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2025-05-08『消費される書物』 ⅢⅢこうした書物=物語の位相を「大衆文学」という言葉で称んでおこう。それではなぜ「大衆文学」なのか。それは所謂「純文学」という領域が作家、批評家、あるいは文壇という生産の場において占有されるとしたら、「大衆文学」の地平は絶えず読者の場に位置し、読まれ消費されるという原則に支配されているからだ。それは各々側の作家たちの発言にも表われている。「純文学」の側