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・「こりゃぁ、すごいぞ」と言えるようになること。
じぶんにはとても無理なのだけれど、
すぐれた野球選手がホームランというものを打つ。
ぼくらは、「こりゃぁ、すごいぞ」と思える。
つまりこれは、多少なりとも野球のことを学んだおかげだ。
アイドルという職業の人が、テレビ番組の企画で、
「ホームランが打ちたい」というテーマで挑戦していた。
結局、たしか、打てなかったのだけれど、
彼は、野球選手の打つホームランのすごさを知ったろう。
テレビで見ていたぼくらも、それを知ることになった。
将棋の世界で起こっていることを、ぼくは、
「こりゃぁ、すごいぞ」と言えないままでいる。
それを言える人たちが「すごい」と言っているのを、
又聞きのように聞いて「すごいらしい」と思っている。
棋譜を見て「すごいなぁ」とかは言えるはずもない。
これはアインシュタインの相対性理論のことを、
「すごいなぁ」と言えないでいることと似ている。
でも、「すごいんだろうなぁ」と敬意を感じている。
自然のなかで花の名前を言えたり、
夜空をながめて星の名前を言えたりする人のことを、
「いいなぁ」と思うこともある。
そのことを学んで、うれしい気持ちで
その名を呼んでいる人のことを、尊敬もする。
家を建てている職人さんだとか、
大きな重機を動かして土木の工事をしている人だとか、
じぶんにできないことを当たり前のようにしている人を、
これもやっぱり「すごいことだなぁ」と感心する。
公園で遊んでいるとき、止まっているのに、
からだを弾ませるようにしている子どものことも、
「あんなふうにいたいなぁ」と憧れて見てしまう。
すべて、「学ぶ」ということにつながっている。
なにを知っているわけでもないじぶんが、
少しずつ学ぶことで、感心や尊敬や好感や憧れが生まれる。
学ぶこと、思うことを繰り返すごとに、
じぶんの知っていることの少なさと、
知ってうれしいことの多さを知って、たのしくなる。
学びたいものをいつも見つけていれば、ずうっとおもしろい。
2024-04-16
「アイアンクロー」
ネットで見かけた感想で「ザック・エフロンの演技がすばらしい」との評を見て、おっじゃあ見てみたいなと思って足を運んできました。プロレスはまったく未知の世界でモデルとなったフォン・エリック一家のこともガチでミリしら状態。監督はショーン・ダーキン。
必殺技「アイアン・クロー」の開祖であり、プロレスでの世界チャンピオンをかつて夢見た父と、その息子たち。何をするにも「男子たるもの」という言葉が前置きされそうな家庭において、それでも家族と兄弟を愛していたケビンであったが、その思いとは裏腹に一家は想像を絶する過酷な運命に翻弄されることになる。
トキシック・マスキュリニティという言葉はこの時代、まだ一般的でなかっただろうし、たとえ一般的であったとしても、その言葉を一家の長である父は受け入れなかっただろうと思わせる、家父長制ど真ん中の父親の圧がすごすぎる。かなり冒頭の、朝食を食べながら4兄弟について「期待値の順」を意気揚々と話すさまにのっけからうへえ、となってしまった。映画は次男(実質長男)のケビンの視点から描かれるんだけど、苦しいのは彼はこの家族を愛してたってことなんですよね。父も母も愛してたし、兄弟を愛してた。たとえ兄弟同士で競わせるような親であっても、期待にそぐわなければ切り捨てるような親であっても、そして真のSOSを見逃して、「兄弟同士で解決しろ」と問題に向き合おうとしない親であっても。
あの父親はあれが愛だと思っていたのかなあ。思っていたんだろうなあ。足を切断する怪我を負い、それでもなおリングにカムバックした息子にさえ、「もう休んでいい」とは言わず、昏睡状態から戻ってきた息子にさえ、「いつ戻るか」しか言わせなかったとしても、それが男親の愛情たるものと信じてたんだろうな。子供と自分は違う人間で、違う人生があり、父の夢のために生きているわけではないということを、真にはわかっていなかったんだろうな。
見ていて思ったのは、ケビンが恋人のパムと初めてのセックスに及ぶ場面。積極的なパムにケビンは「経験があるのか?」と聞き、パムは思わず気色ばむが(そりゃそう)、そこでケビンが素直に自分は初めてだと告白する。あそこが彼の命のターニングポイントだったんじゃないか。あそこで経験がある振りをするでなく、パムをさげすむポーズをとるでなく、ただ自分が「強い男」の土俵から降りられるひとを見つけたことが、ケビンが生き延びられた理由のように思えてならない。
それにしても、兄弟のすべてを不慮の死で亡くしてしまうとは、想像を絶する。なんとなく一家に悲劇が襲い掛かる展開を予想していても、それにしたってあまりにもあまりすぎた。ケリーの亡骸を運び入れて、そこでケビンが思い描く、「むこう」岸での兄弟の再会はあまりにも痛切。アランのバンドのライヴをめぐるエピソードとか、兄弟たちは決して力弱い弟を馬鹿にしたり切り捨てたりせず、弟として愛を注いでいたことがわかるだけに辛い。でも、だからこそ、ラストシーンの子供たちとの会話に、失ってしまったものはもう戻ってこないけれど、それでもつながる何かがあると示してもらえたようで、たまんなかったですね。思えば、ケビンの「泣き顔」はあのラストシーンだけなのだ。男は涙を見せるななんてほんとクソだ。でもケビンはちゃんと息子に「いいじゃない、みんな泣いてるよ」って言ってもらえる。そういう家族を作ってきたから。呪縛を解くのは自分自身にしかできないことなんだってことをしみじみ考えちゃいますね。
ザック・エフロンすばらしかったね。各演技賞にノミネートされてないのが意外なくらい。キャストみんなよかったなあ、お母さん役の人、どこかで見た…と気になってたんだけど、とあるシーンで「ERのアビー・ロックハートじゃん!」と思い出してスッキリ。いやー精神的にキツイ部分もあれど、良い映画でした!
peat 2024-04-16 17:00 読者になる
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「アイアンクロー」
身体を鍛えると世界が変わる科学的な理由『なぜ世界はそう見えるのか 主観と知覚の科学』
嫁様にお願いごとをするなら、食後が最適だ。
こづかいアップとか、相談しにくいことを持ちかけるベストなタイミングは、夕飯後のくつろいでいる時間帯だ。自然に話を持っていくのには創意工夫を要するが、ほぼ100%で了承される。長年の経験で身につけた夫の知恵と言っていい。
これ、私だけの経験則だと思っていたら、2011年の研究で実証されている。”Extraneous factors in judicial decisions”によると、司法判断に食事が影響するらしい。
調査対象は、仮釈放の審理になる。
服役中の囚人から提示された仮釈放の申請を認可するか、あるいは却下するか……という審理だ。裁判官は過去の事例や法的根拠を厳密に適用し、可否を判断するはずだ。
ところが、調査により奇妙な傾向が炙り出されている。それは1日に2回ある食事休憩だ。仮釈放の申請は、ほとんどが棄却となるのだが、休憩した直後の申請が許可される割合が高くなる。具体的には、休憩直後だと65%が認可され、時の経過とともにこの低下してゆき、最後には0%になるという。お腹が空いてくると、より秋霜烈日になるのだろうか。
身体の状態が、認知や行動を左右する。さもありなんとは思うものの、ここまであからさまとは思わなんだ。『なぜ世界はそう見えるのか』を読むと、私たちが「ありのまま」に見ていると思っている世界が、身体性に大きく影響されていることが分かる。
身体性が認知に及ぼす影響
身体の状態を自覚していなくても、認知に影響を及ぼすという実験が教訓的だ。
この実験は、被験者に一定の運動量でエアロバイクを漕いでもらった後、「どれくらい長い距離を漕いだか」を見積もってもらう。運動中には決められた量のスポーツ飲料を飲む必要があるのだが、この飲み物に仕掛けがある。
あるグループは、糖質で加糖されたゲータレードで、別のグループは、人工甘味料を加えてありカロリーゼロのものになる(味は同じ)。被験者は自分が口にしたゲータレードが普通のものだと思っている。
45分間漕いでもらった後、自分が漕いだ距離を見積もってもらう。結果は瞭然で、カロリーゼロの被験者の方が、糖分をとったほうよりも、より長い距離を漕いだと申告したという。
お腹が空いているときは物事をネガティブに考えがちだというが、「お腹が空いている」ことを自覚しているかによらないようだ。むしろ、物事をネガティブに捉え始めたら、ひょっとして糖分が足りなくなっているのかも……と考えたほうがよいかも。
他にも、糖分に限らず身体性が認知を歪ませる実験が紹介されている。
例えば、坂の傾斜を見積もる研究が面白い。老若男女の様々な被験者を集め、色々なシチュエーション下で、これから上る坂の傾斜度がどれくらいかを答えてもらう。
結果はこうだ。スポーツ選手など、運動能力の高い人ほど、坂の傾斜を低く見積もる傾向があるという。運動能力の高さはそのまま身体の効率的な使い方につながるため、坂の傾斜という障害も、より楽に見えるのかもしれぬ。
「身体を鍛えれば、世界が変わる」というフレーズは陳腐に聞こえるかもしれないが、比喩ではなくホンモノなのだろう。
「身体能力」が、あなたが世界にどのように「適応」しているかを左右する。自分は世界をありのままに見ているというのが私たちの共通感覚だ。だがそうではなく、私たちは「自分が世界にどのように適応しているか」を見ているのである。
(『なぜ世界はそう見えるのか』デニス・プロフィットp.77)
これ、逆に考えると腑に落ちやすい。体調を悪くしたとき、普段は何でもない階段がキツく見えたり、衰えてくると駅まで歩く道のりを遠く感じたりする。私は、世界をありのままに見ているというよりも、私が関われる身体能力の範囲に見え方が左右されているのかもしれぬ。
メタファーと認知
「世界をどのように見ているか」というテーマは、ジョージ・レイコフのメタファー論からも解説されている(私のレビューは『レトリックと人生』はスゴ本に書いた)。
例えば、「上」と「下」の表現だ。人の気分や感情は、向きなど存在しない。しかし、「気分が上向く」「ダウナーな感じ」というように、上と下の向きがある。そして、「上」はポジティブで生き生きとした隠喩で扱われ、「下」はその反対だ。
これは、私たちの行動を見ると分かる。気分が良いときは立ち上がるし、なんだったら飛び上がるかもしれない。反対に、元気がないときは座り込み、ひどいときは横たわったまま動けなくなる。
こうした行動に裏付けられるレトリック表現を用いているうちに、世界をそうしたメタファーで理解するようになったのかもしれない。
こうしたイメージについて、「上」や「下」
悪態の小部屋
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2022-12-24
NFK2022好きな男アンケート、今年も意地でやるぞ
この記事はほぼ去年のコピペです! 意地でも今年もやります NOMACHI FAN KANSHASAI (ローマ字!)略して、
NFK2022、好きな男アンケート!!
今年も、ただ「好きな男」を投票してもらいそれを集計してランキングをつけて盛り上がる、というお祭を開催します。ツイッターで投票していただきます!「1年間、私を応援したり私の書いたものを読んだり見たりして私の生きる糧となってくれてありがとうございます」の思いを込めてやっております。果たしてツイッターがいつまで存在するか、怪しくなってきましたけど。
去年のアンケート時、私のフォロワーは175618人だったようですが、この記事を書いている現在181879人だって。ペースは鈍化したけど一応まだ増えてるな。今年もコツコツ1人で集計。投票期間は短く、2日間です。
下記の「投票上のお約束」を破ってる人は、カウントできません。いろいろあって長くなっちゃってるけど、きちんと読んでね!
以下、投票方法。
「好きな男」を1〜3位まで投票してください。有名人に限ります。「有名」の基準はおまかせしますが、架空の人物・2次元の人物・ドラマ内の役名などはNGです。別人格というギミックでやってる人も、基本的には同じ人とさせていただきます。グループ名・コンビ名もNG。実在の一個人でお願いします。1位3点、2位2点、3位1点で集計します。
投票するとき、できれば好きな理由なども書いてください。
あと、欲しがっちゃってすみませんが、私の本の感想なども入れていただけるとめちゃくちゃ励みになります…。
1人(=ツイッター1アカウント)につき、1回の投票とします(複アカ持ってる人も1人1回で)。
投票できる条件は、現時点で、ツイッターで私 @nmcmnc をフォローしている女の人です。「能町って人は知らないけど、投票したいからフォローする!」っていうのはできればやめてね。一応「私を支えてくれた皆さまへの感謝祭」のつもりですんで…。
自分が女かどうかは自己申告でいいですが、「男から見たイイ男」を投票されると趣旨がズレてきちゃうかな…と思ってます。そのへんは適宜自己判断でおねがいします。
投票は、アンケート用に作ったアカウント @nmcmnc2 に向けてのリプライでお願いします。検索の補助になるので、ハッシュタグ #NFK2022 もつけてください!(私の通常アカウント @nmcmnc あてにすると、個人的リプライが埋もれちゃうのでやめてね)。
140字におさまらなくて、2連続以上の投稿になっちゃってもいいですが、毎ツイートの本文中に #NFK2022 と入れてもらわないと検索で取りこぼしちゃうので、そこはご注意ください!
投票期間は【12/24(土) 00:00】から【12/25(日) 26:59 (=12/26(月) 午前2:59)】までとします。2日間+α限定です。気づいたら0時オーバーしてた!というのがよく出るので、少し長めに取ってます。ツイートについている時刻表示で見ます。
投票結果は、2023/1/7の「第21回 俺たちデトックス女子会」で発表します(集計が無事終われば)。そのあとに、ツイッターやここでも発表します。
毎年、鍵付きアカウントのためにメール投票も受けていたんですが、ぶっちゃけ集計の手間がだいぶ無理な感じになってきたので、去年からツイッター上のみ、としています。今までメール投票してくれた方ごめんなさい! 投票用の新アカを作っていいので、ぜひ投票してください。
12/24〜25に開催する #NFK2022 の投票サンプルです。@nmcmnc2
1位:福澤諭吉 学問をオススメしてきたから
2位:新渡戸稲造 お札から外されて可哀想だから
3位:野口英世 パーマが似合うから
— NFK好きな男アンケート用 (@nmcmnc2) 2022年12月21日
↑こんな感じ。細かくてすみませんが、コピペするときの手間を省きたいので、1位、2位、3位の順番で書いてください。……ルールがどんどん長くなってすみません。長くやってるといろいろあるのよ。
景品とかは当たりませんし、まして入賞したご本人には何もあげません(極力知られたくない)。ニュースにもなりません。私も一切儲からないし、データをどこかに提供するわけでもないし(「久保みねヒャダ」ではちょっとネタにするけど)、99%私の趣味・娯楽ですので、そのへんをご理解のうえで、壮大なる内輪ネタとしておねがいします!!
以下、投票方法のところに書くと長くなるので、余裕のある人は読んでくれ、という私からのコソコソ……
この世の中、「好きな男」って古いんじゃ? もう男とか女とかないのでは? という
クリスマスどうすんのー!
クリスマスどうすんのー!
クリスマス、どこいればいいのー!
あたし泣く子も黙るカド部屋なんですよ。
いるか、いないかが一目瞭然なんですよ。
く、クチの野郎ー!
口は災いのモトとは、よく言ったもので、
昨日のクリスマスはずーっと電気消して、家に居ました。
東京のくせに、結構、星がキレイでした。
とか、しんみり言おうと思ってたんだけど、
この日を宮崎駿コンプリートデイとして、「おもひでぽろぽろ」「となりのトトロ」「魔女の宅急便」「天空の城ラピュタ」「耳をすませば」「風の谷のナウシカ」「ハウルの動く城」などなどを、暗い部屋で、もうひっきりなしに見まして、
こうね、「彼氏」とかね「もこみち」とかね、
だからなんだっつーの?
くらいの、でっかい気持ちになってみました。
クリスマスなんて、ちょろいちょろい。
2005年12月26日 人気blogランキングへ
12月の詰め将棋
友達に新しい彼ができたので
じゃあ写真見せろや って言ったら
得意げに出してきた。
いやー、すこぶる用意周到過ぎて確信犯。
その写真が、まぁ・・、ディズニーランド?らしきところで軽くツーショット写真。
(いや、つーか絶対ディズニーランドだけど、
つーかこの後ろに写ってるマルっぽいオブジェは
ディズニーシーであることは間違いないけど、
そんくらい私だって一目でわかるけど、
絶対「これディズニーシー行ったの?」って聞きたくない!)
で、友達としては、早く聞いて、これディズニーシー行ったの?って聞いて!っつー顔まんまん。
でも私は絶対聞きたくない、
しかしそれ以外にこの写真に対し何の感想も浮かばない、
でも言いたくない、
これ言ったら負ける気がする。
という、女同士の緊迫する一瞬の中、
後輩の女の子が無邪気にこの前戦に突入してきて、
「わぁーこれディズニーシーですよねー!」
って、もうあんた!
これだら、二十歳前後の子ってのは、
こういう女同士の話したい!聞きたくない!の攻防が全然わかってない!
「あーわかっちゃったぁー?そうそうシーに行ったんだぁー」
ほらー、始まっちゃったじゃない!
シー話。
もうこれから、彼女の口からハーバーサイドクリスマスがこれでもかっつーほどのパレードを繰り広げちゃうよー。
って思った瞬間
「実は、私もこないだ彼氏と行ったんですよ、シー。もう超きれいで、超感動ですよねー。でーミッキがぁー」
馬
鹿
な
!
2人は一気に団結し、ディズニシーの素晴らしさに付随(ふずい)した形で、冬に彼氏のいる素晴らしさを存分に語り尽くしたあげく
「ハイネも絶対行きなよシー、すごいから、価値観変わるから」
馬
鹿
な
!
行ったことあるよ。
つーか、今、目をキラキラさせてるあんたと行ったはずだけど。
そしてカップルの波と抱擁に引き裂かれながらブラヴィッシーモを見て、
もう二度と来ねぇシィー!
って叫びあったはずだけど。
でも、なんか、写真に写ってた彼氏が、なんかレーザーラモンのマネっぽい、でもなりきれてない、土壇場で自分を捨てきれてない素振りで写ってたので、
ちょっとだけ微笑ましく見守っていくつもりです。
2005年12月20日 人気blogランキングへ
イブの采配
正直、こんなにモテナイとは思わなかった。
団体戦(合コン)はおろか、一騎打ち(紹介)に至るまで、
全ての面において、伸び悩み。
洋服の襟元に間違ってウンコでも付いてるんじゃないかって疑うくらいの防御率。
これはもうね、絶対におかしい。
裏に政治的なものすら感じている。
そのくらい、国会レベルでモテナイ。
「好きな人に告ったけど振られてしまった」
というモテナイレベルを超え、
ついに、先日告ってない人にまで振られた。
や、地元の飲み会の最中、
私はさ、最近見た「ハリーポッターと炎のゴブレット」について、なんと炎のゴブレットらしきものの演技つきで解説してたわけ。
「でね、対抗試合も終盤!ハリーが勝つと思うじゃん?ところがどっこい、ハリーはそのすべてがワナだったことに気がつくわけ!でっ!」
みたいな、紙芝居屋でいえば、子どもたちが息を呑むであろう、その瞬間だったと思う。
地元の男友達の一人が
「ごめん、今気づいたけど、おれ加藤にほんと興味ねぇや」
今、気付いちゃったーーーーー?
いやー、気付くにしても、もうちょっと先か、もうちょっと、せめてこの話が終わった段階で気付いて欲しかったー。
つーか、今気づくべきは、ハリーをワナにかけようとしたのが誰かっつーことだし。
そんな赤裸々な地元の男女関係についてじゃないし。
むしろ私がいない場所で気づくのがエチケットだし。
しかも、今してたの私の話じゃないし、ハリーポッターの話だし、あいつの話だし、おめぇが興味ないのは、私じゃなくてハリーなんじゃないか