不未之奇のアンテナ
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▽稲葉大大人ブログ●11/16 14:57 この広告は、90日以上更新していないブログに表示しています。
▽内田樹●11/08 23:01 内田樹選集今日はこれから病院ですい臓がんの切除手術の日程打ち合わせである。手術が無事に終わったとしても、もう74歳であるから、相...2024-11-08 vendredi韓国の出版社企画で「無知の楽しさ」という本が出た。韓国の編集者や訳者の朴東燮先生からの質問に私が答えて一冊の本になったの...
▽退屈男と本と街●11/03 00:41 < November 2024 >1 23 4 5 6 7 8 910 11 12 13 14 15 1617 18 19 20 21 22 2324 25 26 27 28 29 30
▽黌門客●10/23 09:09 今年1月、「本よみうり堂」の連載「私を作った書物たち」に乙川優三郎氏が登場し、その第3回(1月21日付「読売新聞」)で芝木好子(1914-91)の『隅田川暮色』を紹介していた。乙川氏自身によると、芝木のこの作品は「(乙川氏自身が)デビューして間もなく、文体を模索」していた時期に出会った小説だといい、「いまの作家には書けない文章だと感じた。素直に学ぼうと考えた」という。そしてまた、次の様にも述べる――「芝木好子という手本があったことは、貴重でした。吉行淳之介も、三浦哲郎も好きでしたが、私が手本にする文章ではなかった」。これに従うならば『隅田川暮色』は、「平安時代の組紐(くみひも)の復元」を中心に据えた「芸術家小説」ということになる。芸術家小説というのは、「芝木好子の真骨頂が発揮されているように思う」(山下同前p.276)などと評される如く、後期芝木作品の集大成的な作品といえるのだろう。また、太古から変わらない大川(隅田川)のゆったりとした流れが冴子の過去の記憶を呼び覚まし、往時と現在とを往還する筋立てには不思議な味わいもある。そして、谷川健一ではないけれど、死者こそが生者を支配するというか、冴子の、亡き父・千明に対するファーザー・コンプレックスともいうべき一方的な愛情には、どこか尋常ならざるものを感じさせる。娘の父親への愛著というテーマは、「三代の女性を描いた自伝小説」に分類される芝木の「湯葉」(この場合は実父ではなく養父)にも描き込まれていたが、『隅田川暮色』の冴子は、父親にかけるおもいが強すぎて、彼の「実体のない(略)影か、霊魂」(p.75)を見てしまうほどである。一方で、芝木作品の短篇も実にいい。改めてそのことを感じさせられたのは、アンソロジーの『新しい日々』や『恋する昭和』を読んだからだ。ことに「十九歳」という短篇がよかった。これについては山下多恵子氏が「解説」(『恋する昭和』)で次の様に述べている。芝木があからさまな描写を避け、「文章に含みを持たせ」ているのは、「白萩」などの短篇でも同様であるが、「十九歳」はことにその傾向が強い。ぼんやり読んでいると、うっかり読み落してしまいかねない仄めかしかたである。「十九歳」では、末尾で二人(由木と紀子)の四十三年ぶりの再会が劇的に描かれる。この再会の場面における二人の会話が趣ふかく、その遣り取りの妙を味わう
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