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2025.04.03 Thursday
author : 漆原次郎
戦後まもなく「自由研究」は小学校の教科だった
写真作者:NARUMI
小学校の教科というと、「国語」「算数」「理科」「社会」「生活」や「音楽」「図画工作」「体育」「家庭」などです。
かつて「自由研究」が小学校の教科のひとつに定められていた時期がありました。
1947(昭和22)年、いまの文部科学省にあたる文部省は、学校での教育内容や学習事項などを記した学習指導要領を編集し、このなかで4年生から6年生の授業で「自由研究」を教科に入れたのです。これらどの学年でも、週に2時間から4時間の分量としました。
教科としての自由研究の目的はというと、「児童の自発的活発を促すために、児童が各自の興味と能力に応じて強化の活動ではじゅうぶんに行なうことのできない自主的な活動を教師の指導のもとに行なうため」のものだったと、文部科学省の「学制百年史」という資料にあります。
当時の子どもたちはどのような自由研究にいそしんだのか。自由研究が新教科として始まることへの意識から1947年ごろに出版された複数の書籍では、「子供の心の中心から生れて来る問題の本来の姿は具体的なものであるべき」といった論が書かれています。また、「住居について」「衣服について」「はき物について」のように分野を羅列し、「住居について」であれば、「各人の家の見取図をかき、家の位置、形、間取、屋根、壁、床などをくわしく調べて実用面と美的方面から考える」のほか、「もし戦災地なら、自分たちの学区内の復興状況、一家に何家族いるか、何人住んでいるか、バラックはどれ位か、どんな点が不便かなどの調査」といった当時の住居の状況をしのばせる具体例が書かれています。
子どもたちがどのような体制や規模で自由研究をするかは、多くの書籍で細かく書かれています。「科学研究部」や「文芸研究部」「社会科研究部」などの研究室に分かれておこなうもの、個人でおこなうもの、そして昆虫クラブ、島クラブ、ラジオクラブのようなクラブ組織でおこなうものなどです。
ところが、文部科学省は、小学校の教科としての自由研究を4年後に廃止します。1951(昭和26)年の学習指導要領で教科から外したのです。文部大臣の諮問機関である教育課程審議会からの答申を受け、「発展的に解消し、教科学習では達成されない目標に対する諸活
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花房観音 「歌餓鬼抄」
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2023-06-04
出来ることを見極めて力を尽くす
自分抱えているの不幸に対して周囲があまりに無関心だと、孤独感が高じて虚無的になりがちだけれど、やはりそれでも、誰より誰がより不幸かというのは最終的には主観の問題ということになる。自分より不幸な人に対する配慮というのは、だからごく大切なことだけれど、何が何より不幸かを主張し合う方向は最後は泥仕合にしか繋がらない。
重要なのは、何が自分を不幸にしているのかを静かに見つめて、その条件が動かし難しいことであれば運命として甘受して、深く諦める努力をすること。しかしその上で、自分の叶えたい望み、努力やはたらきかけによって実現可能な(可能性のある)望みは何かを見極めて、そこに力を尽くしたり、これをよすがに他者と提携したり、共感を育んでいくことだと思う。
bakuhatugoro 2023-06-04 09:06
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2023-06-04
福田恆存「「妻の座」という言葉を捨てよ」について
「私は男女・夫妻の平等に反対してゐるのではない。女性の解放は女性が目醒める事によつて可能になるといふのは浅薄な知見であつて、それにはまづ男性が目醒め、納得してくれなければ、どうにもならぬのである。男女・夫婦の間柄は労使の対立とは異なつて、片方が目醒めただけでは、お互ひに不幸になるばかりと決まつてゐる」「男はただ時の勢ひで頭を下げた。自分の相手の花子とか梅子に対してではない、一般に「女なるもの」といふ抽象名詞に頭を下げたのである。いや、女に対してでもない、単に平等といふ観念に頭を下げただけである」「大事なのは男と女ではない、夫と妻ではない、家庭である。家庭の原理は封建時代も近代もない、常に「仲好くやつて行かう」の一語に尽きる。嬶天下の方がその原理に適ふ場合もあり、亭主関白の方が適ふ場合もある。一概には言へない。が、夢、平等を原理とすべからず、和を原理とすべし」
福田恆存「「妻の座」という言葉を捨てよ」
これは、男女のことに限らない話と思う。たとえば一緒に家庭を営んでいくとか、具体的な目標に向けて落としどころを意識しないと、その為の現実的な工夫や妥協点も見えて来ない。人はそれぞれ、主張する力も、理解力や許容量もそれぞれなのだから、何をもって本当の平等かと考えると雲を掴むような話になる。
表面的
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