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2025-03-31
『迷宮遊覧飛行』目次
目
山尾悠子
(2023年1月23日刊行、国書刊行会、東京, 500 pp., 本体価格3,200円, ISBN:978-4-336-07462-1 → 版元ページ)
【目次】
読書遍歴のこと 序文に代えて 9
〈I〉
月光・擦過傷・火傷 31
綺羅の海峡 赤江瀑 33
教育実習の頃 38
東京ステーションホテル、鎌倉山ノ内澁澤龍彦邸 43
ボルヘスをめぐるアンケート 47
人形国家の起源 笙野頼子『硝子生命論』 49
歪み真珠の話 55
『夢の遠近法』自作解説 68
架空の土地を裸足で旅する快楽 間宮緑『塔の中の女』 81
美しい犬 84
デルヴォーの絵の中の物語 93
私が選ぶ国書刊行会の三冊 98
仮面の下にあるものは 長野まゆみ『45』 100
「第四回ジュンク堂書店文芸担当者が選ぶ「この作家を応援します!!」フェアへのご挨拶 105
『マルセル・シュオッブ全集』 112
シュオッブ、コレット、その他 113
マルセル・シュオッブ全集のこと 119
荒野より 〈新編日本幻想文学集成〉編者の言葉 123
変貌する観念的世界 あるいは両性具有者の憂鬱 倉橋由美子 125
同志社大学クラーク記念館に纏わる個人的覚え書き 高柳誠 144
同志社クラーク記念館の昔 泉鏡花 152
倉敷・蟲文庫への通い始め 156
マイリンク『ワルプルギスの夜』 160
世界の果て、世界の終わり C・S・ルイス『ナルニア国物語』 161
秘密の庭その他 174
飛ぶ孔雀、その後 180
鏡花の初期短篇 185
ブッツァーティ『現代の地獄への旅』 188
ジェフリー・フォード『言葉人形』 189
壊れやすく愛おしいもの ニール・ゲイマン『壊れやすいもの』 190
地誌とゴム紐 時里二郎 197
『龍蜂集』 〈澁澤龍彦 泉鏡花セレクション I〉 201
『銀燭集』 〈澁澤龍彦 泉鏡花セレクション II〉 217
『新柳集』 〈澁澤龍彦 泉鏡花セレクション III〉 233
『雨談集』 〈澁澤龍彦 泉鏡花セレクション IV〉 250
個人的な、ひどく個人的な 文學界書店 269
綺羅の海峡と青の本 赤江瀑 274
川野芽生『Lilith』 278
年譜に付け足す幾つかのこと 279
幻想絵画六点についてのこと 299
編者の言葉 『須永朝彦小説選』 305
去年の薔薇 須永朝彦 317
偏愛の一首 325
〈II〉
虎のイメージ 329
夢と卵 336
チキン嬢の家 340
人形の棲処 343
二十五時発、塔の頂上行 350
無重力エレべーター 宇宙食夜会への招待 354
都市の狼少年あるいはコレクター少女の秘密 357
懐かしい送電塔の記憶が凶々しい悪夢として甦る 360
悪夢のコレクション 362
月の種族の容貌に関する雄羊座的考察 364
美女・月を迎えるためのセレモニー 366
幻獣コレクション I 368
幻獣コレクションII 370
幻獣コレクションIII 372
幻獣コレクションIV 374
幻獣コレクションV 376
幻獣コレクションVI 378
頌春館の話 380
「薬草取」まで 385
〈III〉
アンドロギュヌスの夢 ル・グィン 395
円盤上の虫 399
満開の桜のある光景 403
〈歴史劇〉のことなど 406
『流れる女』 小松左京 410
セピアの記憶 過去のつぶやき 長崎西洋館・異人館物語 416
「蔵書」のこと 430
『花曝れ首』 赤江瀑 433
祖谷渓の月 441
作るか造るか創るか 処女作「夢の棲む街」について 448
思い出の一曲 レクイエム・ニ短調 452
シュオブに関する断片 454
十年目の薔薇 中井英夫 459
ピラネージとわれわれの……脳髄 463
煌けるコトバの城 稲垣足穂 466
幻想小説としての 澁澤龍彦 470
ラヴクラフトとその偽作集団 478
死と真珠 澁澤龍彦 488
時間の庭 澁澤龍彦 492
後記 496
leeswijzer 2025-03-31 20:21 読者になる
『迷宮遊覧飛行』目次
2025 / 3
竹久夢二編『露地のほそみち』
投稿日 2025年3月28日2025年3月28日投稿者 TANAKA Jun
菊地信義さんの本で夢二が装幀した『露地のほそみち』改装版(春陽堂、1926年)を知り──菊地さんは「とりわけ好きな装幀本」と言う──、その復刻版を入手した。小唄の歌詞の切れ切れを夢二が編纂し、カラー木版画による自作の女性 … “竹久夢二編『露地のほそみち』”の続きを読む
カテゴリー Review
竹久夢二編『露地のほそみち』
2025年03月02日
リアルポリティクスの陥穽
先日のワシントンにおけるウクライナと米国の両首脳の会談決裂は、多くの人々を失望させるものであった。事前に伝えられていた協定内容が、意外にウクライナに有利なものであるらしいことに、内心半信半疑に期待していただけに、私と同様に感じた人も多いと思う。結果から見れば、この決裂はいくつなの情報筋からの説明にあるように、トランプとヴァンスが事前に仕組んでいた罠であった可能性もしてくる。トランプは、大統領選挙キャンペーン中から、自分にはウクライナ戦争を直ちに停止させる力があると宣伝してきた手前、彼の支持者に対して何らかの成果を短期に示す必要があったのだろう。少なくとも、中間選挙前には、目に見える成果を呈示するとこがなければ、中間選挙に大敗する可能性が高い。そんなわけで、トランプにも、懸念すべき弱点があり、ウクライナとそれを支援するヨーロッパ諸国に対して、ある程度納得させ得る妥協案を提出する必要があったのかもしれない。実際にはウクライナにとって明らかに有利な条件であっても、そしてトランプの当初の恐喝的な停戦条件から大幅に後退したものであっても、とにもかくにも停戦を実現しさえすれば、トランプとしては、知性の低い彼の支持者に対して、自分がゼレンスキーに無理やり停戦を押し付けたディールの勝利者であると、納得せせることもできると読んでいたのかもしれない。
あるいは、自己の利益しか考えないリアリスト政治家として、はじめからウクライナの鉱物資源に目をつけて、フランスなどに油揚げをさらわれる前に、資源開発の先鞭をつけて戦後処理の際に自国の有利になるように運ぼうと考えていたのかもしれない(私としては、トランプがそんな長期的ヴィジョンによって行動する人間とは思われないので、この可能性は少ないと思っている)。
いずれにしても、専門家でもない我々に現在知り得ることは少ないし、それも不確かである。そんな不確かな問題に口をはさむことは愚かであるかもしれない。とはいえ、たとえ不確実な情報に基づいてであっても、断固とした判断が必要な場合がある。戦争に加担したり、反対したりすることは、そのような判断が求められる場合の一つであろう。私が例えば「絶対平和主義」のような原理主義的な立場に共感できないのは、それが困難な政治的決断を回避しているからである。
侵略者と被侵略者を均並みに扱うことによって、世界秩序に対する顕著な撹乱をもたらすとか、自由と民主主義に対するアメリカ政治の重要な伝統をかなぐり捨てることによって(もっともそれさえしばしば偽善的建前に堕することはあったのだが)、国際社会からの共感と信用を根本から損なうという大きな国益損失をもたらしたとか、多くの識者が指摘していることにはおおむね賛成するが、ここでは少し違う角度からこの会談の決裂の歴史的意義を考えてみたい。
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easter1916 at 22:24|Permalink│Comments(0)│ │時局
リアルポリティクスの陥穽
2025年03月
時局 (108)
社会学者の研究メモ
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以下は2017年8月26日(土)に、韓国ソウルにある国立ソウル現代美術館で行った基調講演の全文です。
私の名前は室井尚(むろい・ひさし)です。横浜国立大学の教授をしています。専門は哲学や文化理論で、何冊かの本を書いています。今回のツアーもそうですが、普段は学生たちと一緒にアートプロジェクトをプロデュースしたり、沢山のワークショップをしたりしています。
ですが、私はアーティストでもあります。少なくとも一度はアーティストでもありました。
2001年に日本初の国際芸術祭である「ヨコハマトリエンナーレ2001」が開かれましたが、その時に私は、ディレクターの1人であり、京都国立近代美術館の学芸部長だった河本信治さんに声をかけていただき、ほぼ同年代のアーティスト椿昇(つばき・のぼる)さんとのユニットを組んで、「The Insect World」というプロジェクトを行いました。これは複数のユニットからなる複合的なプロジェクトだったのですが、その中の一つとして設置した全長50mのバッタの形をしたバルーン「飛蝗(The Locust)」が余りにも大変で、それにばかり力を奪われていました。
このバルーンはとても遠くからも見ることができ、横浜の町のシンボルでもある船の形をしたインターコンチネンタルホテルに設置されていました。私たちのコンセプトは21世紀にはこれまでの人類の文明とは全く異なる、いわば「昆虫的」な論理が世界を支配するだろうということで、「The Insect World Operating System will govern the World」という言葉をキーコンセプトにしていました。
冷戦が終わり、新しい世界秩序が生まれようとしていました。私はそれを、人類を含む脊椎動物からもっともかけ離れた昆虫の目から見た世界を提示することによって、新しい文明の誕生を喚起しようとしたのですが、実際にはそれは2001年9月11日の同時多発テロ事件によって簡単に乗り越えられることになってしまいました。
クシシュトフ・ヴォディチコ氏と会ったのはこの作品の準備をしていた時です。彼はティファナで行っていたプロジェクションを展示するために横浜トリエンナーレに参加していました。ある機会があって、この時私は彼と二人で、バーで飲む機会がありました。
その前から私はヴォディチコ氏の作品を知っていて、とりわけ京都国立近代美術館の展覧会「Project for Survival」で最後の展示室に出されていた「Polis Car」にはとても大きな衝撃を受けていました。都市に溢れるホームレスを排除したり、収容したりするのではなく、彼らに移動できる最強のツールを与え、むしろ町の中で誰よりも自由に活動できる存在に変えるというアイディアは、常識を完全に覆すものであり、この作品を作ったアーティストに会ってみたいと思っていたのです。
彼にこのバッタのCGを見せると、彼は愉快そうに笑って、こう言いました。「アメリカの深夜映画でシカゴの町を巨大なトノサマバッタが占領するB級SF映画を見たことがある」。
その後、私はこの映画を探しました。それは1957年に作られた白黒のアメリカ映画で、ピーター・グレイブス主演の「The Beginning of the End」という映画でした。とても安っぽいSF映画ですが宇宙からの謎の光線で巨大化したトノサマバッタの群れがシカゴの町の高層ビルを襲うというストーリーでした。
それからちょうど9年後の2010年3月に、私はヴォディチコさんと再会しました。京都国立近代美術館で、ヴォディチコの作品を紹介し続けてきた河本信治さんの定年退職を記念する展覧会のオープニングパーティに彼は参加していました。
多分私のことなんか忘れているだろうと思いましたが、せっかくなので話しかけてみました。
「9年前にあなたが教えてくれた映画のタイトルは”The Beginning of the End”でしたが、あの後すぐに9.11が起こりました。私たちのバッタのバルーンもトラブル続きで71日の展覧会期間中23日しか展示できなかったのですが、その中でワールドトレードセンターのビルが崩壊するのを見て、私たちは底知れない敗北感に捕らわれていました。今から考えるとまさしくあの年は”Beginning of the End”の年だったのです」。
ヴォディチコさんはとても鋭い目で私をじっと見つめていて、私は何か彼を怒らせてしまったのかと思い、「失礼しました」と早々に彼から遠ざかりました。
ところがパーティの終わり頃になって、彼はまっすぐに私のところに歩いてきて「時間があるのなら、コーヒーでも一緒に飲まないか?」と向こうから声をかけてきたのです。
雨の降る中、京都の町を二人で長いこと歩いて喫茶店に入りました。彼はちょうど「9.11」に関する著書”The City of refuge”を出版したばかりで、9.11を記憶するためのメモリアルをニューヨーク湾の海上に作って、そこを世界平和センターにするという構想を提案していたところでした。
「日本では誰も俺のこの提案に耳を傾けてくれないし、あのパーティでも誰もまじめな話をしてくれないのに、お前に会えてラッキーだった」と彼は言い、それから二人でミシェル・フーコーの「パレイジア」概念や、犬儒派(キニク派/Cynic School)の哲学について議論を交わしました。
彼はちょうどパリの凱旋門を「戦争を永遠に廃絶するためのメモリアル」に変えるというプロジェクトに取り掛かっていて、スケッチブックを出してまだ構想中のこの作品「The Abolition of War」のデザイン画を目の前で書いてくれました。
「お前、どう思う?」と聞かれて、「そうですね。でも、これができたからと言って本当に人類が戦争を廃絶するようになるかどうかは疑わしい」と曖昧な返事をした私に彼は少し怒ったようで、「俺はこれをやっているのに、お前は何をするんだ? たとえば、お前は靖国神社のことをどう思っているんだ?」と言いました。
私は即座に「靖国神社はまずい。あれは一種のタブーのようなもので、右翼も左翼も靖国のことになると正気を失う」というようなことを言うと、彼はさらに激高して、「何を言っているんだ。パリの凱旋門だって右翼とナショナリストの魂の象徴で大きなタブーになっている場所なんだぞ」と言います。これは本当のことで、この一年後、パリの画廊で「The Abolition of War」のオープニングにはフランスの有力メディアは左も右も一切取材にきませんでした。彼らは凱旋門をタブーにしていて記事にするのを恐れたのです。
しばらく彼と議論して、私は横浜に帰りました。新幹線で深夜に家に着くと、さっき会ったばっかりのヴォディチコさんからメールが届いていました。
それは「俺は明後日の朝の飛行機でボストンに帰るのだが、明日土曜日は一日オフだ。俺が新幹線で東京に行くから、一緒に靖国神社を見に行かないか?」という突然の申し出だったのです。
次の日、東京駅で待ち合わせて二人で靖国神社に行きました。私は子供の時に観光バスで靖国神社を訪れたことはありましたが、大人になってから行くのは初めてで、ヴォディチコさんの方が詳しい知識を持っていることを恥ずかしく思いました。
靖国神社が、戦後はただの新興宗教団体になっていること、アメリカの占領軍が最初は廃止しようとしたのを結局は残すことにしたこと、A級戦犯を祀って中国や韓国の激しい反発を呼ぶようになったのは1970年代後半からであることなど、それまで全く知らなかったのです。またいくら右翼や自由民主党の一部が靖国神社を国有化しようとしても絶対にできない理由もこの時に学びました。
靖国神社の隣には付属の博物館があって、そこにはゼロ戦や人間魚雷回天など旧日本軍の兵器が展示されていますが、ヴォディチコさんは「誰があんなにきれいな兵器を保管していて提供できたと思う? アメリカ軍以外ありえないではないか? 日本と韓国・北朝鮮と中国が仲が悪くて一番得をしているのはアメリカなのだ。靖国はそのためにある」と言いましたが、まさしく私の目を開かせてくれる言葉でした。
その後、私たちはメールやSkypeで連絡を取り合って一年後に横浜で国際会議を開催しました。「アートと戦争」という会議で30名以上の研究者、アーティスト、キュレーターたちを招いて三日間の議論を続けました。
実はこの時にせっかくヴォディチコさんを呼ぶのだから会議だけではなくて、作品も出したいということで「War Veteran Vehicle」の日本版をやろうと準備をしていました。
ところがその準備期間中の2011年3月11日に東日本大震災と福島の原発事故が起こったのです。私もヴォディチコさんもこの大災害に大きな衝撃を受けました。そこで、二人で相談してこの災害の被災者の声を作品の中に組み込むことにしました。私はスタッフを連れて6月初旬に気仙沼や塩竈などを訪れて、津波の被害者やその関係者の取材を行い、War Veteran Vehicleの形でデータを編集しました。
その成果は横浜で2回、被災地の仙台で1回のプロジェクションとして公開されました。このプロジェクトの名前は二人で相談して「Survival Projection 2011」としました。
時間も不足していたこともあって、この作品に対する評価はあまり高いものではありませんした。震災のショックがまだ生々しかったのか、公開現場では何人もの観客から「こんなことをして不謹慎だと思いませんか?」と非難されました。Wod