「#学園」のBL小説を読む
2024年11月22日
社会への報復
辛口評論
20日に放送されていたテレ朝「ワイドスクランブル」では、中国で続発している無差別襲撃事件を「社会への報復」というキーワードで取り上げており、非常に興味深く視聴する事となった。実際に中国では日本語にした場合に「社会への報復」を意味する検索ワードが増加しているらしい。思えば、この「社会への報復」とは、米国に於ける「ジョーカー現象」だ。「ホームグロウン・テロ」にも通じるものがある。そして日本に於ける「無敵の人」や「闇バイト」にも通じるワードだ。
「ワイドスクランブル」の番組中、中国の無差別襲撃事件の現場で中国の一般男性へのインタビューが行なわれていた。その男性が事件を語って
「社会への報復でしょう。それ以外に考えられない」
と語っていましたが、何かハッとする感覚があった。あーだこーだと、このテの無差別襲撃事件の背景を考えようとしても無駄だよなと痛感させる語り口であった。その通りだ。答えは分かっている。他に考えようがない。「社会への報復」として無差別襲撃事件が起こされているのだ。すると、するすると凝り固まった意識がほぐれてゆく。思えば、映画「ジョーカー」が爆発的にヒットしたジョーカー現象も殆んど同じなのだ。
「ワイドスクランブル」のゲスト解説者は柯隆(かりゅう)氏でしたが、その柯隆氏が、これまた、畳み掛けたシーンがあった。
「貧しくても犯罪は増えませんが、格差が開くと犯罪が増える」
少し補足すると、みんなが等しく貧しいのであれば、憎悪感情が芽生えないのだ。しかし、現在の世界は違う。中国ともなると、掲げられていたタテマエは「共同富裕」で国民全体が裕福になっていくというのが共産主義イデオロギーであるにも関わらず、あの露国な格差社会を21世紀に現出させてしまったのだ。
本当は、この直ぐに気付くべき問題でしょう。現代人は諸々の「共同幻想」的な価値観に惑わされてしまい、極めて基本的な事柄に対しての感度が鈍ってしまっているのだ。他人の成功を妬むものではないと思いながらも、妬んでしまうのが人間というものだ。比較され、階層を細分化しようとしているし、政策によっては意図的に格差を拡大させようとするものまで紛れ込んでいるのだから嫉妬するなという方が無理がある。
吉本隆明が展開させていた共同幻想論は、或る種の幻想に〈世の中全体〉が巻き込まれて、その幻想に基づいて現行の価値体系が形成されているとするものであった。おそらく、この話は仏教の唯識説やベーダ哲学などでも大昔から展開されてきた話であり、国家幻想論なんてものもある。何故、人々は政府に税金を納め、徴兵制が布かれれば、その徴兵に従うのか? この問題を現代人は意図的に考えないようにしている。おそらくは、そう教育されている。社会契約論だという。しかし、では、いつ何処で誰が、その契約書に署名したり、ハンコをついたのか? 契約書は交わしていないが、そういうものなのであるという具合に、国家権力に押し切られてしまうものなのだ。押し切られず抵抗すれば、警察や軍隊といった暴力装置、これはリヴァイアサンという用語に言い換えられますが、リヴァイアサンによって脅され、弾圧され、拘禁されたり、拷問されたり、処刑されたりする。それが生々しい歴史でもある。
共同幻想と国家幻想論を補足する材料としてはベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』があり、これはEテレの「100分de名著」の番外編「100分deメディア論」で取り上げられたらしく、それが『支配の構造』(SB新書)という形で新書になっていた。「我々は、一口に国民といい、その国民を理解するが、本当は国民という言葉は幻想であり、同じ日本国民であっても実際には知らない人たちだらけである」のような事を説明している。【国民】という言葉が成立して初めて「国民」という〈抽象的な観念〉とか〈表象/イメージ〉として登場して成立しているものだという。確かに国民という言葉を使用しているが、実際のところ、日本人であっても多くの日本人とは知らない人たちだらけなのだ。つまり、国家というのは想像上の共同体に過ぎないという訳です。何か確固たる実存する何かではない。国家にしても似ていますな。もし仮に全国民の6割の人が実際には税金を払っていないという状況になったとして、それでも、あなたは納税するだろうか?
こう述べても「いいえ、国家は必要です。国家があるから私たちは存在していられるのです」のような模範解答をしたがる人たちがいる。しかし、冷静に人類学が切り拓いてしまった未開人集落の構造などからすると、ピエール・クラストルが展開したように「人類は不運にも国家というものと出会ってしまった」となる。中沢新一は『カイエ・ソバージュ』シリーズの中でも「ピエール・クラストル」という人名を一ヵ所で挙げていたし、現在、読んでいる『アースダイバー』シリーズの中でも再三再四にわたって、その話が出てくる。日本人の源流は他人から価値観を押し付けられる事を嫌い、国家に帰属する事を嫌悪してきた「ゾミア」(後述)であろうと展開している。
少しだけ『アースダイバー神社篇』から引用します。
倭人がいまから三千年ほど前から、しだいに生活の拠点を、北に移していこうとする動きを、見せ始めたのである。おそらく倭人は「部族的」な精神構造をした人々で、黄河流域からしだいに勢力を伸ばして南下してきた漢民族がつくっている「国家」に取り込まれるのを嫌って、海へ出ることを選んだのではあるまいか。(『アースダイバー神社篇』50頁)
その後の歴史の展開を見ると、縄文人も倭人も、相手に自分の価値観を押し付けることを、好まないひとたちだったように思われる。(同51頁)
「日本人の源流は何か?」という問題で、基本的には名前まで上げて鳥越憲三郎の倭族論を支持している。「倭人」とか「弥生人」という用語ではありますが、元々は揚子江河口付近で稲作を習得していたが、後の漢族となる人たちが国家を形成し、諸部族に帰属を迫るようになった際に国家に組み入れられる事を嫌い、中国南西部の山岳地帯へ逃亡した人たちを「ゾミア」と呼ぶ。倭人・弥生人の源流もゾミアに似ている。少数部族として知られる苗族(ミャオ族・マオ族)や東南アジアの山岳地帯に逃げた少数民族と日本文化が似ている事は、かなり昔から指摘されていた事でもあった。つまり、日本人の源流とは国家のような枠組みに組み敷かれる事を厭い、理想郷を求めて海へ出て、日本列島に稲作文化を持ってやってきた人たちが倭人・弥生人である――と組み立てることで、柳田国男の『海上の道』を再構成してみせている。
歴史ネタと重ねてしまい、分かりにくくなってしまったかも知れませんが、もう文化人類学などの考察からすると、「人類は不運にも国家と出会ってしまった」説は非常に有力だ。ヤノマミ族などの南米先住民の習俗にせよ、アメリカ先住民たちの歴史にせよ、「体制に組み込まれるなんて冗談じゃない! 死ぬ気で戦うぞ!」と反応し、必ず抵抗が起こった事でも検証できる。人類全般と個々人にとっての理想を言えば、国家という名の統治体制は別に有難いものではないのだ。それでも「有難いもんだよね」と感じているのは、他の国家からの脅威を防ぐ為に自国が必要になっているだけで、国家という共同幻想が成立してしまい、そのままの歴史を歩んできているから――と考えられるのだ。
余談までに「国家」の条件を掘り下げていくと、「他の国家からの承認」がある。それは予ねてより指摘されていた事柄でもあった。そして近年では実際にイスラム国が「自分たちは国家を樹立した」と宣言したが、そのような宣言をしたところで、よその国々が承認しない限りは国家は成立せず、イスラム国の事例は皮肉にも、それを証明していた。おそらく、国家とは権力集団と権力集団との相互承認によって成立している共同幻想なのでしょう。
「憎悪はよくない」とか「ルサンチマンはよくない」も或る種の幻想である可能性が高い。妬みとか嫉みという感情は、ごくごく自然な感情から生じているのが自明だ。しかも、そのような制度の中で序列化される。経済力なら経済力で、その基準に従って権力的なカーストが構築されてしまうのだから下層の人たちが不満に感じたり、反発したり、抵抗したりするのはごくごく自然な成り行きだ。格差というのは可視化されてしまえば、それは耐え難いほどの劣等感や屈辱感を低位の人々に与えることになる。それでも「耐えるべき」というのでは、その者の自己都合な視点でしかない。
「人は何故、暴力に訴えるのか?」という問題がある。この問題も現代人は規範や教条として「暴力はいけないのです」という次元で理解してしまっている。しかし、規範も教条も或る種の幻想だ。実社会には厳然と暴力は存在しているし、統治機構は先述したように公権力としての暴力行使をバックボーンにして成立しているものなのだ。犯罪者は死刑にするし、近年ともなると大っぴらに暗殺したりもする。グアンタナモ基地のような辱めを与えるという行為もあった。
何故、人は暴力に訴えるのか? その暴力が行使される背景には「輝き」、「自尊心」、「誉れ」、「矜持」、「名誉」のようなものがあるから。屈辱を受けたら晴らしたいと欲するのが人であり、そういう部分からすると報復という行為は、ごくごく自然な感情なのだ。怨みを晴らしたい、復讐を遂げたい、目にモノを見せてやりたい、吠え面をかかしてやりたいという強烈な情念を抱くのが、ヒトという少しばかり知恵の発達したサルの特性なのだ。
これを無意識レベルでは理解できているからこそ、人はマウンティングを競い合い、優位にある者は劣位にある者に対して、徹底的に屈辱を与えようとする。グアンタナモ基地の一件などは、まさに好例だ。抵抗できない者に対しては、徹底的に屈辱を味わわせてやろうと考える残念な生き物なのだ。暴力の連鎖が止まらないのも、この強烈な応報感情と関係している。やれたら、やり返す。受けた屈辱は必ず晴らさねばならない。その復讐を遂げる為であれば、自分の命さえも惜しくない。そのようにまで強烈に作用する力を持っている。
「怨み」の矛先は、何故、社会になるのか? まぁ、さくらと一郎の「昭和枯れすすき」の歌詞にも現われていますが、「♪ 貧しさに負けた」「いいえ、世間に負けた」と考えるものでしょう。厳密に言えば「世間」と「社会」とには若干のニュアンスの差異がある。漠然とした自分以外の人たちの領域を〈世間〉と認識しており、対して〈社会〉とはシステム化された領域を意味している。現在のような状況でいえば、世間ではなく、怨みの矛先が向かうのは社会の方でしょう。
「突破者」と冠された宮崎学の著書や、犯罪ノンフィクションを読んでいると、これは、どうしようもなく人間を表現しているなと感じることがある。それは一つには「虐げられて生きてきたもんの怖さを教えてやる!」のようなセリフだ。おそらく、そういったセリフは実際に虐げられて生きてきたという自覚のある者が使うセリフであり、そのセリフが出るというのは、もう、その報復を前提にしているので、どんな残酷な行為でも躊躇なく行えてしまうであろう心理状態の者だ。確かに、受けた屈辱が大きければ大きいほど、その報復行為の残虐性は強くなり、そのスケールも大きくなる。
こうした心理戦に現代人は疎くなっている。教条的な「暴力はよくないのです」のような外殻に守られながら、一方では相手の内面を傷つけるような口汚い言葉を平気で浴びせるようになっている。しかも、それは或る種の計算をした上で、そしてサディスティックに、その対象相手の自尊心をズタズタに切り裂こうとしている。つまり意図的に、強い辱めを与えるようになってきているのだ。
逆に、そのように追い込まれて行った側の者は、最終的には命を捨てても構わないというヤケクソな報復に走る。死を覚悟した復讐者の心理ともなると、おそらく「最期に、ひと花咲かせてやる」ような感覚になる。「最期の最期にドデカい花火を打ち上げてやれ」のような発想なので、社会に大きなインパクトを与えるような死に方を選ぶことになる。惨めな死に方だとは思われたい筈がなく、どうせなら大きな存在感を誇示して死のう、どうせなら大きな爪痕を残して死んでやれ、のような感覚になるのだろうなと思う。
ああ、誤解されないように言及しておくと、私自身は野垂れ死にみたいな死に方でもいいと思っているタイプですよ。「荘子」とか好きだから。ただ、怨みを晴らしたいという強烈な情念を抱いている人の心理とは、そういうものであろうという話で。惨めか惨めじゃないかにこだわる人というのは見栄坊である可能性が高く、勝つか負けるかの二元論に固執する思考の人たちであると思う。そういう「勝ち負け」であるとか「優劣」や「上下」に固執するタイプの人こそが進退窮まった場合に、凄まじい報復劇をしてやるという執着心になるのだろう、と。
2024-11-22 01:12
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1 政治・経済
2 留学
3 癌
4 語学
5 教育・学校
6 米国株
7 英語
8 競馬・ギャンブル
9 哲学・思想
10 韓国語
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兵庫県知事選(2024/11/19)
ほぉ、再選されるとはなぁ。よっほど、対抗馬が酷いんか?、と報道みていたら、対立候補を見たら、そら、斎藤さん勝つわ。と思いました(第一印象占い)。
さらに、色々と裏があったようで。
不信任案は、地方議会によくある、利権と権力に手を出された報復。の面もあったようです。関西圏は、闇専従どころか、どうどうと役所さぼって、活動家してたからなぁ90年代。多分、関西圏全域は、あのレベルだったと思うので、奈良和歌山も怪しい。
橋下知事(当時)の人気と知名度でも、あれほど手こずったわけで。ただの役人からの就任では、厳しかったろう。
ただ、クレクレとか、恫喝とか、全てがフェイクだったわけじゃないんでしょ?。っていう感はあるのだが、騙された自分を認めたくない足掻きかなぁ?。
でもまぁ、あのもみ消しを測っているかのような、公益通報に対する処理は、酷すぎたよな。なんで、とっとと怪文書提示して、不倫日記というか、犯罪日記を公開しなかったのか?。内内で済ませようとして、相手が死なばもろともをやったのかなぁ?。
正確は直せないので、半年、一年経って、恫喝騒動が再燃するかどうかだなぁ。その時はまた怪文書が飛び交いそうだけど。
しかし、この怪文書というスタイルがまた…サヨクスタイル…と言うか、対抗馬の人、だいぶ左巻きだったみたいで。政策などを語らず、ネチネチと他者しか攻撃しない演説は、まさに共産社会党スタイル。
兵庫県って、予想外に真っ赤なんかねぇ?。ホント、テレビの偏向ぶりは反吐が出ますな。
あと、N国の立花さんが、初めて男前に見えた。顔でなくて背中が。でも、政治主張は合わないので、応援はしない。
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これは綾瀬はるかではない。大島渚である。 ■紀伊國屋から出ているD...
都市部の大卒ホワイトカラー層を支持基盤とする国民民主党は、支持層からして「反エリート」ではなく、ポピュリズムではないのか?(「窓際のはいおくたん」氏のX)/玉木雄一郎と玉キッズこそハーヴェイ的な意味における最凶の「新自由主義」政治勢力ではないか?
民意に従え、自民党の国会議員たち
「国民民主党が史上最強なワケ」玉木総理大臣誕生もあり得る…?今後の政権運営はどうなっていくのか?[三橋TV第941回]三橋貴明・菅沢こゆき
https://youtu.be/tvCpHHmGZM8
三橋TVでも解説していますが、戦後の日本は本格的な少数与党を経験していない。
国民福祉税(要は消費税増税)問題で細川内閣が倒れ、成立した羽田内閣は、社会党が連立から離脱したことで、少数与党に転落。わずか64日で倒れました。
しかも、あの時は社会党の離脱により少数与党化したわけで、国民が選挙で少数与党を「選択」したわけではないのです。
石破内閣こそが、戦後初の本格的な少数与党政権になります。
羽田内閣のときは「社会党のせいだ」と言えた与党議員たちも、今回ばかりは誰のせいにもできません。さすがに、投票した「国民のせいだ」とやるわけにもいかんでしょ。
しいて言えば「自分たちのせいだ」でございますよ、自民党の国会議員の皆様。(公明党は完全にとばっちり)
本格的な少数与党政権が始まり、キャスティングボートを握った国民民主党は憲政史上最強の野党となりました。
『年内の補正予算案成立に道筋 「103万の壁」引き上げで自公国合意
自民、公明、国民民主の3党は20日、所得税がかかり始める「年収103万円の壁」の引き上げや、ガソリン減税の検討などを明記した総合経済対策案について合意した。経済対策の裏付けとなる2024年度補正予算案についても「年内の早期成立を期する」とした。自公が衆院で過半数を持たない「少数与党」となる中、国民民主の看板政策を取り入れることで、年内の補正予算案成立に道筋を付けた。(後略)』
「消費税減税はどうなったっ!」
と、ナイーブ(幼稚という意味)な反発をする人が少なくないでしょうが、落ち着け。
まだ、序章に過ぎない。
補正予算について道筋がついた以上、次は12月中旬に向けた税制大綱の議論。
【2024年11月20日 国民民主党 令和七年度税制改正に関する要望一覧】
<最重点>として、基礎控除等の178万円への引上げ。特定扶養控除の年収要件引上げ。そして、ガソリン税関連。
ガソリン税に関しては、「二重課税廃止」となっているため、トリガー条項凍結解除や暫定税率廃止のみならず、ガソリン税そのものを無くせと主張しているわけです。
もともと、道路整備のために我々ドライバーから徴収していがガソリン税が、道路特定財源から一般会計に移された。結果、ガソリン税は道路整備のために使われていない。そもそも、我々ドライバーがガソリン税を徴収されていること自体が「理不尽な税制」なのです。
<重点>として、年少扶養控除復活、扶養控除の維持・拡大、消費税5%への時限的引下げ、インボイス廃止、賃上げ減税、投資減税。
何しろ、国民民主党は最強の野党でございますので、国民のために必要な減税政策は全て推進するべきです。
もちろん、「議論」を経て、ある程度は妥協を強いられるでしょうが、別に「国民民主独裁」というわけではないのだから、当たり前です。
議論をしよう。
国民民主党にキャスティングボートを持たせたのは、我々日本国民なのです。その民意には、従う必要があるんじゃないの? 自民党の国会議員の皆様?
「自民党の国会議員は民意に従え!」に、ご賛同下さる方は、
↓このリンクをクリックを!
フランスの「極右」動向
2024-11-20
『嘘解きレトリック』第7話
三つ子の品子さんの話も結構なもんだったけど、これまたひどい話をほのぼのタッチで描くなあ!(ほめてます)。
リリーと売れない絵描きの寛二と対比させるにしても、犯人の女ヤバすぎるだろ。
(この女を逮捕するシーン、挟み撃ち体制で警察が待ち構えてたってことはリリーに協力してもらって犯人女を呼び出したってことだったのか?。犯人はリリーの素性を知ってるだろうけどリリーは連絡先など知らなくない?)
今回は馨も含めたトリオで行動してたし、殺人事件に関しては鹿乃子の能力無関係だったんで、それでここまでサイコ女にするからには馨視点でなんらかのドラマが描かれると思ってたんだけど特にそんなことはなく、だったらなぜこんな犯人像なんだ?という違和感は残るけど、それまで幽霊にビビりまくってたくせに助けを求める声を聞いた途端先頭に立って声の主を探す馨がカッコよかったんでヨシ。
そうそう寛二役のひと見たことあるけど誰だっけ?と思ってたんだけど黒羽麻璃央でビックリしたわ。ぜんぜんわからなかった。
こんなアクの抜けた冴えない男もできるんだな。
というわけで、今回の見どころは間違いなく「くら田」で金麦を飲む倉田夫婦であった。どんな世界観だよw。
minko 2024-11-20 16:31 読者になる
『嘘解きレトリック』第7話
『ゴールデンカムイ 北海道刺青囚人争奪編』第7話「まがいもの」
『海に眠るダイヤモンド』第4話
『光る君へ』第44回「望月の夜」
『潜入兄妹』第7話
Drama (7128)
2024-11-18
実験動画『AURA BATTLER DUNBINE SIDE R』が前回のLよりつまらなかった。
ダンバイン 富野 アニメ
なんかあんまりおもしろくなかったので、この記事も面白くないです
実験動画『AURA BATTLER DUNBINE SIDE R』が前回のLよりつまらなかった。
なんかあんまりおもしろくなかったので、この記事も面白くないです
インフルエンサー「Z李」が逮捕されたり、伊藤和子氏が暇な空白氏を訴えた裁判で勝利している今、Colabo批判が切断処理されそうな気配を感じている
報道
報道 (1419)
2024-11-15
2024-11-15
⚫︎嘘つきは、人のことを「嘘つき」と言って非難(攻撃)する。嘘つきの目的は、まずは信頼性を破壊することだ。それは、個別のことがらの真偽における信頼性の問題というよりも、様々な個別のことがらの真偽を判断するための、判断基準となるものの信頼性の破壊ということだ。個別の判断ではなく(個別の判断でその都度迷ったり、間違ったりするのは当然であり、普通のことだ)、メタ判断としてのコモンセンスを破壊する。そうしておいて、メタ判断(基準)を失って混乱する人に、嘘つきの都合により用意された「隠された真実」を発見させるように、その道筋へと誘導する。人は、嘘つきによって用意された道筋を(それと知らないうちに)通って、隠された真実を「自らの手」で発見する。詐欺やカルトの常套手段だが、有効な免疫は見つかっていない。
(生活苦や社会的不安が、嘘つきの最大の協力者となるだろう。)
⚫︎あらゆる場面で「半信半疑」という態度が難しくなっているのかもしれないと思う。たとえばオカルトは、半信半疑という距離感でなければ面白くない。全面的に信じていたらヤバいや奴だし、かといってまったく信じていなければ面白くない(そもそも無関心ということになる)。
⚫︎あらゆることが半信半疑である。この件にかんしては、七分・三分くらいの割合で信頼性が高いと判断できるが、あの件にかんしては八分・二分くらいの割合で疑わしいと判断せざるを得ない。そして、こちらの件については、六分・四分くらいの割合だと思われるので、しばらく距離をとりつつ判断を保留する。あらゆる事柄を、個別に、半信半疑の度合いとしてみる。そしてその割合は、状況により変化する。このようなものが常識的な判断なのではないか。
とはいえ、このような態度は、どこか別のところで、十分に信頼できると信じられる何かしらの根拠(信仰のようなもの)が確保してあることで可能になるのかもしれないとも思う。だとすれば、「信仰」とは盲信のことではなく、(信者でもアンチでもない)半信半疑を維持するために必要な(無意識のレベルで働く)前提ということになる。
(盲信は信仰ではない、ということか。)
⚫︎嘘つきは、この「信仰」の部分を破壊するような攻撃を仕掛けてくる。嘘つきの手法に対抗するために(「敵」の手の内を知るために)、みんなで真剣に『我が闘争』を読む必要があるのではないか(読んでいないので当てずっぽうだが)。
(嘘つきの言葉は初めから嘘なので、その矛盾や真偽はまるで問題にならない。信頼性を破壊できさえすればそれでいい。しかし「嘘つきにならないように努めようとする人」にとっては、小さな矛盾や、100の事実のうちの一つの間違い、あるいは、普段は誠実な人が思わずついてしまった一つの嘘、誰にでも一つくらいはある「弱み(疾しさ)」などが、信頼性を揺るがすセキュリティホールになってしまう。嘘つきはここを突いて「お前は嘘つきだ」と言ってくる。嘘つきはいつも嘘をついているから「普段は嘘をつかない人が追い詰められて思わずついてしまった嘘」のようなものにも敏感なのだと思われる。)
(欺瞞がゼロであるような人などいない、という脆弱性を、すべてが欺瞞でできている嘘つきが突いてくる。)
furuyatoshihiro 2024-11-15 00:00 読者になる
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2024-11-14
2024-11-14
⚫︎物理法則や数学的な真は多数決によっては決まらない。たとえ、それを理解する人が世界中で数十人しか存在しない難解な数学的問題があったとして、それを理解する数十人以外の世界中のすべての人の反感や反発があったとしても、それによってその真が揺らぐことはない(つまり、「現実」は存在する)。
⚫︎(「現実」に近づき得ると期待される)準-真理を導く手法としての集合知は、それぞれに多様な、(独自の経験や知やコネクションに基づく)独自の判断アルゴリズムと判断材料を持つなるべく多くの人々が、それぞれ個別に独自な判断を下し、それが統計的手法によって集約されることで発揮される。ただし、集合知の脆弱性は、対話や議論によって発現してしまう。他人と話し合うことで、口が上手い奴、魅力的な奴の発言の方に引っ張られ、同調が生じて、判断の独自性が消えてしまう(という傾向がある)。
魅力的な人、あるいは権威的な人に、人は同調する。口の上手い嘘つきが、ある特定の意図を持った発言を繰り返すことで、準-真理への手法としての集合知は脆くも破壊される。
⚫︎利害をめぐる政治的闘争は、利害関係者や利害関係者を代表する者たちによる多数化工作であろう。この場合、その利害とは直接関係のない、無関心で常識的な無党派層が存在する。この、無関心で常識的な無党派層が一定数、集団的意思決定のプロセスに参加するのならば、彼らによって、利害的な権力闘争とは別の次元で、集合知が機能することが期待される(民主主義の可能性)。
(あるいは、「現実」が、利害関係を超えた倫理を、利害関係者に対しても要求してくる場合もある。たとえば環境問題など。)
だがそこに、特定の意図を持った、魅力的で口の上手い嘘つき(もちろん、そこには利己的な動機がある)が参加すると、その魅力的な口ぶりは、利害関係を超えて伝播してしまうので、同調を作り出す(それは「嘘」のヴェールなので、「現実」による倫理的要請の機能をも覆い隠す)。そこに利害関係や真偽とは無関係の、心理的肩入れが生まれる。個別で独自の判断は破壊され、ここではもう集合知は期待できない。
⚫︎魅力的で口の上手い嘘つきが、繰り返し文明を破壊してきたのは歴史をみれば明らかだろう。その度に、それに対抗するためのさまざまな制度を人々は考案してきたはずだ。しかし、その有効性は常に限定的である。だが、限定的であるとはいっても、(いろいろ蓄積もあるはずだし)まったく無力ではないと信じたい。
furuyatoshihiro 2024-11-14 00:00 読者になる
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2024-11-13
2024-11-13
⚫︎多分これが、哲学や芸術の始まりの場面なのではないか。世界の不可解(それに驚き、歓喜し、また恐怖する)に対して、必死に思考しようとしているように見える。しかし決して思考しきれず、何も解決せず、苛立ちと恐怖に直面しているように思う。何かが開かれそうで、しかし決して開かれないというもどかしい感覚。
シアトルの近くの家の防犯カメラに写っていた、落ちてくる雪を懸命につかもうとするアライグマの姿 ©Timothy Ellis pic.twitter.com/DWTnJiAJlF
— Masayuki Tsuda (@MasayukiTsuda2) 2024年11月1日
furuyatoshihiro 2024-11-13 00:00 読者になる
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2024-11-15
2024-11-14
2024-11-13
『犬の日本史』をとおして自己家畜化と文化を振り返る
2024年11月17日
激戦7州すべてを制し、上院、下院も共和党のトリプルレッドでトランプ大統領圧勝となったわけだが、世界はトランプ政権の閣僚人事に注目している。
アメリカの主流派メディアは反トランプで、それらを翻訳して紹介することが仕事の日本のメディアも概ね反トランプである。よって、メディアは、ことさらに悪い面を取り上げ、アメリカの厚生長官が反ワクチン陰謀論者であるとか、安全保障長官が飼い犬を射殺したことがあるとか、国防長官がニュースキャスターで何の経験もないとか、司法長官が性暴力の被疑者とか、揚げ足を取る報道ばかりしている。トランプ大統領は、議会や大統領の上でアメリカ政府を動かしている「ディープステイト」打倒を掲げており、これぐらの型破りの閣僚でないと、ディープステイトに簡単に屈してしまう、ということなのだろう。
しかし、いまのところの閣僚人事では(まだ議会で承認が得られるかどうかはわからないが)、概ね、ウクライナから引く、対中強硬、親イスラエル(&対イラン強硬)、移民排斥などについては共通しているように思える。
また、トランプ大統領の目玉政策は、不法移民を数百万人単位で強制送還、中国製品へ60%関税(他は一律10%から20%)、そして、法人税率をタックスヘイブン並みに引き下げることである。これらのどれもが強烈なインフレを引き起こしそうだが、いまのところ株式市場は楽観的だ。一方で、債券市場はこれをやや織り込んでおり、いまや米国株のリスクプレミアムは米国債の10年利回りより低くなっているという異常な状態である。
強烈な閣僚陣や対中強硬姿勢は、最初に脅して有利な条件(たとえばアメリカ産農産物を中国に買わせたり、EV工場を米国内に誘致したり)を引き出すための「ディール外交」なのか、本気でやるのか、世界は戦々恐々と見守っている。
●トランプ人事、報復の脅し 司法省・軍「解体」いとわず
●人事から見える“トランプ政権2.0”専門家は全公約を実行する“無敵状態”になると指摘【サンデーモーニング】|TBS NEWS DIG
★APEC(アジア太平洋経済協力会議)の集合写真に渋滞に巻き込まれ石破首相間に合わず。
●中国の習主席、自由貿易擁護者の役割演じる トランプ氏に対抗
20日水曜日にはApple社を抜き時価総額世界一となっているNVIDIA社の決算発表がある。生成AIブームの中でこの一社に利益が集中し、最終的な生成AIのアプリケーションで儲けが出ているところはいまだにひとつもない。NVIDIAから高額のGPUを買いAIデータセンターに巨額の設備投資をしているMicrosoft、Google、Amazonなどは、自らも出資しているAIスタートアップから使用料を取れるので、一見、それなりに儲かっているように見えるが、これらスタートアップが稼げておらず、投資されたマネーがぐるぐる回っている状態だ。
以上のようなマネーの流れの中で、NVIDIAの決算は引き続き良好なものと思われるが、期待も高いだけに、それに答えることができるかどうかである。
●NVIDIA決算、ダウ平均採用で高まる注目 宴続くか
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投稿者 gosplan 時刻: 18:55 0
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2024-11-17
War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その93
War and Peace and War: The Rise and Fall of Empires (English Edition)
作者:Turchin, Peter
Plume
ターチンによるローマ帝国衰亡論.ターチンはローマ帝国の最初の分解フェーズの始まりをメタエスニックフロンティアがイタリアから離れ,人口増と均分相続で中流ローマ市民が没落始めたBC200年ごろに置く.またターチンはここで,西洋古代史では非常に大きなテーマである奴隷制の影響を整理する.
第11章 車輪の中の車輪 ローマ帝国のいくつもの凋落 その4
要するに転換点は紀元前2世紀だった.前期共和政のローマ貴族はローマの栄光のために死ぬことが出来たが,後期共和政のローマ貴族は誰が最も金持ちかを巡って貴族同士で争っていたのだ.
この社会的分解を促す力は平民の間にも働いた.ごく一部の平民は富裕になり上の階層に移動できた.しかし多くは土地を失い,小作人になったり都市に流れ込むしかなかった.この無産市民たちは軍隊に流れ込み,後の内戦の重要な要因となった.
ターチン的に言えば,まずメタエスニックフロンティアが遠くに移動したことにより貴族層でアサビーヤが失われた.そして人口要因でこれまでローマ軍の屋台骨を支えた中間層の平民が没落し,ローマ全体のアサビーヤも侵食されたということだろう.ここから奴隷制の考察となる.
最後に奴隷の影響について考察しておかねばならない.紀元前2世紀のローマによる地中海沿岸地方の征服はイタリアへの奴隷の大量流入を引き起こし,奴隷の人口が自由民の人口と同じぐらいになった.奴隷は鉱山労働者,ガレー船の漕ぎ手,家内召し使い,農園労働者となった.自営農が消滅し,大規模なプランテーションに取って代わられた.
奴隷と自由民の区別は社会不平等の最も極端な形だろう.だから奴隷の増加は社会のアサビーヤを大きく腐食したに違いない.実際,奴隷制が社会資本(アサビーヤ)に深く永続的な負の影響を与える証拠がある.(ロバート・パットナムによるアメリカ合衆国の奴隷制が社会資本に与えた影響のリサーチが紹介されている.それによると,社会資本の低いゾーンがミシシッピデルタを中心にかつての南部連合地域に同心円状に広がっていることが示されている)
この20世紀末の低社会資本地域のパターンはどう説明できるのか.パットナムは19世紀前半の奴隷制との相関を示している.実際,奴隷制は奴隷と自由民の間の社会資本を破壊するようにデザインされているのだ.抑圧されたもの同士の連帯は反乱のリスクを高めるし,自由民と奴隷間の同情に基づく平等主義的絆はシステムによりその土台が掘り崩された.奴隷解放の後も南部の支配層は垂直ネットワークの妨害を試み続けた.百年の奴隷制の後,百年のジム・クロー法人種隔離政治が続いたのだから,社会資本が低くなるのも無理はない.
よくある古代西洋史の奴隷制に関する議論は,その生産性がどの程度まで低かったのかが焦点になっていることが多い.しかし帝国の没落を考察する上では,どの道古代地中海世界でローマより生産性の高い敵は存在しなかったので,ここではあまり焦点にならないということだろう.ターチンは当然ながら奴隷制がアサビーヤに与える影響(特に社会の中の奴隷が急増した場合)を考え,アメリカ南部のリサーチからそれがアサビーヤの浸食要因であったに違いないと結論づけている.
つまり不平等の拡大と,その究極形である奴隷制が紀元前2世紀にローマのアサビーヤを腐食し始めたのだ.しかしながら,この時期にローマのすべてが凋落し始めたわけではない.凋落過程は非線形であり,多元的だ.例えば帝国の拡大のピークはAC98〜117のトラヤヌス帝時代だ.これはアサビーヤの凋落開始から300年後になる.ここに矛盾があるわけではない.領土拡大力はアサビーヤと帝国の持つリソースの両方で決まるからであり,アサビーヤの低下は時に緩やかで時に停止するような非常に長くかかるプロセスであるからだ.アサビーヤはグループ内競争の激化とグループ間不平等で促進され,これらの力はセキュラーサイクルとともに増えたり減ったりする.
ここはある意味言い訳的なコメントであるようにも読める.ローマの絶頂期は紀元後2世紀の五賢帝時代だ.それより早くアサビーヤの腐食が始まったが,その影響がそれ以外の影響を打ち負かすのに300年かかったというわけだ.やや苦しいというのが私の印象だ.
だから,非常に問題のあった後期共和政が終わった後ローマ帝国は皇帝の元で再構築できたのだ.そしてそれは3世紀の危機でまたも問題に巻き込まれ,そこでローマのアサビーヤは失われてしまった.ともあれ,共和政から帝政の移行期をもっと細かく見てみよう.
そしてターチンは細かいケーススタディを行っていくことになる.
shorebird 2024-11-17 11:25 読者になる