世界の果てまでつれてって
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▽西洋中世学会●05/03 23:57 大会第17回大会(2025年6月14日・15日 東京大学・本郷キャンパス)のお知らせ西洋中世学会第17回大会を、2025年6月14日(土)・15日(日)の両日にわたり、東京大学本郷キャンパスで開催いたします。例年通り、初日に自由論題報告、二日目にシンポジウムとポスター・セッ2025.05.02大会第17回大会(2025年6月14日・15日 東京大学・本郷キャンパス)のお知らせ西洋中世学会第17回大会を、2025年6月14日(土)・15日(日)の両日にわたり、東京大学本郷キャンパスで開催いたします。例年通り、初日に自由論題報告、二日目にシンポジウムとポスター・セッ2025.05.02第17回大会(2025年6月14日・15日 東京大学・本郷キャンパス)のお知らせ2025年度 西洋中世学会第17回大会ポスター報告の募集2025年度 西洋中世学会第17回大会自由論題報告の募集2024年会員年間業績リストを公開しました
▽ZeAmi ブログ●05/02 21:40 2025年5月 2日 (金)ケーニグスベルク(現在はロシアのカリーニングラード)かつてプロシア語を話すプロシア人がいたのは、東プロイセン(現在のポーランド北東部とケーニヒスベルク=カリーニングラード州)の辺りでした。「ブリキの太鼓」の舞台、ダンツィヒ(ポーランド名グダニスク)が西に位置するグダニスク湾の対岸で、意外に近くて150キロ程です。プロイセンの首都だったケーニヒスベルク K〓nigsberg (ドイツ語で「王の山」の意)は、戦後のポツダム宣言によりソビエト連邦に併合され、カリーニングラードと改称されています。四国ほどの面積のロシア の飛び地ながら、不凍港を有する戦略的重要性のため、ほとんど閉鎖都市になっているのは、よく知られていることでしょう。ケーニヒスベルクの頃は、18世紀の哲学者イマヌエル・カントが生涯のほとんどを過ごした町としても有名で、数学者オイラーの「ケーニヒスベルクの橋の問題」もよく知られています。カントが住んでいた町、と言う点に、私は大変関心を持って来ました。こんな動画がありましたので、貼っておきます。プロイセンの古いケーニグスベルク(現在はロシアのカリーニ
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