すべて | グループ指定なし | お友達 | ハロプロ関連 | おすすめ | その他 | WILLCOM | 合唱 | ニュース | EM・ONE
2024-03-31
ブルー・アイランド版「ポッペアの戴冠」~不適切だけどうらやましい~
舞台雑感 観劇 音楽雑感
今日は本日観劇した、青島広志先生プロデュース、ブルー・アイランド版「ポッペアの戴冠」の感想を。女房がダミジェラ役を演じた昼公演を拝見しました。例によって衒学的かつ浅薄な文章ダラダラ並べて参りますけど、いい所に着地するかどうかは保証の限りではございません。長文になりますので、お時間があれば是非。最後まで読んでいただけたら本当に幸いでございます。
毎回、元のオペラのお話を離れ、青島広志先生ならではの飛躍と諧謔に溢れた全く別物のエンターテイメントに仕上げてしまうブルーアイランド版ですが、過去拝見したブルーアイランド版「こうもり」と「蝶々夫人」が、それぞれの作品自体の物語や設定の読み替えだったのに比べて、オペラという表現が始まった最初期、ルネサンス後期バロックオペラの傑作、という作品の位置付けもあってか、オペラの歴史や時代背景を強く印象付ける読み替えだったなぁ、というのが一番の感想です。
もともと、「ポッペアの戴冠」を初めて拝見したのが、東京室内歌劇場で1997年に市川右近さんが演出した、歌舞伎版「《花盛羅馬恋達引(はなのろおまこいのたてひき)ポッペアの戴冠》」だったんですよね。ネロとポッペアの物語を、平安王朝の物語に読み替え、演出を全て歌舞伎の所作にした意欲的な演出。字幕監修を、「オペラと歌舞伎」の著者、永竹由幸先生が担当されていたのも面白かった。つまるところ、時の権力者が傾城の美女に心惑わされて世が乱れる、という基本ストーリー自体、権力と性欲がある場所ならどんな時代でもハマってしまうお話で、それがローマ帝国であろうが平安時代の王朝であろうが物語としては成立してしまうんですね。金毛九尾の狐は時間と空間を超えてあらゆる次元に遍在している。
そんな一種普遍的な物語の舞台として、今回、青島先生が選んだのは、昭和40年代、高度成長期の池袋の暗黒街。青島先生の個人的な体験をベースにした読み替えの多いブルーアイランドらしいなぁ、と思うのだけど、それ以上の意味もあるのかもな、とちょっと思ったりしました。
もともとルネサンス自体、猖獗を極めたペストと十字軍の失敗によって地に落ちた教会の権威とヨーロッパの旧秩序に対して、ギリシアローマの人間中心の世界観に回帰しようとする文化運
leggiero’s backstage
読者になる
ヤマイモのおこじょニョッキ
読者になる
お酒と葉巻と音楽の日々。
読者になる
このブログについて