すべて | グループ指定なし | はてな | diary | column | news | tech | low&politics
豚バラキャベツ蒸し そろそろ、煮て美味しい、...
ネパール料理店でとりあえずこれだけわ.. 先日、新大久保ツアーをし...
手抜きフィデウアその3(豚とキャベツ) 例によって、なんちゃ...
911754
イランとパキスタンを本当につなげている二人の男
レム『セックス・ウォーズ』(1996/2006): 散漫な連載時事コラム集
2026-04-25
特集:文学史拾遺
英国文学史-古典主義時代
作者:イポリット テーヌ
白水社
Amazon
フランスの文学・文学史研究
1863 イポリット・テーヌ『英国文学史(全3巻)』Histoire de la littérature anglaise平岡昇訳、創元選書、1949年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1131730
テエヌ『文学史の方法』 瀬沼茂樹訳、岩波文庫 ASIN:4003259610
テーヌ『英国文学史:古典主義時代』 手塚リリ子・手塚喬介 訳、白水社、1998 ASIN:4560046611
1894 ギュスターヴ・ランソン『フランス文学史』 ISBN:B000JB1I0Q
1. https://dl.ndl.go.jp/pid/1694082
2. https://dl.ndl.go.jp/pid/1694083
3. https://dl.ndl.go.jp/pid/1694084
Wikipedia : ギュスターヴ・ランソン
1983 アントワーヌ・コンパニョン『文学史の誕生──ギュスターヴ・ランソンと文学の第三共和政』今井勉訳、水声社、2020年 ISBN:4801005225
http://www.suiseisha.net/blog/?p=13384
2025 小倉孝誠『「フランス文学」はいかに創られたか:敗北から国民文学の形成へ』 ISBN:4560093695
新批評とシカゴ学派
1869 マシュー・アーノルド『教養と無秩序』ISBN:4003223713
1904 ブラッドリー『シェイクスピアの悲劇』 ISBN:4003226313
T. S. エリオット
1952 R.S CRANE(eds), Critics And Criticism : Ancient and Modern
https://archive.org/details/iaunidentified0000unse_s0h2
1957 カーモード『ロマン主義のイメージ』ISBN:B000J7KLC6
https://dl.ndl.go.jp/pid/12443568
1961 ウェイン・C・ブース『フィクションの修辞学』 ASIN:4891762470
1966 ジュネット『フィギュール』 ASIN:4891762519
1971 ポール・ド・マン『盲目と洞察:現代批評の修辞学における試論』 ISBN:4901477986
https://contractio.hateblo.jp/entry/20250129/p5
第1章「批評と危機」。新批評の美学的中心概念である「曖昧性」(ambiguity)を論じたもの。
第2章が「アメリカのニュークリティシズムにおける形式と意図」("Form and Intent in the American New Criticism") エンプソン「曖昧性の七つの型」論。フランスの読者にニュー・クリティシズムを紹介したもの。
邦訳未収録:「形式主義批評の行き詰まり」 アメリカの新批評とフランスの新批評(バルト、プーレ)をセットで批判したもの。
1969 邦訳未収録:The Rhetoric of Temporality. 新批評がロマン主義的象徴の美学に依拠していたことへの批判。
邦訳あり。「時間性の修辞学」保坂嘉恵美訳、『批評空間』第1期・第1号、100-117頁/第2号、98-116頁。
1972 ジェラール・ジュネット『物語のディスクール:方法論の試み』 ISBN:4795271712 ISBN:4891761504
1978 シーモア・チャットマン『ストーリーとディスコース:小説と映画における物語構造』 ISBN:480100461X
宇佐見太市(2013)「「日本の英文学研究」考」『外国語学部紀要』第9号、関西大学外国語学部
https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/records/10207
T. S. エリオット
イーグルトンのエリオット評
1976 イーグルトン『文芸批評とイデオロギー: マルクス主義文学理論のために』 ISBN:4000047094
https://contractio.hateblo.jp/entry/20250129/p17
2002 Terry Eagleton, Nudge-Winking : T.S. Eliot's Politics, London Review of Books(2002, vol.24, no.18)
https://www.lrb.co.uk/the-paper/v24/n18/terry-eagleton/nudge-winking
2022 Terry Eagleton, Critical Revolutionaries: Five Critics Who Changed the Way We Read. ISBN:0300264488
contractio 2026-04-25 23:00 読者になる
2026-04-25
小倉孝誠(2025)『「フランス文学」はいかに創られたか:敗北から国民文学の形成へ』
「フランス文学」はいかに創られたか:敗北から国民文学の形成へ
作者:小倉 孝誠
白水社
Amazon
序章「近代文学、国民国家、文学史」
第一章「日本の「世界文学全集」とフランス文学」
第二章「世界文学からフランス文学へ」
第三章「「国民文学」の誕生」
第四章「文学史の成立とその争点」
第五章「中等教育における文学史と歴史学」
第六章「フランス第三共和政下の人文学の再編」
第七章「ギュスターヴ・ランソンの試み」
終章「現代のフランス文学史」
あとがき
序章「近代文学、国民国家、文学史」
※加藤周一(1975)『日本文学史序説』
009 「英米型の文学史が詩、小説、演劇などフィクションの文学を特権化するのに対し、大陸型(加藤がしばしば用いる表現)の文学史、とりわけフランスの文学史では文学の概念がより広範囲にわたる。」
本書の構成
第1章:戦後に多数刊行された世界文学全集をみて日本におけるフランス文学受容を確認する
第2章:世界文学論におけるフランス文学の位置を考える。
第3〜7章:文学、フランス文学、国民文学という概念の歴史を考察する。
第3章:19世紀初頭。スタール夫人、ボナルド、シュレーゲル
第4章:1820年代以降。アンペール
第5章:第三共和制。中等教育におけるフランス文学史
第6章:1880年代以降。大学における人文諸学の再編
第7章:ランソン『フランス文学史』(1894)
終章:21世紀におけるフランス文学史
第一章「日本の「世界文学全集」とフランス文学」
024
明治中期まで、「文学」という語は、中国の伝統に倣って学問と芸術全般を指していた。
この時期以降、詩(和歌と俳句)、演劇、随筆などを文学とみなす文学観が優勢となった。
「福地桜痴が明治初頭の1875年、『東京日日新聞』に「日本文学の不振を嘆ず」と題する記事を発表した時、文学は人文諸学全体を指していたが、その15年後、三上参次、高津鍬三郎が共著『日本
水野倫之・山崎淑行『徹底解説 エネルギー危機と原発回帰』
書評 (381)
2026-04-23
村上春樹『夏帆─The Tale of KAHO─』2026年7月3日発売
村上春樹
https://www.shinchosha.co.jp/special/kaho/
Piccoli 2026-04-23 14:30 読者になる
村上春樹『夏帆─The Tale of KAHO─』2026年7月3日発売
2026 / 4
『本棚の記憶 —— みなか先生の読書人生と「みなか食堂」の自炊爛漫』版元ページ公開
日高屋で炎上した外国人雇用問題は、個人経営の飲食店の方がはるかに深刻だよ。
「地下水路(カレーズ)」解説 其の四
「地下水路(カレーズ)」解説 其の四
発売中の『ナイトランド・クォータリー』vol.42「アンダーグラウンドの相貌」に掲載していただきました短篇「地下水路(カレーズ)」の解説其の四です。一応、ネタバレ注意。
Amazonへのリンク アトリエサードさんへのリンク
第一回はこちらから
さて、今回は「シャフルバヌー伝説」についてです。シャフルバヌーはペルシア最後の皇帝ヤズデギルド三世(651没)の娘であり、預言者ムハンマドの孫の妻(の一人)となったとされる女性です。このムハンマドの孫というのは彼の娘ファーティマと従弟アリーの息子フサインです。サーサーン朝滅亡時、捕虜になった彼女をフサインが見初めた、とされています。
イランでは史実と信じられていますが、伝説の形成過程は跡付けられており、本作でも言及しています。主に参照したのは清水和裕「ヤズデギルドの娘たち シャフルバーヌー傳承の形成と初期イスラーム世界」https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/server/api/core/bitstreams/d62d97ad-084d-413e-98d9-9242ad5844cf/contentとŠAHRBĀNU https://www.iranicaonline.org/articles/sahrbanu/です。
後者はいわゆるシーア派(「シーア」は「派/分派」の意で、イスラム世界で分派といえば「シーア・アリー」すなわち「アリー派」のことなので「アリー」を略しても通じるから「シーア」であり、「シーア派」と呼んじゃうと「派派」になるんですがね)やゾロアスター教のアナーヒター崇拝との関係についても論じていますが、それらについては後日解説の予定です。
シャフルバヌーとフサインとの息子ザイヌル・アービディーンは本作に登場しますが、「ザイヌル・アービディーン」は称号で、Extra noteで述べているように本名はアリーです。清水氏の上記論文では、冒頭で彼が「アリー・アスガル」と呼ばれることについて説明しています。フサインにはアリーという名の息子が二人いたので、史料上では伝統的に「アリー・アクバル(大アリー)」「アリー・アスガル(小アリー)」と区別してきた、というのがその説明です。
しかし清水氏は触れていないのですが、どうも後世になって潤色が加わり、フサインにはアリーという名の息子が三人いて、長男はアリー・アクバル、次男はアリー・ザイヌル・アービディーン、三男はアリー・アスガル、ということになったようです。
本作では主人公ナルセフがフサインの最期を「幻視」しますが、この時殺されている赤ん坊がアリー・アスガルです。私は清水氏論文でアリー・ザイヌル・アービディーン=アリー・アスガルと知った後に、フサインと共に殺された赤ん坊もアリー・アスガルだということになっていると知って、少々混乱したものです。この「伝説化」についても、後日解説予定です。
作中でも触れているとおり、シャフルバヌー伝説の「元ネタ」の一つが、ウマイヤ朝第12代カリフ、ヤズィード三世(744年没)の母がヤズデギルド三世の孫だった、という記録です。清水氏論文によると、最初期の記録者はタバリー(9‐10世紀)ですが、情報源としているのはイブン・アルカルビー(737頃‐820頃)で、ヤズィード三世とはかろうじて同時代ですね。著作を数多くものしたけれど、大半は散逸してしまっています。タバリーはそのどれかを参照したのでしょう。
拙作「物語の川々は大海に注ぐ」(『SFマガジン』2024年6月号掲載)では、 主人公イブン・ムカッファに無明時代(前イスラム時代)のアラブの宗教についての知識を教えてくれた「イブン・カルビー」父子が言及されていますが、その息子のほうが上記イブン・アルカルビーです(「物語の川々」では表記の都合上、「アル」を省略)。
父も子も「イブン・アルカルビー」と呼ばれました(前回解説した、「××の息子〇〇の息子△△の息子」と延々と繋いでいく名乗りの途中を省略した例)。口伝が基本だった当時のアラブ社会で、イブン・アルカルビー(息子)は口伝収集を父から受け継いだだけでなく、それらを精力的に文字で記録していったのでした。
だからイブン・アルカルビー(息子)によるヤズィード三世の母についての情報も、父親から直接聞いたんでしょうね。イブン・アルカルビー(息子)の現存する著作はわずか三点、邦訳は『西アジア史研究』(東京大学出版会)所収の「偶像の書」のみですが、同書を読む限りでは、ヤズィード三世の母についての情報もかなり信憑性は高いんじゃないかと。
で、それによると彼女の名は「シャーヒ・アフリード」で、ホスローの息子シャフリヤールの息子ヤズデギルドの息子ピールーズの娘であった、と。ホスロー(二世)からピールーズまでの系図は正確です。またヤズィード三世は自作の詩の中で、キスラー(=ホスロー。アラブ世界においてはペルシア皇帝の代名詞でもあった)とカイサル(=カエサル。ここでは東ローマ帝国皇帝)とハーカーン(可汗。トルコ系遊牧民の君主)の血を引くことを誇っていた、とされています。
東ローマ帝国皇帝の血を引く、というのは、ヤズデギルド三世の祖父の正妃が東ローマ帝国皇女だったことを指しているのでしょう。実際にはヤズデギルドの父シャフリヤールは、この正妃の子ではないんですが。
ここの「ハーカーンの血を引く」という主張と、9世紀後半の歴史家バラーズリーの『諸国征服史』第19章における、「ヤズィード三世の息子ピールーズはトルコ人の許に身を寄せ、トルコ人女性を娶った」という記述、および唐の複数の史料から判る、トハラの支配者に庇護され、ペルシア王として擁立されたというピールーズの半生(参照:前嶋信次「タラス戦考」)などから、本作ではピールーズの妻を「トハラ王の娘」としたのでした。
と言っても、当時のトハラは確かにトルコ系遊牧民突厥の支配下にありましたが、統治者の称号はハーカーンより一ランク下の「ヤブグ(葉護)」でしたけどね。
作中にあるとおり、ヤズィード三世はカリフの息子であるにもかかわらず長年不遇を託った挙句、カリフ位を簒奪しました。混血なので「不浄」だと蔑まれていた上に、即位後に行った施策も不評でした。「ヤズデギルドの娘たち」では、彼の母の血筋に関する、ネガキャン用に作られたのが明白な伝承も紹介されています。
そんな境遇で即位後わずか数ヵ月で没しているんで、もう如何にもですが、どうも普通に病死だったようです。まあ暗殺の疑いの余地が少なかったからこそ、彼を憎む者は余計に「神罰」だと捉えるよね、というのが、本作のあの場面です。
今回はここまで。
第一回はこちらから
2026年4月23日 (木) 「地下水路(カレーズ)」解説 | 固定リンク
Tweet
«レイジング・ブル
50代で「大腸がん」にならないために 『大腸カメラ』を40代から受けるべき理由【医師解説】
【京都男児死亡】安達優季容疑者の自宅から「車」押収 “結希さんの遺体の移動”を車で行ったのか本格捜査へ 逮捕前の任意聴取では「首を絞めつけて殺した」旨の供述【捜査本部前から報告】
元フジテレビ渡辺恒也プロデューサー、ディズニーへ移籍 日本オリジナル実写ドラマ制作を強化
The Gene’s-Eye View of Evolution その49
2026-04-16
橋詰かすみ『ジュネーヴ共和国騒乱とルソー』アマゾンレビュー
ルソーについては、フランスで『ルソー関係書簡全集』が50巻も出ていて、これを通読しないとちゃんと研究したとは言えないので素人は口を出しにくいのだが、伝記的に分からないところは、フランスで逮捕令が出て郷里のジュネーヴへ逃れたのに、そこでさんざん迫害され、ついには投石されて英国へ逃げたのはなぜかという点である。著者はこの点を追究し、ジュネーヴにもとからあった、シトワイヤンとブルジョワという上層階級と、ナティフ、アビタンという下層階級の対立を含む政治的対立に焦点を当てる(ただし時々「貴族」という言葉が出てくるがこれが何に当たるのかいまだに分からない)。実際ジュネーブでの内戦に、同じ家から父と息子が別々の党派に属して出陣していくのにルソーが出くわしたという記述もある。スタロバンスキー以後、ルソーの内面に病的なものを見ようとする研究が日本では多いようなのと、『社会契約論』について深読みをする傾向があるが、著者はそのどちらにも偏らず、歴史実証的にジュネーヴとルソーの関係を追っているので大変分かりやすい。もっともジュネーヴという都市は、迫害の時も革命における称揚の時も、単にフランスに追従しているだけなので、情けない話ではある。あとヴォルテールの執拗なルソー攻撃も浮かび上がらせている。今年の収穫といえるだろう。
ただ著者の紹介文が、現職と博士号取得だけというのはひっかかる。生年と履歴くらい書いてもいいのではないか。
(小谷野敦)
jun-jun1965 2026-04-16 20:00 読者になる
橋詰かすみ『ジュネーヴ共和国騒乱とルソー』アマゾンレビュー
2026-04-13
はてなを含む各サイトで表示されているサポート詐欺サイトの広告について
web hatena
先月あたりから各地でサポート詐欺サイトに誘導するWeb広告が配信されており、はてなブックマークやはてなダイアリーの広告枠でも表示されています。最近サポート詐欺に誘導するWeb広告が各地で表示されています。配信元はいずれもGoogleです。広告をうっか…
はてなを含む各サイトで表示されているサポート詐欺サイトの広告について
▼ ▶
2026
2026 / 4
実験目的の内容は、ここには書けないのだが、ラジカセで再生したようになるフィルタリング処理をR scriptにて行...