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  1. 2024/11/19 08:25:28 日本の古本屋 / 古本まつりに行こう含むアンテナおとなりページ

    東武日光線新大平下駅前で古本市(プラッツおおひら古本市)(栃木県)
    期間:2024/11/23~2024/11/24
    場所:まちづくり交流センター プラッツおおひら(栃木県栃木市大平町富田558-11) (栃木県栃木市大平町富田558-11)  東武日光線新大平下駅東口より徒歩1分
    第73回東武古書の市(栃木県)
    期間:2024/12/25~2025/01/05
    場所:東武宇都宮百貨店 5Fイベントプラザ(宇都宮市宮園町5-4) 東武宇都宮駅よりすぐ(百貨店直結) JR宇都宮駅よりタクシー5分/バス10分+徒歩5分/徒歩25分

  2. 2024/11/11 05:28:35 古本買取・古書買取・販売/オンライン古書店しましまブックス含むアンテナおとなりページ

    2024年11月9日 買取した古本のご紹介(ご購入できます)
    2024年11月09日 古本新入荷62点です

  3. 2024/11/03 00:41:19 退屈男と本と街含むアンテナおとなりページ

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  4. 2024/08/18 19:44:31 晩鮭亭日常含むアンテナおとなりページ

    2024-08-17
    下鴨にひかれて善行堂参り。
    下鴨納涼古本まつりが、8月11日(日)から16日(金)まで開催されると知った。12日(月)と13日(火)は仕事が非番となるスケジュールであった。たまたま職場から永年勤続の副賞として提携しているホテルの割引券をもらっていた。その提携するホテルは京都にもあった。予約がとれた。新幹線も押さえた。あとは行くだけだ。
    10日(土)に同僚から電話があった。帯状疱疹になったので明日からの仕事を代行してほしいとの依頼だった。新幹線とホテルの予約をキャンセルした。
    同僚が週の半ばに復帰できることになった。15日(木)が非番となった。16日(金)も休めなくはなかったが、台風によって16日は新幹線が運休とのニュースが流れてきたため日帰りと決めた。
    15日。朝家を出て、新横浜から新幹線に乗る。朝食に駅で買った“たいめいけんのカツサンド”を食べる。幸いに隣は空席だった。行きの読書は吉田篤弘「京都で考えた」(ミシマ社)。せっかくだから京都にちなんだものと部屋を物色していたらこれがあったのでカバンに入れた。冒頭近くに「昼下がりの新幹線で東京からやって来て、古本屋を三軒ほど渡り歩いたら、ほどなくして夕方になっていた。(略)行くところはあらかた決まっていて、古本屋と古レコード屋と古道具屋である。あとは喫茶店と洋食屋だろうか。」というくだりがでてきて、古道具屋以外はまったく自分のことのようである。
    途中、地震の影響での速度調整があったため7分ほどの遅れで京都駅に着いた。曇りの予報であったが、雲間から日射しが差し込んでおり、暑くなりそうだ。既に下鴨納涼古本まつりの開始時間は過ぎているため、まっすぐ会場へと向かう。
    出町柳駅を出て、鴨川を渡り、下鴨神社への参道を歩く。正面に木々の生い茂る世界遺産の糺の森が見えてくる。何度来てもこの瞬間は、気持ちが高揚し、細胞の一つ一つが震えるような気分になる。泉鏡花作品の登場人物のように異界へと導かれていく。
    小さな水の流れを越えるとそこに立ち並ぶテント、そして視界はどこまでも続くような本の背表紙に塞がれる。もうこの雰囲気の中に入れただけで、ここまで新幹線に乗ってきた甲斐があると思う。極論すれば、本を買わなくたって構わない。ここにいて糺の森と本の気に触れているだけで多幸感に包まれるのだから。とはいいながらもやっぱり本は買いたい。日射しと暑さに負けないように気合いを入れて本の背を追っていく。本を買い始めて、本屋に通い始めて50年以上経っているので、見たことのある本、思い出のある本にであう確率が高く、すぐに過去の記憶へと誘われてしまう。学生時代からでも40年は経っているので、あの頃の新刊は古本と名乗ってなんの問題もない状態になっているわけだから、次から次へとあの頃の書店の棚の本が目に飛び込んでくる。雑誌『現代のエスプリ』の並びに反応してしまう。興味のある特集を1冊くらしか買ったことのない雑誌なのに、確かに学生時代を思い起こさせる風景なのだ。
    赤尾照文堂の棚から2冊購入。古本まつりの団扇をくれる。うれしい。竹岡書店や口笛文庫でも数冊購入。1時間を過ぎ、体調と日帰りのタイムスケジュールを考えて、会場を後にする。モンベルの日傘と古本まつりの団扇で暑さをしのぎながら、出町柳駅まで戻る。
    叡山電車で、一乗寺駅まで行き、恵文社一乗寺店へ。空調のきいた店内がオアシスのようだ。そこここにみすず書房の“大人の本棚シリーズ”が新刊として置いてあるのがうれしい。このシリーズが大好きなのだ。かなり持っているのだが、こんどコンプリートしてみようかという気になる。
    昼を過ぎ、近くで昼食をと思ったがお盆休みで食べ物屋はのきなみ休み。一乗寺駅近くのラーメン二郎(なぜか看板が白い)だけが行列を作っているという状況なので、出町柳に戻って店を探す。駅からしばらく歩いたところにある三高餅食堂に入る。冷やしそばとカレーきつね丼のセット。中高年の客と部活帰りの学生が同居する雰囲気がさも食堂という感じ。お冷やをおかわりして水分補給。
    今出川通に出て、7番のバスに乗り、「銀閣寺道」バス停まで。通りを渡って善行堂へ。今日の午前中も下鴨の古本まつりに行っていたことをXでチェックしていたので、山本善行さんが戻っているかなと思いながらドアを開けるとそこに善行さんが。先日まで糖尿病で入院されていたので心配していたが、まずはお元気そうで安心する。それでもまだ慣らし運転状態ということで、あまり長居をせず(いつもは2時間コースとなる)、本を数冊購入して1時間ほど滞在する(それでも長いよ)。善行さんは、「ソニー・クラーク・トリオ」(ブルーノート盤)のジャケットがプリントされたTシャツ姿(僕も同じ物を持っている)。僕がソニー・クラーク好きなのを知っていて、バリトンサックス奏者のサージ・チャロフのレコード「ブルー・サージ」をかけてくれる。このアルバムでピアノを弾いているのがソニー・クラークだからこのレコードなのだろう。こういった心遣いが心地いい店の雰囲気を作り出しているのだなと思う。レコードがタイム盤の「ソニー・クラーク・トリオ」に変わる頃に店を後にする。
    また、7番のバスに乗り、京都市役所前へ。地下道に降りてふたば書房御池ゼスト店をのぞく。以前にも書いたがこの店の棚はセンスが感じられて好感を持っている。店に「成瀬は天下を取りに行く」(新潮社)の作者・宮島未奈の色紙が飾ってあった。本屋大賞を受賞したこの作品と続編「成瀬は信じた道を行く」をこの夏読み、にわか成瀬ファンとなったので、作者が自分の好きな書店に色紙を残しているのがなんとなく喜ばしい。
    寺町通りに出て、アスタルテ書房の建物の前まで行く。先日売りに出されることをネットで知ったので、ひさしぶりにその前に立つ。随分前に一度だけアスタルテ書房に入ったことがある。ビルの一室にあり、靴を脱いで入る独特の雰囲気の店で、その趣味のよい空間に気圧されて、それ以降敬して遠ざけてしまった。
    ここらでお茶でもと思い、イノダコーヒー本店へ向かう。車中で読んだ「京都で考えた」にイノダコーヒー三条店の話が出てきたので、三条店に行きたかったのだが、改装中ということで近くの本店へ。別館ならすぐに入れますと言われて何も考えず別館へ。ピンクと白のストライブに彩られた店内には女性客しかいなかった。自分の場違い感にいたたまれなくなる。いまさらやめますとも言えず、腰を下ろす。隣の席には若い女性3人組がディープな恋愛話を展開中。聞きたくなくても音声は耳に届く。若く軽やかな声で語られる、暗渠を流れるような低い情念を感じさせる内容は、頼んだコーヒーフロートのようなどろっとした感触を残して耳元を通り過ぎる。そうそうに店を後にする。
    京都市役所前まで戻り、中古レコード屋へ。ワークショップレコードは木曜日定休だった。1階下の100000tアーロントコだけ覗く。
    四条まで歩いて地下鉄で京都駅へ。帰りの車内で食べる駅弁を探す。暑さのせいかご飯物が重く感じられてしまい気がつくと手には「中之島ビーフサンド」。行きも帰りもカツサンド(行きが豚で帰りが牛)となった。
    6時前の新幹線に乗って帰る。台風に追いつかれる前に家に着いた。
    vanjacketei 2024-08-17 12:08 読者になる
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    下鴨にひかれて善行堂参り。
    2024 / 8

  5. 2024/08/14 13:31:05 キッチンに入るな 含むアンテナおとなりページ

    2024/08/12
    あらゆることは
    ■ そうしたほうがいい気がする、という自分ひとりの意志によって生活にすこしの変化を取り入れたのは事実だが、それは前回から3ヶ月以上もブログを更新できなくなるほど大きな変化では明らかになかった、と、そう言いたかったのだけど、じっさい更新していなかったわけだからサイズの問題ではないのかもしれない。
    (1)定期的に更新していたあいだは「あ、もう○曜だ」と時間の流れが異常に速く、(2)更新しないでいるあいだは「あ、もう○日も経ってしまった」と時間の流れが異様に速かった。どうあれ時間は速すぎると思っていたけど、こうして1年の1/4にあたる時間が過ぎてみると、やはり(2)のほうがスピードはずっと速いとつくづく思い知らされたことだった。定期的にブログを書くのは、むしろ時間に歯止めをかける抵抗だったんじゃないかという気さえしてくる。
    ほんと、なんなんだろうな。
    ひとつ気になることがあると、それが客観的には(イヤ主観的にも)どんなに小さかろうと、それだけで頭がいっぱいになってほかのことができなくなり(手が回らなくなる以前に意識が向かなくなる)、時間がどんどん過ぎていく(1日のなかでも、週・月のスパンでも)。キャパシティが極小とか気分の切り替えが下手とか、それ自体やっかいな問題がまずあり、そこから受ける影響がどう見ても大きすぎるというさらなるやっかいが自分にはずっとある。どうしたものか、といってもこの自分でやっていくほかにやりようはないのだけど。
    ■ そんなことを日々ひしひしと実感する最中の6月に読んだ柴崎友香『あらゆることは今起こる』(医学書院)は、たいへん面白い本だった。
    40代になってから本格的な検査を受けてADHDの診断を得た小説家が「やっぱり。そうだと思ってたんだ」(大意)という立場からこれまでに経験してきた大小さまざまな困難と、そのとき自分はどういう意識でいるのかを文章にしていく。
    これはあくまで自分ひとりのケースであって、なにかを代表するつもりはない(大意)とたびたび念が押されるのと、話の方向が「そういえば」の連想と思いつきであちこちに動きながら続いていくのがいい。
    わたし自身はこの本に書かれていることの7割を「そんなことになっているのか」とおどろきながら、残りの3割を「それはよくわかる」とまたおどろきながら読んだ。この割合は人によって変わるだろうし、いま書いた実感が正しいのか自分では判断がつかない。だからおそらく、もっと多くの人が「自分の場合」を言語化できればいいのだと思うし、そう思わせるこの本をわたしはADHDについてのものとして読むのと同時に、ADHDについてのものとして読まなかった。
    (例として適切なのかわからないが、わたしが個人的にこの数年引っかかっているのは、とくべつ方向音痴というわけでもない自分が大型の商業施設――というかイオンモール岡山――のなかでだけ方向感覚を失くす事態のことで、何十回と行っている特定の店舗の場所も、目立つ店舗1と目立つ店舗2の位置関係も、各フロアのおおまかな形状さえいつまでたっても把握できないしおぼえられないでいるのはわたしの側になにかあるんじゃないか・ほかの人はどうなのかと気になっている。そこまで大きな建物でなくても、屋内に入ると屋外と方角のつながりが切れる(屋内で「駅はどちらにあるか」考えるとたいてい間違う。そもそも考える手がかりがなくて考えられない)件は最初に自覚した幼稚園児のとき以来ながらくわたしの謎である。そのうち文章にしてみたい)
    柴崎本では、体内に《「現在」「過去」「未来」が同じ強度で並んでいる感じ》(p.223)をもつ著者にとって、ガルシア=マルケス、とりわけ『族長の秋』の時間感覚がとてもしっくりきて読みやすかったという話につい笑った。他人の感想は、というか他人は、本当に豊かだ。
    ■ 7月に田野・小野寺・香月・百木・三浦・矢野『〈悪の凡庸さ〉を問い直す』(大月書店)を読んでいて、当のハンナ・アーレントの本を開いたことがないわたしのような人間が〈悪の凡庸さ〉なるフレーズを誤解したまま広めている事態をよろしくないと思っている歴史の研究者と思想の研究者があれこれ議論をしているなかで――「誤解されている」し「よろしくない」という点では一致するみなさんが、「なぜ・どのように誤解されているか」「ではどうするか」になるとけっこう紛糾していて読みごたえがある――いちばん興味の引かれる発言をしていたのが矢野久美子という人だった。
    それで検索してみて、この人が中公新書からそのものズバリ『ハンナ・アーレント』を出しているとわかった瞬間によみがえる光景があった。
    それは2022年のたしか秋、岡山大学の近くにある古本屋まではじめて足を伸ばしたとき、いちばん奥の壁に接した新書を集めた本棚の一角で、白い背に「ハンナ・アーレント」と書かれた中公新書ばかりが計10冊以上、数冊は立てて並べられ、また数冊は横にして積まれていた図だった。タイトルのシンプルさと相反するような冊数に、何事だろうと手に取って何冊かパラパラめくったような記憶もある。
    何事もなにも、「授業で使うので」買った学生たちが「授業で使い終わったので」売ったのに違いない。どれもきれいだったし、数冊は帯もついたままだった。なるほど大学のそばだとこういうこともあるのかと納得してその日は買わずに帰った。
    そのとき著者の名前には目が留まっていなかったが、同じ中公新書から同じ「ハンナ・アーレント」というタイトルで複数の本が出ていない限り(出ていない)、今回たまたま調べて知る前からわたしは当の『ハンナ・アーレント』に出会っていたのである。
    あれから2年近く経っている。あの10冊以上の『ハンナ・アーレント』は、わたしが『〈悪の凡庸さ〉を問い直す』を読み終えたいまも積まれているだろうか。猛烈に確かめたくなって、すぐに行ってみた。2年前には持っていなかった日傘を今年は差している。
    「自動ドア 壊れています 手で開けてください」と貼紙のあるドアを押し開いて店内に入った。まず、わざわざ入口に近い棚から眺めはじめたわたしのなかには、いま思えば「目的を悟られないように」というつもりがあった気がする。いったいだれに? 神?
    で、結論を述べると矢野久美子『ハンナ・アーレント』(中公新書)は5冊あった。「まだ5冊残っていた」と「5冊(以上)は売れたのだ」、両方の感慨を抱きながらそのうちの1冊を選んで買った。読んではいなくても、店を再訪し買った時点で『〈悪の凡庸さ〉を問い直す』と『ハンナ・アーレント』でできた輪が閉じる小さな充実があった。その輪のなかに立っているのはアーレントではなくわたしだと思う。
    会計してもらっているあいだ、またもいまにして思えば、ここまでの事情を店主に話したい気持を抑えた感触がかすかにあった。なにが「目的を悟られないように」だ。
    なお、岩波文庫や講談社学術文庫を集めた棚には前野直彬『精講 漢文』(ちくま学芸文庫)が3冊あり、記念としてこれもいちばんきれいな1冊をいっしょにレジに運んだ。いつか漢文を勉強しないとも限らない。そうなったら岡山大学の学生に感謝するが、そうなるまでは「あなたたち、それでいいんでしょうか」と言いたい気持がある。
    ■ 「ちくま」2024年6月号、岸本佐知子の連載「気になる部分」(第268回)の話。
    眼科の定期検査に行った「私」は、待たされているあいだに中学生の時分、はじめて眼鏡をかけた日の顛末を思い出している。
    それまで降りたことのなかった駅にひとりで降りる。たどりついた眼科で若い男性が(いまふり返ると)だいぶ妙なことを言ってきた。「私」は素直に(これもいまふり返ると)だいぶ妙な返事をした。
    《半世紀ちかく経つのに、あのときのことを思い出しては複雑な気持ちになる。》p.37
    あのやりとりはなんだったんだろう。男性の意図はこうだったのだろうか、それともああだったのだろうかとさまざまに考える。
    ここまではわかる。思い出ばなしのレールを外れるものではなくても、内容のおかしさでじゅうぶん面白い。しかし、あれから彼は何をして、老いた現在はどんな暮らしをしているのか、そして――
    《あの日のあの中学生が五十年後もまだ自分のことを考えていると想像したことがあるだろうか。》p.37
    ここで思い出ばなしが急に歪む。男性について、ここまではいわば外から思いをめぐらしていた「私」の想像が不意に彼の内側に入る。遠くに眺めていた思い出のなかにいた男性が、眺めている「私」を見返す。すると「私」の思い出と想像を読んでいたわたしまで、彼に見返されている気持に一瞬、見舞われる。
    この変な感覚の余韻は数行だけ続いて、「私」は「私」自身に戻り、わたしもわたしに戻る。いまのはなんだったんだ。
    「エルトン」という題のこの文章が、『ひみつのしつもん』の次の単行本にまとまるのがいつになるかわからないが、そこで読み返すときにまた上記の感じをおぼえるかどうか、ささやかながら気になるのでここにメモする。
    ■ その岸本佐知子の『わからない』(白水社)を、読み終えてもずっと机の上からどかすことができないでいる。単行本に未収録だった各種の原稿を集めた1冊で、どこを読んでも面白い。もっと厚くたってよかった。
    書評パートがいかにもこの書き手らしかった。未読の人を相手にした内容紹介の部分もたしかにあるものの、それよりずっと重みが置かれているのは「その本を自分が読んだという体験」のほうである。自分語りへの踏み込みの深さが作品を読み込む深さになって、バランスはたぶんよくない。というかバランスを取るつもりがなくて、そこがいい。『銀の匙』への執着など、笑いながらちょっと怖くなり、怖くなりながらほれぼれする。
    「yom yom」で読んだのをはっきりおぼえている片岡義男の絶賛評(「すごいよ! ヨシオさん」)をまた読めてよかったいっぽう、同じく「yom yom」に載ったはずの榎本俊二『ムーたち』評は収録されていなかった。わたしはあれで『ムーたち』を知ったので勝手に大恩を感じており、もういちど読みたいが、おかげでいっそう幻の書評になったからこれはこれでいいような気もしている。
    そういったもろもろのなかでもいちばんうれしかったのは、ついにまとめて収録された「実録・気になる部分」だった。
    2000年代の前半に白水社サイトの片隅にアップされていたこの日記――といいながら、たしか、更新の日付と扱われる日付に大胆なギャップがあった――がわたしは好きで、既読ぶんを何度も読み直しながら次の更新を心待ちにしていたし、どうやら更新はもうないようだとうすうすわかってからはいっそう頻繁にバックナンバーを開いて読み返していた。
    いつのまにかサイトから消えていたあの日記を今回一気に読んで、「こんなにあったのか」とまずおどろき、しかしどの年のどの日の記述にもたしかに見おぼえがあって、めまいがする思いだったといってもこれはぜんぜん過言ではない。
    たとえば二〇〇〇年の九月六日(水)、WOWOWで映画『タイタニック』を観た感想が《『親指タイタニック』を先に観たのは、どちらの作品にとっても不幸だった。》(p.276)であったのを自分はこの20年以上も忘れずにいた、ということを2024年のわたしが確認できた。
    思い出したことがある/ない、なんていうのは些末な違いでしかなく、「おぼえている」というのはこういうことだろう。人を支えるのは(『親指タイタニック』ではないにしても)こんな記憶だと大真面目に思う。
    そういうわたしはいまだに『タイタニック』を観ていない。次の20年のあいだに観るだろうか。
    《[…] 「いやー、きのうは酔っぱらっちまったーい! ビバ! 濁り酒!」みたいな内容のアホメールを間違って同業大先輩Oさんに送ってしまい、即死。馬鹿のふりをして「春風の悪戯でしょうか?」的なフォローのメールを入れ、傷を深める。Oさんからは「エイプリルフールかと思いました」という優しい返礼門院。》p.320、二〇〇二年四月一日

  6. 2024/06/13 01:38:21 古本ソムリエの日記含むアンテナおとなりページ

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  7. 2024/03/28 03:05:18 古書現世店番日記含むアンテナおとなりページ

    古書現世のブログ
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  8. 2024/03/27 23:37:42 モンガ堂の日記含むアンテナおとなりページ

    mongabookの日記
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  9. 2024/03/27 22:05:47 早稲田文学編集室はてな出張所含むアンテナおとなりページ

    早稲田文学編集室はてな出張所
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  10. 2024/03/27 21:02:02 mauのしっぽぽ図書館含むアンテナおとなりページ

    mauのしっぽぽ図書館
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  11. 2024/03/26 13:38:09 日々のあわ.。o○含むアンテナおとなりページ

    日々のあわ.。o○
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  12. 2021/02/02 07:15:21 わめぞblog含むアンテナおとなりページ

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  13. 2021/02/02 06:28:25 空想書店 書肆紅屋含むアンテナおとなりページ

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  14. 2021/02/02 03:43:04 バナナジュース含むアンテナおとなりページ

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  15. 2021/02/01 12:09:53 読書で日暮らし含むアンテナおとなりページ

    FAQ / お問い合わせ窓口

  16. 2020/09/18 05:18:33 幻 想 の 断 片 含むアンテナおとなりページ

    はてなブログ アカデミー
    法人プラン

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    2020-09-08 20:00:13
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    hitode909の日記
    2020-09-10 14:09:49
    からっしゃいませ(担々麺屋)が閉店して困っていた。京都店は閉店、小倉店は復活したようなので、いつか福岡まで行く…

  18. 2019/12/13 22:27:06 やまねこ書店 - やまねこの日記含むアンテナおとなりページ

    403 Forbidden
    openresty

  19. 2017/05/03 20:44:15 まっしろな気持ち含むアンテナおとなりページ

    ましろの読書レビュー。気の向くままに紡いでおります。

  20. 2016/10/27 10:56:13 対抗文化専門古書 気流舎 含むアンテナおとなりページ

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    気流舎
    ちいさなロフト、 こくのある珈琲、 人生を変えるほどの本。気流舎は、東京下北沢にある 四坪の古本カフェ・バーです。
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  21. 2012/01/28 17:36:42 古書肆マルドロール含むアンテナおとなりページ

    古書肆マルドロール
    2011年12月24日よりHPをリニューアルし、
    下記アドレスへ移行しました。
    http://maldoror.web.fc2.com
    引き続きよろしくお願い申し上げます。