ヘイトとはそもそもラブやライクと対になる原初的な人間感情なのだから、それを規制するポリコレ策動はまさに自然な感性を奪い取り、人間性そのものを否定して人民を奴隷化する「政治的ロボトミーだと言っても過言ではなかろう」と述べるが、私は日本人(そして少なくとも漢字文化圏の東アジア人)は、ポリコレ以前、共産主義以前から原初的に「ロボット」だと思っているので、考え方が違う。
    佐藤は北朝鮮や中国の独裁体制を批判し、それらを積極的に打倒する運動にコミットしている。以前私を外山恒一になぞらえてレッテル貼りをする人がいたが、ありうべき誤解を避けるべく言えば、私の「東アジア同時革命」論は、佐藤とも相容れない。「東アジア同時革命」の理念に照らすなら、北朝鮮や中国の専制主義を転覆するべきなのは、そこに住んでいる人々自身である。日本人は、それと連動する形で自らの天皇制を廃止すれば良い。佐藤は天皇崇拝者であることにおいて東アジア的専制主義者である。少なくとも「言論の自由」というなら、現在皇居前で天皇制廃止の街宣活動ができるのかどうかを問うことから始めるべきだろう。
    塩野谷氏は前掲の『情況』巻頭論文で、「当事者への寄り添いが損なわれるリスクがあるなら言論規制もやむなし」か「たとえ当事者

  2. 2024/10/19 03:36:39 ララビアータ含むアンテナおとなりページ

    ベンヤミンにおいては、鋭い直感が、不十分な哲学的裏付けを伴って提示されるので、ことさら秘教的なものになっていることが多い。例えば初期の言語哲学。それがフッサールの『論理学研究』に対して批判的であることは当然予想されるとおりだが、だからと言ってまさかのName中心の言語論、それも固有名詞中心の言語論とはいかなることか?もちろん彼が、フレーゲに始まる言語哲学的転回を知らないのは致し方ないとしても、このままでは偽なる有意味な命題の扱いすらままならない。神による命名という神学的テーマにインスピレーションを得ているにしても、このように乏しい道具立てで言語哲学に挑戦しようとするのは、どんな勝算があると思ってのことなのか?

  3. 2022/01/01 21:02:36 日記含むアンテナおとなりページ

    Copyright (C) 2001-2022 Hatena. All Rights Reserved.

  4. 2021/07/08 22:53:19 秋日和のカロリー軒 - Yahoo!ブログ含むアンテナおとなりページ

    © Yahoo Japan