▽D E C A L O G U E ●02/06 15:28 山下望 2013年2月6日水曜日 アンリアレイジ展 なぜか例年年末年始は部屋の片付けの片手間に読み直す&積み崩すSF祭りが並行して始まるようになっている習わしなのだが、北野勇作『かめくん』(河出文庫)はほのぼの四コマ漫画みたいなノリで読み終わるのかと思いきやかめくんが暮らすアパートや商店街の何の変哲もない日常の世界観が次第に未来の戦争の影で多重化していって何よりも機械カメが「見た・聴いた・食べた・触られた」感覚がデータとして保存される「硬い甲羅」の中で眠っていたり浮かび上がったりで揺らぐ人間のものではない「記憶」の質感がほのかに抽象的な電子音のメロディーにかき立てられるような感情の軋みを響かせるという少し不思議な異色短編集だった。『ヒトは夕焼けを見るとわけもなくそういう気持ちになるように出来ているのだそうだ。/そうなのだろうか。/そんなものがカメのなかにもあるのだろうか。例えば、この甲羅のなかにーー。』(58p)こういったどこに仮想じゃない意味があるのかわからない撤去作業員として疲弊・摩擦したり誰かと好きなものについて会話しているだけで嬉しくなったりというような、遠い「吾輩は猫である」から引用すると『呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする』ような繊細な動きを演算・記録するかめくんのかめくん的な擬音の響きでそれぞれ立ち上げ方は異なるけど、模造知覚の「官能的」な描写は『ラギッド・ガール』と引けをとらないように思った。あと『かめくん』について高橋源一郎が何か書いていた憶えがあって大掃除のついでに家中に散乱していた高橋源一郎の本をかき集めて全部チェックしたのだがどこにも見つからず、どうやら「たけのくんのゲーム」という題の竹野雅人『山田さん日記』なる全然違う別の小説についてゲームやメタフィクションと絡めたエッセーと入れ替わっていたようなのでかくも記憶とは時間の経過であやふやに書き換わるものである。俺がうっかりしているだけという説も根強いけれどもまあ