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  1. 2024/11/24 07:32:58 Season Locker Rentals | Diamond Peak Ski Resort含むアンテナおとなりページ

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  2. 2024/11/01 14:01:31 神奈川県・勤労者山岳連盟含むアンテナおとなりページ

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  3. 2022/01/19 19:58:26 後立山と頚城の雪崩情報含むアンテナおとなりページ

    後立山と頸城の雪崩 VER33:最終更新2019年06月09日
    私は山スキーを始めたころから、雪崩遭難の新聞記事等をそれとなく集めてきました。まだ完全なものではありませんが皆さんの役にたつと信じて公開します。人的被害のないものも、情報として含まれています。また範囲は、後立山、頸城に限定していますが、特にスキー関係には限っていません。
    雪崩はどの斜面でも起こり得ますので、ここだけが危険ということではないと思います。
    雑誌記録&新聞記事を整理したものです。誤り、追加情報などがありましたらお知らせいただければありがたいです。
    2002年2月 北海道雪崩事故防止研究会編の「決定版 雪崩学」が山と渓谷社から出版されました。
    巻末に「全国山岳雪崩発生地点地図」が編集されており、これは後立山連峰だけでも90件の情報があり、他山域の情報もほぼ網羅しており大変有用なものと思います。ご一読をお勧めします。
    それを見れば、この頁など不要なわけですが、自分なりにコメントできるものを追加していきたいと思っております。
    後立山へ 頸城山群へ トップページに戻る
    後立山 新しいものを上に表示するようにしました。
    発生年月日 場所 被害状況 備考
    2017年1月2日(月)
    午後1時10分ころ
    白馬八方尾根北面 長野県の男女 3人パーティーのうち1人が巻き込また。
    同行者2名がビーコンにより捜索。25分後に救出した。県警ヘリコプターで松本市内の病院に搬送されたが意識不明の重体。
    白馬村ツアーガイド会社の関係者
    ビーコンによる捜索が行われなかったら、間違いなく死亡している例と思う。
    2015年2月14日(土) 爺ケ岳白沢天狗山 長野県の男性 2人パーティーのうち1人が巻き込まれ、行方不明になった。
    16日午後1時31分標高1950m付近で行方不明の男性を発見。ヘリコプターで山麓に搬送されたが、死亡が確認された。
    幅約30mの雪崩に巻き込まれ、立木に衝突した。
    2014年12月17日 八方尾根南面崩沢 人的被害なし 動画が撮影され、ネット上に公開されたため、「白馬が大変だ!」と話題になったが、崩沢自体は雪崩の常襲エリアであって、何か特別なことが発生したわけではない。
    2014年3月21日(金) 栂池鵯峰南面 千葉県の男生 5人パーティーのうち3人が巻き込まれた。
    2人が病院に搬送されたが、70歳の男性が死亡した。
    21日朝より大雪警報
    2013年4月27日(土)
    午前10時半ころ
    白馬岳白馬大雪渓
    白馬尻小屋から150mほど上がった標高1700m付近
    岐阜県の男女 6人パーティーのうち4人が巻き込まれた。
    3人は直後に救助されたが、1名行方不明。
    28日に発見 死亡が確認された。死因は窒息死
    直後、山口県の2名の行方が分からなくなっていることが判明。警察は捜索を続行
    5月6日と19日に遺体を発見した。死因は窒息死
    雪崩の規模は目測で、幅40~80メートル、
    長さ500メートル
    前日からの積雪が50cmほどに達し、当日も吹雪いていた。
    警察では登山自粛要請を出すことに決め、猿倉荘で呼びかけを開始。
    岐阜県パーティーは山スキー ビーコン携行
    山口県パーティーは主稜登攀の計画 ビーコン不携行
    事故の詳細が岳人814号116頁に記事として掲載されている。
    2012年5月13日(日)
    午後0時半ころ
    鹿島槍ヶ岳北俣本谷 スキー滑降中
    1名が巻き込まれ、標高差300mほど流される。
    無傷 山スキーML上に詳細な報告あり
    ご本人のブログに驚異的な動画あり
    2012年1月28日(土)
    午後0時半ころ
    遠見尾根小遠見山犬川 地蔵の頭 地蔵の頭から犬川に滑降
    2名が巻き込まれ、1名行方不明
    午後5時半過ぎ 遺体で発見 「滑降禁止場所を滑っていた・・」という、認識の誤った報道多い。スキーは管理されたスキー場でやるもの、という勘違い報道。
    山スキーには、滑降禁止場所も、滑降許可場所も存在しない。
    2011年4月29日(金)
    午後16時ころ
    白馬岳白馬大雪渓 標高2500m付近
    登山者 9人が巻き込まれ3名が病院に搬送されたが1名は死亡 2名が骨折などの重傷
    翌30日の捜索で新たに1名の遺体を発見
    9人のパーティーは、白馬岳に向かっていたが悪天候のため下山を開始。
    その途中で雪崩に遭遇
    2011年3月11日(金)
    午後15時ころ
    小日向山 詳細箇所不明
    スキーヤー&ボーダー 3名
    夕刻になっても戻らず。
    捜索したところ翌12日1名遺体で発見。
    翌々日13日残り2名遺体で発見
    3名のうち2名は白馬でスキー、ボードのガイドをしているエキスパート。1名はその友人。
    発生時間からみて、東日本大震災のゆれにより、雪崩が誘発されたものに巻き込まれた可能性が大きい。
    2010年3月14日(日)
    正午
    杓子岳双子尾根
    ジャンクションピーク直下標高2550m地点南東面の雪稜
    単独のスキーヤー
    自身のトリガーによるスラブ雪崩
    サイズ2が発生。
    尾根上で少し体をもっていかれたが、反転してバイルで制動でストップ。反転の際アイゼンでふくらはぎを軽傷
    山スキーMLの報告より
    2009年1月25日(日)
    正午過ぎ
    八方尾根無名沢(八方沢)
    標高1800m付近
    4人グループの先頭を滑っていた山スキーヤー1人(41)が巻き込まれ埋没
    仲間によりビーコンにて捜索、救出
    骨盤を骨折するなどの重傷 幅約500m、長さ1km
    当時は快晴
    被害者は、ビーコンを装備しており同行者が救出
    ビーコンによる救出例が多くなってきた。
    2008年4月12日(土)
    午後15時30分ころ
    爺ヶ岳扇沢
    山スキーヤー1人(36)が巻き込まれ死亡 被害者は、ビーコンを装備しており同行者(2名)が救助したが死亡 当日は午前中は晴れ 午後から気圧の谷の通過で曇りや霧
    2008年2月3日(日)
    午後16時ころ
    小谷村栂池高原スキー場
    「林間コース」
    ゲレンデスキーヤー7人が巻き込まれ2名が意識不明(後日2名死亡)。2名軽傷。 ゲレンデ内。林間コースといってもゲレンデの外ではなく、ゲレンデを連絡する、夏季の林道を利用したもの。当時雪崩の危険のため立入禁止表示。
    前日から長野県中南部で降雪。
    長野ではカミ雪と呼ばれる、中南部中心の降雪があった。
    2007年4月28日(土)
    午後13時ころ
    白馬岳大雪渓2450m付近
    大雪渓周辺で大小の雪崩頻発
    山スキーヤー2人が巻き込まれ自力で脱出。下山 大雪渓周辺で大小の雪崩が頻発していたようだ。
    当時は前線が通過中で、時折日が差す曇りから急変して雷混じりの吹雪。
    翌日入山した金沢の早川さんが装備が散乱しているのを発見しているので、28日大雪渓を登行中であった登山者はなんらかの形で遭遇したようだ。
    2007年4月15日(日)
    午前10時30分ころ
    針ノ木岳マヤクボ沢 山スキーヤー2人が巻き込まれ1人重傷、1人軽傷 針ノ木岳マヤクボ沢で雪崩が起き、山スキーをするために歩いて登っていた2人パーティーが巻き込まれた。県警ヘリコプターで救助され、東京都小金井市の男性(34)は左足を骨折、東京都調布市の男性(34)は左腕打撲の軽傷を負った。
    大町署によると、雪崩は山頂に近い標高2620メートル付近で発生し、幅約30メートル、長さ約200メートル。現場付近には30-40センチの新雪が積もっていた。
    現場近くにいた別のパーティーが雪崩に巻き込まれる2人を目撃し、携帯電話で警察に通報した。
    当サイトにリンクしている長野市の塚田さんが鳴沢岳から目撃し、写真を掲載している。
    塚田さん撮影の写真
    塚田さんの鳴沢岳の記録
    また、山岳ガイド 江本悠滋さんが当時現場で救助に当たっており、ブログに詳細な状況がある。ご本人の了解を得ていないのでリンクは控えますが、検索エンジンで検索可。
    2006年5月1日
    午前11時30分ころ
    針ノ木雪渓中間部 山スキーヤー5人が巻き込まれ2人が死亡 当時は小雨。直後にとおりかかったスキーヤーが扇沢に下山して通報
    2006年4月9日
    午後1時10分ころ
    遠見尾根一の背髪北谷 山スキーヤー12人のうち6人が巻き込まれ、2人死亡 2人重傷
    2006年4月8日
    栂池天狗原付近 8日栂池自然園からスキーで蓮華温泉に向かう途中ルートを失い、途中で雪崩に遭遇。
    5人が巻き込まれ、装備を紛失。その後ビバーク中に3人凍死 1人重体
    1人救助を求めて自力下山 不明な点が多い。報告がほしい。
    場所が不明確
    なぜまともなビバークができなかったのか
    2005年12月31日
    午前7時50分ころ
    白馬コルチナ国際スキー場
    ゲレンデ外 雪崩危険箇所点検中のスキーパトロールのアルバイト男性(27)が大けが。 人為雪崩の発生作業中上部からの雪崩に巻き込まれ150m流される。
    2004年4月9日
    唐松沢3峰Aルンゼ出合付近 スキー滑降中の1名死亡 2日前に積雪あり、当日は快晴
    翌日無名沢に入ったが、雪は安定しているように思えた。標高の高い部分はかなり白くなっていたので状態が悪かったか?
    2003年4月6日
    鹿島槍ヶ岳鎌尾根 登攀中の2名死亡 前日よりかなりの量の降雪
    私は、北信の黒姫山にいたが、湿雪のひどいラッセル。ピーク西側斜面を滑ろうとしたら、足元の雪がサーっと崩れていき真っ青!
    2002年5月2日
    白馬岳主稜
    山頂直下 山頂直下の雪庇崩壊し主稜登攀中の 7人が巻き込まれる。2人埋没 後続のパーティーにより救出
    2000年2月
    発生日時詳細不明 白馬村
    小日向山東面中山沢 人的被害なし
    デブリ堆積し猿倉線開通遅れる。 金山沢滑降の帰り道で、デブリを見ることができた。大木が根こそぎ吹き飛ばされた様子は噂にきくホウ雪崩のようでした。(専門家の判断ではない)写真開く
    2000年2月19日 八方尾根北面
    ガラガラ沢 スノーボーダー3名
    不明 6月に遺体発見
    1992年5月4日午前8時ころ 白馬大雪渓 白馬尻付近のテント埋没3名巻き込まれ2名死亡 1人負傷 標高2500m小雪渓付近で発生した雪崩は幅80m長さ3kmに達した。
    1991年2月 小谷村コルチナ国際スキー場 スキー場パトロールの高校生が巻き込まれて死亡
    1996年3月17日 爺が岳扇沢 出合い付近のテント埋没
    5人が巻き込まれ1名死亡 上部で発生した雪崩が扇沢出合まで達しテント埋没
    1989年4月22日 鹿島槍ケ岳北俣本谷 被害なし
    布引沢滑降中のRSSAパーティの目撃 吊尾根から発生
    北俣本谷下部に達する大規模なもの
    1989年3月18日 15時45分ころ 遠見尾根 5名が巻き込まれ4名は救出。1名埋没死亡 山岳総合センター講習中の事故
    後日雪崩の予見性について遺族が起訴
    「五竜遠見雪崩裁判」として注目された
    1985年1月1日 鹿島槍ヶ岳東尾根第一岩峰下付近(推定) 6人不明
    5月に北俣本谷で遺体で発見 下山予定日過ぎても下山せず 不明
    5月以降に遺体発見 鹿島槍ヶ岳東尾根第一岩峰下付近で幕営中に雪崩に襲われたと推定される
    1984年5月3日 烏帽子岳~南沢岳中間縦走路上
    (烏帽子岳北方200m) 新雪表層雪崩
    2名埋没
    通過中のパーティが発見
    ヘリで救助 たまたま通りかかった春日井山岳会が埋没者発見。救助と無線連絡。県警ヘリにより救助
    岳人467号春日井山岳会の記録から
    1984年1月1日 爺ケ岳西俣奥壁中央稜 とはん中、稜線直下で雪庇崩壊による雪崩 5人死亡 私は同じ日に爺ケ岳東尾根を登山中であった。同山域での大きな事故にショックを受けた記憶がある。
    1983年3月20日 鹿島槍ケ岳北壁正面ルンゼ 30m流され墜落
    確保のため無事
    その後正面尾根完登! 山と仲間164号
    1974年3月18日 白馬岳主稜末端(大雪渓下部と記した文献もある) 9名が遭遇、3人自力脱出、1人救助5名死亡
    1961年4月9日 鹿島槍ケ岳北壁 死亡 ブロック雪崩
    原武氏遺稿「北壁に死す」に詳しい
    1957年12月25日 白馬乗鞍岳頂上直下栂池側 1名死亡負傷1
    1955年12月30日 鹿島槍ケ岳天狗尾根第2クーロワール 4名死亡
    1950年12月30日 鹿島槍ケ岳大冷沢北俣 4名死亡
    1935年12月16日 鹿島槍ケ岳 3名死亡 冷池小屋の主人父子と人夫の3名。
    昭和5年(1930年)
    1月1日 針ノ木大雪渓赤石沢出合 12名が遭遇 4名自力脱出他の8名を救出 昭和2年(1927年)の事故とほぼ同じ場所で、雪崩の研究をしていた。
    昭和2年(1927年)
    12月30日 針ノ木大雪渓赤石沢出合 11名が遭遇 4名死亡
    明治9年(1876年)
    11月08日 16時ころ
    (旧暦) 白馬鑓温泉から二股への引湯工事現場 51人遭遇21名死亡 鑓温泉引湯工事現場 前日夜、雷を伴った大雨、朝から降雪。昼過ぎには1m近い降雪。
    頸城
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    発生年月日
    場所
    被害状況
    備考
    2019年1月25日
    午後2時ころ
    矢代山地大毛無山 ランス国籍の公務員男性(49)が雪崩に巻き込まれ死亡した。雪崩は幅約30㍍、深さ約1~5㍍、長さ約300㍍の規模で発生した。 男性は友人と3人で「ロッテアライリゾート」を訪れ、午後1時半頃から、スキー場の管理区域を出て大毛無山山頂から南側の斜面を滑っていた。
    2015年1月17日(土)
    午前11時ころ
    矢代山地粟立山 粟立山東面 966m標高点のある沢 右岸の尾根上より雪崩
    標高750m付近で2人のスノーボーダーが巻き込まれ、1人は自力で脱出 救助を要請したが1人は死亡が確認された。 この山は“泡立つ(爆風雪崩が山麓からそのように見える)山”ともいわれ、新雪期の山頂東側は極めて雪崩危険が高いと言われている。きわめて魅力的な斜面を有する山であるが、新雪期にはそうした認識を持ちたい。
    ただし、2名のボーダーは、マスコミのニュースで取沙汰されている、スキー場コース外滑走、とは一線を画するので同列には扱わないでほしい。
    2015年1月17日(土)
    発生時間不明
    赤倉観光リゾートスキー場 大学院生男性(35)と連絡が取れないと妙高警察署に通報があった。
    18日午後0時53分、同スキー場ホテル第5クワッドリフト降り場上方の前山東側斜面で雪中に埋もれていた男性を発見。死亡が確認された。死因は窒息死。同署は雪崩に巻き込まれたとみている。
    午前中はゲレンデ、午後から前山へのスキー登山を予定しており、登行中に雪崩に巻き込まれて死亡したと思われる。
    ※この欄の記載に関しましては、私の認識不足により「きまぐれなコース外滑走」と表現してしまいました。事情をご存じの方から「事実はそうではなく計画された登山であった」と情報をいただきました。亡くなられた方、関係者の方にお詫びをし、訂正させていただきます。申し訳ありませんでした。
    2011年3月3日
    未明
    妙高市関山の燕温泉
    同温泉の土産店の窓ガラスを突き破り母屋、風呂場に大量の雪が入り込んだ。けが人はなかった。 雪崩の幅は二十~二十五メートル、厚さ一メートル、走路約百メートル。およそ四百~五百立方メートルの雪が流れたと見られる。当時は約一メートルの新雪があったという。
    また、同日、同温泉駐車場付近でも雪崩が発生し、止めてあった乗用車二台が雪に埋まった。(3/4新潟日報、上越タイムス)
    2009年2月8日(日)
    午前10時ころ
    焼山北面台地1500m付近 被害なし
    規模不明
    山行中の金沢の早川さん、山梨の深沢さんが至近距離で目撃。冷静に写真まで撮影。早川さんのホームページに驚異の写真が掲載されている。
    写真を見る限り大規模に雪煙が上がっている。
    早川さんの報告によれば「前夜は激しい風と雨、深夜からみぞれが雪に変わった」とのこと。
    2009年2月7日(土)
    午後1時ころ
    妙高三田原山2347mピーク火口側急斜面
    3人パーティーのうち1人がノールを通過した際に幅10m長さ30m破断面20cmの雪崩を誘発。
    埋まりはしなかったが、斜度があったため、縦に4、5回転して転落し片方の板を紛失。
    スキーパンツが破れ、肉離れの軽傷。 この1時間ほど前に、別パーティーの一人が幅20m長さ30m破断面40cmの雪崩を誘発したのを目撃。
    ピットテストでは、40cmの深さに弱層があるものの結合はしっかりしていたとの報告。
    山スキーMLより。
    2008年2月1日(金)
    午後四時半頃
    妙高三田原山
    杉の原エリア(旧国際スキー場)上の斜面
    札幌のスノーボーダー女性(34)が三田原山近辺の沢筋で雪崩に巻き込まれ、右大腿骨骨折の重傷を負った。雪崩は幅20m、長さ300m、カメラマンを含めた5人パーティーで1人だけが巻き込まれ、完全埋没。他の4人のビーコン捜索によって救助された。 妙高国際スキー場最上部のリフトを降りた後の沢対岸は要注意である。
    日本雪崩ネットワークに雪の詳細な状況調査がある。
    ビーコン捜索が有効であったといえるだろう。
    2006年1月28日 妙高山前山 3名埋没
    救出 うち1名重傷 山スキーの3名が遭遇 埋没
    居合わせたスキーヤー等により救出
    2001年2月17日 妙高三田原山
    国際スキー場上の斜面 1名埋没
    救出 妙高国際スキー場最上部のリフトを降りた後の沢対岸は要注意である。
    1995年2月 妙高三田原山
    国際スキー場上の斜面 1名埋没
    救出
    1994年2月27日 海谷山塊鉢山
    鉢谷小鉢付近 1名埋没死亡
    1970年3月7日 妙高、関温泉スキー場幕の沢 スキー2名死亡 幕の沢は結構滑られているので要注意である。

  4. 2021/07/08 17:20:30 Ando’s Microprocessor Information含むアンテナおとなりページ

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  5. 2020/04/28 19:27:39 山ボード研究会含むアンテナおとなりページ

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  6. 2016/02/22 14:35:24 菊地敏之CS&G 著作紹介topo含むアンテナおとなりページ

    トラッド・クライミングの魅力
    ちょっと小うるさい話が続いたもんで、今回は趣向を変えてトラッド・クライミングの魅力について語ってみましょう。これ以上人気なくしたら商売あがったりになりますからね。
    このところ城ヶ崎に久々に通ってクラシックルートを登ってる、っていう報告を前回しましたけど、その中のある1本の話。
    そのルートは超クラシックエリアにある超クラシックルートで、しかし私はなぜか今まで登ったことがなく、気になってはいた1本ではありました。といってもまあ、グレード5.10のトップロープルートときては、正直あまり魅力を感じなかったことも事実ではありますけれどもね。
    しかし最近城ヶ崎界の國分誠氏と化した某有名インストラクターのホームページを見ていると、ナチュプロで普通に登れるとある。へ〜、そうなの、と思いつつ、ちょうどそのエリアに行った時に改めて眺めてみると、あらら? なかなか結構魅力的なラインじゃありませんか。特に、クラックじゃないのにナチュプロ、ってのが良い。
    ということで、さっそくウォーミングアップがてらで取り付いてみたんだけど、結構悪かったです。核心のハング帯に入ってすぐにラインがわからなくなり、思い切って突っ込んだところが思ったよりランナウトしちゃったし、その先のフレーク状ハングを越える所も、ライン、ホールド、プロテクション、すべて疑心暗鬼のまま進んでいく感じで、久々に緊張しました。やっぱこいつの言うこと、信用するんじゃなかった、という反省とともに、前腕もバリバリに張ってしまいました。
    しかしまあ、こういうの、良いね。ランナウトした状態で、ああでもないこうでもないと逡巡した挙句、最終的には自腹で決断して突っ込むあの緊張感。昔、鷹取山で未知のルートをフリーソロしてた時に、一手一手、悩み、決断し、心臓が口から出てきそうな恐怖を飲み込みながら行動を起こしていたあの感覚を、まあそこまでモロにではないけど追体験してるような懐かしさがあります。
    そして、そうして壁を抜けた時に感じる幸福感。と、一言で言ってしまうとなんだか低俗なキャッチコピーみたくなっちゃうけど、より詳しく言うと、その岩場とピュアに邂逅できたという満足感というか、一体感というか、要は「フリー」をまっとうすることによって得られた、この世界に本当に所属しているという実感ですかね。
    降りてくると壁にはイソヒヨドリが行き交い、海を見やればカモメがまったく海の、あるいは空の一部のように飛んでいて、またその海と空が信じられないくらい大きく、また永遠の時間を秘めつつ広がっている。いや〜、ほんとにこれ、現実のものなのかね?
    地球ができて45億年。今まで何億、何兆、いや何京もの生物が生まれては消えていった中で、オレほどラッキーなやつって、あり?
    まあ、わたくし、現代日本国の社会人としては決して充分といえる方ではないかもしれないし、クライマーとしてもたいしたことない。その割に今まで痛い目にも随分あってきたかもしれない。また今必死になって登った壁も、正直チンケかもしれない。けど、それでも今、ここにいる一生物個体としてのオレって、地球誕生以来の全生物内での幸運度だったら最上位の0.00000(このあと0が数兆個は続くね)1パーセントに入るレベルだよ、きっと。なんせこの世界と、こんなスバラシイ関係を結べるんだからね。
    前回、フリークライミングのスタイルやタイトルについてあれこれ文句を述べたけど、大切なのは、登ったあと、または登っている時に、こうした一体感を感じられるかどうかということだろうな。なんかJポップの歌詞みたいなセリフだけど。
    (2016年2月22日記)
    いや〜この世は美しい。登ったあとは、特に美しい
    でも、-思えば山岳会に入って初めてロープをつけて岩登りをした時。落ちても死なないということになんかすごく違和感を覚えたものの、反面、もうあの辛い決断をしなくて済むということがなんと気楽で、嬉しかったことか。