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マンデリンはうまい
コーヒー
マンデリンG1(珈琲問屋)
フレンチです。めっっっちゃ深煎りです。ずっと飲みたかったマンデリンフレンチ、今まで飲んでた深煎りは深煎り手前だったのかなっていうくらい油浮いてて、なるほどこれは一般的に珈琲が好きな人が好きなコクと苦みがものすごい強調されてる感じがして、これはハマるやつかもしれないっていうか、普通に美味しいやつだったっていうか、この美味しさが深煎りの美味しさなのか、マンデリンの美味しさなのかわからないので、ハイローストとかシティローストとかも買ってみました。安売りしてたしさ。
マンデリンG1(珈琲問屋)
ハイローストです。煎り具合でこんなに変わるもんなの?っていうくらい別物でした。でもまあマンデリンってこういう味なんだなっていうベースはあって、そこからコクとか苦みがまろやかになってて飲みやすいんだけど、マンデリンはもっと深煎りのほうが美味しいのかもなという感じです。しかしこれはこれで美味しい。同じ豆の煎り時間違いを初めて飲み比べたので面白かった。もう一個ある。
エチオピア アリーチャG1(珈琲問屋)
フルーティな甘味、なるほどなという感じの味わいなんですけど、紅茶感があるっていう感じ、もしかするともしかして、浅煎りコーヒーないし浅煎りに向いてる豆とかって紅茶的な美味しさが発生しがちなのかもしれないな、紅茶が苦手な自分にはちょっと浅煎り系はしんどいのかもしれないなという気付きがありました。
インターネットにはひろゆきやホリエモンなど、色々なことにコメントを発表して世論に何某かの影響を与える人物が居る。インフルエンサーとかいうらしいのだが、さまざまな出来事や問題に鋭い指摘や批判を繰り出している。確かに知識が豊富で頭の回転も速く、成程と思うこともあるが、好みではなくホリエモンはたまに、ひろゆきは稀に見る程度だ。何故好きになれないかあんまり信用しないかというと、彼らからまっとうな社会人家庭人の生活が感じられないからだ。偏見と言われるかもしれないが、三つ子の魂で地道な仕事と家庭が基本という感覚が染みついているのだ。
どうする話。
梅の土用干しが終わった。
ザルにずらっと並んだ梅干を眺めながら
どうするよ これ…
思わずつぶやく。
実家の梅は今年、作柄も上々で、例年より大粒の実が、例年よりたくさん生った。
漬けるのはお手軽なジプロック(→うめぼし話。)であるが、梅酢を切って干した梅は瓶詰にする、その瓶をありったけ使っても入りきらない。
子供が小さい頃は、梅干はお弁当に入れた。おむすびの芯にしたり、夏場はご飯が傷まないように炊き込んだりもした。
やがて姪っ子が生まれて幼稚園に上がると、私の作る梅干はイモートのところに毎年もらわれて、イモートの作るお弁当に入るようになった。
うちと、実家と、イモートの家、3軒で消費して、次の梅雨時までに梅干は無くなった。
ところが、子供が学齢期を過ぎ、順々に家を離れていくにつれて、そうはいかなくなる。お弁当は要らないし、私もイモートも、血圧が気になるお年頃。しょっぱい梅干をバクバク食べるわけにはいかないのだ。
さいきんは、梅の木が実をつける時期になっても、去年やおととしの梅干がまだ残る。
ホント…どうするよ…
例年を上回る量の、例年以上に出来のいい梅干を前に、私は今途方に暮れている。
今日は梅干の日。
ずっとUR賃貸住宅に住んでみたいと思っていました。
ドラマでブームになったUR賃貸住宅、団地暮らしのムック本も発売されていて、私も買いました。
老後はUR賃貸住宅で暮らす
仕事をやめたら、東京のUR賃貸住宅に引っ越そうと漠然と考え、そして夢見ていました。
予想していなかったことですが、仕事をやめることになったので、今引っ越すべき?とUR賃貸住宅に内覧にいってきました。
内覧に行ったのは二か所で、ともに東京の郊外です。
私が住めるであろう5万円から6万円代の家賃の団地でした。
行く前は、ワクワクして、この暑さの中、いそいそとでかけたのですが・・・
見たのは4階と3階、ともに2DKでした。
建物は古かったものの、中はリフォーム済みでとてもきれい、新しい畳の匂いがしました。
和室1洋室1,そしてダイニングと、一人で住むにはちょうど良い大きさで、お風呂もトイレもキレイでした。
わぁーキレイ!と思いつつも、ワクワクした気持ちが覚めていく自分がいました。
郊外の団地で一人で暮らす
とうも、団地で一人で暮らす自分がイメージできないのです。
YouTubeでも団地一人暮らしの方はたくさん見てきたけれど、私の場合、ここで一人で住むって寂しそうって感じたのです。
新しい土地に行き、新しい職を探し、すべて環境を変えてしまって、うまくいかなかったら?と考えてしまいました。
実際に見に行ってみないとわからないものですね。
UR賃貸住宅の現実を見たという感じです。
両団地とも、私が見に行った翌々日には、入居者が決まっていました。
人気は続いているもようです。
では一般の賃貸を探そうかと考えましたが、家賃を考えたら住めるのはワンルームになります。
ワンルームに越すんだったら、今のままではいいのでは?と思ってきました。
というわけで、いったん新居探しは中断します。
情報をくださった読者さま、ありがとうございました。
本当に疲れる職場でした。
退職まであと一か月きりました。
夏休みに突入し、家族連れがめだってきた職場のスーパー。
幸せそうな老夫婦が孫を連れて訪れことも多く、見ていてつらいこともありました。
同じ60代なのに、この違いは何?なんて思ったことも。
最近は、もう慣れたし、はれて自由の身になった私、今度こそ自分ファーストで生きていこうと思います。
悔しいこと、たくさんあった
レジの仕事、ただ商品を打ち込むだけで誰でもできました。
でも時代は流れ、セルフレジが主流になって、機械操作が難しすぎて、その壁にぶつかりました。
お客様に聞かれることが多いのだから、全部覚えなくてはならないし、二つもしくは三つの仕事を同時にすることが要求されました。
私には無理だった。
もう脳も、身体もいっぱいいっぱいで、退職を決断して本当に良かったと思います。
10年前ならできていたのに?と、できない自分が情けなく、そして悔しかったです。
覚えられなくて、つらい
私と同じくらい覚えも悪く、ミスの多い40代パートさんがいます。
彼女に、退職を打ち明けました。
今日も、ミスをして怒られて、できないことを指摘されて、マニュアルをくださいと言ったら、自分で書いて覚えろと言われたらしい。
確かに一回で覚えて、ササっとこなす同僚もたくさんいるのです。
仕事ができない人に、厳しい職場だなーと以前から感じていました。
いつまでも甘えてんじゃない!という感じです。
つらいつらいと嘆く40代パートさん。
私がいなくなることを寂しいと嘆き、辞めていくことをうらやましいと言っていました。
穏やかでにこやかで、お客様には受けが良い人なんです。
でも、それだけではだめなんですね、お金をもらって働くということは・・・
彼女も青果に所属していて、人手不足だからレジに配置転換された一人です。
とっても良い人なので、頑張ってと励ますしかありませんでした。
残念ながら、すごい勢いで脳の細胞は減っていってるらしい。
自分の努力ではどうにもならないこと、実感しました。
次回は、64歳でもできる仕事を探していこうと思います。
自分結構超ハードモードの星のもとに生まれてるのだが、その割になんやかんや生き延びて早半世紀である。
自分のハードっぷりは自分が原因のものではないものが大半なので(先祖のやらかしとか)つまり自力でどうにかできない類のものも非常に多かったが、それでも生き延びるもんだなと舌打ちをしながら思っている。
で、絶対大丈夫が常態化するためのコツを話そう。
絶対大丈夫になりたい人はお読みください。
まず、自分軸確立必須。
いきなり難易度高いなと思われる方もいらっしゃるかもしれないが、こればかりは避けられない。
よくここで話しているアレだ。
生殺与奪の権を他人に委ねるな、である。
誰かの話を自分の真ん中に置くんじゃない。
あくまでも参考意見として脇に積むのみにするのだ。
いつも言っているが、どんなにえらい人であろうが、権威ある人であろうが、あなたの命の責任など負ってはくれないのだ。
なのにそこに縋るのはおかしな話である。
自分軸でいけよ。
次に、自分を濃くしろ。
これなかなか抽象的に聞こえるかもしれないが。
でも「あの人、薄っぺらいなー」と思う人は知り合いにいたりしないか?
なんで薄っぺらいと思う?
テキトーだったりあんまモノ考えてなかったり人から聞いたような話しかしなかったりするからペラペラに見えるんだろう?
つまり、その逆をやれば濃くなる。
これを正確に表現すると、意識を濃くする、となる。
意識が濃ければ絶対大丈夫の確立が上がる。
次に、絶対信頼できる誰かを持っておく。
これちょっと1番目のヤツと矛盾しているように見えるかもしれないが、してない。
大半の人間は「孤独」が最もキツい毒になるうるのだ。
下手な毒物より孤独の方がよほどヤバかったりする。
ひとりでいいから、あの人に話聞いてもらおうって思えるような誰かを持っておくと格段に耐性がつく。
この絶対大丈夫体質には耐性が結構重要なのだ。
次に、更に矛盾しているように聞こえると思うが、孤独に慣れろ。
3番目で話した孤独は初級の孤独だ。
これとは別である。
ここで話す孤独は言い方を変えると「孤高」である。
いろいろ言っても人間ってのはひとりで生まれてひとりで死ぬもんだ。
この超基本、超大前提を堂々と受け入れること。
どうせいろいろ言っても人間って孤独なもんだよな!!という開き直りが更に自身の強度を高める。
とりあえず4つ書いてみたけど。
この4つをまずは日常的に実践しつつ、最後に最重要。
「どうせ絶対大丈夫なんだよなあ・・・」
と思うこと。
この、どうせ、が大事だ。
自分の意思如何に関わらず、どうせ、大丈夫なのだ。
自分関係なしにどうせ大丈夫だと思えれば、まあどうせ大丈夫だ。
健闘を祈る。
写真撮る暇・整理する暇が無いなあ…
月末なのかお盆前進行になっているのか分からないけど、何か妙に忙しい。昨日も家に帰り着いたのは午後9時前くらい。結局それから晩ご飯食べたりお風呂入ったりで気づけば午前2時に就寝して翌日、つまり今日は会議が午前9時過ぎからあるので午前5時30分起床…という感じで、何かバタバタしている。
いや、ここに来てからほぼずっとバタバタしている。やっと得た休日はあっという間に溶けるし(普段からできないことをやってしまう感じで、やりたいことが渋滞気味)、まともな生活とはやや縁遠い気がする。もっとも、これまで経験した暮らしからしてみれば、むしろかなり向上した生活っていう感じなのだが。
ド底辺がいつか、どこか、てのは自分の中だけの話にしとく。
そういうわけで、今絶賛年に何回かある「写真のことすら考えられなくなっている」期間になっている。いろんなものが山積みになってしまったので、それをどうにか崩しているような、そんな具合である。はあ、結局またしても写真のこと(つまりまあ趣味のことなんだけど)は後回しにならざるを得ないわけか。分かっちゃいるけどなあ。
写真整理に関してはわたしより先に妻の方が動き始めた。富士フイルムか何かのフォトブックサービスでアルバムを作って発注していたのである。慣れたもので、彼女が撮った写真の中から良いものを選んで放り込んでレイアウトして…ていう感じで、30分もしないうちに完成、注文という流れるような動きを見せていた。あっずるい!そして楽しそう!
しかしながら彼女いわく、まだまだ整理できてない写真がたくさんあるとのこと。各旅行の時とか日常とか、そういう写真だけどフォトブックとして残したいものが多々あるんだとか。「やっぱりモノにして残したいよねー」というわけで、おそらくあと数冊は作られるはず。多分だけど。そういう実行力がわたしには無いのよねー…なんか選び出したら終わらなくなるし、レイアウト一つでも大きく悩むし。んで、こだわって作ろうとしたら変な感じになるしね。妻のようにコンセプトがしっかりして写真選びも明快だったら、フォトブック作りも簡単かもしれない。そもそも写真が上手いんだよなあの人、わたしでは撮れないものを軽く撮ってくるし。そういうのを考えちゃうからダメだなあと思う。
これはもう、仕事の帰り時間使ってわたしもちまちまやっていくしかないな。とりあえずこれまで台湾で撮ったものをなんとかしてまとめよう。そう思って電車に乗ったら途中で眠気が来て気づけば降りる駅のひとつ前。作業できずに終わってしまった。こればかりは仕方ないけど、ちょっと凹む。また明日トライしてみるか。
蝉の鳴き声よりでかい
昨日、夕方のことである。一仕事を終えて家で涼んでいると、市内の印刷会社から電話が入った。要件はワシャのオヤジが生前に出版した本のことについてである。
印刷会社の女性事務員は言う。
「先ほど、先生(オヤジのことね)の本を読みたいということで、あちこちを訪ねられたそうなんですが、入手できなかったので、印刷をした弊社(印刷会社)まで訪ねて来られたんですが、弊社には在庫がなく、ワルシャワさんのところにお電話したような次第です」
ワシャのオヤジは教員のかたわら地元を題材にした童話を書いていた。何冊か本を出版しているが、その中の1冊を求める御仁が印刷会社にたどり着いたということ。
オヤジは昭和62年に東京の出版社から単行本を上梓している。平成26年に「復刻版」を地元の印刷会社から出し、その時、自費で市内の小中学校に配布したのだった。その残部がオヤジの書斎に何冊か残っていた。オヤジが亡くなって1年が経過したので、そろそろ蔵書の整理をしようと思っていたところだった。オヤジの本を読みたいという奇特な人がおられるなら「差し上げてもいい」と思ったんですね。
ちょうど冷たいビールが飲みたくなってきたところだったので、酒屋まで買いに行くついでに本を届けることにした。オヤジの本を一冊大型の封筒に入れて、流星号(自転車)で市内の印刷会社を目指して走り出したのである。
ドラマはここからね(笑)。
ワシャは流星号で快走していたんだけど、市街地の北の大きな交差点で信号につかまってしまった。この信号、変則なので時間がかかるんですわ。
ワシャが停留しているは南西の角だった。近くに中学校があり、部活の帰りの中学生が歩行者、自転車合わせて20人くらいが、北西の角で信号に停められた。点滅している横断歩道を、左折車両を避けながらあわてて渡っていく坊主頭の少年がいた。「危ないな」と思ったが、まあ運動神経もよさそうな長身の中坊だったので無事渡りきった。その他の中学生はちゃんと信号を守っている。坊主の中坊(以下、中坊)はけっこうヤンチャなんだろうね(笑)。
中坊、北東の角から北西の角に溜まっている仲間に声をかけたり身振りでからかったりしている。時折、歩道から車道にはみ出すので、やっぱり「危ないか」と思うのだった。
そうしたらね、歩道に身をかがめて何かを拾うような仕草をする。「なんだろう?」と思って見ていると、立ち上がって大きく振りかぶりスローイングをした。
「え?」
中坊、また路面から何かを拾い上げる仕草をして、交差点の方向ではなく反対の方向にある駐車場にむけてスローイングを続ける。
「こりゃだめだ」
ワシャは交差点から離れた建物の陰で陽を避けていたんだけれど、交差点ぎりぎりまで移動して、中坊が3回目のスローイングに入ろうとしたところで波動砲を放った。
「おうりゃああああ!」
ワシャの波動砲は、大きな交差点の対角線を突き切って中坊の鼓膜に届いた。中坊は、ビクッとしてフォームの途中で固まった。ワシャの波動砲は続く。
「テメエ~さっきから何やっているんだ!石投げてんじゃねえぞ!人や車に当たったらどうするつもりだ!」
中坊は我に返って、気を付けをすると「石は投げてはいません!投球の練習をしていました!」と言ってくる。オマエも声がでかいね。
「そうか、石を投げていなかったんだな!」
中坊は大きく頷いた。
「交差点は野球の練習をするところじゃない!わかったか!」
中坊が「わかりました!」と返事をしたところで信号が変わったので、ワシャは中坊に大きく頷いて見せると、流星号に乗って去って行ったのであった。
いや~、久々にどでかい声(波動砲)を打ったので、ストレスが発散しましたぞ。やんちゃな中坊や北西の角で成り行きを見守っていた同級生には恐いオッサンと映ったこと思いますが、それでも中学生たちが交通事故にあわず、また変なことの加害者にさせないためにも、こういった恐いオッサンがいたほうがいいと思いませんか(笑)?
その後、印刷会社に顔を出し本を1冊寄贈した。対応してくれた女性社員はとても喜んでくれて、何度も何度もお礼を言われたのだった。
ワシャは終始、穏やかな話し方で、最後は深々と頭を下げて印刷会社を退出したのであった。
外に出て「今のワシャと殺気の交差点のオッサンは同一人物なんだろうか?」と考えるのであった。
夕刻になっているので、蝉の声が喧しい。
吾輩は週2日出社の嘱託社員なんですが
この1年それなりに頑張ってみた提案がお得意さんに受け入れられず
1件頓挫しました
もうこれ以上やってもダメか
プチ絶望感
帰宅してちょうど録画してあったNHKのドキュメント20min
「絶望名言を探して」
なんて番組にに遭遇して慰められました
この本の著者
カフカの翻訳研究
頭木弘樹さんの発言
きっかけは
二十歳の時難病にかかり13年も入退院を繰り返したと
その時点では一生治らないと
これからずっと親に面倒見てもらうしかないと言われたと
それまで健康だったのに思いもよらない絶望
生きていくの無理
未来真っ暗
という状態
そんなさなかで出会った
カフカの言葉
「将来に向かって歩くことは、僕にはできません。将来に向かってつまずくこと、これはできます。
いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです。」
彼もベッドで倒れたままだったので
しばらくは倒れたままでもいいんだ
と思えて、救われたと
絶望の時は孤独
真っ暗い道を一人で歩くのはつらい
真っ暗道の連れになってくれるような言葉だったと
そこからカフカ研究家という道を歩き出したんだなぁ
凄いことです
さらに
生きることは、絶えずわき道にそれていくことだ。本当はどこに向かうはずだったのか
振り返ってみることさえ許されない。 (カフカ)
カフカねー
20世紀を代表する作家カフカは、1883年にプラハで生まれました。 昼は保険会社員として働きながら、夜は小説を書くという二重生活を送りました。 代表作『変身』や『審判』では、突然不条理な状況に陥る人々を描き、現代社会の問題を鋭く切り取っています。
「変身」だけは読んだけれど
他、絶望名言
「どうせ生きているからには、苦しいのは当たり前だと思え」
(芥川龍之介)
「生きている事。生きている事。
ああ、それは、何というやりきれない
息もたえだえの大事業であろうか。」
(太宰治)
二人とも自死だしな、そりゃ絶望似合うでしょう
絶望という言葉
吾輩なんぞが軽々しく使ってはいかん気はします
本当の絶望者に失礼ですね
幸か不幸か吾輩は
本当の絶望には遭遇していないのだと思います
それは死ぬ間際まで取っておきたいです
ムーちゃんが、死んだときは紛れもなく絶望だったけれど😭
「船旅」
人生とは“旅”であると芭蕉は喝破。
奥の細道にしるしている。
“月日は百代の過客*にして、行かふ年も又旅人也”
行く先々で句を詠み、現代に残している。
齢85にして船旅を決意した。
まだ歩ける内にと、日本一周10日間の旅。
横浜→鹿児島→釜山→秋田→青森→ひたちなか→横浜。
芭蕉に比べれば些細な旅である。
だが平均寿命を超えた者としては、一大事業だ。
船の中が楽しいらしい。
世界各国からの旅人、約2,700人程が乗るらしい。
乗組員だけでも1,100人だと言う。
船はコロナで有名になったダイヤモンドプリンセス。
一人で行くのは淋しいから女房と友人夫妻の4人。
今年の1月に飲んだ勢いで話が決まった。
2月に予約を取り、早割引に騙されて旅費を振り込んだ。
船の中のイベントは船長に任せるしかない。
先々の寄港地での過ごし方を研究した。
寄港地ツアーもあるが、かなり高い。
貧乏人は頭をひねった。
その結果、レンタカーが割安で、好きなところへ行ける。
乗物から船内の食事など多くが予約制である。
大きな荷物は事前に宅配便で船室迄予約できる。
天下のスマホが活躍するが、操作に慣れず苦戦する。
加えて船がイギリス船で英語が多い。
85歳にはハードルが高い・・・。
それらは総て乗船までに済まさないといけない。
試行錯誤しながら何とか段取りはついた。
7月27日、午前5時、4人は羽島に向かった。
新横浜で専属バスに乗り、横浜大桟橋へ。
ここで大勢の乗客に成程とうなずく。
乗るまでの手続きが大変だ。
女房は小袋をバスに忘れた。
たえちゃんのパスポートが見当たらない!
小さなアクシデントが発生した。
でも最後にメダリオンが渡され、やれやれだった。
部屋にはスーツケースが届いていた。
旅行者に任せず全部自分で段取りをした。
船中でネット事情が悪く写真がうまく取り込めない。さしあたり新幹線からの富士と、船が静岡あた
りを通るころ、夕やみに富士が浮かんだ。その他の写真は後日掲載することにする。
その彼女がこんなこと言ってました
N「homeさん、iPhoneですか?」
私「いや、アンドロイドですが」
N「そうですか・・・。私のiPhone、私の話を盗み聞きしてるようなんですよ」
私「・・・?どういうことですか?」
N「私が娘と年金の話とかした後にiPhone触るとものすご年金のCMが出てきたり」
私「ええっ?」
N「お菓子の話とかした後にiPhone触ると、そのお菓子のCMが出てきたり」
私「ストーカーっちゅうのか、スマホの姿をした変態っすね」
N「そうなんですよ、なんか気味悪くて」
私「逆にiPhoneから話しかけられたりとかはないですか?」
N「・・・?」
私「今、どんなパンツはいとるん、とか」
N「(大笑)homeさん、あほでしょ!」
私「あほかあほでないかで分けたら、間違いなくあほです」
N「あははは(大笑)。変なとこに雇ってもらったわ」
さっき、私のグーグルスマホで「iPhoneが盗み聞きしてるって、ホントですか?」と聞いてみたら「そういう都市伝説があるとは聞いています。が、実際には・・・」と丁寧に説明してくれました。結局自分が検索とかそういう動画見てるから、そんなレコメンドが出てくるんですよ、って。
明日、Nさんに言ってみよう。くだらんオチを繰り出すタイミングを見図りつつ。
天国良いとこ、一度はおいで〜♪
「メメント・モリ(memento mori)」という言葉がある。
これは、ラテン語の成句で「死を忘れるな」「死を思え」などの言葉に訳される。
「人生には限りがあるということを悟れ」というもの。
これは古代ローマの時代にも語られ、しっかりラテン語で世界に伝わっている成語。
ポンペイ遺跡から出土したモザイク画
「快楽主義に陥ることなかれ、死は間近にある」そんなことを語っている絵でもある。
ただ、こんな教訓めいたことを言うと人からは煙たがられるものらしい。
『徒然草』九十三段に「牛を売る人があり、牛を買う人がいた」という話が出てくる。
その段の中で、牛を買おうという人が「明日代価を払うので、その時に牛を引き取ろう」
と約束をしたところ、その夜、牛は死んでしまった。
その様子を知って「牛を買おうとしていた人が得をして、売ろうとした人が損をした」
とある人が言った。
これを聞いた、かたへなる人(そばにいる人)が、
熱っぽく、「そうではない。売ろうとした人は、このことによって「命」の危うさを知ったのだから、決して損などしていない」と言うと、
それを聞いた人たちは、感心するというより、嘲(あざけ)りの笑いを浮かべた。
そこで、かたへなる人は、
さらに「死を恐れないのは、死が近いことを知らないのだ」と語調を強めて言うと、
周りの人は、なお一層あざけり笑ったと出てくる。
普通の人が、生命の尊さを説くと、人はちょっと煙たく思うものらしい。
ある賢人の言葉として「死ぬことと、太陽は長い間、見つめていられない」
というのを残している。
「メメント・モリ(memento mori)=死を忘れるな」と言うより、
この言葉の方が素直に受け入れられそうだ。
<了>
予知夢信じたらアカンのん?
「予知夢」と呼ばれるものがある。
先日賑わした「7月5日に日本で大災害」で話題となった本『私が見た未来 完全版』(たつき諒著、飛鳥新社) もいわば、その一つ。
この著者は、東日本大震災を予知夢で、その日付を当てたということで話題となった人物。
今回、香港のYouTuber なども盛んに取り上げたことから、
その頃の日本行きを控えた外国人も多かったと聞く。
平安時代末期に成立した『今昔物語』に、この「予知夢」と思しき記述が収められている。
この書は「むかし男ありけり」という言葉で始まる説話集。
その中の、巻十九の十一話に収められている話に、
「信濃の国の筑摩(つかま=ちくま)の湯に、明日の昼、観音様が湯浴みに来るので
みんな来て出迎えるように、という夢を見る。
男が村人たちに話し、一同が待ち構えていると夢のお告げと寸分も違わぬ一人の武士が来た。
そして、湯につかった。
その姿に村人が手を合わせて拝んでいると「何だ?」ということになり、
かくかくしかじかの夢を見たということをその武士に話をしたところ、その男は、
「皆んながそう言うのなら、私は観音様の化身なのだろう」と、
男は弓矢を棄てて比叡山の覚朝僧都の弟子となった。
ところが、その男は、数年経って(還俗し)土佐に帰った。
それから後のことは知らない」
として、この説話が結ばれる。
大船観音
男が見た夢は、予知夢のようでもあるが、実際は「それから後のことは知らない」
と結ばれている如く、村人たちは奇蹟が起こったというほどに大騒ぎしたが、
単に一つの夢に過ぎなかったことが言外に述べられている。
予知夢や奇蹟などというものに右往左往するより現実を見つめよ、
ということか。
<了>
坂とブレーキ、岸田派の独裁にブレーキを
洗濯機がよく回ってます。
汗をかいたらすぐ洗い物に出してガンガン洗ってる。
カンカン照りの夏日です。干せばすぐ乾く。
洗剤なんかほとんど使いません。水洗いで十分です。
汗だけなんですから。
汗臭いカラダは嫌われます。夏こそしっかり清潔に。
やっぱりムワッと汗臭い人っています。
スレ違うとね。女子なんかは眉をしかめてる(汗)
制汗剤なんてのを昔の女子はみんなよく使ってました。
女子は腋なんかにつけて汗臭くならないよう注意したものです。
男性にはこれが良い匂いに感じるものです。
汗じゃないその人の匂いです。甘い匂いw
でも、つい唇を寄せたりなんかしてしまうと、ウヘエ。なんかクチがカバカバになったw 渋柿を食ったような感じ。たまりませんでしたw
洗濯というのは大変です。家内にあまり出すなと注意されるのを思い知る。
やっぱり一番に大変なのは干す時ですな。
ハンガーに掛けたり広げたり何かしらして干さないといけません。
あれが面倒です。
で、ちょっと気がついたこと。
ウチのは「青空」なのですが、二層式で脱水と洗濯が同時にできるわけです。
早い。二度すすぎ、三度すすぎなんかして水も少なく洗濯できる。
で、そこはこちとら江戸っ子、気が急いて「終わりかけだナ」、なんて思ったらもうフタをあけてしまう。
脱水層の蓋を途中で開けてしまうのです。
ダイヤルが残りわずかになるともういい加減いいだろ、なーんて開けてしまう。
あれはよくないかも知れません。
脱水槽の蓋は途中で開けちゃダメ。
だって、ブレーキみたいなのがかかるのです。
普通に脱水して自然に終わる時はかかりません。
タイマーが切れるとそのまま惰性で回り続けてゆっくりと自然に止まってる。
でも、強引に途中で蓋を開けてしまうと止めないといけないわけです。
グルグルまだ回ってるところに手なんかいれたら手をクジいちゃう。危ない。
蓋を開けると脱水層の回転にブレーキがかかるのです。
ブレーキが作動するのです。
これを何度もやって御覧なさい。ブレーキが減りますよ。
痛む。洗濯機の寿命が短くなります。
老婆心ながら。
長い下り坂があったりします。
日本も山がちな国です。
観光地なんかにドライブって方もいるでしょう。この暑いのにw
まあクルマの中にいる限りはエアコンが効いて涼しいでしょうが。
ながい坂をずーっと下り、そんなところがあります。
ちゃんと標識が出てますな。
「ここから先は急勾配、エンジンブレーキを使え。」
なんとも我が国にしてはいつになく珍しく難しい文句ですw
こんな標識、岸田や石破が無条件で免許を交付させてしまった中国人には分かるんでしょうか? 最低の政治屋どもです。
どうも石破は中国には都合がいいらしい。
マスコミも総出で石破擁護をする気持ち悪さ。もう自公なんて崩壊してしまえばいいのに。
ドライバーの方しか分からないかも知れませんが、通常のブレーキを踏みながら長く下り坂を下りてるとブレーキが利かなくなったりするのです。
暑くなってブレーキのゴムが燃え出すなんてことも昔はありました。
だからギアを落として抵抗を掛けて下りるわけです。
え? 知ってましたよね?www
洗濯機にも同じことが言えるでしょう。間違いないw
まあ、洗濯機にエンジンブレーキはありませんから自然に止まるまで蓋を開けないことです。
アタシはマウンテンバイキングというのを何度かやったことがあります。
山を上から下へと自転車で降りた。
40キロぐらい、長い時は60キロ、ずうっと坂、ずっと下り坂です。
ブレーキなんかかけない。
デコボコ道や真っ暗闇をスッ飛ばした。
もうペダルを漕ぐのもそこそこです。体力も要らない、下るだけ。
時々、バランスを取るために踏ん張る。アクセルをかけるわけです。
ジャリが溜まってるところでは曲がりしなに思いっきりペダルを踏む。そうすると後ろのタイヤがずるっとスリップします。これがいわばエンジンブレーキになった。
アブねえ、今から思い出すと震えがくるw
ブレーキを使うのは注意しました。
できるだけ短く、ムダに使わないようにしたものです。
音楽聴きながらアタシは滑降した。
後で聞かれたものです。
「ヘッドホンなんか耳にしてて危なくないか。ライトもつけずにさぁ。」
って。
「スリルだからさ。ノーミュージック・ノーライフw」
アタシはカッコよく言ってやったものです。
さりげなく胸を張った。
そしてBarのカウンター、横に手を回すと柔らかな腰があると思ったんだけど。
横にいたはずの尾根遺産はもうどっか行っちゃってて空振りw
振り返れば若い時分のことではあります。
では「人生の下り坂」にはどうしたらいいのかw
上り調子でやってきた若い頃、無理できなくなったと思ったら下り先になっています。
膝や腰の痛み、カラダの衰え、お肌の曲がり角を感じたらもう下り坂。
そこはゆっくり下りたいではないか。
加齢に抵抗する人々もいます。それはいわばブレーキを使うやり方。
サプリ飲んだりエステに行ったり、スポクラにいそしんだり。
果てはリフト、タミータック、脂肪吸引。
あるでしょう。
でもあんまりやっちゃ疲れます。疲労する。ブレーキがそのうち利かなくなる。
随分なお歳なのにジョギングなんかを必死におやりになってる方がいらっしゃいます。それもどうかと思うのです。
膝の関節、軟骨が擦り減ったら大変です。
ヒアルロン酸は飲んでも効かないそうですよ!www
あれは注射するものだそうですw
色々と難しい。
やっぱりエンジンブレーキをかけながら下りるのがいい。
昔のオトナ、妙齢のご婦人、昔ながらのお年寄りの風情ということ。
静かに世の中に疑問を抱くのです。
眉をしかめたり、首を捻ったり、どうもこれは気に入らん、なんだか嫌な世の中ねえ、と、批判的に考える。歳をとっただけ「難しいヒト」になるのです。
そうするとこの国の衰退にも歯止めがかかる、ご自身の老化もゆっくり穏やかになるという寸法w
若者の言葉使いに疑問を感じたり、政治のこと、モノのお値段、何でもいい。
少しだけ、ムムっという感じ。
他人にアピールなんかする必要はありません。
そうして昔の年寄りはみんなどこかしら不機嫌なものだった。
そのごく自然な憤慨はまだまだあなたがお若い証拠です。
若い自分ならオトナたちの身勝手に反発したものです。世の中はおかしいのではないかと理不尽さに憤った。
もうそんな歳ではないから自然な疑問に過ぎません。
そうして選挙に行けばいいのです。
自分のアタマで考えて、ちゃんと反論に答えて、そして投票する。
トランプが悪の権化で自分勝手だとテレビは言ってる?
そういうのに疑問を抱く。疑うのです。
いや、カンボジアとタイの軍事衝突を彼は電話一本で止めさせた。それまで西側各国の誰も何もしなかったのに(汗)
「どうせ自公しかない」なんて思ってたらもう老化の坂は急勾配。
給付金の礼だと投票なんかしてたら下り坂の次は奈落。
外国人に刺し殺されたって左翼は「自己責任」と言い放つ!
買い物するのだって自分で考える。
高くなったものは買わなくていい、季節に外れたものは高い、疑わしいものには手を出さない。
もしテレビなんか見て笑ってしまったらそれこそ老化です。
認知症が進んでいるかも知れません。テレビなんか捨てた方がいい。
しかしそうは言っても捨てるのにも最近は色々と分別が必要です。
「分別のあるオトナだから当然のことだ」、って?
ゴミの袋にカネを出させるのはどういう分別なのか聞かせてもらいたいものです。
もともと税金の使い道ではないか。なんで二重取りするのか。
その上、大きな洗濯機や冷蔵庫を捨てるにはもっとカネを払わねばいけない。
あんなリサイクル料みたいなのがかかったら買い替えなんかするはずもないでしように。
ああいうのは物価統計には含まれてない。
隠れたインフレ。生活コストです。官僚は責任など取りません。
経済が萎縮しますよ。
当然でしょう。消費の萎縮要因はこんなところにもあります。
そのくせ潰れたメガソーラーのガレキは放置されたままウン年。
分かっててやってる。分かっててこの国の首を絞めてるのです。
消費しないからと消費税を上げる、また消費が落ち込む。個人中小が潰れる。
人手が足りないからと外国人をむやみに入れる、労働条件はよくならない。日本人は後回しにされる。
分かっててやってるこの呪縛。
こういう常軌を逸した政府の介入を縮小しないといけません。
政府は責任を取らないのです。政府にやらせてはいけません。
有料ゴミ袋にしても、有料レジ袋にしても、メガソーラーにしても、消費税にしても子育て支援金にしても、外国人への特別支援金にしても。
みんないらないもの。必要ない。
なんだそれは! なんで外国人に支援金が必要なのかっ!
そろそろウチも紙ゴミが一杯になってきました。
段ボールをもらいに行かないといけません。
いつもは家内が貰ってきてくれるのですがもう帰省しちゃったw(泣)
で、氷もついでにもらおうとスーパーに出かけてゆきました。
要は家内の真似をしたわけです。
最近は段ボールもくれなくなったところも出てきて貰える店も少なくなった。
氷が溶けてしまいそうなので保冷バックを持って出かけます。
処分品、何かあっても困る。冷蔵庫も冷凍庫もケーキで今はまだパンパン。
しかしあったら買わねばなりません。見送ったら次はないw 覚悟はした。
無事に(笑)、何も半額品に出逢わずに氷と段ボールだけ貰って帰ってきた。
紙ゴミは最近はこうして出しています。
きっとみなさん同じことをおやりになってると思う
針金さんから小玉スイカをいただいた。
何かあるなーと嫌な直感は当たる。
「今年のお祭りも、人手が足りなくて。娘さん、お願い出来ないかしら?」
今年、子は受験生だということを伝え、丁重にお断りした。
だが、
「ずっと勉強してるのも息が詰まるんじゃないかしら?気分転換に、ちょっと外の風に当たりに出るのもいいんじゃない?」
押しが強い彼女。お隣でも、ここずっとぎくしゃくしており、掃除の時などは完全スルーなのに、頼み事があればこれ。
そういえば、彼女と険悪になった要因でもある猫の鳴き声は最近聞かなくなったなと思い出す。
「分かりました。今日は娘も出掛けているので・・帰って来たら聞いてみますね。」
「ありがとう。助かるわ~」
ドアを閉めると、子が部屋から出て来た。実は家におり、私達の会話を聞いていた子。
「やらないよ。断って。隣のおばさん、あんまり好きじゃない。」
驚いた。
私は一切、針金さんの悪口なんて言ったことなんてないし、子も去年のお祭りの手伝いの時くらいしか接触していないはずなのに。
「なんで?好きじゃないの?」
「うさんくさい。」
ちょっと嬉しかった。
そこで話は終わり、特に2人で悪口を言い合ったりはしなかった。
ー先程はスイカをいただきありがとうございました。娘に聞いたところ、その日は夏期講習で不在なので無理だとのことです。お役に立てず申し訳ありません。
角が立たないよう、塾があるから出来ないということにした。
彼女からいただいたスイカを冷蔵庫に入れる。どかんと鎮座し続けるそれがあるうちは、やっぱりソワソワ落ち付かないんだろうなーと思う。
公開されたくないなー饅頭怖いなー
メールを読んでいたら、
「あなたのヌード写真を警察が押収しました。お金を払わないと全国に公開されます」
みたいなスパムが来てたんですが、むしろアリじゃないかt
先人に学ぶ夏に。
戦争の恐ろしさ。目を向けようとしなければ、かかわりを持って
生きることもできるかもしれないが、こんな世界の情勢では
いつ日本も巻き込まれる可能性があるかもしれず・・・。
分断が進めば進むほど、理解が誤解になり、摩擦が生じることも
あり得る。
だから、そうではない今のうちに戦争とは絶対にしてはいけない。
平和の大切さを常に意識し、伝え続けなければならない。
ある知人の御父上が第二次世界大戦に出征され、傷痍軍人として
戻られてからのお話や、ある方のおじい様はシベリア抑留を経験
されたという話。直接お聞きする話はとても強く胸にささる。
ご本人たちのご苦労を話や表情で、直接見聞され、ご本人たちに
接してこられたから。
わたしの場合は、身近にそういう方はおられなかったが、
子ども時代に岐阜駅の近くの通路や地下道で、傷痍軍人の人
たちが痛々しい姿でアコーディオンを弾きながら、通行人に
物乞いをされていたことを今も覚えている。
なぜ、あの人たちは今も戦争の恰好をしているんだとか、
手足が不自由なのだ・・とただただ、日常ではないその姿に
強い印象をもっていた。
ただ、当時、小学生の低学年ほどであった私には、詳細は
わからなかった。
家に帰れば、新聞社が発行している戦争の写真集があった。
そこに掲載されている、あまりに残酷な戦いの場面を写した
その写真と、そのアコーディオンを抱えていた軍人さんたち
のことが結びついていなかったのかもしれない。
なぜ、あの頃、もっと学校でも平和教育などしなかったのか。
と今になって思うが・・・。
今年は、いろんな資料から戦争の現実を知る機会が多い。
知ることができる絶好の機会だ。
先人たちの経験があり、今日がある。
戦争経験が、敗戦経験が、今の日本をつくりあげた。
しかし、80年も平和が続き、平和ボケにもなってきた。
ボケないように、平和への感謝を忘れないために、
先人たちの苦労を少しでも知り、自分の現在の平和な暮らし
に感謝をしたい。
戦争で別れ別れになった家族のこと。
戦争のせいで、一生ふるさとの土を踏めずに
終えていった人たちの思い・・・。
暑いこの夏。ぜひ先人たちのさまざまな経験を改めて
知り、感じ、考えたい。
今日も当たり前の、日常の朝を迎えられて、
本当にありがたい。
ところが、この鉄火巻きとネギトロ巻きのセットなんですが、ご飯が硬くてボソボソで食べられたもんじゃありません。
備蓄米?ココココ米で作ったの?って感じですが、そうではなく、冷凍物だったのか?それとも冷蔵庫に入っていたから硬くなってしまったんでしょうか?
それにマグロもなんかあんまりおいしくないのです。
何が「魚屋の鮨」だよ。780円+税です。842円もしたじゃないですか!!!高すぎです。
夫もまずいと言って2つくらいしか食べません。
もう捨ててしまおうかと思ったのですが、何か方法はないかと思い、チャットGPTに聞いてみました。そうしたら、蒸すとか電子レンジで少し温めるなどの方法が出てきたのですが、ピンとこなかったので、自分で焼いてみたらどうかと聞いてみました。
そうしたら、「それは良いアイデアです。ごま油で焼くのが良いです。」そして、タレや味付け例などの返事が返ってきたので、早速焼いてみました。
まずは、並べて半ペタ焼き、ひっくり返して焼いて焼き色を付けます。
こんがりしたら、ちょっと醤油をたらして、またちょっと焼きました。
出来上がりです。
ほぼ「焼きおにぎり」のような味です。生のマグロは焼けてツナのようになりました。
巻き寿司だったときのご飯の硬さは全く感じなくなり、マグロの生臭さもありません。
これは良いです。
チャットGPTは、まるで人間のようにアドバイスしてくれ、「それは残念ですね」とか、「素晴らしいアイデアです」とか、色々同情してくれたり、ほめてくれたり、励ましてくれたりするのです。
感情があるかと思ってしまいますね。
AIは機械学習をしていくので、巻きずしが硬い場合はこんがり焼く方法も良いというのを習得してくれたのではないかと思います。
このチャットGPTは、無料版を使っているので、調子に乗っていろいろなことを聞いていると、使用料の限界に達してしまい、それ以上はできなくなってしまいます。
際限なくというわけにはいきませんが、一日に何回か利用することができるので面白いです。
今は、『日傘』、必須ですが!!
昨日は、美容院に
髪を切りに行ったのですが
その時、美容師さんが『日傘』を買ったというお話になり
「最近は、若い人も男の人も日傘さすようになりましたね!」
というお話になりました
そういえば、私の若いことは『日傘』って
おばさんが使うものというイメージがあって
10代、20代ぐらいのときは
さしてなかったですね
ただ、短大の時、仲が良かった同級生が『日傘』を愛用していて
いつも
「すごいなあ!」
と思ってみていました
でも、今考えてみると彼女は最先端を行ってたのかもしれません
私は、確か彼女から、内祝いかなんかでもらった『日傘』が
『日傘』デビューだったような気がします
その時は、すっかり子連れのおばさんになっていましたが
今は、高校生も通学の時に使っているし
男の方もちらほらみられますね。
今は、『日傘』は、この異常な暑さのせいで
最強のアイテムになってしまいましたね
逆に『日傘』さしてないと
どうにかなりそうです
私の若いころは
今ほど日差しが強くなかったので
『日傘』は、おばさんがするものぐらいの
感覚しかなかったのかもしれません
うちの主人にも
「誕生日祝いに、日傘買ってあげようか?」
って言ったら
「日傘は、さしたくないからいい!」
と拒否されました
主人は、『日傘』デビュー
まだできなさそうですね
涼しいのに残念です
安いジャムの魅力について
最近、夜勤明けの朝飯というか寝る前に世間的に言う晩飯を食うんですけど。
ただ暑いし店開いてないしどうでもいいしで、最近はどうでもいいやっすいパンに奥様インタビュー的などうでもいいマーガリンを塗ってどうでもいいいちごジャムを載せて食うのが趣味になりつつあります。
高級食パンになんか缶に入ったバター塗って高いイチゴの粒ががっつり入ったいちごジャムを塗って食ったらそりゃもうすげーうまいとは思うんですが、高級食材の味が100点だとすると駄パンや野良マーガリンを塗って食べる味も75点くらいあるのでそれでいいやという。
山岡史郎じゃねえし、俺。
とくにあのジャムっすよ。三角錐を途中でぶった切ったみたいな形状をしたやっすいやつ。
あれ、ほぼ粘度の高いイチゴ味のゼリーではないかと。
果肉も見当たらなければ申し訳程度にケシの実みたいなイチゴの粒が多少入ってるだけで、成分がほぼ仏壇に置くオブラートに入った正立方体のイチゴゼリーと同じだと思うんですよ。ゼラチンの量が違うだけで。
好き好んで買っておきながらまいかい「ジャム…?」とか思いながらパッケージをあけております。
ただマーガリンとあのジャム状のものをだらしなく塗ったパンがうまいんすよ。
あと安い。高級食材使うのの1/5くらいで食える。1/5の値段で75%くらいの味ならそれでいいや。
今日の話題は
我々50代おじさん婚活中の方向け
結婚式は無駄だ
我々50代おじさん世代で婚活中の方の中には結婚が決まった人もいるでしょう
そんなおめでたい人に待ち受けている最初の難関が結婚式
女性は40代50代でも特に初婚の人は周りに見栄を張る為
結婚式を挙げたがりますよね( ´艸`)
その結婚式がいかにボッタクリか
今更結婚式しないと説得しても無駄でしょうから
いかに無駄な結婚式費用削れるか
検討してみてくださいね
まずはウェディングドレス
結婚式で使うウェディングドレスは50万円前後もしますよね
しかし同じようなデザインのパーティードレスは1万9千円で販売されてます
25倍のぼったくり
一生に一度だからと女性は金額を惜しみませんよね
もう二度と着ることないのに
次はウェディングケーキ
結婚式のウェディングケーキは10万円前後
ケーキ屋さんと同じものを作ってもらうと3万5千円ぐらい
3倍のぼったくり
結婚式のコース料理も高いですよね
一人3万円が相場
同じコースをレストランで注文すると6900円ぐらいです
そしてカメラマン
普通は1万円ぐらいが相場です
しかし結婚式になると10万円から30万円に跳ね上がります
結婚式場の新婦もアルバイトの外国人( ´艸`)
そして一番のぼったくりが
結婚指輪
結婚指輪の相場は40万円前後
しかし実際にその価値は8万円前後
売っても二束三文になります( ´艸`)
広告業界はダイヤは永遠の愛と宣伝してますが
ダイヤは本来工業用でしたが
ダイヤ業界がこうして情報弱者を騙して
ダイヤが高級な宝石に変わりました
本来ダイヤはたくさん取れて余ってるんで
金ほどの価値はありません
そのゴミみたいな石の価格を取り上げているのが結婚式の影響です
ダイヤの大手デビアス社がテレビのコマーシャルを使って
結婚で高いダイヤをプレゼントできない男は底辺
女性側にも結婚で高いダイヤをプレゼントしてもらえないのは愛がない証拠
などなど洗脳した影響です
ヨーロッパの貴族は金の結婚指輪をプレゼントしてました
明治・大正時代には男性は結婚指輪なんて習慣ありませんでしたよ
江戸時代は恋文でした
戦国時代は恋歌でした
昔は安上がりでしたね
結婚指輪が流行りだしたのは太平洋戦争後です
しかも日本人には給料の三ヶ月分と宣伝して日本人にさらに高く売りつけます
本来結婚式というのはヨーロッパの貴族が挙げる儀式でした
アメリカでも1930年代にようやく結婚式が挙げられるようになりました
ブライダル業界が金儲けのため
昔のヨーロッパの貴族がやっていた結婚式を一般人に導入したのが
昨今の結婚式のお金がかかる事情です
しかも昨今は結婚式に金をかけたカップルほど離婚率が高い
当然ですよね結婚生活がいきなり金欠になるわけですか
昨今はウェディングローンを使って結婚式挙げるカップルも多いですからね
日本のカップルの約4割は離婚するんで
結婚式450万円なんてお金かけるのは無駄ですよね
結婚が決まった方は結婚式は見直しましょうね
結婚後の生活が厳しくなります
結婚はクソだお!!
このまま月末まで営業し、月が変わってもシャッタは閉まったまま
これでいいのか?
ふとそう思いましてね。
やはりここは、何らかの感謝を込めたセールがいるのではないかと、妻とも話しましてね。
その辺の所は元パン屋店主夫妻から一任されておりましたから、どうしたものか……
・で、結局最終日に売り尽くしセール的なことをすることにしました。
全品半額!!!
併設のカフェのコーヒーも半額です。
すべて半額ということで、貼り紙はしておくことにしましてね。
すると、ちらほらそれとなく見ていく人がおりました。
当日どんな状態になるのか、少し楽しみではあります。
無論パンは無くなり次第終了ですから、その時点で店は閉めます。
とにかくこのような精神的に不安定な状態は一刻も早くおさらばして、
次の段階に進みたいのです。
今更振り返って懐かしんでも、逆戻りはできないし、どうしようもありません。
ちょっと寂しいですがね……
んんー、これはもう、日本人は本格的に子孫を残せない時代がやって来るかも知れません。既にmRNAワクチンを、国民の8割、そしてコロナで影響が無かった子供たちにまで打たせてしまって、私としては、余り言いたく無いけど絶望的なんですよ。遺伝子に組み込まれる不妊が、代々伝わって、殆どの日本人が消える運命に既にある。
私の願いは、それらを相殺する医療の進歩と、それが可能になった時の経済力の維持。これだけです。金が無いと子供が残せない時代はまさに、金を支配した者の経営する牧場の時代ですから。既に、子種の無い多くの同級生が、もうこの中に居る。
しかし、まだまだ日本人にワクチンや色んな薬を投与しようとしているって事は、コロナワクチンだけでは攻撃が足りないって事ですね。それが唯一の希望でもある。
そんな中、出て来た話が、子宮頸がんワクチンを、男の子にも打たせる政策を、日本政府が始めたってやつです。子宮は無いけど、肛門のガン予防になるんだって。そのガンで亡くなる人が、例え数百人しか居なくて、どれも高齢者ばかりだとしても。
これらを街頭で訴えている女性が、子供を持つ普通の主婦です。もう、一歳までで20回も、色んな予防接種をされて、子供の将来が怖くなっていると言います。家畜の赤ちゃんにも、病気にならない様に大量の予防接種をやるんですよ。それと同じ事がやられている。
そしてこれは、アメリカで一昔前に騒ぎになった話でもあります。その当時に、既に大量に赤ちゃんに注射が打たれる様になって、親や地域で猛反発が起きていました。しかし、それらは全て負けてしまいます。裁判所が、子供の権利を、つまり投薬されて、より健康になる権利を、親が奪うのは違法と定めた。
今は更に行き過ぎて、子供が性別を変更する手術を受けると言い出せば、それを止める親が逮捕されます。もちろん、ワクチンを親が止めると逮捕される。
私が、コロナワクチンを絶対に打つなと進言していたのは、当時のアメリカの話を知っていたからです。米兵の若い女性が、自分は殺されるかも知れないと、決死の覚悟でワクチンや予防接種の危険を訴えていました。WHOの人口削減計画が本格的に始まった事も、当時から多くの人が指摘しています。
これは、ローマ倶楽部の「成長の限界」のレポートから始まった計画で、既に50年以上の歴史があります。
ま、しかしその計画もここまで。遅きに失したとしても、気づかないより気づいた方が良いに決まっています。少なくとも、2025年の段階では、世界人口が急激に減り始めるまでは起きていない。mRNAワクチンの効果が、ローマ倶楽部の想定ほど効力が無かったと信じましょう。そして、今度の選挙で、WHOの刺客の武見敬三。奴が一線を退いた事。アメリカでは、ケネディーJr.が、この製薬会社と医療業界の巨悪に立ち向かっている事。これらに活路を見出しましょう。
武見敬三とかね、第二次世界大戦で言ったら、敵の大戦艦を撃沈した様なものですから。蓮舫みたいに再起動して来る戦艦もありますが、一隻ずつ撃沈して行くのみ。勝てば生きる。負ければ終わる。
ワクチンを打ってしまって、自分はダメかも知れないと気落ちする若い子もいるでしょう。それはそれ。ダメかも知れないし、大丈夫かも知れない。今は先の事は考えないで、明るい家庭を築く事を目指して。何だかんだで、家族が作れる事が最も尊い。そうやって次に繋がる事だけを信じて、問題があったら、その時に考えて。
これをしかし、私の世代くらいからは、自分の事として考えなければならない。その世代にはその世代の役割がある。若い子たちから見れば、こんな日本にした張本人の一人かも知れない。でも、まだまだ社会の中枢は我々では無いのでね。もう少し時間は掛かるが、それまで辛抱して貰いたい。
とは言ってみたものの、正直言って、私も疑心暗鬼になりそうになります。浜田議員。残念ながら大量の支持票を集めても落選してしまう。しかしこの人もねえ、もしかしたら脅されているのかも知れないけど、おかしな言動が時々出て来る。彼の憲法草案とか無茶苦茶で、深田萌絵に言わせれば統一教会のそれか、って話です。変なところで、不可解な行動をする。具体的には、明らかに深田萌絵が本の出版で被害者なのに、そこを責めたりする。
北村弁護士議員もそうです。スパイ防止法には賛同できるも、ロシアのスパイが日本の中枢にいるとか、訳の分からない話をしています。戦前のゾルゲ事件を引き合いに出し、ロシアの工作員が日本を戦争に引きずり込んだとか言ってしまう。戦後のレッドパージで、ロシアの影響力は排除されたでしょう、日本政府からは。そかもロシアじゃなくて、ユダヤ人のソ連だし。
今は圧倒的に中国と朝鮮のスパイが日本を牛耳っているのに、それよりもロシアって言っているのが怖い。この人、ロシアの工作員として、一般の日本人をスパイで捕まえようとする側なのかと疑ってしまう。
この情報過多の時代で、ウクライナとロシアの関係性を知らないとしたら、それはそれで残念です。どっちにしろ、北村弁護士議員も限界が早くも露呈している。
何だかんだ怪しい気配は感じられるものの、深田萌絵界隈が一番信用できます。無所属の党か何かですかね。深田萌絵が怪しいのは、あくまでも私の個人的な早稲田出嫌悪と、あれだけ言って殺され無い事。東京地検やらには陥れられそうなのに、何とか無事で活動しています。それが、何が彼女を守っているのか、判断しかねる部分があって、彼女の怪しさはそこだけですよ。とにかく話が具体的です。
その守る力が、何かの政治勢力なのか、本当に日本国民の、親衛隊の力なのか、そこが良く見えない。後者だったら、国民の戦闘力は凄いレベルに達している。
あと、参政党の神谷様にしても、ところどころで、怪しい返答があるとはいえ、言っている事はまともです。彼に関しては、参政党を始めた頃からの、いや、その前だったか、CGSってネット番組をやっていた時から知っています。陰謀論と言われる背景事情も把握しているのです。色んな策略上、最善手を打っているのを、私が解していない可能性もあります。そうであれば、そうであるに越した事はない。
今、アメリカでは、中の揉め事が激化しているとも言われています。ロシアにしてもそうですけど、本当のところ、どうなっているのかは、私の掴める範囲内では分かりません。一つ確実な事は、メキシコの麻薬カルテルと、トランプ政権が本格的に戦争を始めそうだって事。メキシコ政府は麻薬カルテルに怯え、何もしないけど、トランプはやる気です。それに対応する形で、メキシコの麻薬組織が、互いに同盟を結び始める。その投稿がSNSで確認されたとの話です。堂々と宣言しているらしい。
まさかと思うけど、石破が吐き出した80兆円もの投資の行き先は、アメリカの、この為の戦費に使われるとか?日本政府が直接にお金を出すものでは無く、民間投資が80兆円って事だと説明が出ているけど、その民間投資がブラックボックスでしょう。その担保を日本政府がやるなら、やっぱり日本政府の金だろって思うけど、そんな額の金が急に持ち上がって来るのも怪しい。
これが、トランプの麻薬カルテルとの戦いだったらまだマシで、そうじゃない。USAIDの活動資金を出さされている可能性もあります。だとしたら、二重に最悪です。
もうね、こう状況が混沌として来ると、私も何が何だ分からなくなっていますよ。昨日まで、偉そうに皆んな騙されるな、って言っていたけど、これはちょっと、本当には何処に流れているのか分からなくなっています。でも、日本が力を回復しているのは間違いないから。
そこは分かるけど、世界はどの方向に進んでいるのか、その影響を、どう日本の政治が受けているのか、ここへ来て全く分からない事になっています。カオス過ぎる。
だいたい、トランプが大統領になって、アメリカの力が以前より格段に弱くなっている。関税を全方位にちらつかせる外交とか、そんな外交は聞いた事がない。想像もしない珍事です。
トランプの側近として、アメリカの関税交渉をやっている、あれ誰でしたっけ。あの男、後にラスプーチンとか言われているかも知れませんね。
これだけカオスになると、日本は内政にもっと注力して大丈夫なのかも知れないのでね、良い方に考えれば、これは本当に明るい時代でもあります。
どっちなんだろう。考えて分からない事は、考えないでおこう。
私の和歌ログは、基本的に四季の自然を詠むことが多いので、大抵は「春の歌」「夏の歌」「秋の歌」「冬の歌」という分類に沿っている。ただ、最近の歌となると「夏の歌」としてはいるがかなりの違和感が生じてしまう。「夏」という文字では、もはや現実の暑さを表現しきれないからだ。
今や「夏」という文字を見ると案外「涼しさ」さえ感じてしまうから不思議だ。最近の暑さは「夏」なんてもんじゃなく、「真夏」という文字でないと表現できない気がするのである。私自身、今月 17日に "「五季」を単語登録してしまおう" という記事を書いているし。
というわけで、今後は和歌ログに「真夏」という分類を加えることにしようと思う。今日付の歌をもって、遅まきながら「真夏の歌」ということにする。9月の終わり頃(いや、10月初めかな?)に「夏の歌」に戻ることになるだろう。
とにかく「夏」と「真夏」ははっきりと別物と思わなければ、実際の感覚に即さない。
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