▽somewhere in space ●06/19 22:42 上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。
▽FORM_Story of design(... Kato Takashi weblog) ●05/28 13:56 21世紀のメルツバウ石コロ、彫刻、絵葉書、陶器、お椀、ペインティング、合板の抜け殻。それらの台座的な何かと額縁的な何かの上での偶発的な出合い。そしてこれらのものは一個人ではなく万人でつくられるものではあるが、あたかもロマン主義的な一遍のポエムのように何かしらの法則も求められてもいる。ギャラリー中央に屹立する台座であり額縁の役目も担った二本の柱。天井までとどくこの柱は中世の大聖堂のあるいは伽藍を支える列柱のようだ。これは真新しい普通のアパルトマンの一室に退廃的な何かを出現させてしまった、クルト・シュヴィッタースのメルツバウ的な何かだったのかと思う。秩序、混沌、イメージ、どこまでいっても常軌を逸脱した形成途中の何か。そこには代わる代わる誰かが足を踏み入れては征服した気になっては即座に逡巡させる。だがそちらからは何も提供してはくれないこれらのものを前にして感じるのは、不安、孤立、分散、空
▽cityofsound ●05/12 05:22 City of Sound.1 minute·March 1, 2002·FilmI’ve been checking out this discussion at kottke.org (pointed to by Matt Jones). I’m less interested in the ‘validity of blogging as journalism’ argument and more interested in the ‘blogsgoogle as emergent knowledge management’ angle, but they’re linked in some way (the former gets lodged in a discussion about the merits of journalism though.) Interes