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ある白人の男やもめの告白
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小市民的三確マニュアル - livedoor Blog(ブログ)
●01/03 18:48
2010年01月03日
麻雀ブログ大賞についての雑感
あんまり名前がよくなかったんじゃないかと思う。それだけ。
あとは管理人音無さんがどう感じたかってことに尽きるし。
「現状の麻雀界がどうか?」
っていうのはあまり重要じゃなくって、主催者の目から見た世界がどうなのかってのがこの大会の意義だと思うから。
今回の結果を次にフィードバックできるのは音無さんしかいないんだし。各参加者の所感はオマケにすぎない。
賞品が出てるからそういう見方はどうなの?って声もあるかもしれないが、いいじゃん、これぐらい。
wiiを取れなかったから歯ぎしりして眠れない夜を過ごしている参加者なんて多分いないよ。
次回も開催されるのであれば参加させていただく所存ではあるが、それは自分のブログの宣伝でもなく、ましてや現状の麻雀界を憂いているとか大層なことでもなく、単に月刊ネット麻雀に対する恩義で参加するだけだ。
いやまあちょっとはwii欲しいけど。松嶋菜々子がCMでやってるゲームとか微妙に興味あるし。

Doblog - ネット麻雀ブログ -
●04/24 14:53
2008/08/30のBlog
麻雀と特許(菅直人の巻)
[ 17:50 ] [ 【麻雀随筆】 ]
[ スライドショウ ]
表題の件、随筆にしました。
麻雀は1860年前後に清(現在の中国)の陳魚門が発明したといわれてます。
偉大なゲームの発明に感謝です。謝謝!
発明といえば特許です。特許法によると発明とは
「自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のもの」をいいます。
「高度なもの」は特許を取得することができます。
ちなみに高度ではないものでは実用新案を取得することができます。
発明を文章にして、特許庁にしかるべき手続きを行い、
特許庁の審査官が発明だと認めると特許が取得できます。
日本が先進国である大きな理由は技術にあり、特許はその技術の証になります。
そのような事情により、理系の日本人には特許を取得している人が大勢います。
平成3年頃以降のものは下記URLの特許電子図書館で氏名を入力して検索できます。
http://www2.ipdl.inpit.go.jp/BE0/index.html
ところで政治家の菅直人さんは、麻雀の点数計算機で特許を取得したことでも有名です。
http://museum.takeshobo.co.jp/houmotsu/up/b03.html
http://ikasama-shi.at.webry.info/200604/article_13.html
http://www.asamiryo.jp/mtk117.html
「麻雀の点数計算機(特公昭51-019383)」と
「麻雀の点計算表示装置(特公昭58-017632)」の二つです。共にもう一名との連名です。
下記URLに特許電子図書館から取得したものを置いておきます。
http://mahjongkun.hp.infoseek.co.jp/kyoukai/etc.html
肝心の「麻雀の点数計算機(特公昭51-019383)」の実用性ですが、
麻雀牌セットに一緒に付いている早見表(紙切れ一枚)よりも劣るものです。
早見表を見れば判る点数計算を、わざわざ点数計算機で符と飜を入力するのは
かえって面倒なだけです。実用性はゼロのオモチャなのです。
従いまして「コラ!こんなことに税金(特許庁の審査官の労務費など)を使わせるな」と
ツッコミを入れるのが正論かと思われます。
しかしこの特許出願から35年が経過した現在、
この特許公報と点数計算機(麻雀博物館にて所蔵)の写真をあらためて眺めてみますと、
とても味わい深いものがあります。菅直人さん、グッジョブです!!
菅さんといえば国民へのプレゼンテーションが上手な政治家です。
O157騒動の時には記者会見の場でカイワレのサラダを
美味しそうに食べて安全性のアピールを図ったり、
閣僚の国民年金未納が相次いで発覚した時には、
「“未納三兄弟”っていうんですよ」とかっこよく閣僚を追い込んだにもかかわらず、
実は自分も未納であったり、反省して四国八十八カ所巡りを行ったり・・・
愛すべき人です。
菅さんの卓越したプレゼンテーション能力のルーツは、
学生時代に作成した麻雀の点数計算機の特許にあるのかもしれません。
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発行責任者 麻雀くん
ホームページ http://mahjongkun.hp.infoseek.co.jp/
ご意見・ご感想は、
→ mahjongkun@yahoo.co.jp(メール)からどうぞ。
発行システム 「まぐまぐ」 http://www.mag2.com/ ID:0000117339
バックナンバー、配信登録・解除・変更は、
→ http://mahjongkun.hp.infoseek.co.jp/ からどうぞ。
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[ 更新日時:2008/08/30 17:53 ]
この記事のURL: http://www.doblog.com/weblog/myblog/4916/2482040#2482040
[ ↑ページトップ ]
2008/08/16のBlog
麻雀の選挙ポスター
[ 06:08 ] [ 【麻雀随筆】 ]
[ スライドショウ ]
MSN相談党なるところで選挙ポスター風のものが作成できるとしり、さっそく試してみました。
http://questionbox.jp.msn.com/soudantou/
いつか麻雀に関する事柄が、選挙の争点になれば素敵だなと思います。
[ 更新日時:2008/08/16 06:13 ]
この記事のURL: http://www.doblog.com/weblog/myblog/4916/2482039#2482039
[ ↑ページトップ ]
2008/08/13のBlog
赤塚不二夫とタモリと麻雀
[ 11:31 ] [ 一般ニュースに見る麻雀 ]
[ スライドショウ ]
表題の件、随筆にしました。
「天才バカボン」などで人気のあった、漫画家の赤塚不二夫さんの葬儀での、
タモリの弔辞が感動的であったと話題になりました。
麻雀愛好家としましては、特に以下の部分がぐっときました。
「赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。麻雀をするときも、
相手の振り込みであがると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、
ツモでしかあがりませんでした。
あなたが麻雀で勝ったところを見たことがありません。」
http://jp.youtube.com/watch?v=EEbcF__-jSo
「麻雀人国記(灘麻太郎著)」によると、タモリの「四ヶ国語麻雀」は、
赤塚宅でのギャグ入り麻雀がヒントになったらしいそうです。
http://jp.youtube.com/watch?v=3Kc8ihYxBkY
「天才バカボン」は大好きです。特にバカボンのパパが、理不尽?なことに対して、
「いつ国会で決まった?」と反抗するところが大好きです。なぜかほのぼのします。
バカボンのパパの心を受け継いだのか、エモヤンこと江本孟紀さんは、
賭け麻雀の金額は「どの範囲ならいいのか」と国会で質問して物議をかもしました。
江本氏も漢です。
http://archive.mag2.com/0000117339/20061029173000000.html
この弔辞、四ヶ国語麻雀そして国会答弁を麻雀遺産に登録します。これでいいのだ。
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<タモリの弔辞(全文)>
8月の2日に、あなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、
ほんのわずかではありますが、回復に向かっていたのに、本当に残念です。
われわれの世代は、赤塚先生の作品に影響された第一世代といっていいでしょう。
あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクターは、
私達世代に強烈に受け入れられました。
10代の終わりから、われわれの青春は赤塚不二夫一色でした。
何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、
歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていたときに、
あなたは突然、私の眼前に現れました。その時のことは、今でもはっきり覚えています。
赤塚不二夫が来た。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。この突然の出来事で、
重大なことに、私はあがることすらできませんでした。
終わって私のとこにやってきたあなたは
「君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。
それまでは住む所がないから、私のマンションにいろ」と、こう言いました。
自分の人生にも、他人の人生にも、影響を及ぼすような大きな決断を、
この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。
それから長い付き合いが始まりました。
しばらくは毎日、新宿のひとみ寿司というところで夕方に集まっては、
深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタをつくりながら、
あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。
お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。
ほかのこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、
未だに私にとって金言として心の中に残っています。そして、仕事に生かしております。
赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。麻雀をするときも、
相手の振り込みであがると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、
ツモでしかあがりませんでした。
あなたが麻雀で勝ったところを見たことがありません。
その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。
そのためにだまされたことも数々あります。
金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。
しかし、あなたから後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたことがありません。
あなたは私の父のようであり、兄のようであり、
そして時折見せる、あの底抜けに無邪気な笑顔は、
はるか年下の弟のようでもありました。
あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀のときに、
大きく笑いながらも目からぼろぼろと涙がこぼれ落ち、
出棺のときたこちゃんの額をピシャリと叩いては「この野郎、逝きやがった」と
また高笑

東風戦メンバー戦記
●03/23 08:08
2009-03-15 03:41:50
55「代走」
十年前、メンバーに就いた最初の日、初めての代走をした。
当時の店長が、新米の私に練習で打たせたのである。
西家でバッタの聴牌をした。
昔は代走の心得というものがそれなりにあって、鳴くな、打つな、リーチをするな、と言われていた。
緊張に体を強張らせながらダマにしていた。
親がをツモ切って、私は震える声で和了りを宣言した。
「ロ、ロ、ロンです――」
すると親が顔をしかめ、喚き散らした。
「なんだその言い方は――。ポンロンだな。チョンボ!」
動揺する私を店長は優しく制し、いいよいいよ、と笑って罰符を支払った。
若い私は冤罪にうなだれたが、発声が拙くてトラブルを起こしたのは事実だ。
店長が教えてくれたのは――、代走を頼んだ人間は、どのような結果になろうとも黙するべきだということである。
店長も、自身が代走の難しさを分かっているからこそ、私の負担にならぬよう、軽く流してくれたのだろう。
ただそれを、全ての客が理解してくれるものだろうか?
先日、常連の代走に入ったときのこと。
ドラがで、序盤に対面がカンを引っ掛けていた。
ドラ
そして道中、対面が手出しでを切る。
タンヤオを否定する、傷である――。
以外の役牌は場に枯れていた。
その後、少考して打。をポンして、もう1枚手出しの――。
ドラ
河はこのようになっている。
代走の私の手牌はこの形。
ドラ
対面は、との片和了りバッタで間違いないだろう。
そこへ、私の上家が、を河へ放ってきた。
「――!」
同巡私は不要牌を引いてきたが――、ドラのを切るなら今しかない。
しかし、代走でこの手牌から生牌のドラを手放すこと、それがどのような結果になろうとも、
それを甘受するよう客に強いることが当たり前なのだろうか。
結局私は、を握り潰して降りた。
流局して開けられた対面の手牌が、予想と寸分違わずとも、むしろそれは悲しい符合でしかなかった。
ドラ
戻ってきた客は、無論何も問うことなくノーテン罰符を支払った。
昨今は、代走にも特に規制を設けない所が多い。
代走の仕掛けや和了りに対して、周囲も寛容になってきた風潮はある。
それでも万人に対し、代走の自由を主張することは難しい。
放銃すれば、頼んだ客も不満だろうし、和了ったとしても他の3人はいい顔をしないものだ。
誰もが店長のように思ってくれるわけもない。
代走の制約は過去の悪しき風習かもしれないが――、
下らない文句を一手に受けないように、出しゃばったことをしないのも一つの方策なのだ。
客の意識を改革するより、その方が安易なのだから。
自嘲気味に言えば――、それも代走の自由じゃないか。
店長僕は、間違っていますか――。
54「アルカイック・スマイル」 02月23日
52「ひとりの大会」 01月02日-51「尾のある店」 11月29日

4.<前3 6.次3>

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