▽〒ハリマ日手紙〒 ●04/27 12:53 2009年01月10日ふじさんものすごく眠かったけど、寝ずに待ってた甲斐があり、富士山がきれいに見えました!もうこれで今回の旅、8割方満足です。subekaraku at 09:34|Permalink│Comments(1)│TrackBack(0)│clip!トーキョーブックマークのたび7:13新大阪発のひかり360号に乗り、いまもう名古屋を過ぎ、豊橋に到着しようというところ。天気は雨上がりの晴れ。富士山見たい。見えるかな。Cはすでに京都ぐらいから寝ており。今回のトーキョーブックマークの旅で、ぼくはなにをブックマークできるだろうか。なんだか東に向かうに連れ、緊張してきた。subekaraku at 08:39|Permalink│Comments(1)│TrackBack(0)│clip!2008年11月01日なにがだいじかごめんなさい。どうやっても、ぼくの、今の技術じゃ、日本語のルールである、「文の冒頭はひと文字空ける」という芸当すら、ケータイから更新しようとすれば、不可能なのです。こんな希望的基本的なことが。あの、もっと、毎日、日手紙を更新したいのです。今週はバカみたいに、バカみたいな日々でした。母が火曜に、3度目の抗がん剤治療。金曜に退院しました。でも、母はすっかりなんだか生きる気力をなくしています。「彼と別れた」とか、10代みたいなことを言っており、嘘ではないのでしょうが、基本的には、良くも悪くも母の築いてた間関係が浮き彫りになっているのです。subekaraku at 02:14|Permalink│Comments(0)│TrackBack(0)│clip!│ケータイから2008年09月25日いったりきたりwith徹夜ケータイより更新。昨日(9/24)の朝8時から、バタバタと動き回って、今(9/25 23:
▽D’s BLOG ●04/04 13:29 デモクラシーについての二つの古典的演説初年次演習のための教材をということで、こういうものを作ったのですが、利用のための手引きを書けというので以下のようなものを書きました。******************************誰もが知っているにもかかわらず、扱いが非常に難しいデモクラシーという概念を論じる際のポイントを大づかみに理解することを目的に、理想的な政体としてのデモクラシーを論じた代表的な二つの演説を挙げた。重要な史料を、その歴史的背景を踏まえて解読し、レポートにまとめて報告するという基礎的な訓練のための素材だと考えていただきたい。この二つの演説を読ませて比較させるというのは、アメリカの大学の一般教育でよく用いられる課題である(したがって、この二つの演説をウェブで検索すると英語圏のレポート業者の解説サイトがたくさん出てくる)。この二つの演説が、どういう目的のために行なわれ、どういうレトリックが用いられているか、両者の共通点と違いはどこにあるかということをまずは踏まえる必要がある。主なものを列挙すれば、どちらの演説も基本的には戦意高揚を目的としている。ペリクレスもリンカーンも、聴衆との一体感を醸し出すために一人称複数の代名詞「われら」を多用している。ともに自分たちが正しい側にいることを主張し、その根拠として祖先や建国者の偉大さを讃え、さらには批判や反論を封じるために戦没者の犠牲の尊さを讃える。いずれも後世の政治家に引き継がれることになる古典的なレトリックであり、政治家の演説とはどういうものかということを考える教材としてもこの二つの演説は優れている。二つの演説の違いは、デモクラシーの両義性(わかりにくさ)を示唆している。ペリクレスが念頭に置いていたのは対外戦争の勝利であり、敵対する諸外国こそがデモクラシーの敵ということになる。しかし、リンカーンが念頭におい