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『神護寺展』②
他にもなかなかお出ましにならない五大虚空蔵菩薩も見えたりと国宝目白押しですが、本尊はラストにお出まし。
神護寺薬師如来像。
土門拳が熱愛したことで知られ、この像の評価は彼の写真によって造られたといっても過言ではない。
土門拳のフィルターを通してしか語られてこなかったのは実物が厨子の奥で見えにくいというのはあったにしても、特異な仏像といえます
一目見て平安初期仏像の傑作であることは分かる。
間違いなく当時最高の仏師によって彫刻されたものです。生気が違う
唐招提寺諸仏から始まる大陸最先端の表現をダイレクトに取り入れながらも、石造の文脈で彫られていた唐招提寺像から恐るべき進化を遂げています。あの硬く大味な表現を咀嚼し次の段階へ進めている仏師の腕は半端ではない。
元は神護寺前身の和気清麻呂発願寺のものだったのが空海によって神護寺本尊として迎えられたとのことで、かの空海がその目で見、国家寺院の本尊に相応しいと選んだ仏像を現代の我々が拝することができる幸福以外の何物
ただ素晴らしい仏像であることは分かる、分かるが好きかと言われるとそうでもない(ry
単に嗜好に合わないだけかもですがやはり癖が強すぎる。思うに平安初期の仏像は当時最先端の表現いえば聞こえは良いが、写実と理想化のバランスが非常に高いところで取れていた天平仏のカウンターでしかない、天平の表現からいかに離れるかが第一にあり、結果写実性を意図して省いた、歪んでさえいる超個性的表現が生み出されたように思う。
当時力を持ちすぎた南都仏教から距離を置くため遷都した平安京において、天平の表現をそのまま引き継ぐという選択肢はなく、折よく大陸から持ち込まれた新表現‐写実から離れることで神威を現す―が採用された、政治的な思惑があったのは間違いありません。加えて密教や神仏習合という新しい宗教形式を模索する中で、まさに「平安的表現」を確立した仏像と言えるかと思います。
次のお出ましはいつになるか分からないという意味でも僥倖この上ない展示会でした。何回も行くほどお手頃価格ではないのが残念、ほんま高なりましたね
2024-11-18(18:19) :
美・探訪 :
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