すべて | グループ指定なし | サッカー | もろもろ | 人事労務職業若者 | 知人友人
2024.04.24 Wednesday
author : 漆原次郎
朝食が「残りもの」だと空腹感が増すのでは……
写真作者:whity
前日につくった夕食の残りを、翌日の朝食でも摂るという人は多くいるでしょう。「二日目のカレー」や「鍋の残りうどん」「鍋の残り雑炊」などです。
これらを食べた人のなかに、つぎのようなことを感じる人はいるでしょうか。
「前日の残りものを食べた日は、そうでない日より、腹が減りやすいな」
つまり、二日目のカレー、鍋の残りうどん、鍋の残り雑炊などを朝食にとった日は、前日の夕食と関係ない朝食をとった日より、空腹感を覚えやすいというわけです。
このような感覚をどれくらいの人がもつのかわかりません。でも、そう感じるとしたら、どういうからだのしくみによるものでしょう。
ここからは推察ですが、脳が食欲や空腹感を錯覚するしくみが関与しているということはあるかもしれません。前日の夕食の食べものがおいしかったため、翌朝「残り飯」をとったとき、そのおいしさをふたたび感じ、それにより食欲や空腹感が引きおこされるという私説です。
研究者たちが、食欲が増す脳内物質として知られるアナンダマイドをラットにあたえたところ、まず、興奮が味覚を感じる脳領域で起きました。そして、さらに重要なことに、興奮は胃腸の感覚を受ける脳領域にまで伝わり、食欲が増すときのような脳の活動が見られたといいます。この研究者たちは、甘みやうまみなどの好ましい味覚を感じたとき、胃腸の状態と関係なしに、胃腸の感覚を受ける脳の領域が活発になり、食欲や空腹感が錯覚として感じられる可能性を示唆する結果と見ています。
好ましい味覚を感じさせる物質をとって「おいしい」と感じると、食欲や空腹感が増すだろうというわけです。
これを、「残り飯」に当てはめるとどうなるでしょう。
前日の夕食として食べたカレーを「おいしい」と感じていたら、翌朝「二日目のカレー」を食べたとき、前日のその「おいしい」をふたたび感じることになります。この感覚により、食欲や空腹が増すことになるかもしれません。
この研究者たちは、アナンダマイドや甘み成分やうまみ成分をとったら食欲や空腹を感じうると述べているだけで、前日の食事が重要かどうかは述べていません。
しかし、前日の「おいしさ」を翌朝ふたたび感じる、つまり思いだすことで、食欲や空腹の感じかたが増
2024-03-31
3月のリツイート等
2024-03-29
浅田彰×先﨑彰容(BSフジ)
2024-03-22
ヒューマニエンス、私たちの理由
2024-03-18
また地震
2024-03-17
考古学と哲学
2024-03-16
息をするようにツイート
2024-03-15
死に関する論考(青山拓央さんのnoteから)
2024-03-10
R-1グランプリで/アカデミー授賞式で
2024-03-09
★読む哲学事典/田島正樹
2024-03-04
『ねじまき鳥クロニクル』第1部→第2部
2024.03 <<
>> 2024.05
花房観音 「歌餓鬼抄」
読者になる
2023-06-04
出来ることを見極めて力を尽くす
自分抱えているの不幸に対して周囲があまりに無関心だと、孤独感が高じて虚無的になりがちだけれど、やはりそれでも、誰より誰がより不幸かというのは最終的には主観の問題ということになる。自分より不幸な人に対する配慮というのは、だからごく大切なことだけれど、何が何より不幸かを主張し合う方向は最後は泥仕合にしか繋がらない。
重要なのは、何が自分を不幸にしているのかを静かに見つめて、その条件が動かし難しいことであれば運命として甘受して、深く諦める努力をすること。しかしその上で、自分の叶えたい望み、努力やはたらきかけによって実現可能な(可能性のある)望みは何かを見極めて、そこに力を尽くしたり、これをよすがに他者と提携したり、共感を育んでいくことだと思う。
bakuhatugoro 2023-06-04 09:06
Tweet
広告を非表示にする
もっと読む
コメントを書く
2023-06-04
福田恆存「「妻の座」という言葉を捨てよ」について
「私は男女・夫妻の平等に反対してゐるのではない。女性の解放は女性が目醒める事によつて可能になるといふのは浅薄な知見であつて、それにはまづ男性が目醒め、納得してくれなければ、どうにもならぬのである。男女・夫婦の間柄は労使の対立とは異なつて、片方が目醒めただけでは、お互ひに不幸になるばかりと決まつてゐる」「男はただ時の勢ひで頭を下げた。自分の相手の花子とか梅子に対してではない、一般に「女なるもの」といふ抽象名詞に頭を下げたのである。いや、女に対してでもない、単に平等といふ観念に頭を下げただけである」「大事なのは男と女ではない、夫と妻ではない、家庭である。家庭の原理は封建時代も近代もない、常に「仲好くやつて行かう」の一語に尽きる。嬶天下の方がその原理に適ふ場合もあり、亭主関白の方が適ふ場合もある。一概には言へない。が、夢、平等を原理とすべからず、和を原理とすべし」
福田恆存「「妻の座」という言葉を捨てよ」
これは、男女のことに限らない話と思う。たとえば一緒に家庭を営んでいくとか、具体的な目標に向けて落としどころを意識しないと、その為の現実的な工夫や妥協点も見えて来ない。人はそれぞれ、主張する力も、理解力や許容量もそれぞれなのだから、何をもって本当の平等かと考えると雲を掴むような話になる。
表面的
pragmaticplay on 追加、勝負レース
2022年9月
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30