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2023年6月29日木曜日
2022年度
●書いたもの
<雑誌特集号編集>
Ryuji HIRAOKA ed. Special issue: East-West contacts and scientific culture in early modern East Asia 2. Historia scientiarum 32-2 (2023年3月), pp. 59-156.
<論文>
Ryuji HIRAOKA. "The Discovery and Significance of Sufera no nukigaki (Selection on the Sphere), a Jesuit Cosmology Textbook in Japanese Translation." Historia scientiarum 32-2 (2023年3月), pp. 88-116.
<分担執筆>
平岡隆二「キリシタンと科学伝来-宣教師はなぜ西洋科学を紹介し、どのように受容されたのか」、岩城卓二ほか編『論点・日本史学』、ミネルヴァ書房、2022年8月、170-171頁 (ISBN: 9784623093496)。
<書評>
平岡隆二「大島明秀著『蘭学の九州』 」、『熊本日日新聞』、2022年7月10日。
●報告など
平岡隆二「イエズス会の日本語宇宙論教科書『スヘラの抜書』の発見とその意義」、日本科学史学会、2022年5月29日。
Ryuji HIRAOKA. "The discovery and significance of Sufera no nukigaki (Selection on the sphere), a Japanese translation of Jesuit cosmology textbook," International Symposium 'Religion, Translation and Transnational Relations: Japan and (Counter-) Reformation Europe,' Lepzig University, 2022 September 2
平岡隆二「ワクチン伝来と近世長崎」、国立大学附置研究所・センター会議第3部会シンポジウム「感染症と近代社会:ポストパンデミックの人文学に向けて」、2022年10月28日。
平岡隆二 “Greco-Roman Cosmology in Japan’s ‘Christian Century (1549-c.1650)’” 科研B「日本における西洋古典受容に関する包括的・学際的な国際共同研究」報告会、2022年12月18日。
平岡隆二「イエズス会日本布教と宇宙論-新出写本『スヘラの抜書』を中心に-」、科研費学術変革B「中近世における宗教運動とメディア・世界認識・社会統合(ReMo研)」イエズス会班報告会、2022年12月20日。
- 6月 29, 2023 0 件のコメント:
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ホメロスの人々 ウィリアムズ『恥と運命の倫理学』第2章
恥と運命の倫理学:道徳を乗り越えるためのギリシア古典講義
作者:バーナード・ウィリアムズ
慶應義塾大学出版会
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バーナード・ウィリアムズ『恥と運命の倫理学:道徳を乗り越えるためのギリシア古典講義』河田健太郎、渡辺一樹、杉本英太訳、慶應義塾大学出版会、2024年、25– 59ページ。
本書の第2章「行為者性のいくつかの中心」で、著者はホメロスの『イリアス』と『オデュッセイア』を取り上げ、主としてブルーノ・スネルの見解に反論している。スネルの『精神の発見』やドッズの『ギリシァ人と非理性』と同じく、最高水準の古典研究の面白さを味わうことができる。引用も選び抜かれており、一個の文学作品のようだ。
スネルによれば、ホメロスの叙事詩の登場人物たちは、意思決定をし、行為することをしない。それは、ホメロスの登場人物たちには、意思決定をする単一の自己というものを持たないからだという。スネルの主張では、ホメロスの登場人物たちは、一つの身体と魂をもつのではなく、多くの身体的部位と多くの心的部分を持っていた。著者によると、このスネルの理解は、人間が身体と魂からなるという二元論があるべき理解だという前提にたち、その二元論の枠組みに無理にホメロスを当てはめて理解しようとしたことから生じている。
著者はむしろ、ホメロスの叙事詩で、一人の一人の人間が、まさに他ならぬその人として理解されているという事態を見て取るべきだという。例えば著者は、イリアスの第24歌405–407行を引いて反論する。
倅はまだ
船の傍にいるのか、あるいは既にアキレウスが、
遺体の手足をばらばらに切り離して、自分の飼犬どもに与えたのか。(28–29ページ)
ここではヘクトル(倅)は、その遺体がバラバラにされて、犬に与えられていなければ、まだ船の傍にいるとされている。つまり、そのような遺体はヘクトルその人であり、ヘクトルその人として統一体として理解されている。同じように著者は、叙事詩のなかで登場人物たちが思いにふけったり、別れを惜しんだりするという事実を挙げて、やはりここでも人物たちは一人の人物として何らかの思いをもっていると指摘する。
次に著者は、ホメロスの人物たちが意思決定をしないとするもう一つの根拠として、それらの人物たちは意志なるものを欠いているというスネルの主張を検討する。なぜ意志による決定を行わないとされるかといえば、決定は神が行うからであるとされる。これに対して著者は、まずホメロスの人物たちが複数の選択肢のあいだから何かを選ぶときに、神が介入しないことも多々あると指摘する。その時人物たちは単に自分で選ぶ。
さらに著者は、神が介入するときであっても、神は人間を操って何かを行わせるわけではないと指摘する。例として著者は『イリアス』の冒頭で、アキレウスがアガメムノンを殺すか否かを迷った際に、アテネが介入したシーンを挙げる。そこでアテネは、アキレウスにアガメムノンを殺すべきではないという理由になる事柄を告げるだけであり、その理由を理解して実際にアガメムノンを殺さない選択をするのは、アキレウス自身である。
最後に著者は、『イリアス』の人物も意思決定すると言えるのは、神々が明らかに意思決定しているからだと論じる。神々は擬人化されているのだから、これは人間も意思決定すると考えられていた証拠となる。
著者はまた、神の介入があるということと、人間が意思決定をするということが必ずしも相反しないことを、『オデュッセイア』にある表現から示す。『オデュッセイア』には、ある人物が何かを行ったことについて、その人物が「それをその人物の気持ちにしたがって行ったのか、それとも神に促されて行ったのかはわからないが」という表現がある。これを著者は、次のように解釈する。ある人物が何かを当人の気持ちに従って行ったというのは、その人物がなぜ他ではなくその行為を行ったのかの理由をはっきりと与えられる場合を指している。これにたいして、ある人物が何かを神に促されて行ったというのは、その人物がそれを行う理由は確かにあったが、しかし他のことを行う理由も同時にあり、そのような状態でどうしてある行為を行う理由が別の理由に優越したのかが本人もよく分からない場合を指している。このように、人間が当人にもよく分からない過程を経て、何かを行ってしまうときに、その隠された原因として神々が引き合いに出されていると著者は論じる。
以上から分かるように、神々の人間に対する介入は、なんらかの欲求なり目的なりをもった人間が、熟慮の上で行為を決定するという前提のもとで理解されていると著者はいう。
続いて著者は、ホメロスの人物たちは単に意思決定するだけでなく、意志をもって努力することもしていると指摘する。とりわけ著者は自己抑制の努力を取り上げる。『オデッセイア』では、オデュッセイアが、賢慮に基づいて正しいと判断したことを行うために、したいと考えることをしない苦しみに耐えるシーンが描かれる。まさにこの点において、オデュッセウスの描写する2つの典型的表現、すなわち「我慢強さ」と「知恵豊かな」は結びつくという。また『イリアス』ではプリアモスがヘクトルの遺体を取り戻すために、アキレウスの前に、憎しみと恐怖に耐えて現れる。
以上から著者は結論づける。
そうすると結局のところ、欠けているものは何なのだろうか。進歩主義者が欠如しているとみなした「意志」とは何なのだろう。ここまで来ると私は、彼らの方がそれを説明すべきだと言いたくなる。このホメロス的世界には、人間的な生に必要な行為の基本概念が充分に備わっているのは確かであると少なくとも私には思える。すなわち、熟慮する、結論する、行為する、自分を奮い立たせる、自分自身に何かを強いる、そして耐えるといった能力である。誰がこれ以上のことを要求しうるだろうか。(49ページ)
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