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おとなりアンテナ | おすすめページ

  1. 2024/03/19 17:10:07 ×××× 青砥撫子含むアンテナおとなりページ

    2024-3-19 17:10
    美容室
    GU
    今日の景色
    ヘアケア
    なう

  2. 2024/03/19 16:56:42 NATURE DRAWING COMMUNICATION 宗野純也含むアンテナおとなりページ

    1 不動産
    2 留学
    3 スクール・セミナー
    4 コスプレ
    5 スピリチュアル
    6 鉄道・飛行機
    7 ブログ
    8 フィギュア
    9 健康・医療
    10 病気・闘病

  3. 2024/03/19 16:28:12 グラフィックノート 櫻井含むアンテナおとなりページ

    1 スクール・セミナー
    2 法律・裁判
    3 不動産
    5 メンタル
    6 ブログ
    7 発達障害
    8 投資
    9 癌
    10 介護

  4. 2024/03/19 16:20:10 suVeneのアレ含むアンテナおとなりページ

    twitter のバックアップサービスレビュー 16 views
    iconv 更新通知 思考停止 マイノリティ SNS evernote 考え方 Book 独白 レビュー Xcode4.6.3 情報整理術 iOS開発 CentOS6 sakura em・one ブログ php Hatena 書評 ソーシャルブックマーク タギング ネタ Project Management hubot 感じたこと 常識 LifeHack vps 心理 Lineage Redmine Autopagerize Xcode ノート・手帳術 Plagger mixi friendfeed 仮説思考 Linux 何をいまさら Mac Github mobile Validation ruby Vimperator Zer0Reader bookmarklet Greasemonkey DML-Breaker T-01A 知的生産 議論と対話 Perl rakugaki 考えたこと Ustream Twitter Subversion 価値観 めも 生活 JavaScript misc Objective-C Programming Git 組織論 コミュニケーション メンタル 仕事効率化 Ubuntu vim 人間関係 自己啓発 対話 iPad CentOS

  5. 2024/03/19 16:16:48 シロクマの屑籠(汎適所属) シロクマ先生含むアンテナおとなりページ

    現代人は本当に思想に飼われている

  6. 2024/03/19 14:27:09 法華狼の日記含むアンテナおとなりページ

    『86―エイティシックス―』雑多な感想
    アニメ
    『わんだふるぷりきゅあ!』第7話 ふたりのフレンドリベラーレ!
    アニメ
    アニメ (3833)

  7. 2024/03/19 13:40:12 三橋貴明オフィシャルブログ「新世紀のビッグブラザーへ blog」Powered by Ameba 三橋貴明含むアンテナおとなりページ

    自由民主主義が自由民主主義を破壊する
    2024年米大統領選は歴史の転換点〜もしトラ?ほぼトラ?内戦への最悪のシナリオとは[三橋TV第835回] 佐藤健志×三橋貴明【特別対談:後編】
    https://youtu.be/jTjMQ6-vqsE
    いつもは「民主主義」という言葉は使わず「民主制」と言っているけど(単なる制度だから)、今回は「民主主義」の方が適していると思います。自由民主主義とは、
    「自由民主主義は善である」
    という価値観です。つまりは、イデオロギーです。
    自由民主主義の根幹は、「言論の自由」になります。言論は自由である。個々人は自らの考え方を自由に表明していい。その上で、議論し、最後は多数決で決着をつける。
    多数決である以上、当然ながら「勝者」と「敗者」に分かれますが、敗者側は、
    「自分の意見とは違うけど、同胞の多数派がそう言っているならば」
    と、納得し、結果を受け入れる。そして、次の「多数決」の際に勝者となるために、言論活動をすればいいわけです。
    ちなみに、わたくしは多数決の結果が「正当」だと言いたいわけではありません。とはいえ、多数決の結果は「正統」なのです。
    正しいか間違っているかといえば、どっちか分かりませんが、少なくとも民主制における「手続きは満たしている」のです。それゆえに正統。
    つまりは、自由民主主義の基盤は、
    「多数決で敗れた際に、敗者が「まあ、仕方がないか」と納得すること」
    なのです。納得できないとなれば、テロ、暴動、クーデター、革命へと至りかねない。
    そして、納得するためには、「同じ国民である」という同朋意識が欠かせない。そして、その同朋意識は近代的な自由民主主義ではなく、前近代的な「文化」「伝統」「歴史」が基盤となっているというのが、ことの本質、なのですよ。
    当たり前ですが、新たな人種、宗教、価値観の流入は、基盤である文化、伝統、歴史を破壊します。
    現代の欧州において、新たに流入したイスラム系移民が、欧州の根源たる文化、伝統、歴史を破壊していっています。何しろ、人種や言語はもちろん、宗教までもが違うわけです。
    さらに、アメリカにおいては、トランプ派(共和党系)とバイデン派(民主党系)に国民が分断され、互いに「相手は反米だ」と、ナショナリズムに基づいて攻撃する事態に至っている。
    ポリティカルコレクトネスが猛威を振るい、クリスマスに「メリークリスマス」とは言わずに、「ハッピーホリデー」と言わなければならない。面倒くさいな!
    反移民的な活動をすると、「極右」のレッテルを貼られる。ちょっと待て。あんたから「極右」的に見える言論活動をする自由が、私にはないのか?
    というわけで、言論の自由が「意見の多様化」をもたらし、言論の自由を成立させなくなる。自由民主主義の基盤を破壊している、というのが今回の佐藤先生とのお話でした。
    日本は(まだ)欧米に比べると、自由民主主義の基盤である文化、伝統、歴史の共有は維持されていると思います。やはり、島国であり、二千年を超す歴史(縄文文明から数えると二万年近い歴史)を積み重ねてきた影響は大きい。
    GHQ由来の自虐教育で随分と壊されはしましたが、「まだマシ」と言えるレベルではあります。
    ところが、そこに「緊縮財政」という破壊槌が加わってきた。デフレが続き、皆が、貧困化している状況で、
    「現役世代の負担が重いのは、医療・年金で高齢者が優遇されているためだ」
    というレトリックで財務省が緊縮財政を仕掛けてくると、すぐそこに乗る愚者がいる。
    「そうだ!そうだ! 老人の優遇をやめろ!」(こんなこと言える俺、格好いい!)
    などと叫びだし、国民分断に加担する。
    いや、高齢者の優遇を無くしたところで、お前の負担は下がらんだろ・・・・。
    高齢者の負担が重くなり、彼らの消費が減れば、お前の所得も下がるぞ・・・・。
    お前も、すぐに高齢者だぞ。50歳を過ぎてからの時間の流れの速さは、半端ないんだぞ・・・・。
    という現実に加えて、この種の国民分断策が進む、実際に国民の「同胞感情」が無くなり、自由民主主義が成立しなくなる。
    現在の緊縮財政は、日本の自由民主主義における基盤を破壊しようとしているのですよ。
    「緊縮財政を転換しよう!」に、ご賛同下さる方は、↓このリンクをクリックを!

  8. 2024/03/19 13:07:16 どーか誰にも見つかりませんようにブログ - livedoor Blog(ブログ)含むアンテナおとなりページ

    2024年03月19日
    卑弥呼は箸墓古墳に眠っているのか?
    謎解き古代史
    NHKスペシャル「古代史ミステリー第1集」を視聴。前方後円墳と前方後方墳との分布から、前方後円墳を卑弥呼を女王として立てていた邪馬台国連合であるとして、その女王国と争っていた狗奴国は前方後方墳の勢力であったという仮説には、驚きました。うーん、しかし、3~4年前にも古墳の形状を考える書籍を目にした時には四隅突出墓の方にウェイトを置いて出雲勢力を意識した内容だったので、なんだか意表を突かれたようにも感じてしまった。
    AIによって各地で未発見の前方後円墳が発見されているという。番組内でも東北地方の前方後円墳らしき地形に辿り着く様子の映像が流されていましたが、あのAI解析による手法というのはヒストリーチャンネル「古代の宇宙人」でも紹介されていた。ナスカの地上絵みたいな、いわゆる地上絵はナスカ高原の地上絵ほど精巧なものではないにしても、図形程度であれば相応に各地で発見できてしまうのだという。
    女王国と争っていた狗奴国の正体が東海地方に勢力を持っていた勢力だったであろうというのは、それなりに魅力的な仮説のような気がする。どうしても狗奴国については南九州地方の熊襲であろうという考え方が半ば定着していたので、そこを捉え直すと、なるほどなぁ…と思う。位置関係的に邪馬台国畿内説だと、熊野を以って熊襲のように比定してきたのだと思いますが、紀伊半島から東海地方、更には東北地方まで太平洋に沿って狗奴国は展開していたという訳だ。それが出雲と考えればいいのか、もしくは神武王朝もしくは物部王朝と捉えればいい訳か。
    とはいえ、「古代史ミステリー第1集」には違和感を感じた部分もあった。シシド・カフカさんに卑弥呼を演じさせての再現映像部分になりますが、先ず卑弥呼の年齢については「既に年齢は長大にして」とあったような気がする。シシドカフカさんぐらいの年齢で女王になったのかどうかは微妙といえば微妙な気もする。決定的に怪しいぞと感じたのは、次の箇所で、つまり、倭人伝には「卑弥呼には女婿なく、一人の男弟があり、その男弟のみが卑弥呼に謁見できる」といった具合の記述があったと思う。しかし、再現映像では卑弥呼を中心にして両サイドに重臣たちが居並んでいるという、さながら重臣会議みたいなものを開いているという描写があった。
    また、纏向遺跡で注目されている遺跡の発掘が進んでいる事は新聞記事で目にした事があった。なるほど年代の特定方法に技術革新があり、その遺物の柱の分析から3世紀中頃に建てられた遺跡だと判明したというのは分かる。しかし、それを以って、ここが卑弥呼が拠点にしていた邪馬台国の拠点であったという風に推し進めてしまっていいのかどうか、更には付近にある箸墓古墳を卑弥呼の古墳だと誘導してしまっていいものかどうか、その辺りは戸惑いも受けながらの視聴となった。
    箸墓古墳は、崇神天皇に関する箸墓伝説の主、つまり、三輪山の主と婚姻し、その三輪山の主の正体が蛇であると知ってしまい、思わず声を上げてしまったところ、以降は蛇が現れなくなってしまい、自分のホトを箸で突いて死んだという、いわば「箸墓」伝説を持つ姫の古墳ではないのか? それが卑弥呼と簡単に紡いでしまっていいのか? 「卑弥呼には女婿は無かった」とする倭人伝との矛盾はいいのか? 本来は箸墓古墳に埋葬されているのは、その箸墓伝説の主である倭迹迹日百襲姫(ヤマトトトヒモモソヒメ)だとされてきた伝承との整合性をつけられるのだろうか?
    どうしても気になってしまったので少し調べてしまった。だって、魏志倭人伝に描かれている卑弥呼の像と、箸墓伝説って、ホントに結び付けられるものなのかって思うし、その魏に使いを出したという人物が3世紀に畿内にあった正統な勢力だという風に考えていいもなのかどうか。当然、現時点では、魏に使者を出したのは、どこか地方の一勢力の可能性だって捨て切ってはいけないのかも知れないし。
    倭迹迹日百襲姫と表記して「やまとととひももそひめ」とは、余りにも難解な名前だ。これは省略せざるを得ないとなってモモソヒメのように訳されている場合もある。これは、どういう名前なんだろう。日本歴史大辞典で、これを引いてみる。すると次の事が判明する。
    古事記では「夜麻登登母々曾毗売」という文字で表記されているというから「ヤマトトモモソビメ」と読むらしい事が推測できる。分解すると「ヤマト」+「?」+「モモソ姫」で良さそうだ。では、中間のごちゃごちゃっとした部分は何なのか? 【ト】か【トト】とか【トトヒ】の三種のパターンが考えらえるって訳か…。
    それに続けて、重要そうな指摘があった。古事記では「孝霊天皇の皇女」だと記してある一方で、〈日本書記では「孝霊天皇の皇女」という記載のほか、「孝元天皇の皇女である倭迹迹姫(やまとととひめ)と同一人物であるともいわれる。〉と解説されている。
    この難解な名前の理由は、どうも孝霊天皇の皇女と、孝元天皇の皇女との名前が掛け合わされてしまっている可能性があるって事なのかな? 孝霊天皇の皇女の名前が「モモソ姫」であり、孝元天皇の皇女の名前が「トト姫」になるという訳か。なるほどねぇ、そうなると卑弥呼がモモソ姫であり、モモソ姫を継いだという宗女・台与とか壱与のように語られてきた人物はトト姫って事になりますワな。
    また、古事記の方に記してある「三輪山伝説」では「活玉依毗売」(いくたまよりびめ)の話になっているというから、これが箸墓の逸話になる訳だ。となると、三輪山が狗奴国の勢力で、その女王卑弥呼が率いていたという邪馬台(国)連合は新興勢力だったという事になる。ああそうか。この問題は、そもそも「邪馬台国」を「ヤマタイコク」と読まされてきたのが間違いの元凶で、その漢字であれば「ヤマトコク」って読んだ方が素直な読み方だ。そういう指摘を目にした事があるし、私もそう思う。何故に「ヤマタイコク」という発音で読むのだとされてきたのか?
    因みに、孝霊天皇は第7代で、孝元天皇が第8代となり、これはつまり、「欠史八代」であり、実在していたかどうかにあまり執着する必要性はない。辻褄合わせの為につくられた神代の天皇だと考えるべきだというのが定説だから。とはいえ、おそらく、先住していた勢力の痕跡があったので、そうなっているのでしょう。
    出雲王朝とヤマト勢力との対立構造に囚われてきたので、頭が混乱しますが、一先ず、出雲の問題は横に置いておくと、三輪山信仰に基づいていた旧勢力が狗奴国であり、それと激戦を繰り広げていたのがヤマト勢力という風に整理した方が良さそうですかね。突き詰めれば、三輪山伝説がイズモに所縁のある古層であったという事になるのかも知れませんが、それを同時に考えようとすると混乱が生じてしまうのだろうね。
    拙ブログ:神社辞典で推理する(中編)
    拙ブログ:箸墓古墳の被葬者は?
    あー、どことなく漠然としてですが、イメージらしいものが湧いてきたような気もするかな。卑弥呼と台与は、ごっちゃにされているんじゃないかな。実際にはシャーマニズムに長けた巫女であって、現実的な政治とは、あの再現映像とは異なり、かなり神託を専業にしていた何かだ。それが有力者の娘であった。後世に考えたときに、その出自を語らねばならないから孝霊天皇の皇女であったとか、孝元天皇の皇女であったのように辻褄合わせをした――と。確か、伊勢神宮にも内宮と外宮とによって構成されており、外宮の事は豊受大神(とようけおおかみ)と呼ぶ。この「トヨ」という音が北九州地方を指す「豊」であり、卑弥呼の後を継いだという「トヨ」に通じ、更には「トヨタマビメ」にも通じる。関裕二氏の著書だったと思いますが「トヨタマビメ」とは「豊の国の玉依姫」(豊国の巫女)の意味であり、確かに、それが意味しているのは、神懸かりをするシャーマン的な巫女を連想させる。
    自由党は危機的状況となり、吉田茂(当時)首相は苦境に陥った。幹事長であった佐藤栄作は担当検事の前で泣いたとさえ言われる状況となったと当時は考えられていたのが分かる。もう、政財界の金銭汚職も、ここに極まれり的な状況へ。しかし、そこで法曹界からの助言を受けて、本来の法の主旨の捻じ曲げて指揮権を発動した。「法務大臣による指揮権の発動」という形で「検事総長に対して捜査を打ち切り」を命じた。(本来は検察による暴走を防止する目的で「指揮権」というものが制定されていたが、この場合は不正の摘発を辞めさせる目的で指揮権の発動が行われた。)

  9. 2024/03/19 09:58:52 酒とエロ漫画の日々。含むアンテナおとなりページ

    2024-03-17
    シモヤマ・ケース
    3/17借出。
    -根岸豊明「テレビ局再編」新潮新書 ISBN:9784106110252
    -岡本隆司「物語 江南の歴史」中公新書 ISBN:9784121027801
    -佐藤信弥「古代中国王朝史の誕生」ちくま新書 ISBN:9784480075833
    -半藤一利「昭和史の明暗」PHP新書 ISBN:9784569856261
    -山崎賀功「ヘンな矢印標識」自由国民社 ISBN:9784426129361
    -杉山祐之「清朝滅亡」白水社 ISBN:9784560093948
    -若林宣「女子鉄道員と日本近代」青弓社 ISBN:9784787221025
    -久保田博「鉄道重大事故の歴史」グランプリ出版 ISBN:9784876874125
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    投稿者 gosplan 時刻: 18:59 0
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    ラベル: books
    3月 (3)
    シモヤマ・ケース
    books (3480)

  10. 2024/03/19 09:46:25 ハードコア・インディペンデント批評誌『アラザル』含むアンテナおとなりページ

    1 イベント・祭り
    2 科学
    3 時事・ニュース
    4 車・バイク
    5 語学
    6 経営・ビジネス
    7 競馬・ギャンブル
    8 ゲーム
    9 政治・経済
    10 ボランティア

  11. 2024/03/19 06:06:04 木耳含むアンテナおとなりページ

    2024-03-18
    『不適切にもほどがある!』第8話
    いやー!錦戸亮が古田新太になるのはともかく磯村勇斗が彦摩呂になるのはいやーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!
    なんか微妙に面影があるっぽい気がするところがいやあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!
    てか彦摩呂の前座でキョンキョン使うなww。
    今回はこれまでにも増して「宮藤官九郎の意見」がダイレクトに反映された脚本だと感じたし、その主張が押しつけがましいように思えてしまって始終あたまの三分の一ぐらいが醒めてる状態でノレなかったんだけど(もともと不倫とかどうでもいいし、だから地獄のパティオでの食事会を「気持ちわるっ」「関係ないですよね」とした挙句がもはやテレビが向き合うのは視聴者ではなく「見ていない連中」だと言うならば(それが現実を踏まえてのセリフであるならば)、だからテレビが面白くなくなってるんだろうねとしか反応のしようがないし)(あーでも栗田夫妻は「当事者間」では許して許されて終わってる話なのに「無関係の友人」たちが許さないという『社会の縮図』なのかと思いきや、妻は全く許してなくて夫と不倫相手への友人による「年一のつるし上げ」を実は愉しんでいて、でもそのことを知っているのは夫だけ、この夫婦間では1回のしくじりでも許されないというオチは良かった)、彦摩呂でモロモロ吹っ飛んだわw。
    minko 2024-03-18 16:49 読者になる
    『不適切にもほどがある!』第8話
    『闇バイト家族』第11話
    『めぐる未来』第9話
    Drama (6754)

  12. 2024/03/18 23:51:11 読書その他の悪癖について含むアンテナおとなりページ

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  13. 2024/03/18 23:31:53 Living, Loving, Thinking含むアンテナおとなりページ

    2024-03-18
    編んでから包む
    Via https://nessko.hatenadiary.jp/entry/2024/03/18/084114
    津田雅之氏*1のツィート;
    カエルの編みぐるみが、凧揚げをして、空を見上げながら草原で寝そべっている動画。イギリスの編み物作家 India Rose Crawford の作品 pic.twitter.com/bJJE0NkVDX
    — Masayuki Tsuda (@MasayukiTsuda2) 2024年3月12日
    「編みぐるみ」という言葉は知らなかった。編んでから包むということなら、まさにその通りなのだけど。
    *1:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2020/03/14/143720 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/02/15/022250 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/03/05/152443
    sumita-m 2024-03-18 15:10 読者になる
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    2024-03-18
    可能性としての不具合
    伊藤亜紗*1「障害と科学技術 呪縛からの解放」『毎日新聞』2023年1月14日
    キム・チョヨプ、キム・ウォニョン『サイボーグになる』という本の書評。
    キム・チョヨプは一九九三年生まれのSF作家。聴覚障害の当事者で女性、大学では自然科学を専攻した。キム・ウォニョンは一九八二年生まれの弁護士。骨形成不全症*2という難病の男性であり、作家、パフォーマーとしても活動している。(後略)
    著者たちが注目するのは、サイボーグのリアルな姿だ。技術を含む物理的環境の影響を受けやすい障害者は、機械と身体の接合部が決して滑らかではないことを知っている。「皮膚のただれや炎症」は日常茶飯事だし、「バッテリー残量五パーセント」の恐怖は消えず
    機械は高価で専門的なメンテナンスを必要とする。科学技術は輝かしい未来を描くことで希望を与えるが、それはあまりに楽観的で時として過大広告的だ。必要なのは、遠い未来の最先端技術や医療の画期的な発展ではなく、「継ぎ目」をケアしてくれるもっと現実的なアイディアなのだ。
    本書の核となっている概念のひとつは「クリップ・テクノサイエンス」である。「クリップ(crip)」は直訳するならば「不具」という意味。性的少数者を指す「クィア」と同様に、当事者があえて差別用語を使うことによって、その意味を反転させようとする言葉だ。日本ではあまり馴染みがないが、米国では二〇〇〇年以降広がりを見せている。
    つまり「クリップ・テクノサイエンス」とは、「不具の技術科学」のこと。従来の技術開発が主に障害者の「ために」、非障害者によってなされてきたのに対し、「 クリップ・テクノサイエンス」は、障害者自らが知識の生産者になろうとする。前者は、善意に基づくとしても、障害は克服すべき欠陥とみなしがちだったのに対し、後者は障害を可能性の源とみなす。技術の向かうべき方向に当事者が介入することは、建物の入り口に車椅子用のスロープをつけることと同じ、いやそれ以上に根本的な、環境への重要な介入なのだ。
    (前略)私たちは科学技術を「最適解」「合理化」「普遍」の呪縛から解放する時期に来ているのではないだろうか。人々の生を支えるものである以上、科学技術は多様な視点に対して開かれたものであるべきだ。著者たちの特徴は、当事者でありながら障害を語ることに距離があることだ。障害学以外の学問的背景をもつ彼らだからこそ、具体的かつ実践的、創造的な議論ができているように思う。すがすがしい。
    *1:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20180731/1532975436 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20180803/1533248568 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20180927/1538016252 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/03/19/104339 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/07/21/232927 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/09/16/113655 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/09/21/121043 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2020/03/31/101958 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2020/05/16/022908 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2020/08/19/145235 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/01/05/102447 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/02/01/084538 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/03/08/125557 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/03/15/164204 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/03/25/153156 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/05/30/104207 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/07/08/143208 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/07/18/145109 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2023/04/08/162749
    *2:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20161211/1481446096 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20180212/1518403530
    sumita-m 2024-03-18 14:48 読者になる
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    2024-03-18
    中庸ではない「中庸」
    日本の近代思想を読みなおす2 日本
    作者:末木 文美士
    東京大学出版会
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    末木文美士『日本の近代思想を読みなおす2 日本』*1から。
    国学を「自尊主義」的方向へ「大きく一歩を進めた」のは本居宣長の弟子、服部中庸*2だった。
    (前略)中庸の『三大考』は、天・地・泉の成立を図を用いながら論じたもので、虚空からアメノミナカヌシ・タカミムスビ・カミムスビの三神の力で、天・地・泉が形成される過程を十段階に分けて論じている。天(タカマガハラ)は日(太陽)であって、アマテラスが支配し、泉(ヨミ)は月でツクヨミが支配する。地はスメミマ(皇御孫)が支配するところである。中庸は天文学にも通じており、神話の世界観を天体と結びつけ、その成立論を体系的に論じたところに、画期的な意味があった。その中で、皇国はイザナギ。イザナミの二神から生まれ、天に通じている点で、他の諸国に優越する。他国は二神の産んだ国ではないので、その点ではっきりした差別が生ずることになる。
    このように、『三大考』は、宣長がなしえなかた日本古典に基づく世界観を体系化し、その中に日本優越の自尊主義を理論づけた。その際、注目されるのは、第一に、死後の魂の行方の議論が関わってくることである。宣長は死後の魂は黄泉に行くとしたが、それ以上のことはわからないと断念した。それに対して、中庸がはじめて読みの位置づけを明らかにしたことは、この語の議論に大きな影響を与えることになった。第二に、世界に優越する支配者として天皇が大きくクローズアップされることである。皇国の天皇のみが世界の支配権を委託され、代々継承していく。その支配の範囲は当然日本のみに限られず、この地上の世界全体にわたることになる。この説は、この後の平田派の神道家たちに継承され、さらに天皇支配を根拠とする自尊主義は昭和の国家主義・超国家主義にもつながることになる。
    『三大考』は、宣長生前に『古事記伝』*3の刊本の最後に、宣長の推薦を付して刊行された。即ち、宣長のお墨付きを得たことになる。それが宣長没後に問題になり、養子の大平*4が批判を展開するなど、大騒動に発展した(金沢英之『宣長と『三大考』』、二〇〇五)。その中で、『三大考』を積極的に受容したのが、平田篤胤であった。篤胤の主著『霊能真柱』は、『三大考』の修正版と言ってよく、その図を踏襲する中から自説を展開している(後略)(pp.28-30)
    古事記伝 1 (岩波文庫 黄 219-6)
    岩波書店
    Amazon
    古事記伝 2 (岩波文庫 黄 219-7)
    岩波書店
    Amazon
    古事記伝 3 (岩波文庫 黄 219-8)
    岩波書店
    Amazon
    古事記伝 4 (岩波文庫 黄 219-9)
    岩波書店
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    *1:Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2024/03/11/031455
    *2:See eg. 本居宣長記念館「服部中庸(ハットリ・ナカツネ)」https://www.norinagakinenkan.com/norinaga/kaisetsu/hattori.html https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%8D%E9%83%A8%E4%B8%AD%E5%BA%B8 「中庸」はナカツネと念む。
    *3:Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20161222/1482425853
    *4:本居大平。
    sumita-m 2024-03-18 13:53 読者になる
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    2024-03-18
    知らなかったマティス
    【ニュース】マティスの「切り紙絵」に着目 ― 国立新美術館で「マティス 自由なフォルム」
    4×8メートルもの大作《花と果実》は日本初公開!展覧会の公式アンバサダーは、安藤サクラさん#マティス自由なフォルム #マティス展 https://t.co/KYKKzNuaKO pic.twitter.com/0hORuxRW6C
    — アイエム[インターネットミュージアム] (@InternetMuseum) 2024年2月13日
    国立新美術館の『マティス 自由なフォルム』*1を観た。入館したのが夜の7時を回っていたので、かなり慌ただしかったけれど。
    この展覧会の目玉はやはり晩年の切り紙絵の大作「花と果実」(410 × 870cm)の日本初公開、そしてマティスがデザインした「ヴァンスのロザリオ礼拝堂」の内陣の再現ということになるのだろう。さて、アンリ・マティス*2ならよく知っている。ヴィヴィッドな色彩とリズミカルな運動性のあるフォルム。しかし、この展覧会で気づいたのは、そうしたマティスらしいマティスではないところのマティスだった。マティスは若い頃、絵画と並行して彫刻(木彫やブロンズ)も実践していた。これも知らなかったマティスなのだけど、そこに感じたのはリズミカルな運動性のあるフォルムとは真逆のこと。あらゆる運動を吸収してしまうような物質性(塊=マッス)へのこだわり。これが何よりもいちばんのショックだった。勿論、この展覧会でマティスらしいマティスに触れる幸福を享受することは否定されないので、安心すべきだろう。
    それから、マティスのテキスタイル・デザイナーやバレエの衣裳デザイナーとしての側面も紹介されている。「ロザリオ礼拝堂」に関して、彼は司祭の服(カズラ)のデザインも行っているのだった。
    *1:https://matisse2024.jp/ See eg. https://bijutsutecho.com/exhibitions/13005
    *2:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20101112/1289534333 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20110314/1300124753 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20110724/1311516630 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20141125/1416841903
    sumita-m 2024-03-18 10:30 読者になる
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    編んでから包む
    可能性としての不具合
    中庸ではない「中庸」
    知らなかったマティス

  14. 2024/03/18 16:59:55 フィララバキシア含むアンテナおとなりページ

    2024-03-18
    プレイヤーの破滅を目的とするゲームについて―『Balatro』の感想
    ゲーム ぷにゃぷにゃ ぼんやりした話
    「塗辺くん」ふいに、真兎が言った。「もしかしてだけど、カードは――」
    「「こことは別の場所にある?」」
    絵空も声をそろえ、まったく同じ質問をした。
    青崎有吾「フォールーム・ポーカー」
    store.steampowered.com
    インターネットは今日も平和
    インターネットは行き場のない叫びの行き場であり、神なきひとびとのための教会であり、どんなにみじめな嘆きもここではゆるされる。
    わたしはその夜、Reddit を覗きに行っていた。Reddit とはアメリカ最大の掲示板サイトで、いまどき掲示板なんて流行らないだろうと日本ではおもわれそうだが、なかなかな盛況ぶりを見せていて、2020年代に入ってもゲームストップ株をめぐる大騒動の震源地になったり*1、株式市場では本年度最大規模のIPOが見込まれていたりする*2。
    魂が死んでいるときに寄るぶんには、よい場所だ。
    そして、こんなスレが視界に飛び込んできた。
    https://www.reddit.com/r/truegaming/comments/1baj1nw/when_does_addictive_gameplay_become_a_bad_thing/
    スレッドのタイトルは「中毒的なゲームプレイはいつ害悪へと変わるのか? 『Balatro』の事例」。
    スレ主は、『Balatro』というゲームにいたく熱中していた。よくデザインされた、実にたのしいゲームである。それを数日のあいだに20時間ほどぶっつづけで遊んだあと、スレ主はきゅうにある恐怖に襲われるようになった。「自分はこのゲームで何を得られているんだろうか?」
    これは20年来のゲーマーであるスレ主が他のゲームを遊んでいるときには抱かなかった恐怖だった。Balatro はあきらかにプレイヤーを中毒にさせるようにデザインされている。実際、ゲームサイトや steam のユーザーレビュー欄には中毒に陥っていることを訴えるプレイヤーたちの(なかば冗談めいた)書き込みがあふれている。
    スレ主はこうした Balatro の中毒性を危惧した。ゲームはそもそも実際的な効用を伴わないものであるけれども、それでも良いアートであることはできるし、スレ主もそうしたゲームを期待する。Balatro のような、快楽中枢をひたすら叩き続けるようなゲームはたしかに楽しく魅力的であるけれども、どこか倫理に反しているような気がする。すくなくとも、子どもたちにはやらせたくない*3――。
    あらゆる問題提起がそうであるように、スレ主の感想に対しては賛否両論がわいた。「典型的な中年の危機だね。私のゲーム仲間たちも30代後半になると、多くがゲームに時間を費やすことに耐えられなくなって離れていったよ」「Dotaを1000時間プレイしたが、『NieR: Automata』や『Spec ops』をプレイした数時間のほうがよほど有意義に感じた」「Balatro は良心的だよ。買い切りゲームなんだから。デイリーやガチャのあるソシャゲやマイクロトランザクションのあるゲームのほうが凶悪だ」……。
    傍から見れば、スレ主は一見矛盾したことに悩んでいるように見えるだろう。ゲームで遊ぶことが一般的な意味での生産性につながらないことはわかりきっている(だからこその遊びなのだ)。なのに、この人物は「見返り」を得られないことに悩んでいる。あるいは、ゲームの「見返り」が”芸術”的な有意義さであるのならば、物語性の高いゲーム(RPGとかアドベンチャーとか)や習熟に時間を要するゲーム(ソウルライクやプラットフォーマー)をやればいいだけであり、それでも足りなければそもそもゲームなどやめたほうがよい。部屋を出ろ。本物の人生を生きるんだ。
    だが。
    わたしにはスレ主の気持ちが痛いほどよくわかった。
    なぜなら、わたしも Reddit へアクセスする数分前に自分のPCから Balatro をアンイストールしたばかりだったからだ。
    金銭抜きの純粋なギャンブル的中毒性
    子曰、飽食終日、無所用心、何矣哉、不有博奕者乎、爲之猶賢乎已。
    (先生がいわれた、「一日じゅう腹いっぱいに食べるだけで、何事にも心を働かせない、困ったことだね。さいころ遊びや碁・将棋*4というのがあるだろう。〔あんな遊びでも〕それをするのは何もしないよりはまだましだ。」)
    『論語』、金谷治・訳注、岩波文庫
    Balatro はポーカーをベースにしたローグライトだ。公式には「ポーカーローグライク」と謳われている。ディーラーや他のプレイヤーを相手にするのではなく、その場にいるのはプレイヤーひとり。配られる手札を入れ替えたり入れ替えなかったりしながら役を揃えてスコアを得、一つのラウンドを突破するのに必要な目標点数を稼いでいく。ビデオポーカーからベット要素を差っ引いたものだ。
    もちろん、カネもかかってないのに一人ポーカーするだけではおもしろくない。そこで Balatro は倍率に魔法をかけた。詳しいメカニクスは省くが(そんなに複雑でもないけれど)、手役の倍率は一ゲーム中で増加していく*5。ラウンドの合間にローグライトではおなじみのショップがあって、そこで手役やカードを強化して倍率を増やすことができる。
    (Balatro のジョーカーのひとつ)
    最も重要になってくるのが「ジョーカー」と呼ばれるカードだ。これは普通のポーカーと違ってワイルドカードとしてではなく、100種以上のジョーカーそれぞれに固有の特殊能力が付与されている。主には倍率を増やしたり、ショップで使える資金を増やせたりといった具合。
    ジョーカーはゲーム外でスタックされ(基本五枚まで)、ワンハンドごとにその効果を発揮する。さらにジョーカー同士のシナジーが発揮されると、倍率はどんどん跳ね上がっていく。たとえば、最初ワンペアはだいたい最大でも60点ほどしかもらえないのだが、デッキ構築の手練次第で一撃で数万点は出せるようになったりする*6。これが気持ちいい。得点がカウントされるときの小気味よい演出もあいまって、脳から汁が出まくる。
    先行作品をよく研究しながらデザインされたようで、プレイの流れも非常に洗練されている。まあ、そのへんの詳しいこと、具体的なゲームについてはググればいくらでも記事が出てくるので、そちらを参照していただきたい。あるいは実際に Balatro を買って遊ぶのもよいだろう。
    いや、「よいだろう」ではない。
    よくないのだ。
    ぜんぜん、よくない。
    わたしはあまり正直でもなければ、さほど道徳的な人間でもない。
    しかし、だからといって、わざわざ自分のブログにアクセスしてなんだかよくわからない曖昧な文章を読んでくれる人間を地獄の釜の底に送り出すような真似はしたくない。たまにそういうことがしたくなる夜もありはするが、すくなくとも、今日ではない。
    もちろん、Balatro は違法ではない。
    というか、ギャンブルですらない。定価で1700円で支払えば、それ以上の金銭は求められない。正直、今後開発者が儲けを増やせるのかどうか、心配になるほどだ。DLCを売るにしても、ポーカーというゲームの拡張性のなさ、Balatro 自体の完成度の高さを見ると、何をDLCにすればいいのか。キャラグッズを展開するにしても、Balatro に出てくるキャラといえば、ジョーカーの大半に描かれた、どこか不吉さを漂わせる奇妙なピエロぐらいだ。
    なにかのソーシャルゲームのように半年ごとに最高レアのキャラの引き換え券を5000円で買うように求めてくることもないし、なにかのソーシャルゲームのように盆暮れ正月クリスマスにガチャを回せと圧をかけてくることもない。
    にもかかわらず、Balatro のデザインはあらゆる点でギャンブル的だ。あたかもギャンブルから金銭要素を抜いて中毒性だけを残したようですらある。そんなものを作ってどうするんだ、という気もするけれど、現にこうして存在する。
    Balatro を語るとき、ひとは「ポーカーとローグライトとの融合」というくくりで、どうにかして「ゲーム」の範疇に引き入れようとする。実際、ローグライトとして取捨選択を的確に行ったデザインがなければ、Balatro の中毒性はありえなかっただろう。
    それでもやはり、Balatro はそのデザインにおいてギャンブル的なのだ。カネも賭けられていないのに、そんなことが有り得るのか? 有り得る。それこそ、まさに Balatro が証明した達成なのだから。
    Balatro におけるギャンブルのデザイン
    「マシンに向かえばすべてを消去できる--自分自身だって消去できます」と言ったのは、ランダルという名のエレクトロニクス技術者だった。ギャンブルとは“ただで手に入るもの”を欲しがることだという一般的な考えとはうらはらに、彼は“無”こそを求めているという。先にモリーも言っていたように、だいじなのは、「ほかのいっさいがどうでもよくなる」〈ゾーン〉にいつづけることなのだ。
    『デザインされたギャンブル依存症』ナターシャ・ダウ・シュール 、日暮雅通・訳、青土社
    建物からマシンまで、現代のカジノがいかに客を搾り取るように設計されているかについて刻銘に分析するノンフィクション本、『デザインされたギャンブル依存症』では、〈ゾーン〉を目指すギャンブラーたちの姿が描かれている。〈ゾーン〉とはかれらにいわせれば「台風の目に入ったような状態」のことで、「視界がクリアなのに、まわりでは世界がぐるぐる回っていて、何も耳に入らない。そこにはいない--マシンのそばにいて、マシンだけを相手にしている」ような感覚になるのだという。
    そうした境地において、ギャンブル行為はもはや勝つことを目的としない。続けることこそを目的とするようになる。
    重要なのは、速度だ。
    デジタル化されたスロットマシンとビデオポーカーは、プレイの速度を極限まで圧縮した。ディーラーや他のプレイヤーといった他者の存在を廃し、レバーやトランプカードをボタンに置き換え、チップをのやりとりを仮想空間上ですばやく行うようにした。プレイヤーが注意をはらうべき事象は劇的に減った。賭け、試し、結果を見る。そのプロセスを一定のテンポで繰り返していくうちにいつしかプレイヤーは〈ゾーン〉に入っていく。
    適切な速度を保つために、マシン上で表示される色、照明、アニメーション*7、サウンド、空間の5つの要素が渾然となってプレイヤーの腹側被蓋野のニューロンを叩き続け、プレイヤーをスキナーボックス――脳に電極を埋め込まれたマウスが快楽を生じさせる電気刺激を求め、電気ショックのレバーを一時間に7000回も引いた箱――に閉じ込める。
    (ラスベガスのビデオポーカー)
    もちろん、Balatro でも刺激が適切に配置されている。倍率がカウントされるたびにキン、キン、キンとリズミカルに鳴る金属音。ワンハンドで目標点数を突破したときに燃え上がる倍率ゲージ。跳ね上がっていく点数。カードを強化するパックを破るときの派手なエフェクト。メロウで起伏のない単調なBGM*8。
    慣れたプレイヤーならオプションでゲーム速度を4倍速に変えるだろう。ラスベガスのビデオポーカーマシンが同時並行で三種から百種の手札をプレイできるようにしてスピードを何十倍にも増したように。〈ゾーン〉中毒者たちがたびたび速度に引きずられて判断ミスを犯すのとおなじように、最大速度で Balatro を遊ぶプレイヤーたちもミスでホールドするカードを間違えたり提出するハンドを勘違いしたり(フラッシュと思って出した手札に一枚だけ違うスートが混じっていたり)する。
    トランプや残り山札を前にして逡巡することはなくなり、あらゆる決断が半自動的に行われるようになる。思考も意識も勝ちも負けも等質にゲームの流れへ溶けこむ。勝ち負けがそんなに重要なことだろうか? 長期的に見れば、ギャンブルのプレイヤーはみな敗北を運命づけられている。エンドレスに続くタイプのビデオゲームもそうだ。『テトリス』のテトリミノはあなたを殺すまで加速しつづける。どんどん速く、速くなり。
    そうして、わたしたちは一日が二十四時間である〈ここ〉とは別の時間が流れる世界へと足を踏みいれる。〈ゾーン〉だ。*9
    自分という存在がゼロになる空間。
    そこが最終目的地だ。わたしはできるだけ、そこに留まりたい。
    しかし、無理だ。そこかで何かが狂う。適切なペースを保てなくなり、〈ゾーン〉に裂け目が生じてしまう。その裂け目から光が覗いている。気づく。朝だ。
    夜九時に Balatro を始めて、気がつけば、朝の五時になっている。
    わたしはさっき、うそをついた。このゲームは「ビデオポーカーからベット要素を差っ引いたものだ」と。とんでもない。
    賭けられているものは確実に存在する。時間だ。そして、まるごとかっぱがれてしまった。現実のギャンブルがそうであるように、だ。ボードレールが言うとおり、貪欲な賭博者である時間はいかさまなどに頼らずとも、あらゆる勝負を物にする。
    Balatro は狂っている。カジノならまだプレイヤーを中毒にする理由がある。金を無限に吸い取るためだ。繰り返しになるが、Balatro には、1700円を払ったっきりでおしまいなこのささやかなゲームには、わたしを底なし沼に突き落とす動機がない。完全な無差別な狂気以外に説明がつかない。純粋なる持続"のみ"を目的とした大量殺人鬼だ。そういえば、マスコットのピエロもなんとなく人を殺して笑っていそうな面構えをしている。
    怖いな、と感じてしまう。
    このゲームは、怖い。
    人生を無益な時間に費やしてしまった焦燥でも、実在のギャンブルをベースにした「非芸術的な」ゲームに淫してしまった罪悪感でもない。ピエロに対して恐怖症を抱いているからでもない。このゲームは、わたしが欲しいもの、ずっと心の底で欲しがっていたのに欲しいと口に出した瞬間に破滅してしまうなにかを知っている。
    だから、怖い。
    ゲームには向かない人間
    何度でも初めからやり直すこと――これが賭博の理念の規定しているものである。だから、ボードレールにおいて秒針――〈秒〉――ーが賭博者のパートナーとして登場することには、厳密な意味がある。
    ヴァルター・ベンヤミン「ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて」山口裕之・訳、河出文庫
    ギャンブルはゲームではない。
    ほんとうにそうか? ギャンブリング・マシンの業界人は自分たちの機械のことを「ビデオゲーム」と呼ぶし、内部のシステムを考えるデザイナーは「ゲームデザイナー」と呼ばれる。
    そして、一般的な意味でのビデオゲームの側もギャンブルの技術を使う。
    最近の代表例は、Vampire Survivors だろう。
    スロットなどを扱うオンラインカジノでキャリアを始めた*10開発者の Luca Galante はそこで培ったノウハウを自作のゲームに持ち込んだ。The Verge誌のインタビューでガランテはこう語っている。
    「スロットゲームはとてもシンプルです」と彼(ガランテ)は言う。「プレイヤーのやることはボタンを一つ押すことだけです。そして、ゲームデザイナーはそのボタンを押す(press)ようにプレイヤーの背中を押す(Push)方法を探し出さねばなりません。ボタンを押すたびにプレイヤーはお金を使うわけですからね。なので、サウンドやアニメーション、シーケンスの細部にまで細心の注意が払われます。基本的に、(デザイナーは)それらの要素がプレイヤーに与えるインパクトを最大限に引き出そうとします。私はギャンブル業界でその知識を吸収しました。だから、そうしたことを自分の作るゲームにあたりまえに適用したんです」
    https://www.theverge.com/2022/2/19/22941145/vampire-survivors-early-access-steam-pc-mac-luca-galante
    Vampire Survivors をプレイしたものなら誰でもあの、宝箱を開けるときのパチンコじみた演出を網膜に刻まれていることだろう。そのときの多幸感も。だが、彼がギャンブル業界から輸入してきた手管がそれだけないことも知っているはずだ。なんといっても、Vampire Survivors はそのタイトル通り「生き延び”続ける”」ことを目的とするゲームであり、プレイヤーもそうするために何度も挑戦したくなるデザインになっている。
    Vampire Survivors
    ギャンブルといえば、ピンボールはかつてアメリカ全土で禁止されていた。実際に金が賭けられ、ランダム性も高かったために、ギャンブルだとみなされていたのである*11。一九七六年、娯楽業界からニューヨークの市議会へピンボール解禁の嘆願が出され、それを受けて当時のニューヨーク市長の前でピンボールの達人、ロジャー・シャープがピンボールを実演することになった。彼は数々のショットやテクニックを市長と関係者の前で実演して見せて、ピンボールを「チャンス(運、偶然)ではなくスキル(技)に基づくゲームである」*12ことを実証した。
    スキルと運のバランスはゲームの競技性を測る指標でもある。eスポーツの大会の採用するタイトルを審査するならそこのあたりに厳密に気を配る必要があるだろう。だが、われわれが日常でなんとなく愉しむのであれば? パチンコにだってテクニックはあり、なんとなれば麻雀は究極のローグライトだ。
    偶然(アレア)と競争(アゴン)の交わるところでは、あらゆる遊びがゲームとギャンブルの境界線上にある。その重なる部分には共通した快楽が宿り、プレイヤーの心や脳の適切な部分を叩けばフローと〈ゾーン〉を生み出せる点ではさして変わらない。*13
    なにが言いたいのかって?
    結局のところ、Balatro をギャンブルにしているのは Balatro そのものではない、ということだ。
    わたし自身の技術的向上心のなさが Balatro を呪いをかけているのだ。
    Balatro にもプレイヤースキルの介入する余地はある。大いにある。経験でわかること(ジャック同士のシナジーやパックを買う優先順位や状況に応じた立ち回り)が増えていき、攻略していくことの喜びが用意されている。
    スキルフルなプレイヤーなら随所に散りばめられた有益なヒントを読み取っていけることだろう。残りの山札の内訳をワンクリックで覗かせて、現実のポーカーでは禁止されているカウンティング行為をゆるしてくれるし、現状のデッキ構成が苦しければ一試合スキップして立て直しの機会を与えてくれる。立ち止まって思考し、計算することができるプレイヤーは勇気という名のチップをベッドした本物の賭けを行える。それこそが Balatro の望むゲームのありかただろう。
    でも、わたしはそうはできない。プレイヤーとしてのわたしは単純な反復を好む。どんなゲームであれ、挑戦や新しい戦術の試行にはつい、腰がひけてしまう。ノータイムで捨て札を選択し、ひと呼吸のあいだにわかりやすく高得点なハンドを選び(そしてミスる)、常に似たようなジョーカーと戦略を選び、そして前とおなじように6番目か7番目のアンティで崩壊する。このスキナー箱は7000回の確実な破滅をもたらしてくれる。持続する終わりの感覚。
    わたしはソシャゲのシナリオをスキップしてガチャを回すだけのゲームにしてきたし、ローグライトゲームをひたすらパーマネントレベルアップ要素を貯めるための無の周回を繰り返すゲームにしてしてきた。麻雀とはひたすら自分の手牌に注視し絵合わせをするゲームであり、SEKIROは門番に無限回殺されて終わるゲームだ。
    ゲームにおけるわたしの学習曲線はいつも死人の心電図のように真っ平らだ。
    こんな態度で Balatro を走りつづけるのはゲームに対しても失礼だろう。やめるべきだ。やめろ。やめた。アンイストールした。Balatro をライブラリから削除したぞッ!
    今後はもっと健全な人生を生きよう。
    自己を研鑽し、子どもを育て、イヌを飼い、毎朝の庭の芝刈りをかかさず、ご近所とはさわやかな笑顔で挨拶を交わし、週末にはバーベキューをやる。SEKIROにもちゃんと再挑戦して、芦名なんたらをどうにかする。Elden Ring のDLCが出るまでにどうにかする。自分を高めろ。上昇しろ。無になるな。
    ソシャゲのシナリオもちゃんと読もう。エデン条約編で涙できる大人になろう。
    おっ、そういえば、最近始めた Limbus Company のログボを今日はまだもらってなかったな……Steamを立ち上げねば……
    >ア、アンイストールしたはずのおまえがなぜ……??<
    た、たすけっ……〜完〜
    デザインされたギャンブル依存症
    作者:ナターシャ・ダウ・シュール
    青土社
    Amazon
    *1:https://ja.wikipedia.org/wiki/GameStopのショートスクイズ
    *2:https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2024-03-11/SA6R66T0AFB400
    *3:ちなみに Balatro は実際に Switch で年齢レーティングの不備を理由に一時的に販売を禁じられた。https://www.gamespark.jp/article/2024/03/04/139015.html
    *4:博がすごろくのような遊びで、奕が囲碁。
    *5:稀に減ることもある
    *6:ゲームのデザインとしてはデッキ構築型というよりは、Wingspan のようなエンジン構築型と形容したほうが適切な気もするのだが、公式にはデッキ構築ローグライクと称されている。
    *7:「一九九〇年後半に考案された(ダイナミックプレイ・レート)は、ユーザーがゲームプレイのペースをコントロールできるようにした革新のひとつだ。これはビデオ・ポーカー機(ファントム・ベル)に搭載された機能で、メインのプレイ画面の上にある補助画面に、カードディーラーの手のアニメーションだけが映る。ディーラーの手は、プレイヤーのペースに合わせてゲームを進めていく。つまり、動きが遅いプレイヤーにはゆっくりカードを出し、動きの速いプレイヤーには素早い手さばきで対応し、最も速いプレイヤーのときにはディーラーの手自体がえてしまうのだ。」。ゲームの速度調整がプレイヤーとゲームのあいだにコミュニケーションを生む」同書より
    *8:リズムに変化のないスローな曲は、消費者の行動を調整しやすく、〈機能的音楽〉とも業界では呼ばれる。こうしたものもゾーンを維持する助けになる。
    *9:「〈マシン・ゾーン〉における時間は、クロノス的時間ードゥルーズとガタリの言う“物と人の位置を定め、形をつくり、主体を決定する“標準時間”ーから逸脱して、“イベントの無期限の時間”に従う。それは“相対的な速さと緩慢さ”によって測られ、ほかのモードにおける時間が前提とする“時計や時系列の価値から独立した”時間だ。ミハイ・チクセントミハイも同様に、〈フロー〉活動の時間は自身の体験に“適応する”のであって、その逆ではないと考えた。」同書, 位置No4761
    *10:https://www.youtube.com/watch?v=XQVdR8mJrds
    *11:https://en.wikipedia.org/wiki/Pinball
    *12:吉田寛『デジタルゲーム研究』第六章より。ギャンブルとゲームの境界を探った論文のひとつでもある。
    *13:『Palworld』なんかこのへんがよく出来てましたね。
    Monomane 2024-03-18 07:26 読者になる
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    プレイヤーの破滅を目的とするゲームについて―『Balatro』の感想
    ぷにゃぷにゃ (46)
    ぼんやりした話 (40)
    ゲーム (31)

  15. 2024/03/18 16:29:14 偽日記@はてな 古谷利裕含むアンテナおとなりページ

    2024-03-10
    2024/03/10
    ⚫︎とても久しぶりにチェルフィッチュ『フリータイム』のDVDを観た。やはりこれはとても素晴らしい。2008年なのか…。六本木のスーパーデラックスがなくなったのがいつだったのかももう憶えていない。『王国(あるいはその家について)』に出ている人がいて、随分と若い。
    (日記を読んであの日のことを思い出す。)
    furuyatoshihiro.hatenablog.com
    furuyatoshihiro 2024-03-10 00:00 読者になる
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    2024-03-09
    2024/03/09
    ⚫︎『不適切にもほどがある ! 』、七話。今回は、現代のドラマ視聴者ディスみたいになっている。ディスというか、「たまたま六話とか七話だけ観たとして、それが好きだったら、ぼくにとってそれは好きなドラマです」と言う岡田将生の「いい奴っぷり(好感度)」によって(つまり、河合優美が「今、ここ」にいる経緯を問うことなく、それを謎として保留したまま、現状そのものを楽しみ、それ以上追求しないという態度によって)、伏線回収とか、細かい考察とかばかりしている現代視聴者の在り方(そして、そのような視聴者を前提として作られるドラマのあり方)に疑問を呈しているという感じ。それってあまりにも「狭い」ものの見方ではないか、と。そもそも、「終わり」が決まっていて、そこから逆算されるような物語ばかりが高く評価されるのはおかしいということが、「終わりが決まっている」阿部サダヲという存在を通して強く示されている。とはいえ、この『不適切にもほどがある !』というドラマがそもそも、最後にどこに落ち着くのか、どんなどんでん返しがあって、どのように伏線が回収されるのかとということにかんする「意外なオチ」を強く期待させるような作りになっている上に、伏線回収を求めるような現代視聴者の「反応」をあらかじめ織り込んでいるような作りであもあるので、一周回って、自虐的自己言及にもなっているという、複雑な在り方をしている。この絶妙なアイロニーの感覚が、このドラマの基調としてあるように思う。
    (ぼくは、クドカンのドラマでは『マンハッタン・ラブストーリー』が好きなのだが、それにちょっと近い展開になってきているようにも思う。)
    ⚫︎ムッチ先輩の眉毛、これは『フリクリ』なのか。このドラマのムッチ先輩やエモケン先生が素晴らしいのは、人物造形としては明らかに「紋切り型」そのまんまのキャラでありつつ、紋切り型を越えた、あまりに自由な動き方をするところだ。登場人物たちはみんな、ムッチ先輩が「中卒のヤンキー」だからといって舐めている。しかしそんな中、ムッチ先輩は誰にも予想できないような飛び抜けた動き方をする。前回は、阿部サダヲと吉田羊がしんみりと「余命」についての秘密を語り合っている場にちゃっかり居合わせてしまうのだし、今回も、適当に誤魔化せるだろうとたかをくくってタイムマシンの仕組みを教えると、ちゃんと未来にいけてしまう。みんな、ムッチ先輩は馬鹿だから簡単に騙せると思っているが、蛙化現象にかんしても、タイムマシンにかんしても、誤魔化せると思ってもまったく誤魔化されていないばかりか、一回り上の行動を見せる。
    エモケン先生にしても、時代遅れになった過去の業績によって今なお傲慢であるという、残念なウラシマタロウ的ベテランの紋切り型のように登場しつつ(それだけだったら単純な老害ディスにしかならない)、実は阿部サダヲとも気の合う気のいいおっちゃんであり、エゴサの結果でわかりやすく心が折れてしまうような弱いメンタルであり、傲慢なようでいて実は裏ですごく努力していたり(傲慢なように見せて実は久々の新作にすごく気合を入れている)、など、紋切り型からどんどんズレていく、このズレる動きそのものがギャグとなっている。このドラマでは単純な善/悪のようなものは存在せず、あらゆるものが様々な側面を持つということが、複雑に屈曲したアイロニーによって示されている。
    ⚫︎ちょっと前までは、素人感、手作り感に溢れるプールイのYouTubeチャンネルに出ていたファーストサマーウイカが、今では、地上波の、こんな立派なドラマに出ているのだなあと、しみじみする。
    ⚫︎二十歳前後の時に『赤ちゃん教育』に出会って以来、というか、小学生の時に『マカロニほうれん荘』に出会って以来というべきかもしれないが、超絶的なコメディに目がないのだが、今のクドカンはコメディライターとして冴えまくっているなあと思う。
    furuyatoshihiro 2024-03-09 00:00 読者になる
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    2024/03/10
    2024/03/09

  16. 2024/03/18 15:18:41 金融日記含むアンテナおとなりページ

    2024年03月17日
    米下院で若年層に人気のソーシャルメディアTikTokの規制法案が可決された。TikTokが米国内で営業を続けるには、親会社の中国バイトダンスが米国企業に虎の子のTikTokを売却しなければいけなくなる可能性がある。覇権争いで、米中対立が続いている。
    ●米下院、TikTok規制法案可決 「民主主義を弱体化」
    ●米下院、TikTokのアメリカでの利用禁止できる法案を可決
    ●米政府、TikTok売却を親会社に要求--応じなければ利用禁止も視野に
    すでにマスコミへのリークなどでほぼ確定事項になった日銀のマイナス金利政策解除で、今度はなぜか円が売られている。相場の格言に「噂で買って事実で売る」というものがあるが、ほのめかし段階では円が買われたのは、こうした格言通りだったのかもしれない。ゼロ金利政策が始まったのは1999年で、それでも効かずにETF直接購入やマイナス金利など、より非伝統的金融政策に踏み込んで行った。じつに25年以上に渡ったこうした異常な金融緩和が、いよいよ正常化に向かう歴史的なイベントだと考える市場参加者もいれば、マイナス-0.1%の政策金利(それも適用されるのがごく一部の資金)が+0.1%やそこらに上がったところで、米ドルの金利が4-5%程度で推移し、日々0.2%ぐらい動いているのに、ほとんど影響ないという市場参加者もいる。果たして、どのような変化が起こるのだろうか。やってみなければ、わからない。
    ●日銀、マイナス金利解除へ 賃上げ拡大で17年ぶり利上げ
    ●日銀、マイナス金利解除へ 国債買い入れ継続 金利の急上昇抑制 長短金利操作は撤廃
    日本株
    直近1年の日経平均株価とインプライド・ボラティリティの推移
    直近1年のドル円とユーロ円の推移
    外国株とコモディティ
    今週のマーケット・イベント
    3月18日(月)
    日銀金融政策決定会合(-3/19)
    日1月機械受注
    中国2月小売売上高
    中国2月鉱工業生産
    3月19日(火)
    日2月訪日外客数
    植田日銀総裁記者会見
    米FOMC(-3/20)
    米2月住宅着工件数
    米1月対米証券投資
    3月20日(水)
    パウエルFRB議長記者会見
    休場:日本(春分の日)
    決算:中国テンセント、他
    3月21日(木)
    日2月貿易統計
    米10-12月期四半期経常収支
    米3月フィラデルフィア連銀製造業景気指数
    米3月製造業購買担当者景気指数
    米2月中古住宅販売
    3月22日(金)
    日2月消費者物価指数
    ドイツ3月Ifo景況感指数
    3月23日(土)
    3月24日(日)

  17. 2024/03/17 16:57:44 玖足手帖 グダちん含むアンテナおとなりページ

    2024-03-17
    見た→新潟国際アニメーション映画祭「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア トークショー」有料生配信 富野由悠季&出渕 裕が登壇!
    逆シャア ガンダム 富野 トミノ
    最初のガンダムもいいけど逆襲のシャアは濃厚で今も語れる
    見た→新潟国際アニメーション映画祭「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア トークショー」有料生配信 富野由悠季&出渕 裕が登壇!
    最初のガンダムもいいけど逆襲のシャアは濃厚で今も語れる

  18. 2024/03/17 01:46:26 小説の準備2 慈安寺ウネ含むアンテナおとなりページ

    2024-03-14

    花粉がひどくてくしゃみがとまらない。瞳をとじてが新宿でまた見られるようになっていたので見てきた。過去3作の長編映画のつづきを描いたような自己言及的な内容でもあり、とてもよい映画だった。アナがアナ役のまま登場し、『ミツバチのささやき』での魔法の言葉が魔法ではなかったかのような演出がされていたが、このシーンではさらに映画内映画『別れのまなざし』で父が求めていた娘の無垢なまなざしが、映画内映画とは反転した形で父から娘に切り返され、無垢なまなざし=無関心の残酷さにアナが魔法の言葉をつぶやきつつ瞳をとじるという、正直これまでのエリセ映画の流れからしてここで終わるんだろうなと思ったくらいの残酷なシーンだったんだが、おどろくべき事に映画はその後も続いていき、しかも最後にまた魔法の言葉が映画内映画『別れのまなざし』で再現されて、2度目の、今度は父親が瞳をとじる場面で映画は終幕する。1度目のアナの拒絶的な「瞳をとじて」ではなく、ふたたび見開くための、きっと記憶をとりもどしふたたび父娘関係をやりなおすであろう奇跡をつよく確信させられる2度目の「瞳をとじて」で映画が終わるというのは実に感動的であった。
    また『瞳をとじて』の父娘は、女に狂って母娘を捨て南に失踪する父親を描いた『エル・スール』のその後でもあったし、その夏の光だけでマルメロの絵を描いては未完のまま倉庫にしまいつづけた画家を撮った『マルメロの陽光』での、未完の作品を倉庫に溜めこむことへのアンサーのような映画内映画『別れのまなざし』の魔法の力でもあったんじゃないだろうか。
    自作以外にもウェスタン映画への愛も感じられた(主人公の相棒のマックスには、ウォルター・ブレナンっぽさを強く感じた)が、今作の「まなざし」というテーマ性は、映画のまなざし=切り返しという事でドライヤーのファルコネッティへの距離感をつよく思い出させられたようにも思う。
    あと酒を飲みすぎて記憶喪失になる男というのは中平卓馬を思い出さずにはいられなかった。そういえば中平展のカタログはいつできるんだろうと近代美術館のサイトを確認したら3/30からミュージアムショップに並ぶと書かれていた。まじかよ。4/7までの展覧会で3/30でないとカタログが購入できませんってどんな計画性で企画練ってきてんだよ…
    cenotaph 2024-03-14 16:03 読者になる
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    花粉がひどくてくしゃみがとまらない。瞳を…

  19. 2024/03/16 21:13:24 Chakra6低速回転中含むアンテナおとなりページ

    ポイントマンは俺がやる(2024/03/16)
    知ってる人は、おっさ…と言いたいが、EGGにあったっけな。あった。
    というわけで、ポイントマンと言う言葉は、ファイナルゾーンで知った。という人も多いと思う(そんなわけはない)。ポイントマンはちょっと誤認が多い
    言葉。部隊で固定されたポジションとかね。(ちなみに、ファイナルゾーンのポイントマンは、操作キャラとか、出撃キャラの意味であるw)
    ドールズフロントラインやってた頃は、攻略wikiのBBSにタンク(ゲーム用語)と誤認している人もいたっけなぁ。ポイントマンは、部隊の先頭に立つわけだけど、別に相手の攻撃を引き付ける役割じゃないので。そも、敵に見つかっちゃいけない任務だからこそ、ポイントマンがいると思うのだけど。
    トラップや警戒中の敵兵とかの探知係が正解。要は肉眼レーダー。
    先頭だから危険率は高いんだけど、実際のところは、まともな兵士なら、先頭は少し離れて先行していると分かっているので、先頭(ポイントマン)をやり過ごして、士官がいる本隊到着まで待機するのよねぇ。
    そうやって先頭で警戒任務に付くので、当然、疲労度は人一倍高い。ゆえに交代制。疲労で注意散漫になったら、役立たずやし。そもそも、一人に任せていたら、その人に何かあった時、何にもできなくなるし。
    ブリーチインの先頭をポイントマンと言うのかは、良く知らない。ラストオリジンのドラコの個別キャライベントでそういう使い方をしていたけど…SWATとかは単にfront(先頭)じゃないかなぁ。
    マングースチームは、テロリスト対策チームなんで、要はSWATである。
    ウェアウルフの「カーン隊長みたいな切り込み役」は完全な誤解。まぁ、ウルフだしね(笑)。

  20. 2024/03/15 09:51:35 shorebird 進化心理学中心の書評など含むアンテナおとなりページ

    2024-03-14
    書評 「技術革新と不平等の1000年史」
    書評
    技術革新と不平等の1000年史 上
    作者:ダロン アセモグル,サイモン ジョンソン
    早川書房
    Amazon
    技術革新と不平等の1000年史 下
    作者:ダロン アセモグル,サイモン ジョンソン
    早川書房
    Amazon
    本書はダロン・アセモグルとサイモン・ジョンソンという2人の経済学者による「技術革新がどのような社会的経済的影響を与えるか」を語る一般向けの本になる.議論の焦点はまさに今大きな展開をみせているAI技術が私たちの社会や経済にどのように影響するのか(テックジャイアントが言うような楽観的な予測を信じていよいのか)というところにある.
    アセモグルはこれまでジェイムズ・ロビンソンと組んで,歴史的な自然実験という視点から国家や社会がどのような道をたどるか(どのような制度のもとで持続的経済成長が可能になるのか)を語る「国家はなぜ衰退するのか」「自由の命運」を書いてきた.本書のテーマはこれらの著作より狭い特定の経済現象を扱うものだ.
    本書でもこの「歴史的な自然実験」という視座をとって過去の技術革新がどうであったかを振り返りながら議論を進めている.経済学的な議論は「文献の解説と出展」という注釈的なセクションに下げられ,物語が前面に押し出されており,一般の読者が読みやすい作りになっている.原題は「Power and Progress: Our Thousand-Year Struggle Over Technology and Prosperity」.
    プロローグ 進歩とは何か
    プロローグでは本書のテーマが簡単に解説されている.
    現代のテクノロジーの進歩はすさまじい.これに対して「技術革新は自動的により良い世界(繁栄の共有)を生み出すのだ」というテクノロジー楽観主義がしばしば主張される.
    しかし歴史には,そうでなかった技術革新の例が数多く見つかる.(いくつもの例が挙げられている)
    私たちは「繁栄の共有がもたらされるのは,テクノロジーの発達の方向性と社会による利益分配の方法が一部のエリートに有利な仕組みから脱した場合に限られる」と主張する.進歩は自動的ではなく選択の結果なのだ.
    第1章 テクノロジーを支配する
    第1章では,まず「科学技術の勝利」的な楽観主義とそれに対するケインズやリカードの懸念,それらは忘れ去られていったが現在新しいテクノロジーが大きな格差を生んでいる状況になっていることを振り返り,繁栄の共有が生じるかどうかは選択によることを再確認する.そしていくつかの本書全体につながるロジックが解説される.
    楽観主義の根底には「生産性バンドワゴン」という考え方がある.新しい技術は賃金も上昇させるという主張だ.しかし様々な労働への需要は同じペースで増えることが保証されないので,不平等が拡大する可能性がある.バンドワゴンが生じるには生産性向上により企業が生産量を増やしたいと考えなければならない.そういうことが起こることもあるが,そうでないこともある.これはテクノロジーがどう変化したのか,経営者が労働者を扱う法律などのルール,規範,予想に左右される.
    企業にとって重要なのは(平均生産性ではなく)限界生産性だ,どんなに1人当たりの生産性が高くなっても,さらに労働者を追加で雇っても生産量が増えないのであれば限界生産性は0になる(例えば高度なオートメーションはこのような状況を生み出しうる).だから生産性向上は労働需要の増加を保証しない.グローバリゼーションやオフショアリングも同じような効果がある.
    繁栄の共有が生じるためには,つまり限界生産性を高めるには新たな仕事が生み出されることが必要だ.20世紀における自動車産業の自動化技術は,極めて大きな生産性向上効果を生み,石油,タイヤなどの関連産業,小売り,娯楽,サービス業に渡る新しい仕事を膨大に生み出した.だからケインズの懸念は実現しなかったのだ.
    しかし生産性向上が小さいと新たな雇用はほとんど生まれない(本書では「そこそこのオートメーション」と呼ぶ).技術が労働者への監視に使われる場合も同じだ.
    (1)だからまずテクノロジーをどう用いるか(限界生産性向上を目指すのか)の方向性の選択が「繁栄の共有」をもたらすかどうかに大きくかかわってくる.
    (2)次に問題になるのが企業と労働者の関係だ.規制も規範もなければ企業側の力が大きく,生産性向上の利益は企業がみな吸い上げてしまうからだ.
    テクノロジーの方向性を決めるのはビジョンだ.どのビジョンが使われるかは説得力に依存する.そしてしばしば権力者のビジョンの影響力が大きく,それは権力者に都合の良いものになりがちだ.これは汎用テクノロジーについては重大な問題になる.そしてこれはAI技術をどう押し進めるかに大きくかかわる.
    よいニュースはビジョンは変更可能であり,包摂的なビジョンも可能だということだ.
    第2章 運河のビジョン
    第2章はビジョンの影響力がテーマ.ここは物語仕立てになっていて,レセップスによるスエズ運河の成功とパナマ運河の失敗が対比される.著者によるとレセップスのビジョンはテクノ楽観主義と市場への信頼とヨーロッパ優先主義にあったという整理になっている.テクノ楽観主義は閘門式運河を嫌い海面式運河を求め,これがスエズの成功とパナマの失敗の大きな要因となる.市場への信頼はスエズの資金調達を可能にし,パナマについても多くの資金を集めることに成功する(最終的には投資家に大損をかけ,最後の資金調達には失敗する).そしてヨーロッパ優先主義はどちらの運河の労働者にも過酷な労働を強いることになった.
    著者はレセップスのビジョンは,それがなければ不可能だったスエズ運河を可能にしたが,パナマの現実認識を阻害したのだとまとめ,パナマの失敗の教訓はテクノ楽観主義の陥穽を示していると指摘している.
    この印象的な物語で,レセップスのビジョンの力が事業の成功と失敗に大きな影響力を持ったことはよくわかる.しかしこの例は本書のテーマからやや離れていてやや微妙な印象だ.巨大運河という技術はどういう(著者たちの言う)方向性を持つものだったのか(それは大量の新しい仕事を作り出したのではないか)ということが語られていないのが残念という印象だ.
    第3章 説得する力
    第3章ではある特定のビジョンが支配的になるのはなぜか,そして世界はいかにしてビジョンの罠に陥るのかを扱う.著者たちによればあるビジョンが支配的になるのは説得力で決まることになる.そしてレセップスの投資家に対する説得力,ナポレオンの兵士に対する説得力,ウォール街の銀行家たちの政府高官やジャーナリストに対する説得力がまず例としてあげられ,説得力の要素としてアイデアの力とアジェンダ設定(どのアイデアを選択するのかの枠組み)が指摘される.
    アイデアが受け入れられるためには多くの要因がある.社会情勢,情報ネットワーク,個人のカリスマ性,そして素晴らしい物語に裏打ちされているかなどだ.アイデアが選ばれる過程はしばしば市場のアナロジーで説明されるが,必ずしも優れたアイデアが選ばれるわけではない.(単にキャッチーなものが選ばれたり,権力に左右されたりすることが指摘されている)
    私たちはアイデアを選択する時にしばしばヒューリステイックスに従う.これは人々を操作しようとする者にアジェンダ設定で悪用される.そしてアジェンダ設定はしばしば社会的地位の高い者に握られている(リーマンショックの時の大銀行家たちについて「大きすぎて潰せない」というカードを持ち出して選択の枠組みから現実的な選択肢を排除した例,南北戦争後の南部で支配的白人指導者たちが黒人の隔離政策の妥当性をうまく売り込んだ例が挙げられている).そしてこの問題の根源には制度がある.制度は誰が説得力を持つのかを決め,アイデアと共進化するのだ.
    そして制度的に説得力を持った権力者たちは,自分のアイデアや自分の利益を正当化する方法を見つけ,堕落していく.
    これから逃れるには,対抗勢力を作り出すことが必要だ.支配的なビジョンを相殺するものとして多様性を生み出して未来を再構築しなければならない.そのためには民主的な政治制度が極めて重要だ.それは包摂的ビジョンの制度的基盤となる.
    著者たちによると,ビジョンこそが技術の方向性を決める重要な要因ということになる.しかし(少なくとも自由主義の市場経済体制における民間利用については)最終的にはそれは技術を最も効率的に利用した際の収益性(資本効率)で決まるのではないか(よい利用モデルをいかに発見するかにビジョンがかかわるかもしれないが)というのが当然の疑問として浮上するのではないだろうか.著者たちの限界生産性と「そこそこのオートメーション」の議論はそれに対応するものだろう.だが技術の方向性に関する(技術の本質的な)収益性とビジョンの重要性との関連の議論は行われない.ここもやや残念な印象だ.全体的に著者たちの「ビジョン」の議論はわかりにくいと思う.
    ここまでが理論編で,ここから歴史的なケーススタディが始まる.第4章で農業における技術革新,第5〜7章で18世紀から20世紀にかけての産業革命以降の技術革新の歴史が解説される.
    第4章 不幸の種を育てる
    第4章は中世ヨーロッパの農業技術革新のケーススタディ.
    中世ヨーロッパでは輪作,水車,肥料.耕作工具などの技術革新があった.1000〜1300年にかけてイングランドでは水車や風車の利用により単位面積当たりの収穫量は倍増した.しかし農民や労働者にバンドワゴン効果は生じなかった.著者たちは余剰は人口の5%のエリート層,特に教会に吸い込まれたのだと説明している.
    そしてこれはテクノロジーをどう使うかが権力者によって決められたためだと主張する.中世の制度では農民や労働者の移動の権利はなく,支配者層は報酬を増やさずに労働強化を強制することができたのだ.また支配者層(特に教会)は新技術の利用方法が自らに不利益をもたらすと知ればそれを禁止することができた.
    著者たちは,このような権力者の強制力の歴史的変動や地域的な差異と農民の生活の質に相関がみられること,この現象が生産性の上昇に人口増がすぐに追いついたというマルサス的な現象ではないこと,古代ギリシアや古代ローマでも同様な現象が生じたこと,そもそもの農業の開始,エジプトのピラミッド建設,英国の囲い込み運動,アメリカ南部の綿繰り機の影響,ソ連の計画経済においても同様であったことを解説し,またこれが単純な強制だけでなく,権力者の威光による説得の要素もあったと主張し,こうまとめている.
    農業における技術革新の余剰が支配層にのみ吸い取られたのも,不平等と階層制の拡大も必然であったわけではない.これらはその時点の制度のもとでの選択の結果,つまり支配層がそれが公共の利益になると主張し,それが(権力や宗教的威信により)説得力を持った結果なのだ.
    中世における農業技術の革新が繁栄の共有を生まずに格差の拡大につながり,それは権力者にとって有利な制度があったためだという物語には説得力がある.しかし著者たちの仮想敵であるテクノロジー楽観主義者は「これは制度問題だ(自由主義市場経済であれば繁栄の共有が生じた)」と主張するだろう.だから本書のテーマの基礎付け物語としては弱いのではないかという印象だ.
    第5章 中流層の革命
    第5〜7章では産業革命時〜20世紀までの状況が吟味される.技術革新の方向性と制度の状況は19世紀の半ばごろに大きく変化する.第5章では産業革命勃興の状況がまず整理される.
    冒頭ではスティーブンソンが蒸気機関と鉄道の統合システムを実現させ,技術的な問題を解決し,さらに新しい輸送網,そして大量の新しい仕事を作ったことが語られる.しかしそれは必然ではなかったというのが著者たちの説明になる.物語は産業革命勃興時に遡る.
    英国では産業革命勃興当時,(それ以前の科学革命の結果)テクノロジーに興味を持ち,立身出世を目指す中流層が出現しており,この「成り上がり者」こそが19世紀イギリスの発展の決定的要因だった(これまでの様々な要因説*1が比較検討されている).
    この中流層はどのように出現したのか.それは英国の封建社会が(その他の国よりも早く)緩やかに衰退していき(マグナカルタ,イングランド内戦,名誉革命に至る流れが描かれている),金持ちになれば尊重してもらえる社会になっていったからだ.野心を持つ者は既存の体制の枠内での上昇を切望した.
    この新たな上昇志向階級は,当然ながら自らの富の蓄積を求め,共同体全般の生活水準については無関心だった.
    第6章 進歩の犠牲者
    第6章では産業革命が社会の中の格差にどう影響を与えていったのか,それがどう変化したかが描かれる.
    冒頭では子供の雇用についての1842年の英国の調査委員会の報告が描写される.19世紀の英国では貧しい階級の子供は容赦なく搾取されていた.
    産業革命初期,大多数の人々の実質賃金は上がらなかった.(1600~1850年ごろの経済状況,生産性と賃金の推移が解説されている)産業革命の結果,それまで職人技を必要とされていた労働者は工場での単純作業をするだけになり,雇用者と労働者の力関係は前者有利になった.この結果生産性上昇の果実は起業家が丸取りし,労働者に共有されなかったのだ.(具体例として繊維業界のオートメーションが取り上げられている)
    産業革命は石炭の利用を増やし,その結果公害が生じ,都市衛生環境の悪化による感染症とともに貧困層にとって特に負担となった.
    つまり著者たちによると「成り上がり者」たちのビジョンと,成功した起業家に有利な制度が技術革新が格差の拡大につながった要因ということになる.ここから転換が語られる.
    しかし19世紀後半になり,事態は大きく転換した.労働者の賃金は生産性上昇とともに増え,食事と生活環境が大きく改善した.
    このような生産性バンドワゴンが生じるには,労働者の限界生産性が向上し,かつ労働者側に十分な交渉力がなければならない.
    まずテクノロジーの方向性が(労働者の限界生産性を高めるような方向に)転換した.鉄道は(単なる自動化の道具ではなく)輸送システムを根本的に変え,(建設,保守,エンジニアリング,マーケティングなどの)専門技術を必要とする多くの仕事を作り出した.そして輸送コストの低減は他産業を大いに成長させた.生産性の上昇が新たな仕事を作り出すという結果に結びついたのだ.さらにアメリカではオートメーションだけでなく,熟練度の低い労働者の生産性を上げるような(生産のシステム化などの)発明が優先された.
    そしてこの頃労働者の交渉力を上げるようなビジョンが形成され,それが包摂的な制度として実現した.(チャーチズム,労働組合の合法化,民主化の動き,公衆衛生の重要性の認識などの流れが解説されている.またここではこのようなビジョンが育たなかったインドの鉄道が国内産業の空洞化の引き金となった成り行きが対比されている)
    つまりテクロノジーの性質変化と労働者の力を強化する制度変更が鍵となったのだ.
    第7章 争い多き道
    第7章では19世紀末〜20世紀の生産性と繁栄の共有の歴史が描かれる.
    1870年代にアメリカは世界一の経済大国になった.労働者の過半は農業に従事していたが,農業機械の技術革新は必要な農業労働者の数を大きく減らした.しかしアメリカの産業界が急速に変革され,全体の労働需要は大きく増加した.
    これにはアメリカのテクノロジーの方向性が大量生産とシステムズ・アプローチに向かっていたこと,特に新しい電気の利用にかかる技術が汎用テクノロジーであり,通信の革命を生み,工場運営効率*2が大幅に上昇したことが大きい.それは労働者の限界生産性を上げ,新しい産業,新しい職種(エンジニア,ホワイトカラー)を生んで新しい仕事を大量に作ったのだ.(自動車産業の例が詳しく解説されている)
    やがて世界は大恐慌の時代になる.経済は大きく混乱した.(ここで大恐慌に対するスウェーデンSAPの社会民主主義的な政策が包摂的な制度を作ったものとして好意的に紹介されている)
    ルーズベルト大統領は最低賃金制を導入し,政府規制と労働運動の強化により企業への対抗勢力を培おうとした.このニューディール派の願望は(南部民主党の強硬な反対で)完全に実現することはなかったが.マクロ経済と労働運動を後押しした.
    1940年代からの数十年は経済が大きく成長し,繁栄の共有も生じた.これが可能だったのはテクノロジーの方向性と制度的枠組みがともに望ましいものであったからだが,それは必然ではなかった.
    1950〜60年代に数値制御機械やその他のオートメーション技術が工場に導入されるようになり,急速な自動化の中で雇用が創出できるのかが問題になった.しかし実際には雇用は一貫して増加した.製造業には様々な専門職,エンジニア,事務員の雇用が創出され,小売りなどの産業が発達し,カスタマーサービス,マーケティングなどの雇用が創出された.
    しかし技術がこのような方向に向かったのは必然ではない.そこには制度的な要因があった.労働組合はオートメーションを認める条件として,トレーニングつきでの新しい仕事と生産性上昇の利益の一部の還元を要求した(コンテナ船の技術革新と港湾労働者たちの交渉の例が挙げられている).ドイツや英国のようなヨーロッパ諸国でも同様だった.
    ただし1960年代までは,女性,マイノリティ(特にアメリカの黒人),移民は政治的影響力,経済的恩恵から排除されていた.それも1960年代から変わり始めた*3.
    著者たちの18〜20世紀の技術革新の帰結の説明は以下のようにまとめられるだろう.
    まず産業革命が英国で進行したのは,立身出世を目指す中流の起業家たちの影響が大きい.そしてその結果生じた生産性向上分の利益は起業家たちが丸取りし,格差が広がった.
    19世紀の後半に転換が生じた.それはテクノロジーの方向性が変わり大量の新しい仕事を生み出したことと労働者の交渉力を上げるビジョンが包摂的な制度につながったことによる.
    この著者たちの説明の制度変更と労働分配率の向上の部分はよくわかる.しかし技術の方向性の議論はよくわからないところがある.蒸気機関が工場に導入されるのと,機関車として利用されるのの違いがどこから生まれるのか(そこにビジョンがかかわってくるのか,それともどちらも資本効率最大化を目指したが,たまたま効果に差があっただけなのではないのか*4)がきちんと説明されている様には感じられない.
    第8章 デジタル・ダメージ
    第8章からは現在のIT技術革新がテーマになる.まずはコンピュータ革命時のハッカーの楽天主義から描写される.
    1960〜70年代にハッカーたちはIBMを軽蔑し,分散化と自由を求め,「情報は自由であるべきだ」と訴えた.そしてコンピュータが発達すれば,一般市民のための新しい生産的なツールになり強固な繁栄の共有が実現されると考えた.
    しかし実際には1980年代以降賃金格差は拡大の一途をたどった.その背景にあったのは利益と株主価値の最大化が公益につながるというビジョンだった.テクノロジーの方向性が50〜60年代と異なるものになり,労働運動が下火になったことが要因だ.経営者はオートメーションを最優先にして新しい仕事の創出することをないがしろにしたのだ.(80年代以降,自動車産業の状況がどう変わったかが解説されている)
    この格差拡大についてのよくある議論は,テクノロジーとグローバリゼーションを対比し,前者が格差をもたらすのは避けがたいが,後者を許容するかどうかは選択の問題だとするものだ.しかしこれは誤っている.テクノロジーに必然的な方向はない.
    ここでアメリカの政治状況が,60年代のリベラル的なもの(公民権運動,平等雇用機会均等法など)から,80年代の自由市場主義的なもの(規制緩和,富裕層と企業への減税,フリードマン・ドクトリンなど)に移り変わってきた歴史が描かれている.実業界のロビイング,経済学の流れの変化,労働運動の挫折などが詳しく解説されている.
    そしてアメリカ企業は「リエンジニアリング革命」を遂行し,そのためにIT技術を利用した.その1つの例がOA(Office Automation)だ.その結果それまで比較的高賃金だった職業(スキルが低いか中程度のオフィスワーカーなど)の雇用数や賃金が減り始めた.
    これは必然ではなく新しいデジタルビジョンにより選択されたものだ(ドイツなどではある程度別の成り行きであったことに言及されている).そのビジョンはエリート主義的で,一部の優秀な人々がシステムを設計し,高給を取ることが正当化された.それは生産性バンドワゴンが生じることを基礎としていたが,それには前提条件(労働者側にも交渉力があること,生産性の伸びが継続的に大きいこと)があることは見過ごされていた.労働運動は低調で,IT技術による生産性の伸びは喧伝されたほど大きくなかったのだ.
    80年代から90年代にかけてのIT技術の進展がどれだけ生産性を上げたのか,それが人々にどういう影響を与えたのかはなかなか難しい問題だ.片方で賃金格差は増大した.しかしそれによる消費財の効用増大は多くの人々にとって福音だっただろう.だからここで問題にされるべきなのは低賃金層の実質的な購買力がどうなったかではないのだろうか.単に賃金格差だけを問題にするのはあまり説得力のある議論には思えない.また前3章と同じくビジョンが技術の方向性にどう影響を与えたかについてもあまり説得力がある議論がされているようには思えない.
    第9章 人工闘争
    80年代以降のIT技術革新は繁栄の共有をもたらさなかった.では今まさに革新のまっただ中のAI技術がどうなのかが第9章以降のテーマになる.
    2020年代,AI技術について,エコノミスト誌やマッキンゼーレポートは明らかに生産性バンドワゴンを前提とした楽観論「AIは,雇用縮小や労働上の不平等をもたらさず、広範囲な経済的社会的な利益をもたらす」に立っている.私たちはそれは幻想だと主張したい.
    AIテクノロジーの最近の進歩は驚異的で,非ルーチン業務への自動化も視野に入ってきている.これまでのところ,AI投資に熱心な企業では(専門家の採用は増えているが)全体の採用数を大幅に減らしている.全産業での大量失業は生じていないが,今後多くの人の賃金が下がることが予想される.
    (ここでこれまでのAIの流行の波が解説されている)今回のAIヘの熱狂は深層学習によるブレークスルーがきっかけになっている.このテクノロジーは大量のデータ使用,拡張性と転移性の向上,そしてオートメーションの拡大の方向をむいている.そして実際には「そこそこのオートメーション」効果しか生んでいない.
    なぜ「そこそこのオートメーション」しか達成できていないのか.それは現在のAIでできることに限りがあるからだ(暗黙知,社会的スキルの問題が指摘されている).また汎用AIの目標は「過学習」の問題を過小評価している.このため現行AIで可能なのは大量テータと機械学習で利用可能な限定的なタスクの自動化に止まっているのだ.
    もう1つの問題は現在のITテクノロジーが労働者の監視の機能を向上させていることだ.これは雇用者を一方的に有利にするものだ.
    しかしそうではない道もあったはずだ.テクノロジーの方向性が「機械有用性:それが人間の目的にとってどれだけ役に立つか」を高める方向であったならば状況は異なっていただろう.人間にとって使いやすく技能を伸ばしてくれる技術*5,拡張現実のような新しい仕事を作る技術,情報の正確なフィルタリングなどの意思決定に役立つ技術,新しいプラットフォームや市場を作り出す技術にイノベーションが向かっていれば状況は異なっていただろう.
    そういう方向に自然に向かうのは難しい.経費削減に取り組んでいる企業には魅力的ではないし,新しい技術はしばしば想定外に搾取的に用いられてしまいがちだからだ.これは貧困国に技術導入してもなかなかうまく

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