葡萄酒と薔薇の日々


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    今週の本棚:五百旗頭真・評 『日本の統治構造−−官僚内閣制から…』=飯尾潤・著
    ◇五百旗頭(いおきべ)真・評
    ◇『日本の統治構造−−官僚内閣制から議院内閣制へ』
    (中公新書・840円)
    ◇鮮やかに「交錯」切り分け
    われわれ日本人は、大統領制が強い政府の形態であり、議院内閣制は弱い政府に留まると感じている。本書は違うという。アメリカの大統領制は、権力を司法・立法・行政に分割し、三者を競わせる。大統領も議会も国民から選ばれ、権威を持つが、互いに相手を服させることはできない。
    それに対しイギリスで発達した議院内閣制は、国民から選ばれた下院の多数党が首相を選ぶ。首相のつくる内閣に率いられた多数党が法案を議会で通す。立法と行政が、直列もしくは包含の関係をなしており、分割と対抗を強いられるアメリカ型大統領制に比して、強い一体的権力たりうる。
    では何故、日本では内閣制が弱いと見られているのか。戦前日本の内閣制度を母胎として「官僚内閣制」をもって運営してきたからだ。そう本書は鮮やかに論ずる。エリート官僚機構の各省庁が、さまざまな国民と社会のニーズを汲(く)みとり対処する。これを「省庁代表制」と本書は呼ぶ。法の実施だけでなく、法の形成も彼らの手になる。省庁という実力機関の連合の上に乗っけられているのが、内閣であり首相官邸である。各大臣は役所の長であり、省庁の組織的立場の代理人である。彼らが閣議で国政を論ずることはまずない。省庁の代表者そのものである事務次官の会議で合意された案件しか、閣議には上らない。このような日本の内閣制度は、議院内閣制ではなく官僚内閣制であると論ずるわけである。
    「官僚内閣制」でない、本来の、もしくはイギリス・モデルの「議院内閣制」とは、民主制の代表原理が、有権者→議員→首相→大臣→官僚と直列的に連なり、「議会による政府」という筋の貫かれるものである。
    読者にはこうした考え方は当然であり、かなりの程度まで日本の現実であると感じられるかもしれない。それでいて「省庁代表制」や「官僚内閣制」と著者が呼ぶものが、戦後日本政治の原型であったことをも認めるであろう。本書の意義は、両者の交錯を見事に切り分けたことにある。
    切り分けには二つの局面がある。一つは、冷戦終結後の日本政治の巨大な再編プロセスである。細川内閣期の小選挙区制基調への政治改革により、派閥政治や族議員など分散的政権党の基盤が破壊され、党執行部への権限集中が方向づけられた。さらに橋本内閣の行政改革により、タテ割り省庁の割拠体制が攻撃され、官邸権限の強化が図られた。行政改革が実施される二〇〇一年に政権に就いた小泉首相が、双方の改革の果実を十全に食し、自民党と官僚機構とを官邸に服させる政治を展開したのである。本書の特長はもう一つの局面、議院内閣制や大統領制のそもそもの成り立ちと考え方を、国際比較の中で考察し、日本で起っている変容を海図と羅針盤をもって方向づける点にある。
    本書の描く大きな変容の方向は、「官僚内閣制が本来的な議院内閣制へ移行し、さらに首相中心の議院内閣制へ」と要約されよう。もちろん、やみくもに首相権限の強化を求めるのではなく、めざすところは「責任者への権力集中と、一般有権者による民主的統制の両立」であり、「効率的で民主的な政府」の構築である。そうでなければ、日本という拡がりと深まりをもった先進民主主義社会が、国際的な危機と激動の中を航海することは難しいであろう。
    皮肉なことに、小泉首相を継いだ安倍首相も官邸主導の強い政治をめざしながら、一元的指導力とは正反対の結果を招いた。この名著が生れたばかりなのに恐縮であるが、著者の基本をしっかり押えたシャープな分析と方向づけを、今後も引き続きお願いせねばなるまい。