▽ぐい呑み考 by 篤丸 ●12/03 06:40 王の器~高麗茶碗のフォルマリズム11日本の茶人たちは、高麗茶碗のもつ「形式」の意味するところを見誤った。そう、朱熹がこだわったあの「形式」のことである。朱熹がそこにみたのは古代青銅器の原型ともいうべきものだったのにもかかわらず、かれらは、その侘びた風情に着目し、信楽や備前の壺さながら、それがあたかも朝鮮半島の庶民が使う雑器であるかのような解釈をした。柳が説いたような物語が生まれたのはそのせいだ。あるいは、かれらは、それを敢えて見なかったのかもしれないし、知っていても知らないふりをしていたのかもしれない。なぜなら、豪奢な唐物に対して「冷え枯れた」道具が茶席の主人公になるのは、新しい茶の湯のスタイルを推進するのに格好の筋書きだったから。「カウライ」は侘びていなければならなかった。かれらにとって、「形式」は、青銅器との同一性を保証する本質であることからはるかに遠く、茶席で先行する従来の茶碗との
▽The Poetry Foundation : Find Poems and Poets. Discover Poetry. ●12/01 12:06 Infinity Ghazal Beginning with Lice and Never Ending with LiesBy Tarfia FaizullahLice? My aunt once drew a comb through my hair steady;she wouldn’t let what feeds on blood eat my inner tree....