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長崎の和算家:秋岡種壽
最近ゆえあって、幕末長崎の和算家・秋岡種壽(1815-?)について調べる機会があった。 『慶応元年明細分限帳』によると(177頁)、秋岡家は貞享四年(1687)以来代々長崎の地役人を勤めた家らしく、種壽は当時阿蘭陀通詞附筆者を勤め、通称を種之助と名乗っていた。 貞享四卯年玄祖父よ...
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オシテオサレテ
2024-03-26
14世紀の危機を語る時にモンゴル史家が語ること 諫早「『14世紀の危機』の語り方」
思想 2024年4月号
岩波書店
Amazon
諫早庸一「『14世紀の危機』の語り方:ヨーロッパ到来以前の黒死病」『思想』2024年4月、no. 1200、9–32ページ。
『思想』の特集「危機の世紀」から、14世紀の危機について論じた論考を読む。
非常に多くの情報を提供する論考である。しかし、その骨子は次のように要約できる。「13世紀世界システム」の崩壊は、黒死病によってもたらされたとは考えられない。なぜなら、システムは黒死病が現れたときにはすでに崩壊していたから。システムの崩壊の主要因はむしろモンゴル帝国の解体である。まず気候変動により、帝国の拡大は13世紀末に止まる。その後、帝国を構成する各ウルスの王位継承制度の不全のためウルスは解体し、変動後の気候に適した小政体が数多く成立していった。
ここから私としては、次のような点に論考のポイントがあると判断した。論考の冒頭では14世紀の危機の一般的な理解として、気候変動、社会動乱、疫病流行の3つの要素が複合したものであるという理解が紹介されている。この一般的な理解に、本論文の内容を照らし合わせると次のような主張が導ける。(1)14世紀の危機は、黒死病以前のものとして理解できるので、3つの複合要素のうちの「疫病流行」は、一旦考慮から外せる。(2)気候変動に伴う社会動乱は、他面では気候変動に見合った新たな小規模政体への組み換えと理解できるので、必ずしも崩壊局面と理解されるべきではない。
論考の各部分は非常に読ませる。黒死病の最新研究のまとめは(完全に理解できるわけではないものの)非常に勉強になった。これは歴史に関心のある読者なら、読んで損はない。またモンゴル帝国について、「〈移動〉の帝国は、草原地帯において軍事力を涵養しながら定住地帯の富を吸収し、新陳代謝を実現していたのである」(23ページ)という理解をしており、それを裏付ける叙述も興味深い。
他方、論述はやや混乱している。まず、黒死病とモンゴル帝国の解体の2つが主題であるにもかかわらず、副題には「ヨーロッパ到来以前の黒死病」としかなく、タイトルと中身が対応していない。また、最終段落に現れる中世から近世への移行の問題は、本論を基に語れることを超えている。ここは本論のまとめと、本論を基に語れるより小規模な展望を示すに留めるべきではなかったか。少なくともそのようなまとめと小規模な展望を示した後に、大きな展望を垣間見せる、というような構成が望ましかったように思える。
nikubeta 2024-03-26 22:37 読者になる
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