kyonususanのアンテナ
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▽元寇失敗の背景●06/13 18:03 1274 日本遠征 〓@元より造船命令来る〓D元の日本遠征軍到着。 〓I元軍襲来(文永の役)
1281 日本再征 〓D東路軍、合浦より出発 〓E元軍襲来(弘安の役)
〓@ 「八幡愚童訓」という鎌倉末期の歴史書に「合戦の翌日(10月21日)朝、海の方を見ると、モンゴルの船は一艘もなく皆帰ってしまった。今日はいよいよおしまいか、と嘆いていたのに、どうしたことか、と泣き笑いをした」とある。
〓A 現代、過去50年の気象データからみると、元が来襲した10月20日(太陽暦では11月20日)には台風が来た事例はないし、信頼できる史料にその日に暴風雨が起きたことは確認できない。
<ヒント> 〓@で「どうしたことか」と不思議がっている点に注意して下さい。
〓@ 当時、日本と最もさかんに貿易を行っていた国はどこだったでしょう?
〓A 執権北条時宗ら幕府首脳が厚く帰依した僧侶はどこの国の人たちだったでしょうか
▽きままに歴史 元寇と高麗●06/13 03:07 高麗王元宗の子、 〓ェ(しん、後の忠烈王)がフビライの前に参内し高麗に帰る際に、こう進言した。
『世子 〓ェ云、「吾父子、相継朝覲、特蒙恩、宥小邦人民、得保。遺瞧 感戴之言不可。既 〓ェ 連年入覲、毎荷皇恩、区々之忠、益切致効。惟彼日本、未蒙聖化。故発詔、使継糴軍容。戦艦兵糧、方在所須。儻以此事委臣、庶幾勉尽心力、小助王師。」』
「世子 〓ェは言った。『私ども父子は相次いで天子の前に参内し、ひときわ御恩をこうむり、私どものような小国の人民をなだめていただきまして、国を保つことを得ました。目もくらむばかりで、戴いた事への言葉もありません。すでに私は連年して参内しております。つねに陛下のご恩を受け、ささやかな忠義をあらわしたいと切に思っているところでございます。思いますに、あの日本は、いまだ陛下の聖なる感化を受けておりません。ゆえに命令を発して我が軍の装備や糧食を整えさせました。
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