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トラッド・クライミングの魅力
ちょっと小うるさい話が続いたもんで、今回は趣向を変えてトラッド・クライミングの魅力について語ってみましょう。これ以上人気なくしたら商売あがったりになりますからね。
このところ城ヶ崎に久々に通ってクラシックルートを登ってる、っていう報告を前回しましたけど、その中のある1本の話。
そのルートは超クラシックエリアにある超クラシックルートで、しかし私はなぜか今まで登ったことがなく、気になってはいた1本ではありました。といってもまあ、グレード5.10のトップロープルートときては、正直あまり魅力を感じなかったことも事実ではありますけれどもね。
しかし最近城ヶ崎界の國分誠氏と化した某有名インストラクターのホームページを見ていると、ナチュプロで普通に登れるとある。へ〜、そうなの、と思いつつ、ちょうどそのエリアに行った時に改めて眺めてみると、あらら? なかなか結構魅力的なラインじゃありませんか。特に、クラックじゃないのにナチュプロ、ってのが良い。
ということで、さっそくウォーミングアップがてらで取り付いてみたんだけど、結構悪かったです。核心のハング帯に入ってすぐにラインがわからなくなり、思い切って突っ込んだところが思ったよりランナウトしちゃったし、その先のフレーク状ハングを越える所も、ライン、ホールド、プロテクション、すべて疑心暗鬼のまま進んでいく感じで、久々に緊張しました。やっぱこいつの言うこと、信用するんじゃなかった、という反省とともに、前腕もバリバリに張ってしまいました。
しかしまあ、こういうの、良いね。ランナウトした状態で、ああでもないこうでもないと逡巡した挙句、最終的には自腹で決断して突っ込むあの緊張感。昔、鷹取山で未知のルートをフリーソロしてた時に、一手一手、悩み、決断し、心臓が口から出てきそうな恐怖を飲み込みながら行動を起こしていたあの感覚を、まあそこまでモロにではないけど追体験してるような懐かしさがあります。
そして、そうして壁を抜けた時に感じる幸福感。と、一言で言ってしまうとなんだか低俗なキャッチコピーみたくなっちゃうけど、より詳しく言うと、その岩場とピュアに邂逅できたという満足感というか、一体感というか、要は「フリー」をまっとうすることによって得られた、この世界に本当に所属しているという実感ですかね。
降りてくると壁にはイソヒヨドリが行き交い、海を見やればカモメがまったく海の、あるいは空の一部のように飛んでいて、またその海と空が信じられないくらい大きく、また永遠の時間を秘めつつ広がっている。いや〜、ほんとにこれ、現実のものなのかね?
地球ができて45億年。今まで何億、何兆、いや何京もの生物が生まれては消えていった中で、オレほどラッキーなやつって、あり?
まあ、わたくし、現代日本国の社会人としては決して充分といえる方ではないかもしれないし、クライマーとしてもたいしたことない。その割に今まで痛い目にも随分あってきたかもしれない。また今必死になって登った壁も、正直チンケかもしれない。けど、それでも今、ここにいる一生物個体としてのオレって、地球誕生以来の全生物内での幸運度だったら最上位の0.00000(このあと0が数兆個は続くね)1パーセントに入るレベルだよ、きっと。なんせこの世界と、こんなスバラシイ関係を結べるんだからね。
前回、フリークライミングのスタイルやタイトルについてあれこれ文句を述べたけど、大切なのは、登ったあと、または登っている時に、こうした一体感を感じられるかどうかということだろうな。なんかJポップの歌詞みたいなセリフだけど。
(2016年2月22日記)
いや〜この世は美しい。登ったあとは、特に美しい
でも、-思えば山岳会に入って初めてロープをつけて岩登りをした時。落ちても死なないということになんかすごく違和感を覚えたものの、反面、もうあの辛い決断をしなくて済むということがなんと気楽で、嬉しかったことか。