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平成28年12月16日掲載
『昭和天皇実録』第九の紹介
奈良県 飯田 教大 氏
『昭和天皇実録』第九の紹介 奈良県 飯田 教大 氏
私が、『昭和天皇実録』第九を読むにあたって、注目した点は主に二つある。一つ目は、終戦にむけてどういった動きがあったのか。二つ目は、昭和天皇が戦中、戦後を通じて、この国のこと、とりわけ国民とどのように寄り添ってこられたのかの二点で、以下その感想を述べることにした。
まず、一つ目であるが、田中卓先生の著書『愛子さまが将来の天皇陛下ではいけませんか』の中で、「大東亜戦争で帝国陸海軍が武器を収めて粛然と降伏したのも、すべて陛下の?御聖断″にしたがったことを忘れてはならない。これが日本国体の誇りである。」(35ページ)と述べておられるように、もし本土決戦となれば、大勢の国民が餓死したと思う。昭和天皇が食糧問題について、深く憂慮されていたことがこの実録からも読み取れる。御聖断は御前会議で下されたが、総理大臣の鈴木貫太郎が尽力したのはよく知られている。ただ、海軍大臣の米内光政が鈴木貫太郎に働きかけたことは、あまり知られていない。阿川弘之著『米内光政』の中で、米内は鈴木に対して、「多数決で結論を出してはいけません。きわどい多数決で決定が下されると、必ず陸軍が騒ぎ出します。その騒ぎは死にもの狂いだから、どんな大事にならぬとも限りません。決をとらずにそれぞれの意見を述べさせ、その上で聖断を仰ぎ、御聖断を以て会議の結論とするのが上策だと思います」(518ページ)と上申した。米内、鈴木の両提督が終戦にむけて尽力したことを忘れてはならない。
次に二つ目についてであるが、昭和天皇は、常に国民と苦楽を共にするよう努力されたことが分かる。例えば、「できる限り最後まで帝都に留まりたく・・・」(『実録』402ページ)や、東京大空襲後の東京を視察されたときに、侍従長に対して、「関東大震災後の巡視の際よりも今回の方が遥かに無惨であり、一段と胸が痛む旨の御感想を述べられ」(616ページ)
「戦のわざはひうけし国民をおもふこころにいでたちてきぬ」
という御製を残されている。
それから、昭和天皇の御心は前線の将兵に対しても向けられている。「参謀総長杉山元に謁を賜い、アッツ島における最後の状況につき奏上を受けられる。」(同107ページ)とあるが、この時、昭和天皇は杉山に対して、アッツ島の将兵の健闘を称える旨の電報を打てと命じられたそうである。ただ、アッツ島の通信機材は総攻撃の前に破壊させてあることは分かっておられたはずである。当時大本営にいた瀬島龍三(元伊藤忠商事会長)は、かつてテレビ番組「平成日本のよふけ」のなかで、母親というものは、死んだとわかっておってもなお、子どもの名前を呼び続けるものだ、おそらく陛下の心境もそのような親心からだったのではないかと、振り返っている。
また、昭和天皇は正確な戦況を把握しようと努めておられた。例えば、「南方への増兵に際し、補給の困難から兵士が窮地に陥るが如きことは実に忍びないため、補給に一段と万全を期すよう御希望になる。」(同175ページ)や、沖縄戦に関しても、「現地軍が攻勢に出ない理由を尋ねられ、兵力不足ならば逆上陸を敢行しては如何と御提案になる。」(630ページ)とあるように、作戦の具体的な指示まで出しておられたことがわかる。そして、早期に戦争終結を望んでおられたことがうかがえる。しかし、当時の陸軍は、沖縄の第三十二軍の一個師団の削減と、そのことで足りなくなった兵力を「防衛徴集」で補ったことで、大勢の県民を犠牲にさせてしまったのである。昭和天皇の御製に
「思はざる病となりぬ沖縄を たづねて果さむつとめありしを」
とあり、沖縄への慰霊の行幸を常に思っておられたことがうかがえる。
今上陛下は今年8月8日の「お言葉」の中で、「日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。」とおっしゃっておられた。この陛下の象徴として行為は、父昭和天皇が常に国民に寄り添ってこられたお姿そのものであると思う。今、「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」がおこなわれているが、公務の御軽減は陛下が大事にされていることを奪うものにもなりかねないと、私は危惧する。したがって、陛下にとって、国民にとって、公務の何が大事かそうでないかを重要視していただきたいと思う。陛下が譲位の御意向を示されたのも、それが最善のことだと判断されたからに他ならない。そのことは、多くの国民の知るところである。私も国民の一人として、陛下の御気持ちに答えたい。
最後に、『昭和天皇実録』を出版するにあたって尽力し、先日退官された前宮内庁長官風岡典之氏に深甚の敬意を表する。 (平成28年12月15日投稿)
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私が今回の拙著で述べたところは、やがて二十年以内に必ず課題となるであろうところの次の「皇太子」問題に、参考となるための遺言のつもりである。そしてその解決は簡単で-▲ページの先頭へ
ついで、京都産業大学教授植村和秀氏(48歳)による基調講演「滞欧研究日誌にみる平泉
■参加と合意形成研究会 2014年12月10日
修正点が見つかりましたので、差し替えをしました。
以下をご覧ください。
また、下記の速報版も参考にご覧ください。
●報告書・本編(PDF)
最終更新日:2014年12月10日
981:03/30(日) 18:00 id+qxQsc [sage]
顕生代:あらわいくよ(顕生代)
- 新生代:にいいくよ(新生代)
- 中生代:なからいくよ(半生代)
- 古生代:ふるいくよ(古生代)
先カンブリア時代:さきつかんぶりあよ(先つカンブリア代)
- 原生代:もといくよ(原生代) 省11
982:03/30(日) 21:19 5A4N/qZR [sage]
【原語】キロメートル
【和語】かせ
【付言】紡績業界で原糸の長さの単位。リール(綛/かせ)に巻いた長さは綿糸・絹糸等素材でまちまちだが
うち毛糸の1綛(ひとかせ)は丁度1000メートルなので。
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