kinshiganのアンテナ
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▽非営利・協同総研いのちとくらし●01/07 07:43 最終更新2025年01月05日『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター』(246号転載)(PDF)(01月05日)
▽古書ますく堂のなまけもの日記●01/03 08:26 2025-01-03本日お休みですmask94421139 2025-01-03 08:26 読者になる広告を非表示にするもっと読むコメントを書く本日▼ ▶20252025 / 1
▽bloc: HIKASHU and Makigami live information●01/01 09:20 ページ内ジャンプ: 最近のリリース|今後(01月, 02月)|過去(昨日, 今月, 先月)イベント 1/11(土) 声の冒険ワークショップ〔巻上公一〕ライブ 1/18(土) さるはげロックフェスティバル〔巻上公一と熱海サンビーチ〕ライブ 1/25(土) マンスリーマンスリヒカシュー アルジャンとは泉の湧くところ〔ヒカシュー〕ライブ 1/26(日) Christian Meaas Svendsen - Kresten Osgood - Andreas Roysum〔Koichi Makigami〕イベント 2/1(土) 声の冒険ワークショップ〔巻上公一〕ライブ 2/7(金) 自由なコンサートシリーズ ロジャー・ターナー、巻上公一 熱海でデュオ〔Roger Turner Koichi Makigami〕
▽批評時間●12/29 15:43 肩書きについて私は「……手」という言い方が好きではない。「語り手」も嫌だが、「書き手」という言葉も気持ち悪い。「手」というのは比喩であり、手が語るわけでも、手が書くわけでもない(手で書くと言うべきだろうが、現在は手で打っていることが多い)のだが、この修辞には日本人が自然に身につけている非人間主義(自分を機械的道具と見なすと安心するロボット性)がにじみ出ているよう感じる。そんなことを改めて思ったのは、たまたま文芸雑誌を見て星野智幸の「書き手の存在理由について」(「文學界」2025年1月号)という文章を読んだからである。この文章は、「LGBTQ+差別に反対する小説家の声明」に対するリアクションとして書かれているが、次のような露骨な特権意識に驚かされた。「私たち小説を書く者は、植物毒に精通した専門家が初めて薬を作れるように、言葉の毒性を良く知悉しているがゆえに、それを薬として作品にできるのだ
▽水曜文庫の日記●11/01 13:25 この広告は、90日以上更新していないブログに表示しています。
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