2024/11/21
貼るカイロ
十九日、この秋はじめて貼るカイロを装着。寒暖差が激しかったので、神経痛と腰痛予防のために貼った。すっかり貼るカイロなしでは生きていけない体になっている。
先週の西部古書会館。今回も本は三冊、あと伊勢鉄道開業記念(一九八七年三月)と開業一周年記念(一九八八年)の下敷(裏は時刻表)があったので買う。伊勢鉄道は第三セクターで、国鉄の伊勢線。本社は三重県鈴鹿市桜島町にある。わたしが郷里の鈴鹿市にいたのは一九八九年春まで。高校時代は近鉄で津新町まで通学していた。高校を卒業したのは一九八八年春で、そのあと名古屋の予備校に通っていたころ、何度か伊勢鉄道に乗った。わたしが上京した年、親も市内で引っ越した。伊勢鉄道だと乗り換えなしで名古屋に行ける。ただし近鉄のほうが本数が多く、駅も近いのでたまにしか乗らない。
鈴鹿市関係の資料では『特別展 斎宮・国府・国分寺 伊勢のまつりと古代の役所』(斎宮歴史博物館 三重県埋蔵文化財センター、一九九六年)も買った。古代の伊勢国府は鈴鹿にあったといわれている。何年か前、安楽川沿いを散策中にその跡地らしき場所を彷徨った。伊勢の国府跡をはじめ、能褒野神社、加佐登神社、白鳥塚古墳などの史跡は江戸期の東海道からちょっと離れている。
東海道と伊勢参宮街道が分岐する日永の追分から亀山にかけての古道は上記の史跡の近くを通っていたのではないか。
五年前、五十歳になったとき、ここで一区切りという気持になった。知らない町を歩いたり、バスに乗ったり、そういう時間を増やしたほうがいいと考えた。本の読み方にしても、寄り道を多くしたい。
……なんてことを書いていたら、読みかけの本が行方不明になる。付箋を貼ったところまではおぼえているのだが、どこへ行ったやら。そのかわりといってはなんだが、数週間前から探していた『やなせたかしの世界』(公益財団法人やなせたかし記念 アンパンマンミュージアム財団、二〇一九年)が見つかる。なぜかわたしは白い背表紙だったとおもいこんでいた。黒だった。
やなせたかしはインタービューやエッセイなどで、戦争と飢えの世界を希求し、『アンパンマン』を創作したという話をくりかえし語っている。一九一九年生まれ。やなせたかしの弟は戦死している。
世代を一括りにするのはむずかしいのだが、ある時期の多くの日本は、やなせたかしのように戦争は懲り懲りだ、ひもじいおもいをするのは嫌だという強い感情があった。焼跡世代の人たちも空襲と空腹にたいする怖れがあった。
自分の同世代にそうした思想の幹となるような感情はあるのか。あったとしても千差万別のような気がする。
Posted by 荻原魚雷 at 9:45 午後
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▼ 11月 (5)
貼るカイロ
2024年 11月 21日
(2)読んだ本と読みかけの本
~11月12日より続く
『ブレードランナーの未来世紀』と『見えない音、聴こえない絵』と
『東京百年物語 2』は変わらず手つかず。そういえばロバート・ファン・
ヒューリック『柳園の壺』(HPB)も途中だった。巻末に特別付録『中国
の探偵小説を語る』という座談会付き。
「宝石」1950年9月号に掲載された座談会だが、
<出席者8名という大人数だった。全体も長大なので、編集部として
陪席したらしい城昌幸・武田武彦両氏、発言数が非常に少ない島田
一男・椿八郎両氏の分をカットし、約1/3に整理した。[略]ファン・
ヒューリック(1910-67)氏らの話しぶりなどはなるべく出典に従う
よう努めた。当時ヴァン・グーリックと英語読みで呼ばれ、ご本人
も異を唱えていないので、[略]そのままにしてある。>
(p186)(新保博久)
これで途中本(一時停止本)の申告は済んだかな? Graham Greene
"TRAVELS WITH MY AUNT"のほうは、寝床と地下鉄で読むだけで、
現在、p90の第11章が終わったところ。もっと英語力、とくに単語を
知ってればもう少し物語の速度に合って読めるだろうに。コメディを
訥々と読むのは読み方としてどうかと思うが、それしかできないので。
さて、既読本。読み終わったが内容を忘れてしまった本のリスト___
レジナルド・ヒル/秋津知子 訳『パスコーの幽霊』(HPB 1983初 VJ)
ナンシー関『耳のこり』(朝日文庫 2004初 J)
常盤新平『片隅の人たち』(中公文庫 2021初 帯 J)
小林信彦『読書中毒 ブックレシピ61』(文春文庫 2000初 J)
___これだけだったと思う。感想文を書くには、一冊ずつ斜めにページを
開いてみて、何かしら見つけるしかない...。
Stop the Gaza Genocide
自民党裏金リスト(選挙区別一覧)___顔写真と名前の下の左側、
プロフィール図柄(?)を開けると当人の公式サイト、右側を
開けると自民党サイトの彼・彼女の紹介になる。
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# by byogakudo | 2024-11-21 16:25 | 読書ノート | Comments(0)
2024年 11月 20日
アナクロニズム
たとえば外国に長く暮らした後、日本に戻ってきた人は、自分の話す
日本語と周囲のそれとが違っていることに気づき、違和感を感じるだろう。
言葉は、とくに話し言葉は変化してゆくのが速いので。
べつに外国で暮らしてなくても、長生きのせいで周囲の言葉の使われ方
とずれてくることがある。数日前に実感した。
「東京新聞」11月18日(月)、13面[文化娯楽]の左上、[ミル タノシム 本]
のコーナーで奥泉光『虚史のリズム』が紹介されている。
戦後間もない1947年に起きた事件を新米探偵・石目が調査するという枠
の内外から戦争の記憶が立ち上るような構成みたいだが、探偵・石目について
の記述___
< 石目は「ユーモアがあり、風通しの良い人物」として描かれる。途中何度
も危険な目に遭い、何度も「探偵を辞める」と弱音を吐くが、ほれた女性に
頼られると虚勢を張ってしまう憎めない性格で、長大な物語を軽やかに引っ
張る。>
___とあるが、"憎めない性格"ってとこに引っかかる。気になりませんか、この
使い方?
"何度も" "弱音を吐"きながらも、"頼られると"探偵の仕事を続けるくらいの
落差で"憎めない性格"というだろうか? 石目がもっと与太郎的だったり、
近ごろの厭な間違った使い方だが"ヤンチャ"な行動をしながらも"虚勢を張って"
事件を解決しようとするとかだったら、"憎めない性格"であろうが、わたしは
こんな風に違和感を覚えた。
こういった小さなズレが、いつか大きく育って(?)言葉が変わってしまう
のではないかしら?
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# by byogakudo | 2024-11-20 20:44 | 雑録 | Comments(0)
# by byogakudo | 2024-11-19 20:46 | 雑録 | Comments(2)
# by byogakudo | 2024-11-18 21:28 | 読書ノート | Comments(4)
内田樹選集
今日はこれから病院ですい臓がんの切除手術の日程打ち合わせである。手術が無事に終わったとしても、もう74歳であるから、相...
2024-11-08 vendredi
韓国の出版社企画で「無知の楽しさ」という本が出た。韓国の編集者や訳者の朴東燮先生からの質問に私が答えて一冊の本になったの...
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今年1月、「本よみうり堂」の連載「私を作った書物たち」に乙川優三郎氏が登場し、その第3回(1月21日付「読売新聞」)で芝木好子(1914-91)の『隅田川暮色』を紹介していた。
乙川氏自身によると、芝木のこの作品は「(乙川氏自身が)デビューして間もなく、文体を模索」していた時期に出会った小説だといい、「いまの作家には書けない文章だと感じた。素直に学ぼうと考えた」という。そしてまた、次の様にも述べる――「芝木好子という手本があったことは、貴重でした。吉行淳之介も、三浦哲郎も好きでしたが、私が手本にする文章ではなかった」。
これに従うならば『隅田川暮色』は、「平安時代の組紐(くみひも)の復元」を中心に据えた「芸術家小説」ということになる。芸術家小説というのは、「芝木好子の真骨頂が発揮されているように思う」(山下同前p.276)などと評される如く、後期芝木作品の集大成的な作品といえるのだろう。
また、太古から変わらない大川(隅田川)のゆったりとした流れが冴子の過去の記憶を呼び覚まし、往時と現在とを往還する筋立てには不思議な味わいもある。そして、谷川健一ではないけれど、死者こそが生者を支配するというか、冴子の、亡き父・千明に対するファーザー・コンプレックスともいうべき一方的な愛情には、どこか尋常ならざるものを感じさせる。娘の父親への愛著というテーマは、「三代の女性を描いた自伝小説」に分類される芝木の「湯葉」(この場合は実父ではなく養父)にも描き込まれていたが、『隅田川暮色』の冴子は、父親にかけるおもいが強すぎて、彼の「実体のない(略)影か、霊魂」(p.75)を見てしまうほどである。
一方で、芝木作品の短篇も実にいい。改めてそのことを感じさせられたのは、アンソロジーの『新しい日々』や『恋する昭和』を読んだからだ。ことに「十九歳」という短篇がよかった。これについては山下多恵子氏が「解説」(『恋する昭和』)で次の様に述べている。
芝木があからさまな描写を避け、「文章に含みを持たせ」ているのは、「白萩」などの短篇でも同様であるが、「十九歳」はことにその傾向が強い。ぼんやり読んでいると、うっかり読み落してしまいかねない仄めかしかたである。
「十九歳」では、末尾で二人(由木と紀子)の四十三年ぶりの再会が劇的に描かれる。この再会の場面における二人の会話が趣ふかく、その遣り取りの妙を味わうのがくせになり、間を置いてつごう三度読んだのだった。
という印象的な描写があるが、中央線から見える富士のことを、芝木自身、エセーに書き留めている。「東京の富士」というのがそれで、この小品はこのほど(今年9月)、南陀楼綾繁編『中央線随筆傑作選』(中公文庫2024)に収められた(pp.98-101,初出は1964.12.8付「朝日新聞」とのこと)。こちらは正確には、中央線・高円寺駅の高架線のホームから望む富士の話なのだが、夥しいビル群が視界を遮るようになった今でも、晴れた日にはきっと、高円寺駅のホームの端から富士山を眺めることができる。
よく知られる短篇「洲崎パラダイス」も、芝木作品ブームのお蔭もあって、以前よりも手に取りやすくなった。こちらも何度も読んだ。まずは『湯葉|青磁砧』(講談社文芸文庫2000)所収のものを読み、それから芝木好子『洲崎パラダイス』(ちくま文庫2023)や『恋する昭和』で二読三読したのだった。また『恋する昭和』には、一連の〈洲崎もの〉に連なる、その後の「女」の姿を描いた「雪女」(和田芳恵に同タイトルの名篇がある)も収められている。この短篇は途中から絶望的な方向へと流れてゆきそうになるが、あることをきっかけに最後に救いが見いだされる。
「洲崎パラダイス」は、敗戦後に出来たいわゆる赤線(「赤線」「青線」という言葉をめぐっては、「赤線と青線」、「『青線』つけたり」に書いたことがある)、特飲街(特殊飲食店街)で働く女性そのものを描いた作品ではなく、過去にそこで働いていた女性を主役に据えている。しかも売防法施行前夜の変わりゆく洲崎を舞台に設定している。ついでに云うと芝木の「湯葉」には、それよりもずっと以前の、遊郭として全盛だったころの洲崎が出て来る。
ところで川島雄三の『洲崎パラダイス 赤信号』(1956日活)は、「洲崎パラダイス」を映画化した作品としてよく知られるが、わたしはこれを18年前に初めて観た(「やはり、傑作!」)。そのずっと後にもう一度観てからDVDを購って三度目の鑑賞を了え、このほどまた触発された結果、四度目に及んだのだった。今さらながら気づいたことだが、わたしの持っているDVDパッケージ、デザインがしゃれていてよいのだけれども、そこに「SUZAKI PARADISE」という表記がみえるのは、「SUSAKI PARADISE」の誤りではないか。
またこの映画については、太田和彦氏が『映画、幸福への招待』(晶文社2023)という本で、「テーマはずばり「腐れ縁」だ」と評している。
『洲崎パラダイス 赤信号』はおおむね原作の内容に沿っているが、そば屋の女中・玉子(芦川いづみ)や、お徳(轟夕起子)の夫・伝七(植村謙次郎)などは映画オリジナルのキャラクターである。また、原作ではそこまで目立っていない「面皰(にきび)だらけの十六、七の小僧」には、「三吉」という役名で小沢昭一を配している。
余談だが、このところ某サブスクで配信されている1960年代前半の日活映画のなかに、小沢の主演作が複数ある。西村昭五郎『競輪上人行状記』(2度目)、春原政久『大当り百発百中』、春原政久『猫が変じて虎になる』(2度目)、春原政久『恋をするより得をしろ』などといった小沢の主演作は、そのお蔭で鑑賞することがかなった。欲をいえば、二十年ほど前に一度観たきりの春原政久『英語に弱い男 東は東西は西』も大傑作だとおもうので、こちらもぜひ配信して欲しい。
*4:ちなみに同書には「二人(新珠三千代と三橋達也)は「女中入用」の張り紙のある角の一杯飲み屋「千鳥」に入り」(pp.120-21)とあるが、「千鳥」は「千草」の誤記。実は原作の「洲崎パラダイス」には「千草」という店名は出てこず、〈洲崎もの〉の「黒い炎」や「蝶になるまで」には出て来る。
☆新実行委員の募集は2024年10月13日[日]に締切ました。
ご興味を持っていただいた方、ありがとうございました。
2024-09-24
「全国アホ・バカ分布考」の松本修
「探偵!ナイトスクープ」という番組を私が知ったのは、カナダ留学中に立命館の学生らから教えられてのことで、92年の帰国後はほどなく東京でも放送が始まったので観ていて、93年にプロデューサーの松本修の『全国アホ・バカ分布考』が出たのをすぐ買って読んで面白かった。中で、沖縄では「アホ・バカ」を「ふりむん」というというところで「気が触れている=ふれもん」の意味ではないかという指摘に、松本が悩むところがある。つまり差別的な話になってしまうと悩み、そうではないと分かってほっとする、という話で、私は、テレビの人というのはそういうところにこだわるのかなあ、と妙なところに感心した。
それから30年ほどたって、その松本が『全国マン・チン分布考』を出したのを、ちょっと図書館で借りてきたが、あまり面白くなさそうなので読まなかったが、その最初のほうで、「ナイトスクープ」の放送作家の百田尚樹を「天才」と称揚しているのを見て、前の「ふりむん」の時の悩み方と、なんだか別の人みたいだな、と感じたりしたものである。
jun-jun1965 2024-09-24 23:20 読者になる
「全国アホ・バカ分布考」の松本修
2024-08-17
下鴨にひかれて善行堂参り。
下鴨納涼古本まつりが、8月11日(日)から16日(金)まで開催されると知った。12日(月)と13日(火)は仕事が非番となるスケジュールであった。たまたま職場から永年勤続の副賞として提携しているホテルの割引券をもらっていた。その提携するホテルは京都にもあった。予約がとれた。新幹線も押さえた。あとは行くだけだ。
10日(土)に同僚から電話があった。帯状疱疹になったので明日からの仕事を代行してほしいとの依頼だった。新幹線とホテルの予約をキャンセルした。
同僚が週の半ばに復帰できることになった。15日(木)が非番となった。16日(金)も休めなくはなかったが、台風によって16日は新幹線が運休とのニュースが流れてきたため日帰りと決めた。
15日。朝家を出て、新横浜から新幹線に乗る。朝食に駅で買った“たいめいけんのカツサンド”を食べる。幸いに隣は空席だった。行きの読書は吉田篤弘「京都で考えた」(ミシマ社)。せっかくだから京都にちなんだものと部屋を物色していたらこれがあったのでカバンに入れた。冒頭近くに「昼下がりの新幹線で東京からやって来て、古本屋を三軒ほど渡り歩いたら、ほどなくして夕方になっていた。(略)行くところはあらかた決まっていて、古本屋と古レコード屋と古道具屋である。あとは喫茶店と洋食屋だろうか。」というくだりがでてきて、古道具屋以外はまったく自分のことのようである。
途中、地震の影響での速度調整があったため7分ほどの遅れで京都駅に着いた。曇りの予報であったが、雲間から日射しが差し込んでおり、暑くなりそうだ。既に下鴨納涼古本まつりの開始時間は過ぎているため、まっすぐ会場へと向かう。
出町柳駅を出て、鴨川を渡り、下鴨神社への参道を歩く。正面に木々の生い茂る世界遺産の糺の森が見えてくる。何度来てもこの瞬間は、気持ちが高揚し、細胞の一つ一つが震えるような気分になる。泉鏡花作品の登場人物のように異界へと導かれていく。
小さな水の流れを越えるとそこに立ち並ぶテント、そして視界はどこまでも続くような本の背表紙に塞がれる。もうこの雰囲気の中に入れただけで、ここまで新幹線に乗ってきた甲斐があると思う。極論すれば、本を買わなくたって構わない。ここにいて糺の森と本の気に触れているだけで多幸感に包まれるのだから。とはいいながらもやっぱり本は買いたい。日射しと暑さに負けないように気合いを入れて本の背を追っていく。本を買い始めて、本屋に通い始めて50年以上経っているので、見たことのある本、思い出のある本にであう確率が高く、すぐに過去の記憶へと誘われてしまう。学生時代からでも40年は経っているので、あの頃の新刊は古本と名乗ってなんの問題もない状態になっているわけだから、次から次へとあの頃の書店の棚の本が目に飛び込んでくる。雑誌『現代のエスプリ』の並びに反応してしまう。興味のある特集を1冊くらしか買ったことのない雑誌なのに、確かに学生時代を思い起こさせる風景なのだ。
赤尾照文堂の棚から2冊購入。古本まつりの団扇をくれる。うれしい。竹岡書店や口笛文庫でも数冊購入。1時間を過ぎ、体調と日帰りのタイムスケジュールを考えて、会場を後にする。モンベルの日傘と古本まつりの団扇で暑さをしのぎながら、出町柳駅まで戻る。
叡山電車で、一乗寺駅まで行き、恵文社一乗寺店へ。空調のきいた店内がオアシスのようだ。そこここにみすず書房の“大人の本棚シリーズ”が新刊として置いてあるのがうれしい。このシリーズが大好きなのだ。かなり持っているのだが、こんどコンプリートしてみようかという気になる。
昼を過ぎ、近くで昼食をと思ったがお盆休みで食べ物屋はのきなみ休み。一乗寺駅近くのラーメン二郎(なぜか看板が白い)だけが行列を作っているという状況なので、出町柳に戻って店を探す。駅からしばらく歩いたところにある三高餅食堂に入る。冷やしそばとカレーきつね丼のセット。中高年の客と部活帰りの学生が同居する雰囲気がさも食堂という感じ。お冷やをおかわりして水分補給。
今出川通に出て、7番のバスに乗り、「銀閣寺道」バス停まで。通りを渡って善行堂へ。今日の午前中も下鴨の古本まつりに行っていたことをXでチェックしていたので、山本善行さんが戻っているかなと思いながらドアを開けるとそこに善行さんが。先日まで糖尿病で入院されていたので心配していたが、まずはお元気そうで安心する。それでもまだ慣らし運転状態ということで、あまり長居をせず(いつもは2時間コースとなる)、本を数冊購入して1時間ほど滞在する(それでも長いよ)。善行さんは、「ソニー・クラーク・トリオ」(ブルーノート盤)のジャケットがプリントされたTシャツ姿(僕も同じ物を持っている)。僕がソニー・クラーク好きなのを知っていて、バリトンサックス奏者のサージ・チャロフのレコード「ブルー・サージ」をかけてくれる。このアルバムでピアノを弾いているのがソニー・クラークだからこのレコードなのだろう。こういった心遣いが心地いい店の雰囲気を作り出しているのだなと思う。レコードがタイム盤の「ソニー・クラーク・トリオ」に変わる頃に店を後にする。
また、7番のバスに乗り、京都市役所前へ。地下道に降りてふたば書房御池ゼスト店をのぞく。以前にも書いたがこの店の棚はセンスが感じられて好感を持っている。店に「成瀬は天下を取りに行く」(新潮社)の作者・宮島未奈の色紙が飾ってあった。本屋大賞を受賞したこの作品と続編「成瀬は信じた道を行く」をこの夏読み、にわか成瀬ファンとなったので、作者が自分の好きな書店に色紙を残しているのがなんとなく喜ばしい。
寺町通りに出て、アスタルテ書房の建物の前まで行く。先日売りに出されることをネットで知ったので、ひさしぶりにその前に立つ。随分前に一度だけアスタルテ書房に入ったことがある。ビルの一室にあり、靴を脱いで入る独特の雰囲気の店で、その趣味のよい空間に気圧されて、それ以降敬して遠ざけてしまった。
ここらでお茶でもと思い、イノダコーヒー本店へ向かう。車中で読んだ「京都で考えた」にイノダコーヒー三条店の話が出てきたので、三条店に行きたかったのだが、改装中ということで近くの本店へ。別館ならすぐに入れますと言われて何も考えず別館へ。ピンクと白のストライブに彩られた店内には女性客しかいなかった。自分の場違い感にいたたまれなくなる。いまさらやめますとも言えず、腰を下ろす。隣の席には若い女性3人組がディープな恋愛話を展開中。聞きたくなくても音声は耳に届く。若く軽やかな声で語られる、暗渠を流れるような低い情念を感じさせる内容は、頼んだコーヒーフロートのようなどろっとした感触を残して耳元を通り過ぎる。そうそうに店を後にする。
京都市役所前まで戻り、中古レコード屋へ。ワークショップレコードは木曜日定休だった。1階下の100000tアーロントコだけ覗く。
四条まで歩いて地下鉄で京都駅へ。帰りの車内で食べる駅弁を探す。暑さのせいかご飯物が重く感じられてしまい気がつくと手には「中之島ビーフサンド」。行きも帰りもカツサンド(行きが豚で帰りが牛)となった。
6時前の新幹線に乗って帰る。台風に追いつかれる前に家に着いた
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thigasikawabata’s diary
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2022年4月29日 (金曜日) 一箱古本市 | 固定リンク | コメント (1)
Merlerhila on 2022年「第22回不忍ブックストリート 一箱古本市」出品本の一部紹介(2)
2021年03月22日
「海鳴り」33号が届きました
昨年までは「海鳴り」が出たら、編集工房ノアの本の通販のおまけとして配布していましたが、三月書房は昨年末に廃業しましたので、そーゆーことはできなくなりました。うちの店では毎年200冊ほども配布させていただいていましたので、今年もお知らせだけはしておきます。
この号で一番の読み物は、山田稔氏の「同僚━生田耕作さんのこと」でしょう。2段組み14頁分ありますが、山田氏が生田氏について、これだけまとまった量を書かれたのは初めてかと思います。そのほかの内容は上記の画像をクリックしていただけば目次が読めるはずです。
「海鳴り」の入手方法は聞いておりませんが、おそらく一部の書店では無料配布するはずです。非売品なのでこれだけを購入することはできないでしょう。発行所に頼めば送ってくれるのか、送料はいくらなのかもわかりません。これはあくまでも個人的な意見ですが、発行所に何か1冊通販の申し込みをして、ついでにおまけに添えてくれるようにお願いするのがよろしいかと思います。表紙の裏に昨年1月以降の新刊リストが掲載されています。下記に画像を載せておきますのでご参考にどうぞ。クリックすれば拡大するはずです。
まことに不便なことに、編集工房ノアにはサイトがありません。グーグルすると、いまだに三月書房のページが上位に出てきます。メールも利用されていません。ゆえに通販の申し込みは郵便か固定電話かFAXしかできないでしょう。住所と電話は検索すればすぐにわかるはずです。
FAQ / お問い合わせ窓口
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フォーレ協会の研究会での講演
二月初めの記事でご案内した四月十六日の講演会はすでに満席になり、キャンセル待ちださうです。ひとりで吃驚してをります。
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